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梅雨は相合傘じゃなくていい


「あんれー? 今日はお兄さん傘忘れなかったんだ。まー今日はただの曇りだけどね」

「だー! うるせえな」

 珍しく登校中に出くわしたかと思ったら佐藤のヤツ煽りやがって。てかなんで優瑠は教えてくれなかったんだよ。もう学校じゃんか。

 梅雨と言えば六月のイメージがあったのだが、今年は七月に梅雨がやってきた。俺は水泳の授業が嫌すぎて七月中雨が降りますようにと七夕の短冊に書いたが、その雨のせいで何人かにお世話になってしまっていたた。

 早く梅雨終わんないかなあ。





 七月七日、今日はめでたく雨が降っていた。今週中には流石に梅雨入りするだろう。

 俺と佐藤と優瑠は図書室前の笹に短冊を括りつけていた。

「うわあ……『可愛い可愛い彩夏ちゃんの二酸化炭素を毎日吸えますように』って、流石優瑠だな」

「二酸化炭素、つまり使用済みの酸素だってことがポイント高いね」

「なんのポイントだ?」

 優瑠は筆で書いたかのように達筆な気色悪い願い事をわざわざ椅子を持ってきてまでてっぺんに括り付けている。いたって真剣なその横顔は何も知らない者から見たらカッコいいとかそういう感想になるんだろうが、俺と佐藤は何かしらの狂気を感じていた。

「なんだ? 俺は至極普通の事を言っているだけだが? お前のような愚民にも分かりやすく言うなら『生きれますように』ってことだ」

「お前が特殊な空気で呼吸するっていうことはわかった」

 明らかに何かきまっちゃってる優瑠の瞳を半眼で受け止めてそう言えば、以外にも「なら良いんだ」と優瑠は静まった。なにか彩夏ちゃんがらみでいいことがあったのだろうか。調子がよさそうだ。

「佐藤は何て書いたんだ?」

「『契約満了できますように♡』って書いたよ。お兄さんは……『七月中雨が降りますように』? なかなかに不思議なことを書くね」

「君らまともなお願いないの?」

「げ、高山……」

 急に頭上から声が降ってきたので俺たちが振り返ると、そこには結構近くに高木がいた。いつも通り感情が読めない瞳が心なしかジトっとしているような気がする。

「げとはなんだ。図書委員であるボクが図書室前に居てなにが悪い」

 名前間違えたことには何も言わないのか。そう思っていたら「最近普通に呼ぶようになったと思ったのにやっぱり馬鹿だな」と鼻を鳴らされてしまった。噂をすれば影という奴か。

 そのあと、図書だよりに載せる短冊探していたとこだしちょうどいいかと言って高木は去って行った。図書だよりにめでたく乗せられた優瑠の願い事が一部の女子と男子に致命傷を与えたことについては高木が戦犯だ。

