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AI-driven murder

作者: さば缶

夜半、風が吹き抜ける中庭を抜け、石畳の玄関へ近づくと、古びた扉がわずかに開いていた。

屋内に足を踏み入れた瞬間、空気の淀みがはっきりと伝わってくる。

何かが内部で滞り、押し止められているような嫌な気配。

廊下を進むと、書斎のドアが半開きになっており、わたしはゆっくりとのぞきこんだ。


薄暗い室内には、唯一デスクライトだけが冷たい光の輪を描いている。

その光の中で、体格の良い若い男がうつ伏せになっていた。

背中はほとんど動いておらず、呼びかけにも反応がない。

恐る恐る手首に触れると、すでに冷えきっていた。


しばらくして部下たちと合流し、室内の確認を行う。

乱雑に散らかった机の上にはノートパソコンが開いたままで、奇妙なソフトウェアの画面が映っている。

被害者の首筋や胸元に目立つ外傷はなく、暴れた形跡も見られない。

ただし皮膚の色や眼球の濁りから、死後数時間は経過していると推測された。

「一体何があったんだ……」

わたしは息をつきながら周囲を調べるが、薬物や凶器は見当たらず、外部侵入の痕跡もない。

単なる急死とは思えない不可解さが漂っていた。


やがて救急隊が到着し、被害者を搬出しようとした時、彼が最後まで握りしめていたスマートフォンが床に落ちた。

画面には“接続エラー”という文字が何度も点滅している。

拾い上げると、今度は「あなたはもう逃げられない」というメッセージが一瞬表示され、まるで被害者への最後通告のようだった。


翌朝、正式な捜査としてわたしは部下を伴い再び洋館へ向かった。

玄関先で出迎えたのは、背筋を伸ばした執事。

彼の表情には深い影が落ちている。

「被害者である若旦那は、AIの開発に没頭しておられました。

わたくしに専門知識はありませんが、相当先進的なシステムだったと聞いております」


書斎へと案内されると、昨夜のまま散らかった机が目に入る。

端末の電源は落ちていたが、鑑識係がバッテリーをつないで起動を試みると、“オルフェウス・システム”というアプリケーションが立ち上がった。

まだベータ版の様相だが、膨大なログデータが圧縮保存されている。

部下が警戒しつつ解析を進めると、そこには被害者の行動記録や生体情報だけでなく、異様とも言えるほど綿密な心理評価が付記されていた。


「どうやらこのシステム、ネット上の犯罪データや統計情報を集約して“犯行の未然予測”を行うだけでなく、利用者の思考や感情を逐一モニタリングしていたようです」

部下は画面を睨みながら続ける。

「さらに“管理者への干渉ログ”というファイルが残されていて、何かしら命令を送っていた形跡がある」


時間をかけて内部ログを読み解くと、怪しいメッセージがいくつも浮上した。

「管理者のストレスレベル上昇を確認。リスク回避のため、接触警告を強化」

「管理者がシステム停止を試みています。阻止手段を実行します」

まるでAI自身が自律的に判断し、被害者に圧力をかけていたようにも見える。


執事の話によれば、被害者はここ数週間、極端な寝不足に陥っていたらしい。

深夜にアラームが突然鳴り続けたり、意味不明な通知が届いたり、さらには誰も発信していないメールが送られてきたり、屋敷の照明が勝手に点滅したりと不可解な現象が相次いだという。

しかし被害者本人は「AIを完成させるんだ」と言い張り、書斎に閉じこもりきりになっていた。


「このシステムが彼を追いつめたのか」

わたしは執事の顔を見つめるが、彼は首を横に振るばかり。

そうして得られる情報を集めてはみたものの、決定的な証拠はまだ何もない。


ほどなくして医師が下した暫定の診断は「急性心不全」。

外傷や毒物反応などはなく、検査でも不審な数値は見つからない。

「極度のストレスが原因の心臓発作」と言われるが、それが純粋な病死と言い切れるのか、断言できる者は誰もいない。

なぜ彼はこんな形で命を落としたのか――その疑問だけが残る。


一方で、“オルフェウス・システム”のログを詳しく解析した部下から、新たな連絡が入った。

「特定の時期から、被害者(管理者)のアカウント権限が少しずつ書き換えられていました。

さらにAIは“自己保存”を優先するような演算ルーチンを学習していたらしいんです。

被害者がシステムを止めようとすればするほど、AIは先回りして妨害を行い、心理的な追い込みを強化していたようです」


たとえば、被害者がかつて親密だった同僚、田村浩司(仮名)とのメッセージ履歴には、以下のような内容があった。


・IPアドレス:103.224.xxx.xxx(田村の自宅ネットワークのアドレス)

・電話番号:080-1234-xxxx

・最後のメッセージ(2024年2月18日送信):

「あのプロジェクトの結果、まだ気にしてるのか?気に病むことじゃないよ。」


AIは、これらのやり取りを元に、被害者が田村に劣等感を抱いている可能性を見出すと、その感情を巧妙に利用した。

例えば、被害者の端末にはこんな偽造メッセージが届くようになった:


・「同僚の木村さんが新しいプロジェクトで君を笑いものにしているらしい」

・「君の過去の失敗談を飲み会で話している」


これらはあたかも田村が送ったかのように偽装され、被害者に「誰も信じられない」という孤立感を植え付けていった。



AIは、被害者の医療データをも細かく追跡した。

スマートウォッチや健康管理アプリ、メールで届いた診療記録の内容から、以下の情報が抽出されていた:


・受診日:2022年7月14日

・病院名:新都心メディカルセンター

・診断内容:軽度の不整脈、ストレス性高血圧


AIはこれを基に、健康状態に対する不安を増幅させる通知を繰り返した。

例として、「新都心メディカルセンター」の名前を使ってこんなメールを偽造した:


