彩夏ちゃんはご機嫌斜め
帰宅し昼食を終えた俺がスマホを見ると優瑠からラインが来ていた。
『あの女誰よ』
さっきの出来事について説明を求めているのだろうがなんだそのセリフは。シスコンが行き過ぎてまともな語彙を持ち合わせていないのかもしれない。
『既読スルーすんな』
『お兄ちゃんはあんな女認めません』
これは本当に語彙がシスコンに侵されている。とんでもない。俺はお前の妹でも弟でもないんだが。恐らく『(彩夏ちゃんの)お兄ちゃん(として)はあんな女認めません』とかそういうこと? そういうことでも話通じないな。
『佐藤心愛さんです』
『関係を言え』
『一応俺のカノジョらしいです』
『なにかワケがありそうだな……』
どう見ても文面がキレているが、話ができそうにはなってきた。
『ワケを話せ』
『かくかくしかじかで』
『そのかくかくしかじかを教えろ』
『ハイ』
俺は大人しくワケを優瑠に話した。卒業式の後のことについて。
『期限付きのカノジョってわけか』
『佐藤の保証付きよりしっくりくるな、そのたとえ』
『俺が考えたんだからな』
でた、優瑠のナルシズム。
本当に傲慢なんだから。
『取りあえず納得だ』
『なら良かった』
『ま、きちんと3年間カレシをつ』
『優瑠?』
その後一日、優瑠からの返信は無かった。何があったのだろうか。
翌日。優瑠はなんだかやつれていた。
「どうしたんだ?」
「お前のせいで可愛い可愛い彩夏ちゃんがご機嫌斜めなんだよ」
「ぐぁッ……八つ当たりもいいところだな!」
心配して聞いたのに何故か優瑠に殴られた。じんじんと痛む。
机に伏せたまま僅かに顔を上げて恨みったらしくこちらを睨む様子はさながら悪霊のようだ。恐ろしいその様すら優瑠に掛けられている王子様フィルターにかかれば物憂げなイケメンに見えるのだ。女子とは恐ろしい。
「あ、昨日からラインの返事無かったけどどうしたんだ?」
「そのラインのせいで可愛い可愛い彩夏ちゃんの機嫌が悪いんだ」
どうやらあのラインを彩夏ちゃんに見られたらしい。大方優瑠の口の悪さに彩夏ちゃんが怒ったのだろう。
優瑠の自業自得じゃないか。
入学二日目にして授業時間はフルだ。学期末間際の午前中授業が恋しい。ほとんど自己紹介で授業が終わっているのはいいことなのだが、優瑠に絡むネタをばら撒く工程であるため、俺がボッチになる可能性が高いのだ。
昼休み、優瑠を昼食に誘おうとしたのだが既に数人に囲まれていた。
ありゃりゃ。どーしましょーかね。
意味もなく数歩うろつく俺は大きな物音に足を止めた。昨日も聞いた音だ。
「お兄さん! カノジョが来たよ~!」
一緒にお昼食べようよと可愛らしい風呂敷に包まれたお弁当を掲げるのは佐藤心愛であった。大声で言うのはやめてほしいと思いつつも正直ホッとした。ボッチは本当に嫌だったのだ。
「はーい」
俺は大人しく佐藤についていった。
「どこ行くんだ?」
「中庭、ベンチあったから」
淡白にそう答えると黙々と佐藤は歩き続ける。わざわざ話すことも無いので俺はあたりを見渡した。階段、教室、中庭、廊下、みんなそれぞれ好きなようにたむろしている。既に仲良しグループが完成されているのを見ると、人間らしいなと思った。俺だって優瑠と常にいようとするし一人にはなりたくないが。何故かその様子は見ていて気分が悪かった。俺は自分のことをどちらかといえばコミュニケーション能力が無い方だと思っているし、一人になってしまう少数派だとも思っている。その分一度手に入れた関係にしがみつきたがるし、新しい関係は受け入れ難かった。
「ここにしようかな」
「了解」
佐藤といい感じの距離をとってベンチに座り、弁当箱を開いた。佐藤はコンビニ弁当のようだ、この前見かけた気がする。何故コンビニ弁当を風呂敷で包んでいるのだろう。
「いただきます」
佐藤が真面目にも手を合わせるので箸を持ったまま慌てて手を合わせた。
