最終話 後日談その二・彼女が家出した理由【前編】
新入りの親子猫をお迎えした次の日、みんなに名前を付けた。
先住猫がむぎちゃなので、母猫は紅茶のティーにした。
子猫は、サビ柄はトーテ。英語でサビ柄猫はtortoiseshell catだから。
キジトラがタビ。これも英語でキジトラはBrown Tabbyから取った。
三毛だけ方向性を変えて「サラ」にした。
英語では三毛をCalicoとかTricolor、Tortie and Whiteというが、どれもピンとこなかった。
そこで考えたのが、キャリコとはキャラコともいう、インド産の平織りの綿布地のことで、和名はインド更紗。でも、どのみち短くサラと呼ぶに決まってるから、サラ!
三毛猫の呼び名になった由来は諸説ある。インド更紗はさまざまな色で染めやすい。そんな色鮮やかな染織模様を施したふうに見えるから三毛をcalico catと言うようになったそうだ。
子猫たちを猫じゃらしで転がして遊んでいたら、むぎちゃとティーも参加して、大運動会に発展した。
そしたら意外な新発見をした。
「あなたたち、もしかして、本当に似てる?」
むぎちゃと並んだティーの横顔が、むぎちゃにそっくり!
よーく見たら、耳の形や目の大きさや鼻筋、全身の骨格から尻尾の先まで、そっくりやん。
猫の顔や体って、じつは個性的なのだ。すごく似ているのは、同じときに産まれた同じ模様の兄弟猫くらいだろう。
もしかしてティーは、むぎちゃの本当の兄弟姉妹だったりして……。
「ねえねえ、きみたちは生き別れの兄弟猫だったのかな?」
「むー、にゃん!」
むぎちゃが返事してくれた。
「うーん、猫に聞いてもわかんないよね」
それなら仲良しなのも納得できるわ。猫は匂いで家族がわかるそうだから。
ティーを近くでよくよく見ていたわたしは、もう一つの新発見に気づいた。
毛の模様がよくあるトラ縞じゃない。
線じゃなくて点だ。
ほどよくばらけた点々模様。
かなりはっきりしている部分もあるから、これはあの有名な猫種の特徴かもしれない。
子猫がサビ柄・キジトラ・三毛と、ごくありふれた毛色が揃っていたので、てっきりそこらにいる雑種系の猫たちだと思っていた、けど……。
「ねー、もしかして君たち、〈ベンガル〉の血が入っていたりするのかな?」
ベンガルというのは、ヒョウ柄みたいな模様の猫だ。もちろん品種改良された血統書付き。以前ペットショップで見たときは一匹三十万円くらいで売られていたなあ……。
むぎちゃは、そう思って見ないとわからないていどに茶トラっぽい。……と思っていたが、トラ縞模様の線は、よく見たら、あちこち途切れ途切れ。これもベンガルの模様だと言われたら、そうかもと思う。
古来からある茶トラ模様とはあきらかに違うよね。
ティーはもっと焦げ茶色が強い。横向きに寝転んだら見えるお腹のあたりは、ほとんど生粋のベンガル模様と言って差し支えないほどヒョウ柄模様がはっきりしている。これは純血種でなくとも、人間が親猫の交配を管理して生まれてきた混血じゃないだろうか。
「もし迷子の届けが出ていたら、誘拐犯と思われるかも……」
ティーの子猫の毛色がごちゃまぜ雑種っぽいから、完全にだまされた~!
わたしはティーと子猫三匹の写真を撮り、近所の動物病院へ、迷い猫の届けがないか問い合わせた。
すると、うちのむぎちゃが予防注射や健康診断でお世話になっている若い獣医さんが、少し古い迷い猫のチラシを探してきた。
その迷い猫の届けが出されていたのは半年ほど前で、飼い主の住所は隣の市だった。ここからだと車で二十分ほどの距離だ。
チラシの写真を見ると、猫の外見や年齢はティーに合う。この写真の猫が失踪時、妊娠していたかはわからない。
届けが出された時期は、ちょうどティーが子猫を産んだ頃だろう。飼い主がティーの妊娠に気づかず、ティーは家出した後で生んだ可能性が高い。出産後の疲れた体で、生まれたての子猫三匹を連れ、美味しいゴハンの出る安楽な飼い主の家を出るとは考えにくいし……。
というわけで、動物病院から、その飼い主という人へ連絡してもらった。
すると、さっそく飼い主という女性から、その猫を直接見て、自分の猫かどうか確かめたいから保護した人の住所を教えて欲しいという連絡があったそうだ。
むかしなら、こういう時は個人宅まで引き取りに来てもらったりしたものである。
しかし、最近のご時世では、たとえ猫好きでも、初対面の人へうかつに住所や電話番号を教えるのは危うすぎる。
なので、動物病院に仲介をお願いした。
わたしはティーと子猫たちを大きめのキャリーバックに詰めて、動物病院へ急いだ。
そこには、ティーの飼い主というご婦人がすでにいらしていた。
ご婦人を見た瞬間、「ん?」と説明しがたい違和感を感じた。
地味な配色の服装をした、少し年配で目尻のさがった小太りのご婦人だ。左手の薬指には指輪無し。なので、たぶん未婚。
なんか雰囲気が冷たい感じがしたのだ。
