その7
続きのお鉢周りを終わらせ、久須志神社に戻ってきた私達は、一路下山ルートへ入るのだった。山頂を出発したのは午後1時10分。この降りが、筆舌に尽くしがたいほど過酷だった。なんせ、ジグザグに傾斜の強い砂利道を一気に下っていくのである。見渡す限り赤い土とベージュの砂利。この砂利が剣ヶ峰前の傾斜と同じで砂が多く足が食い込んでいく。その上、下り坂なので勢いが付くため、集中しないとすぐに滑って転んでしまう。
途中、ものすごい勢いで駆け降りてりていく一団があった。みんな同じような服装に同じ帽子をかぶっていたため、どこかのサークルか同好会の集まりだと思うのだが、あんな勢いで降っていって怪我しないだろうかと心配になるくらいにあっという間にいなくなっていった。
吉田ルートの下山路は、山小屋もなければ休憩所もない。七合目まで降りて初めてトイレが設置してあるくらいだ。それまではひたすら砂利道を進む。よくバラエティ番組などで、アイドルの女の子たちが富士登山をする番組を見かけるが、ドキュメンタリーは登りばかりで降りの部分はまず放送されない。それもそのはずだ。番組で使うような場面がこの場所にはないのだ。とにかく同じ風景と同じ行動の繰り返し、これでは放送するにあたって絵になるはずもない。
登りと同じように休み休みしながら降りたが、もう体力も気力も限界は突破している。いっそ、座り込んで朝まで休みたいくらいだ。そんな苦行が3時間。午後4時過ぎに、ようやく7合目の休憩所に到着した。休憩所と言っても、トイレが設置してあるだけで何があるわけではない。地面に腰を下ろして眼下を見ると、確かに広がる森林地帯が近くなったような気がした。まだはるか下方に、おそらく6合目であろう建物の屋根が見えた。
「足が、もう・・・。」
直行もツラそうだ。携帯電話を取り出して調べてみると、この場所は標高で言うと2,640mで、この3時間で一気に1,000m近く降ったことになる。だが、まだここは7合目、車に戻るには5合目までまだまだ距離も高さもあるのだ。いや、距離にしたらあと4キロほどのはずだったが、問題は高低差である。
いかに足が痛かろうが、腰がつらかろうが、気力も体力も無くなろうが、進まなければ帰ることはできない。この時になって、初めて本当のラスボスは下山だということに気が付いた。登りはキツい。ツラいし帰りたいと思って登った。だが、山頂と言うゴールがあった。富士山登頂と言う目標があった。それに比べて、同じ風景の中をただ降ると言うのがどれほど苦痛か。
這う這うの体で6合目に辿り着いた時には、もう陽も傾きかけていた。時計を見ると午後4時55分。当初の計画では、とっくに車に乗って麓の温泉に入っている時間である。
「とにかく、歩くしかないな。」
息を切らし、途中で水分を補給しながらとにかく歩いた。正直、あとで思い返してもこの下山の記憶はあまりない。それほど無心に、ただひたすら足を前に進めていたのだと思う。
6合目から泉ヶ滝と言う分岐に来るまで、相当長く感じた。また、6合目からは、足元が石畳で滑りやすくなっているうえ、けっこうな傾斜だ。
「なぁ。昨日来た時、こんなに坂道だったっけ?」
「それな。違う道歩いてるのかと思うくらい違う風景に見える。昨日の登り始めは余裕があったってことだよな。」
すっかり口数が少なくなった私達の久々の会話がこれだけだった。
「なぁ。」
「なんだ?」
「今のうちに言っておくけどさ。」
「おお。」
「付き合ってくれてありがとな。正直、お前が引っ張ってくれなきゃ登頂はできなかったと思うよ。」
「おう。お互い様だな。」
カラ笑いをしながら泉ヶ滝を越え、富士スバルライン5合目まで最後の直線をひたすら歩いた。この最後の直線が緩やかな登り傾斜になっていて、疲れ切った心身をさらに削っていく。なんだろう、泣きたくなってきた。
続く