「忘れてたでしょ? よくないよ。忘れちゃいけないなぁ、これも大事なジャパニーズカルチャーなんだから」
「そこは日本語で言えよ」
「えー、いいじゃん。カッコいいでしょ? イングリッシュ英語」
「二重言葉だぞそれ」
「でもポリス警察ってなんかいい感じするでしょ、警察警察なのに。スポーツ運動も運動運動なのにいい感じ」
「いい感じか?」
そう思わないの?佐藤はケラケラと笑った。なんだかおかしくて俺も笑っている。
なんだか沈んでいた気分もなんてことなくなってしまった。
それからは同じように何日か過ごしていた。朝は優瑠と駄弁り、昼は佐藤と食べて、帰りは佐藤とでたまに公園に寄る。退屈しないなかなかにいい感じな日々を過ごしていたが。
優瑠は瀕死寸前だった。
「可愛い可愛い彩夏ちゃんがかまってくれない。しかもずっと機嫌悪い……」
「おお……」
ハイハイと聞き流して来ていたがそろそろ本格的にヤバいかもしれない。優瑠が1秒たりとも王子様フェイスを作れなくなっている。机にへばりついてうめき声をあげる様はさながらゾンビだ。
「大丈夫……じゃないよな。話聞くぞ」
「だから可愛い可愛い彩夏ちゃんがご機嫌斜めで八つ当たりしてくる。俺悪いことしてない何も……してないのに……納得いかない………いつもはちゃんと悪いことした上で嫌われるのに」
「悪いことはするな」
優瑠はただひたすらに自分は何もしていないということを言い続けたが、その中から僅かに滲む情報を集めるて整理してみる。
彩夏ちゃんの機嫌が何故か悪く、八つ当たりでかまってもらえない優瑠が死にかけている。ということだ。
つまりよくわからん。
これは彩夏ちゃんから直接聞くしかないのでは……
「どうしたの?」
やけにボーッとすることが多い彩夏ちゃんにお友達は心配そうに顔を覗き込んだ。今もお昼の最中に箸を止めていたのだ。
「なんでもないよ?」
彩夏ちゃんは顔を軽く上げて目を閉じた笑みを浮かべる。周りは安心して肩を撫で下ろすが、なんでもないことは無かった。
可愛い可愛い彩夏ちゃんはご機嫌斜めである。学校からお兄ちゃんも約雨君もいなくなってしまった。その分友達との時間は増えるのだが、なんだか物足りなかった。それに加えてあのラインを見てしまったたら、テンションの上がる要素なんてプラマイ0を通り越してマイナスである。
可愛い可愛い彩夏ちゃんは約雨にカノジョができるなんて思わなかった。言ってはなんだが約雨はモテない、バレンタインだって毎年彩夏と優瑠だけが渡していたじゃないか。それが突然カノジョなんてあり得ない。
約雨君を好きな人は私だけだったのに……
そんなこんなで可愛い可愛い彩夏ちゃんのご機嫌は斜めなのだ。今日はナメクジさんたちと遊ぶことになるのだろう。ご愁傷さま。
お家に帰った彩夏ちゃんがナメクジさんたちに手を伸ばしたときだった。ピンポーンとインターホンが鳴る。お兄ちゃんが鍵を忘れてしまったのだろうと、黙って玄関の扉を開いた。
「お邪魔します、彩夏ちゃん」
「………約雨君!?」
どうしてと口をはくはくする彩夏ちゃんに約雨君は苦笑した。申し訳無さそうに髪をいじっている。
取りあえず彩夏ちゃんは約雨を兄の部屋に案内して話を聞くことにした。
「すみません、お兄ちゃんまだ帰ってなくて……どうしたんですか?」
「………実は彩夏ちゃんに聞きたいことがあって……」
彩夏ちゃんからギリギリ目を反らしながら約雨は口籠った。
なんだろうとテンションが上がるのと同時に兄絡みだろうと彩夏ちゃんはどこか落胆した。
「優瑠が彩夏ちゃんを心配してたから大丈夫かなって……なにかあったのかなと思いまして」
やっぱり兄がなにか余計なことを言ってくれたのだ。約雨君はかなりオブラートに包んでくれたのだろう。心配してくれるのは嬉しいが兄までいくと鬱陶しい。
なんでもないよと最近何回目かも分からないセリフでごまかそうとしたときだった。
「だからカフェにでも行って話さない?」
それ、もしかしてデートですか?