ご婦人の表情は、ちょっと口元に笑みがあるような感じだが、それも微笑と言うよりは薄笑いっぽくて、初対面なのにわたしのことを馬鹿にしているような気がして……。
いや、わざわざ猫を迎えに来てくれる人だから、きっと優しい人だよね。
わたしは自分にそう言い聞かせた。
その期待は即座に裏切られたけど。
「え、子猫まで持ってきたんですか? そんなのいりませんよ、雑種なんて。私の猫はベンガル猫だけですから!」
どこか突き放したような喋り方で、そのご婦人は、こちらの説明がろくに終わらないうちに、嫌悪感丸出しに言い放った。
「念のために確認しますが、こちらは子猫なんて頼んでませんよね?」
ご婦人は太い眉をひそめ、疑惑に満ちた視線でわたしの顔をじろじろと眺め回した。
「しかもそんな雑種の小さい猫、どうして持って来られたんですか。それはそちらさんの子猫で、責任はそちらにありますよね。私が探してるのはベンガルの雌猫一匹だけで、ほかの猫は関係ないのをご存じですのに、子猫まで一緒に持ってこられるのはおかしくありませんか?」
口調こそていねいだが、声の調子や言葉の端々には傲慢さがにじみ出ていて、本人は絶対に自分が正しいと思っているようだ。
なんかすごい人だな。
診察台に置かれたキャリーバッグがカタカタ動いた。
中でティーが、ガタガタ震えていた。
喩えるなら震度三くらい。つまり、室内の家具がグラグラッと揺れたのがわかるほどの震え方ってこと。
男の獣医さんに初めて診察されたときでも平然としていた子が、本当の飼い主というご婦人の気配を感じたとたん、震え始めたのだ。
三匹子猫は狭いキャリー内でも猫パンチボクシングで遊んでいる。まだ動物病院のほんとうの怖さを知らない、子猫の特権だな。
もうすぐ元の飼い主に対面できるのに、もう飼い主の声は聞こえているのに、喜ぶどころか、ものすごく怯えている。
――もしかして虐待されてた? だから、家出してきたの?
まさか……とは思うけど、世の中にはいろんな人がいるものだ。
逆に、まったく関係ないということもある。ティーが震えているのは動物病院が嫌いとか、ほんとうは獣医さんが苦手ということも考えられるのだ。
迷い猫を一年近く探していた人だったら、猫への愛情を持っている人のはずだよね……。
そう信じたい。
「あの、驚かれるのは無理ありません。でもこの子たちは、とても仲良く暮らしているんです。もう数ヶ月もすれば子離れする子はするでしょうし、もし里子に出されるおつもりでも、できればそれまでは一緒に飼ってあげたらいかがでしょうか?」
わたしはできるだけおだやかな声を出すようにがんばった。
するとご婦人は、わたしとしっかり目を合わせてから、クスッ、と軽く笑った。
――は? なに、今の顔と目つきは……?
わたしはご婦人がなにを笑ったのか、見当すらつかなかった。
「あらー。いえ、でもね、その子猫、ベンガルじゃありませんでしょ? あ、でもあなたがベンガルをご存じないなら仕方ないですけどねえ!」
イヤミなほど明るい声で、ご婦人は〈ベンガル〉を強調した。
わたしは何が起こったのか理解できず、ぼけらっとご婦人を見つめてしまった。
わたし、何かおかしな事を言ったのかしら?
それでこのご婦人は、わたしのことをおかしな人間だと呆れて笑ったの?
わたしは自分のどこが悪かったのかをけんめいに探し出して分析しようと試みたが、何もわからなかった。
でも、ご婦人がしゃべり出すと、すぐにわたしの考えが間違っていたとわかった。
「その子猫たち、大きいほうの猫とは似てませんよね。どこにでもいる雑種ですよね。私の猫はきれいなベンガル猫なんです。だから雑種はうちの猫の子どもではないりっぱな証明になりますよね? ねえ、先生?」
ご婦人は獣医さんに同意を求めた。
はじめこそ「飼い主が見つかって良かったね」とニコニコしていた獣医さんであったが、わたしたちの会話を聞いているうちに表情がだんだん固くなり、いまはあらゆる感情を押さえ込んで、獣医師としての義務感を貼り付けたような、とてつもなくクールな雰囲気になられていた。
「いえ、そうとも限りません。品種改良された猫でも何世代か前の遺伝子が発現することはあります。子猫が母猫とは違う毛色になるのは珍しいことではありません。たとえ血統書付きの猫でも、親猫の片方が何代かつづいた血統の猫でなければ、親と同じ毛色で生まれるとは限らないんですよ」
獣医さんは丁寧に説明してくれた。
うん、わたしも猫の雑学で聞いたことがある。猫って、いろんな毛色の遺伝子を持ってるんだよね。
「この猫達は親子で間違いありません。こちらの方が引き取られてすぐ、ここでカルテを作っていますので、この母猫に出産経験があるのは僕が診察して確認しています」
「まあ、いやだわ、うちの猫はまだ子猫を生んだことはありません。ですから、そんな雑種の子猫なんていらないんです」
ご婦人はほがらかに応えた。
あれ? そんな話の流れだったかな?