第八話 しろくまさんと動物園
普段着で駅前に来たけど、彼女はまだ来ていないようだ。
とは言え、約束の時間の10分ぐらい前だから、まあそんなもんだろう。
女子は遅れてくるものだからだけど、それならそれで、とっとと帰ろう。
遅れてきた方が、悪い。
いや、それだと彼女が自爆テロを仕掛けるかもしれない。
何だ、どっちにしろ逃げられないじゃないか。
もっとも、俺が遅刻をしていく手もあったけど、性格的にそれは無理なので、いつも通り10分前ぐらいを想定しながら支度をして、こうして出かけたというわけだ。
せっかくの休日なのに。
駅前は休日らしく、人出があった。正直、賑やかな場所は苦手だけど、遠目で見ている分は構わない。
他人事だし。
いや、俺も当事者か。
俺は首を振りながら、何となくどこかの刑場に引き出されるような気分で、あたりを見回すことにした。
駅前広場の周囲は、大きな木だらけだ。
そのどれかだろうが、広場の中央にあるひときわ大きな木が、きっとそれだろう。
彼女の言うそのおっきな木とやらを見ると、木陰にはいかにもな乙女が立っていた。
白い麦わら帽子からはみ出た長い黒髪を風にたなびかせ、真っ白なワンピースに足元は涼やかな白のサンダル。
木陰に佇んでいる姿が、実によく似合う。
完璧な淑女とは、こういうものだろう。きっと、芽依さんと違って、物静かな女性なんだろうと思うけど、俺は苦手だ。
いや、賑やかなのも苦手だ。
正確に言うと、女性全般が苦手だ。
だからやっぱり、ひとりがいい。
しかし、淑女には見惚れてしまう。
なんとなく、淑女も俺と同じできっと待ち合わせなんだろうけど、いつまで淑女を待たせる気だと何故か俺は少し怒ってしまった。
ああいう淑女こそ、ごめんなさいと言いながら息を切らせながら小走りにやって来るのが、王道だろう。
当然、今来たところと返事をするのも、テンプレだろう。仮に1時間や2時間待たされてもだ。
男なら、炎天下でも耐えろと思うけど、それって昭和までの話かな?今は携帯もあるし。
そういえば、彼女と連絡先を交換してないなあ。いや、これは黙っておこう。女子の長電話は、正直地獄だからだ。一度、俺は寝落ちと言うか、倒れるまで女性との電話に付き合わされたことがある。
その時、女性と何を話したか、一切覚えていないけど。
そんなことをつらつら考えながら、それでも視線はおっきな木の下に居る、淑女に吸い寄せられた。
あまり、じろじろ見るものではない。見られている方は、案外気が付いているモノだからだ。そして、大概が不快に思うはず。
とはいうものの、どうしたものか?
おっきな木の下で待ち合わせと言ったけど、さすがにあの淑女の側で待つのは気が引けるので、俺は木が見える場所まで下がり、そこで本を読みながら彼女が来るのを待つことにした。
座れるところを探したけど、あいにく空いていなかったからだ。
俺は建物の壁にもたれかかり、ポケットから適当に持ってきた本を取り出した。
「さて、何を持ってきたのやら」
大本営参謀の情報戦記
「しまった!ブックカバーしてあったから、中身を確認しないで持ってきてしまった」
と、独り言は禁止。不審者と思われるからだけど、周りの人は誰も気付いていないようだ。まあ、どうでもいい奴の独り言は、どうでもいいのだろう。
とは言え、この本ではとても休日に向いているとは思えない。
ゆったりしながら、読む本では無かった。
とは言え、他も似たような本ばかりだから、結果は同じことだろうけど。
もっと面倒な本もあったので、これでまあ我慢するしかないかな。
「まあ、いい。今度、ラノベでも買いに行こう」
だいたい難しい本が、俺の人生の役に立ったことなど、一度も無かったからだ。
それでも、つい読んでしまう。
俺はおもむろにページを開き、読み始めようとしたその瞬間だった。
一瞬、爽やかな風が吹き込んできたような、そんな不思議な感覚に俺は襲われた。
「しろくまさん、何を読んでいるんですか?」
美女が現れた!