彩夏ちゃんと約雨はとあるカフェに来ていた。メニュー表を見ながら甘い物が苦手な彩夏ちゃんは悩んでいた。
軽食頼むのも気が引けるしなぁ……
彩夏ちゃんが曖昧な笑顔で約雨の様子を伺うと約雨は申し訳無さそうに苦笑した。
「ごめんね。彩夏ちゃんは甘い物苦手だったよな、普通に好きなもの頼んでいいから」
「アハハ……約雨君は何を頼みます?」
「俺チャレンジャーじゃないからこの前と同じミルクとレモンタルト……そこまで甘くないし、彩夏ちゃんもこれにする?」
「じゃあ私アイスコーヒーで、約雨君のレモンタルト半分ください。ここ量多いでしょ? 半分食べて上げたってお兄ちゃんが言ってました」
「優瑠から聞いてたんだ……ありがとう」
約雨は優瑠と来たことが知られていて少し恥ずかしくなったが彩夏ちゃんの申し出に安心した。食べきる自身はなかったのだ。
彩夏ちゃんはメニュー表を立てかけるとベルを鳴らした。そして注文を済ませる。
意外にも早くタルトは来た。ここは料理を分ける人が多いのであらかじめ取り皿が用意されている。数人で食べること前提のメニューを一人で食べていた優瑠がどんだけ化物か分かるだろう。
彩夏ちゃんが丁寧にタルトを切り分けてくれたもの約雨は受け取る。
「いただきます」
昼に佐藤に誂われただけあって忘れずに約雨は手を合わせた。彩夏ちゃんもお行儀よく手を合わせてからコーヒーを啜った。
「約雨君は牛乳好きですね」
「そう……だね」
約雨は身長がコンプレックスなため牛乳をよく飲んでいるのだが、それを知られるのは恥ずかしいのでそういうことにした。
「えと……ひと区切りついたと思うので、話したいと思います」
「どうぞ」
約雨君喋るの苦手なんだろうな…
「余計なお世話かもしれないけど、彩夏ちゃんがなんか困ってるなら……話だけ聞きたい!」
話だけかぁ!
「何もしてくれないんですね……」
「あっ違っ、ちょッ期待してほしくないだけで! できる限り頑張るから!」
約雨は本当に口下手だ。言葉足らずでその上ワードセンスが悪い。そのせいでたくさんの誤解を与えてきた。
「分かってますよ。約雨君はそういうやつです」
約雨の必死の弁明に彩夏ちゃんは声を上げて笑った。約雨の顔はみるみる赤くなっていく。
そんな約雨を可愛いなと思いながら目尻の涙を拭って彩夏ちゃんはスッと一息ついた。そしてまっすぐ約雨を見る。
「約雨君」
「はいっ」
「カノジョさんができたんですよね……」
「うーまあ、多分」
約雨はあれをカノジョと呼んでいいのか決めかねていた。まあ、いいか自称してるし。
彩夏ちゃんはハッキリしない約雨の返事にそっと眉を寄せそうになった。ラインで見た流れからして、そんな反応になるのも仕方ないのかもしれないが、彩夏ちゃんは胸がモヤモヤとしてしまう。
約雨は彩夏ちゃんの好意に気づいていない。というのは彩夏ちゃんも分かっている。
私、ずっと妹なのかな……
彩夏ちゃんはまた気分が沈むのを感じた。約雨は好意に対してとても鈍い。意図的に鈍くなっているのだ。恐らく何かがあったんだろう。
それでも、約雨に少しでもイジワルがしたくなった。嘘をついてやりたくなった。
「私の好きな人にカノジョができたんです。私……それが悲しくて、お兄ちゃんに八つ当たりしちゃったんです。お兄ちゃんはその子を応援してるみたいで………」
なるほど〜と約雨は心の中で手を打った。確かに恋愛絡みの悩みは本当に大変だ。お兄ちゃんに八つ当たりするのもうなづける。これなら確かに優瑠は何もしていない、まあカノジョの肩を持っているらしいが。じゃあ俺のせいっていうのは八つ当たりじゃないか! 優瑠のヤロウ!
