第九話 しろくまさんと人の温もり
「ほら」
俺は自販機で購入した、ヤギのエサを渡した。
「しろくまさんは、ヤギにごはんあげないんですか?」
「動物は苦手なんです」
ついでに言えば、人も含めてみんな苦手です。
特に女子は、苦手中の苦手です。
そんな俺にとって、一番苦手な部類に入る芽依さんは、華やかにクスクスと笑っていた。
本当によく笑うなあと思っていたら、急に芽依さんの表情が凍り付いた。
芽依さんの視線を追って見たら、ヤギが柵の間から顔をはみ出していた。
まるでエサが来るのを予期していたように、十数頭のヤギが、まるで重なるようにわらわらと柵に殺到していた。
柵がヤギの顔だらけになった感じがして、ちょっと異様だった。
顔しかない。
これはこれで、ちょっとしたホラーだと思ったけど、芽依さんの様子がおかしかった。
「芽依さん?」
芽依さんは震えており、顔も青ざめていた。
「芽依さん!」
俺は芽依さんの肩を掴み、揺さぶってみた。
返事がなかった。
芽依さんは俺を見上げたけど、怯えた表情をしていた。目に生気が無かった。
まるで、高橋にちょっかいを掛けられた時のように。
俺は芽依さんの手に持っていた、エサの入ったモナカを取り上げ、ヤギの居る広場の真ん中あたりにエサを放り投げた。
すると、ヤギたちはそのモナカに向かって、走り去った。
柵は、ただの柵になった。
「大丈夫か?」
芽依さんは顔をふるふると振るだけで、まともに返事も出来ない。
口元がわなわなと震えていた。これはちょっと、まずいかもしれない。
確か、フラッシュバックっていうのか?
すると、芽依さんは俺に抱き着いてきた。
いつもの冗談ではなく、本気で恐れているようだ。俺に抱き着くというより、しがみ付くとか縋りついてくるという表現が、近いかもしれない。
手が震えていたからだ。
参ったなあ。
「しろくまさん」
「何だい」
「私をひとりにしないで」
「してないけど」
「いなくなったりしないで」
「どうしたんだ?」
「こわい」
確かに、あれは怖い。
でも、ヤギが柵内から出てこれるはずもない。だけど、ホラー映画のような錯覚を覚えるぐらいに、俺だって最初は驚いたぐらいだ。
必死に冊の外に顔を出し、何かを求める様子は、ちょっと恐ろしかった。
必死に何かを求めるような、ヤギたちの目は、見ようによっては確かに怖い。
「怖かったね。俺も、怖かったよ」
俺は芽依さんの頭を撫でてあげたけど、ふと、ある失敗をしたことに気が付いた。
「オレ」
「あ?」
「また、オレって言いましたね?」
「いや、言ってないよ」
「言いました」
「空耳じゃないかな?」
「誤魔化さないでください」
「誤魔化してないよ?」
「嘘です!私、ごまかされません!」
ああ、もう!
「だからさ、驚いたんだよ」
すると、芽依さんの目が見開かれた。
芽依さんの比較的大きな瞳に、光が戻った感じだった。
さっきまで、生気の失われた目の感じだったから、とりあえずは俺はホッとした。
「私のことを、心配してくれたんですか?」
「そうだよ、びっくりしたんだよ」
「なら、いいです」
「そろそろ、離れないから?」
「わたし、怖かったんです」
「うん、だからもう落ち着いたよね?」
「いいえ、怖かったんです」
「いや、だからもう離れない?」
「いやです」
「いつまでも、こうしている訳にはいかないと思うよ」
「わたしは、別にいいです」
「ああ、そう」
どうする?
どうしたらいい?
突き放すわけにもいかないし、かといってこのままで良いという訳でもない。
そう悩んでいたら、急に子供の声が聞こえた。
「ねえねえ、お母さん!お母さん!」
母親と子供の、二人連れだった。小学生低学年ぐらいかな?
その子供は、俺たちを指差してこう表現した。
「お母さん、あれって、バカップルって言うんだよね?前にお母さん言ってたよね?」
「シッ!人様に指を、差してはいけません」
「ええ、だってあれって、バカップルって、お母さんそう言ってたよ?」
ああ、その通り。まさに正解です。そう、バカップルの見本です。
というか、子供に何を教えてる?
ああ、もうどうでもいいや。好きにして。
ええ、ええ、ええ、もう何とでも言って下さい。
俺が親子の方に注意を向けると、その親子は駆け足で、その場を立ち去って行った。
いや、抗う子供の手を引っ張るようにして。
もちろん、子供は去り際に再度、バカップルだよねと追い込みをかけてきた。
子供は正直だね。ああ、そうか。芽依さんも正直なのかな?
嫌なら嫌、良いなら、良いと。
そして、怖いは怖いと。
ある意味で、羨ましいと思う。素直なところが。
でもなあ、巻き込まれるこっちの身にもなってくれないかな?
「あの~、芽依さん?」
「芽依です」
「芽依さん?」
「芽依って呼んでくれたら、離れてもいいですよ」
ああ、もう!面倒くさい!
「めい」
「もう一度」
「芽依。これでいいでしょう?」
「もう少し」
「え?もう勘弁して」
「ごめんなさい。本当にもう少しだけ、このままで居させてください」
「芽依さん?」
芽依さんは、俺の胸に顔を押し付けてきた。
まだ少し、震えているようだ。
さっきのは、元気が出たからではなかったようだ。
仕方がない。
俺は彼女が満足するまで、そのままの姿勢でいることにした。
頭を撫でるのは疲れるので、背中を撫でることにしたら、もっと頭を撫でてくださいとリクエストがきた。そんな要求が出来るぐらいなら、もう元気じゃんか。
でも、まだ少し震えていた。
心なしか、体温も低くなったような感じがした。
ああ、そうか。
もしかして、俺に温めて欲しいのか。
寂しいと寒いは、どこか似ているし。
「肩が痛いから、これで勘弁してくれないかな?」
頭を撫でるより、背中の方がまだマシなんだよ。
ホント、この身体はガタがきていると思うよ。
「分かりました。仕方が無いので、背中で我慢します」
どうして君が、我慢することになる?
ねえ、誰か教えてくれないかな?
とは言え、芽依さんの柔らかい身体と、少しだけ温かくなった体温に、俺の方がくらくらしてきた。
横になりたい。