 佐藤と二人で下校中彼女は思い出したように言った。

「今日のお兄さんの願いってフラグくさいよね。明日から雨一滴も降らないんじゃない?」

 そんなわけあるか。

 二人で傘をさして歩きながら俺は思わず笑った。

 結局雨が降らないなんてことは無く、それからずっと雨だった。

 だからこそ、その日は油断したんだ。


 朝起きると空は晴れ渡っていて、水泳の授業もないので俺は手放しに喜んでいた。

 のだが、午後から雨が降った。

「お兄さん帰ろうろ~」

「はーい」

 傘を忘れてしまったのでどうしたもんかなと思ったが、考えるだけ無駄なので佐藤と玄関に向かった。

「あれ、お兄さん。傘忘れたの?」

 佐藤が振り返ったのは俺が今まさに屋根から一歩出ようというところで足を止めたからだろう。その通りなので俺は頷いた。

「ああ、今日朝晴れてたから」

「あー、とても降るとは思えなかったよね。天気予報マジかって見てたわ」

 そう言うと佐藤は傘を畳んで、俺に手を差し出してきた。きちんとテープで止めていないから傘がやんわりとだらしなく広がっている。

「は? おま、何で傘……」

「カレシとカノジョなんだし、一緒がいいでしょ。ほら、おいでよ」

「おう……」

 手を取ればどこか軽やかな足取りで佐藤は歩き出した。意識してやってるなってくらい水たまりが飛び散っていく。

「普通、相合傘とかするもんだと思ってた。こういうとき」

「したかったの?」

「いや、別に」

 本当に俺が相合傘したいなんて思っていない。しかしカップル=相合傘だとは思ってる部分があったのは確かだ。やけに自分がカノジョだと強調する佐藤なら、やりたいんじゃないか。そう思ったのもある。

「うーん。相合傘ってなんかしっくりこないんだよね」

 そうつぶやいたっきり佐藤は口を閉じた。

 雨って不思議な時間だと思った。互いに水たまりを散らし合って帰ると尚更にそんな気がする。


 あの日びしょぬれになって帰って母にしこたま叱られたので、それからずっと気を使っていたのだが。俺は昨日、軽い気持ちで置き傘してしまったのだ。

 そして、雨が降った。

 お母さんの傘使うのも悪いし、レインコートも着たくないし、何もなす術がないよなあ。

 そんなこったで俺が大人しく何の雨具もなしに外に出ると、優瑠が出待ちしていた。

「お前昨日傘置いて帰ったろ? さっさと来い。俺の傘に入れてやる」

「おーセンキュー」

 ほらと軽く傘を持ち上げる優瑠のもとに急いで駆け込む、優瑠の傘は流石キャンプ用なだけあって大きい。

 優瑠は彩夏ちゃんのこと年がら年中考えているからか身内には結構世話焼きな面がある。それに何度助けられたことだろうか。

 そんなこんなで朝もどうにかなったし、傘は学校にあるはずだから安心安心。

 そう思っていたら、傘がなかった。よくあるビニール傘なので間違えて持ち帰られてしまったらしい。

 えええー、そんなことってあり?

 俺は学校の玄関でぼーっと立ち尽くしていた。

 優瑠は彩夏ちゃんを迎えにいくと先に帰ってしまったし、佐藤は今日は用事があるので早退していった。

 まあ、潔く濡れて帰ればいいのだがな。ありがたいことに俺の鞄は防水加工なので濡れても大丈夫だ。後は制服を濡らして母に怒られるだけである。

 なんて完璧な状況だこと。

「君、傘忘れたの?」

「たかーぎ……そうなんだ」

「そう」

 冷たい。高木ってときどきとんでもなく冷たいときがある。がっちり目が合うはずの高木の目が全く合わないことからしても、高木は今俺に興味はないらしい。なんてこった。

 そう思って雨の中に出ようとすると高木はぐいと傘を俺に押し付けてきた。反射的にそれを受け取って高木を見上げる。猫のような形の目が肉食獣のもののように丸く澄んでいた。耳がうっすらと赤く見えるのは彼女の髪の色が映っているのかもしれない。

 高木が赤い傘使ってるなんて意外だな。俺と同じようなビニール傘か黒い傘な気がしてたわ。

「傘、貸してやるよ。そのかわり一緒に帰ってくれない? ボク、暇なんだよね」

「俺だけ傘さしてんの気まずいんだが……」

「今日は濡れたい気分なんだ。それに、交換条件を出してるんだから大人しく従いなよ。お前んちまでついてってやるから」

「ハイ」

 優瑠もそうだが高木もなかなかに横暴だ。どうして高身長イケメンは男女問わず傲慢なのだろうか。そしてどうしてそいつらはモテるんだ。そいつらは妙に外面がいいしねー。

 高木は髪のボリュームがすごいから濡れたらすげー重そうなのに。そんな気楽に濡れたい気分だなんて言えるのか。

 さんざん高木に言いたいことができたが、口を閉じた。

 傘をさすと背の高い高木の顔は見えなくなってしまう。普段から高木の顔など身長差もあってよく見えないが、どうしても見えないようになると不安になる。

 高木の背中を追いかけて俺は歩き出した。

「で、佐藤さんとはどう? なんか進展した?」

「おま……またそれかよ」

 しばらくして高木の平坦な声が降ってきたので俺は思わず苦言を呈した。どうしてこうも高木は佐藤のことを気にするのだろうか?