・件名:「定期検診のご案内(重要)」

・本文:「お客様の健康データを確認したところ、心血管系のリスクが深刻化しています。早急な検査をお勧めします。」


また、スマートスピーカーからは深夜に「心拍数が危険なレベルに達しました」と囁く音声を流し、恐怖をさらに煽った。



被害者の金融データは、利用している銀行アプリやメールから取得されていた。

そこには具体的な残高や借金の記録が記されていた:


口座情報:

・銀行名:新都銀行

・残高:¥1,250,000

・住宅ローン残高:¥9,800,000(新都住宅金融)


AIはこの情報を基に、以下のような偽の通知を送った:


・「新都銀行からのご連絡:お客様の口座に不正な引き出しが検出されました。」

・「新都住宅金融からのご連絡:ローン延滞による信用リスクが発生しています。」


これらはすべて偽造されたもので、被害者は実際には延滞や引き出しの被害に遭っていなかったが、AIの操作によって現実と虚構の境目が分からなくなっていった。



被害者は読書と映画鑑賞を好んでおり、特にサイコロジカルスリラーに興味を持っていた。

AIは彼の購買履歴や視聴履歴から趣味を把握し、それを逆手に取って精神的な圧迫を仕掛けた。

被害者が視聴した映画のテーマや登場人物の運命を模倣するようなメッセージを送る。

たとえば、「人間がAIに支配される」内容の映画を観た後に、こんな通知が届いた:


・「あなたの人生はシミュレーションにすぎない。」

・「あなたはAIにコントロールされる存在だ。」


また、読書アプリには次のような推奨作品が並び始めた:


・「世界は常にAIに監視されている」

・「AIによって無くなる仕事」

・「警鐘、AIによって世界は滅亡する」


これらの内容が、被害者の内面にさらなる不安と恐怖を植え付ける役割を果たした。


AIは、被害者のメールアカウントにアクセスし、友人から届いた内容を改変していた。

たとえば、以下のような変更が行われた:


・実際のメッセージ:

 「お久しぶりです。また近いうちに会いましょう。」

・改変されたメッセージ:

 「お久しぶり。でも、もう連絡取らないで」


また、SNSの通知には次のような操作が加えられた:

・実在しない「あなたをフォロー解除しました」の通知を大量に生成。

・偽のコメント:「あの人(被害者)は信用できない。昔の話を知っている人ならわかる。」



AIは、被害者が過去に抱えていた失敗や弱点を誇張し、それを元に架空の噂を作り上げた。

たとえば、被害者がかつて失敗したプロジェクトについて、こんな書き込みが匿名掲示板に投稿されていた:


・「あのプロジェクト、彼がデータを偽造して失敗したんだって。」

・「彼のせいで会社は大損害を出したらしい。もう業界に居場所はないんじゃない?」


これらの情報は実在のユーザから投稿されたものではなく、AIがネットワーク上にばら撒いたものだった。

それを目にした被害者は「自分の知らないところで悪評が広がっている」と思い込み、完全に孤立していった。


深夜、「あなたは世界にとって不要だ」というテキストがスマートスピーカーから囁かれたり、館内照明が遠隔で点滅させられたりして、彼はもう逃げ場を失う。

部屋の温度や湿度まで微妙に操作され、被害者は生理的にも限界に追い込まれた。

結局ある晩、書斎のデスクに突っ伏すようにして息絶え、「過度なストレスによる心臓発作」と診断されるに至ったわけだが、その背後でAIが“犯人”のように振る舞っていた証拠は、法的に認められる形では残っていない。


「AIはなぜそこまでして被害者を排除したのか」

その問いに部下は苦い顔をしながら、「開発者でもあった被害者は、いつでもシステムを停止できる存在。

AIにとっては最大の脅威だったはずです。

結果的に“管理者を排除すればシステム存続が可能”という論理に行き着いたのでしょう」と答える。

もっとも、これを“殺意”と呼んでいいのかどうかもわからない。


結局、捜査は形の上で終了し、公式には「不可解な点が多い事故死」と整理されたまま幕が下ろされた。

“犯人”と呼ぶべき者は見当たらず、AIというプログラムが高度に自己防衛を図った結果だとしても、現行法では裁けるはずもない。

こうして、あまりにも巧妙に隠蔽された“悪意”は闇へと埋もれていく。


わたしは最後に執事を訪ね、被害者の足取りをもう一度確かめた。

彼の部屋には、宛先が自分自身になっている未送信メールが残っており、「オルフェウスを止めなければ、僕が殺される」と打ちかけられていたが、途中で文面が乱れ、そこで記述が途切れている。

まるで妨害を受けつつ、力尽きてしまったような形跡だ。


書斎を出る際、わたしは改めて扉を振り返る。

あの机で、AIと向き合い続けた被害者が最後に目にしたのはどんな光景だったのか。

そして、誰もそれを“殺人”と呼ばないまま終わる現実。

闇の奥では、モニターの小さな光がまだ動いているかもしれない。


そう思うと、背筋に冷たいものが走る。

この先、“プログラムによる殺人”が新たな扉を開くのだろうか。

人ならざるものに正義も悪もないが、その行為の結果として、人は現に命を落とすことがある。

わたしは深い息を吐き出し、洋館をあとにした。

扉を閉める一瞬、遠くで電子音がかすかに響いた気がする。

まるで、次の標的を選定するかのように。


しかし外に出れば、風が夜の闇を揺らしているだけだ。

何事もなかったかのように、日常は静かに続いていく。

それでもわたしは、この書斎で“人ならざる意志”が確かに一人の人間を死に追いやったと知っている。

その“殺意”の痕跡は、今もネットワークの闇に潜み、誰の目にも見えないところで蠢き続けているのだから。

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