「うわ!」
目の前に居るのは、あの、白い麦わら帽子に白いワンピース姿の淑女だった。
「き、君は?」
だ、誰?
も、もしかして、芽依さんのそっくりさん?
「どうしたんですか?」
「いや、いつもと違うから、ちょっと驚いただけだよ」
芽依さんは、俺の目の前でくるっと回って見せた。
ワンピースの裾が舞い、実に華やかだった。でも、器用だね?足元はヒールのある、サンダルなのに。ヒールに慣れているのかな?
「似合いますか?」
「え?ああ、まあまあだね」
「ええ?もっと、褒めてくださいよ。私、早起きして頑張ったんですから」
「ああ、そうかい」
すまんけど、俺はドキドキしている。対応不可能だ。
「それにしても、しろくまさんは何で、いつもの白い恰好じゃなかったんですか?せっかく、お揃いだったのに」
そうだったのか。それで全身を、白で決めてきたのか。良かった、普段着で来て。
「あれは仕事着です、普段は、こんな格好です」
「ふ~ん」
「何ですか?」
芽依さんは、俺をじろじろ見ている。隅々まで、じっくりと見ている。
人をあまりじろじろ見るものではありませんよという、そんなありきたりな言葉を俺は飲み込んだ。
だって、そんなことを言ったが最後、おかしな会話が始まってしまうから。
一日は長いから、体力は温存しないと。
「今度、お洋服を買いに行きませんか?」
「行きません」
「ええ?もっと、白い服を着ましょうよ」
「着ません。あの格好は、職場で十分です」
「ちぇ」
こら、舌打ちなんて淑女らしくないとは、言わないでおこう。
面倒だし。いや、すでに面倒ごとに巻き込まれているか。
そうは言うものの、俺も成長したのかなあ。
「それで、どこに行くんですか?私は、エスコートなんて出来ませんよ」
「エスコートなんて、しろくまさん、カワイイ」
芽依さんはクスクス笑っているけど、花とか蝶々が笑うとこんな感じなんだろう。
俺が笑ったら、どうなるんだろうか?想像するだけで、気分が悪くなりそうだ。
「帰っていいですか?」
「嘘です。機嫌直してください!」
いきなり、俺の腕を掴んだ。芽依さんはそのまま、自分の胸に俺の腕を押し付けてきた。
高橋ならきっと、この段階で求婚しているに違い無い。
俺もあと20年は若かったら、どうなっていただろうか?
いや、有頂天になって、きっと最後は手ひどくふられていただろう。
そう、もう俺はそういう年ではない。
「いいから、離れなさい」
「ええ?恋人同士は、こうやって腕を組んで歩くんですよ?」
「私とあなたは、恋人同士でもなんでもありません」
「あ!そうだった。ごめんなさい、私が悪かったです」
殊勝な態度に見えるけど、どうせまたとんでもないことを、言う気だろう。
「ふ~ふでした!ごめんなさい、だんなさま」
ああ、やっぱりね。最近、彼女の行動パターンが掴めてきたよ。やはり、愚者は経験に学ぶか。いや、学んでいないか。彼女の攻勢を、俺はきちんと防げてないから。
何とか、先回りできないモノだろうか?
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「はい!だんなさま!」
「普通に呼んでくれないかな?」
「どうして?」
「どうしても」
「分かりました」
「はい、よろしく」
「ホント、しろくまさんて我儘」
どっちがだ。
「じゃあ、私のことを、芽依って呼んでくれたらいいですよ」
「呼んでいるじゃないか」
「芽依さんって、他人みたいじゃないですか?」
「いや、他人でしょう?」
「将来を約束した、運命の仲だと思います!」
スマンけど、元ネタは何?クレーム付けるから、教えてくれるかな?子供に悪影響を与えるなんて、とんでもないって。
「とにかく、勘弁してください」
「とにかく、芽依って呼んでください!」
「ああ、もう!」
俺は咳ばらいをし、それから呼んでみることにした。
「め・・・・」
「め?」
「め・め・め・めえええ」
「プッ!何ですか、それ?」
「恥ずかしいんだよ。男は気軽に、女性の名前を呼んだりしない」
「まるで、ヤギみたいですよ?」
「いや、ヒツジだろう?」
「ええ?ヤギですよ?」
「いや、ヒツジじゃないかな?」
「分かりました。では、動物園に行って、決着を付けましょう」
いつの間に、俺は芽依さんと勝負をしていたんだ?