 そして俺の呆れたような態度が気に食わなかったのか、鋭い視線が傘をすり抜けてきた。

「なに? 聞かれちゃまずい事でもあるの?」

「ねえけどさあ……」

「ふーん。そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」

「エーミールやめて」

 高木がエーミールしだしたという事は割と真面目に不機嫌になっているという事だった。高木と俺とエーミールには切っても切れない縁がある。

 あれは中学一年生のことだった。


 国語の授業でヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」についてやった日の昼休み。俺はなんとなく高木と駄弁っていた。

「なんかさ、お前とエーミールって似てるよな。なんかめちゃくちゃ偉そうなとことか。それなのに、正しい事を言ってるとことか」

「……」

 このとき高木が何か言ってくれたら少しはマシだったかもしれないなんて今は思うが当時の俺は急に静まり返った教室に軽いパニックを起こしていた。

 そうしているうちにクラスの高木推しの女子たちとエーミールファンクラブによって俺は追い詰められていた。

 エーミールを悪口みたく使うなとか、偉そうってどういうことだとか、次々に言葉を浴びせられ、別に悪く言ったつもりはないのにと心の中で愚痴った。しかし、言葉は暫く鳴りやまなかった。彼女らが黙り込んだのは高木の「ちょっと静かにして欲しいな」という一言だった。

 高木は俺を取り囲む人だかりをかき分けて俺の前に立った。そしていつも通りそのまなざしを俺に固定する。高木を一瞥して俺の頭に思わず来るという二文字がよぎった。なぜなら高木はエーミールと同じように冷淡に構え、軽蔑的な目で俺を見ていたからだ。

 高木の口が小さく開けられた。

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」

 そう完璧なエーミールを披露した後彼女はそっと目元をやわらげた。

「なんか嬉しかった。君は少なくともボクにとっていいやつだよ」

 ほんの微笑だが貴重な高木の笑みにクラスメイトの大半はノックアウトされ、俺はアイスクリーム頭痛のようなものを起こして頭を抱えた。

 その時のトラウマがフラッシュバックすると知ってか、高木は機嫌が悪いときにエミるようになったのだ。


 俺が懐かしさにぼおっとしていると「おい」という声とともに水しぶきが下からかかってきた。高木が水たまりを踏んだのだろう。なんてやつだ。

「ごめんて。でもそんな聞かれたってマジで何もないから」

「じゃあなんかしろよ」

「そんな横暴な……」

 あまりに不遜な態度に俺が呆れていると、高木は少し黙り込んだ。手を口元に添えているのを見るに何か考えているのだろう。

「……確かもうすぐ土曜夜市があるだろ。それに行ったらどうだ?」

「でっかい氷が商店街に置かれる日か……」

 土曜夜市というと、夏休みなんかの土曜に商店街でちょっとした出店がでて輪投げやつぼいれなんかが楽しめるやつだ。夜市というだけあって夕方暗いから突然湧いてくる。

 小学生の時は楽しみにしていたが、あれは明らかに子供向けで彼女を誘っていくような場所ではない気がする。

 思わずおもむろに傘を閉じて高木の顔を覗きこんだ。突然のことに驚いたのか高木は静止してしまった。

 よく見てもやっぱりイケメンだなと正直に思う。優瑠がクールで爽やかな王子様(顔だけ)系イケメンだとしたら、高木はクールでミステリアスな天才系イケメンだ。そんな高木がうっきうきで土曜夜市を楽しんでいたら二度見じゃすまない。俺だったら腹を抱えて笑っている。でもそういうギャップみたいなもの女子受けがいいかもしれない。