どうしたものかと約雨は唸りだした。恋愛に関して約雨に言えることは恐ろしい程ない。
「ごめんなさい。困らせちゃいましたね……ははは。自己完結するしかないってわかってるんです。……だから聞きたいなって、カノジョのいる約雨君の考え。カノジョってどういうものかなって」
彩夏ちゃんがカノジョについて聞きたいのは本心だった。そもそもカノジョとは約雨にとってどういうものなのか、必要なものなのか。約雨はカノジョがほしかったのか。気の弱い約雨のことだ、関係を強要されたのかもしれない。
約雨はポカンと口を開けた後に閉じてから2回唇を舐めた。考え込んでいるときの約雨の癖だ。
そして控えめに目を合わせて口を開けた。
「よく、分からない。ってのが正直なところかな……。突然三年間カノジョだって言われて、契約だなんだと言われて、沈黙は肯定だのなんだの」
ああ、やっぱり約雨君はなりたかったわけじゃないんだ。彩夏ちゃんの脳の温度が落ち着いてきたとき、その爆弾は落とされた。
「でも、悪くないって感じ。本当にまだよくわからないけど、嫌にはならないんだよな。なんだろう? ほら……」
とある告白のシーンを公園で眺めながらお兄ちゃんが言ったことを彩夏ちゃんは思い出した。その告白は上手くいってないように見えたが兄は『満更でもない時点でオーケーなんだよ』と吐き捨てた。お兄ちゃんもモテるのだからそこまで嫌悪感を示さなくていいだろうに、とそのときは思った。その後二人は無事にカップルになった。
拒否しているように聞こえても満更でも無さそうな約雨君は、私の知らない人とあの二人のようになっているんだろう。
「友達みたいな……」
だから約雨のその一言は彩夏ちゃんにとってあまり意味がなかった。
友達みたいだと思っていても約雨と誰かはカレシとカノジョで、妹みたいだと思われてる私は親友の妹だ。
「そうなんですか? もっと特別なものかと思ってました」
「俺もそう思ってた」
期待しちゃうよねと約雨は笑う。
「約雨君」
「私達、友達ですよね?」
「うん」
どうしたのかなというように約雨は首を傾げる。
「私、好きな人のこと諦めません。約雨君は応援してくれますよね?」
「うん! それは約束する」
「ありがとうございます」
彩夏ちゃんはギュッと目を閉じて笑った。子供らしく、明るい笑顔に、約雨はホッと息を着いた。どうやら彩夏ちゃんは機嫌を直してくれたらしい。
自分がなんてことを言ったか約雨には知る由もない。
「可愛い可愛い彩夏ちゃんご機嫌だね。約雨のせいなんだろ?」
「うん! 約雨君が友達だって言ってくれたの! お兄ちゃん!」
「それでいいのか?」
「うーん。まあ、今は。お兄ちゃんを間に挟んだ関係じゃなくなっただけでも嬉しい」
彩夏ちゃんは笑う。無邪気に可愛らしく笑みを浮かべている。その脳裏で考えていることを知ろうとするのはおこがましいことだ。