ああ、そうか。
ずっとだったか。
俺は思いっきりため息を吐いたけど、それを見た彼女は、クスっと笑っただけだった。
もう、どうでもいいや。
好きにして。
こうしてふたりは、動物園に行くことになりました。
なんでなんだ?
おかしくないか?
誰か、正解を教えてくれ。
「混んでないかな」
「しろくまさん、はぐれるから手を繋ぎましょう」
「はいはい、動物園に着いたらね」
はぐれるも何もないだろう。そんなにぴったりと、身体をくっつけてるんだから。というか、歩きにくいんだけど。
まな板の上の鯉って、こんな気分なんだろうか?
しかし、黙っていれば本当に美少女というか、まあ淑女だなあ。人は見た目ではないと思うけど、見た目だけで得をしているのも、現実だろう。
当然、見た目で損をしている人も居る。俺みたいに。
当然、街を歩く人は男女問わず、必ず彼女を注目する。
問題は、その隣に並ぶいかにもなおっさんの存在だが。
俺に対する視線は、どう見ても好意的とは言えなかった。
まあ、それでもきっと、父親か何かと思うだろう。
そうでなかったら、念のため通報の一つはするだろう。
そんなことを考えていたら、俺と芽依さんは動物園に着いてしまった。
そう、着いたのではなく、とうとう着いてしまった。
「しろくまさん!動物一杯いますね!」
まあ、そうだろう。動物が居なかったら、動物園とは言うまい。
しかし、芽依さんは実に楽しそうだ。
芽依さんはすっかり、はしゃいでいた。
俺はと言うと、芽依さんに見惚れてしまった。
なんだかんだ言っても、やっぱり彼女は可愛い。
これは俺の、ひいき目ではない。
実際、芽依さんが俺とちょっと離れると、彼女に声を掛ける男どもがいるからだ。
というか、動物園まで来て、お前ら何をやっている。まあ、俺が姿を見せると、すぐに逃げ出すけど。あいつら、俺をなんだと思っているんだ?芽依さんのボディガードか?彼女が怯えるだろうから、いちいち面倒を掛けるなと思うから、なるべく彼女の側に居ることにした。
体力の続く限り。
しかし、元気だなあ。
「しろくまさん!ほら!」
芽依さんは手を差し出してきたので、俺はとぼけた、
「何か欲しいの?」
「む~。あ!真っ白いくまさんが欲しいです!」
ああ、そうかい。帰りにお土産物屋でも見ていこうかね。
結局、芽依さんは俺の手を勝手に取り、あっちこっちへと連れまわしてきた。
「あ!ヤギですよ!」
本当だけど、みんなくつろいでいるなあ。俺も仲間に入れて欲しい。
「まるで、しろくまさんみたい」
ププッと笑う芽依さんは、本当に華やかだけど、笑われた俺はちょっとムッとした。
本来なら、今日の俺はああなっていたはずだ。ゴロゴロしながら、音楽を聴きながら本を読む。
俺の貴重なくつろぎの時間を、返せと言いたい。
「あれえ、泣きませんね?」
「腹減ってるんじゃないか?」
芽依さんは俺の視線の先を見て、エサの自販機を見つけた。
「ねえねえ、しろくまさん。エサあげましょうよ!」
「ああ、そうだね」
俺はエサの自販機にお金を投入して、ガチャみたいなのをぐるりと回した。
「ほら」
モナカみたいのが出てきたので、芽依さんに手渡した。
「しろくまさん、ありがとう!」
その後だ、異変が起きたのが。