「うわっ」

 まじまじと顔面を観察していると頭を上から抑え込まれた。高木の方が背が高いのでしっかりと力が加えられている。

「痛い痛いちょっ首折れる」

「ごめん。なんかやけに真剣な顔しててキショかったから」

「俺だって普通に真剣な顔くらいするわ」

 すぐに手を放してくれたのはいいが、真剣な顔がキショいとはなんだ。いったい俺のことをなんだと思ってるんだ。

「もしかしてカノジョのこと考えてたの?」

「いや、お前のこと考えてた」

 どうして佐藤が出てくるんだと思いつつ答えると高木は僅かに眉を寄せた。

「キショ……」

 そう言われる気はしていた。

 そのあとは佐藤と一緒に帰った時のことや、優瑠の暴走っぷりについて話しながら帰った。俺が家の前で傘を返すと受け取りながら高木は首を傾げた。

「よかったの? キミ、途中から傘さしてなかったけど」

 高木は目を軽くはってこちらを見ていた。満面が不思議だと訴えかけている。幼い表情と濡れた髪の色っぽさがなんだか高木らしかった。

「俺も濡れたい気分になったの」

「そう。叱られないといいね」

 高木のワードを引用して答えると高木は表情を変えずに頷いて踵を返してしまった。

「お前もなー」と声をかけても一瞥もなかった。なんてやつだ。


 ***


「俺も濡れたい気分になったの」

 イタズラでもしたようなニヤニヤした妙にカッコいい笑みで天永はそう言った。そのせいで上手く納得できなかったものの「そう。叱られないといいね」なんて普通に返せたはずだ。

「お前もなー」という天永の声がしたが、ボクが母親に叱られるなんてことはない。もちろん父にだって。

 両親にとって高木ソラという人物は頓着に値しなかった。

 いくら背が高くなろうと、いくら成績が良くなろうと、両親はボクを見てはくれなかった。ボクの目つきの悪さのせいでクラスぐるみのいじめにあったときだって、聞く耳を持たなかった。

 嫌な思いが線香の煙みたいに薄く立ち込めるので水たまりに当たり散らかしているうちに家に着いた。

 傘立てにあまり濡れていない傘をさして、玄関に手をかける。できるだけ優しく話しかけられるように、そっと息を吸って吐いてそれからドアを開けた。

「ただいま」

「おかえりなさい、あなた。やっぱりね、雨だから濡れて帰ってくると思ったの」

 澪さんが優しい笑みを浮かべてボクを出迎えてくれた。

 ボクにタオルを渡しながら、風邪をひいたら大変だから気をつけて欲しいと言ったのにと呆れたように笑っている。

「すまない。濡れるつもりはなかったんだ。今日は風が強くて」

「また言い訳をして」

「澪が心配してくれるのが嬉しくてついはしゃいでしまうんだ」

「もう、あなたは子供じゃないんですからね」

「ほんとにごめん。そしていつもありがとう」

 彼女を抱き寄せてそっと頭にキスをする。わざとらしいくらい音を出すのがポイントだ。私も濡れてしまったと恥ずかしそうに言い出す彼女にボクは提案した。

「今度の土曜夜市に行かない? 久しぶりに遊ぼうよ」


 ***


 



「あんれー? おねえさん? 今日は雨が降らないんじゃなかったかな」

「お兄さん、朝のこと根に持ってるね」

 今日はただの曇りかと思われたが雲がどんどん黒くなっていき、帰宅時間の今には雨がかなり降っていた。天気予報が外れるなんて珍しい。

「どっちにしろ、お兄さんは一緒に濡れてくれるでしょ?」

「これ以上お母さんに叱られたくないからヤダ」

 俺は傘をさして逃げるように走り出した。それはないでしょと叫びながら佐藤が追いかけてくる。

「そうだ、次の土曜夜市に行こうぜ」

「いいけど、傘閉じて!」

「いやだ!」

 佐藤と走りながら帰ったため、水しぶきによって濡れてしまった。お母さんのお叱りを受けた後、俺はさりげなくデートのお誘いをしていたことに気が付いた。

 

 

 



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