第四十五話 しろくまさんとしろくまちゃん
工場に併設している公園で、俺は昼飯を食べている。
いつも一人で。
あれから、芽依さんとは会っていない。
俺から会いに行くことはないから、芽依さんからこちらに来なければ、ふたりで会うことはない。
それが、約束だから。
だけど、それでいいのだろうか?
芽依さんは、寂しい思いをしていないだろうか?
いや、それは過保護というものだろう。
二人で決めたんだから。
彼女もよく耐えていると思うけど、案外別に興味の引く何かに夢中になっているのかもしれない。
それはそれで寂しいけど、選択する自由は芽依さんにこそあると思う。
俺は芽依さんが決めたことに、従うしかないし、従うべきだろう。
でも、寂しいと思う気持ちは、日に日に強くなる。
芽依さんがいつも俺の隣に居るのが、いつしか当たり前になっていたからだ。
それもいつか、忘れることが出来るだろうか。
忘れられるわけがない。
動物園や江ノ島で起きた出来事や思い出、この公園で俺に一方的に話す君をすぐに思い出せる。
あまりにも鮮烈で、あまりにも爽やかだった。
夢だったのではないかと、そう思うぐらい。
「もう少しぐらい、優しくしてあげればよかったのかな?」
今更だと思うし、優しくしてない訳でもないと思う。
人生は後悔で彩られるとは、よく言ったものだと思う。
後悔の無い人生なんて、つまらないとも言うけど。
やれやれ、これだから理屈屋はダメだ。
俺は気を取り直して、弁当箱を開けた。
今日のおかずは、唐揚げだった。
いつもの、味があまりしない唐揚げだ。
まあ、ヘルシーと言えばヘルシーかな?
揚げ物の段階で、何を言っているとなるか。
「いただきます」
いつもの味気ない唐揚げを、口に運ぼうとしたその時だった。
何かが、近づく気配があった。
俺は食べるのをやめて、気配がした方を見る。
いつの間にか、そこに猫が居た。
久しぶりに見る、あの野良猫だった。
野良猫のようだけど、数が多かった。
今回は、4匹も居る。
恐らくは、親猫と子猫3匹だ。
そうか、それで暫くここに来れなかったのか。
生きていたんだ。
親猫は少し離れた場所に座りながらこちらを見ていたけど、子猫はひたすらじゃれ合っていた。子猫と言うより、何か毛玉が転がっているように見えた。
何だか、不思議な光景だ。
親猫は、子猫に関心すら向けていない。
ただ、俺の方を見ていた。
さて、どうしたものか。
俺は周囲を見回し、誰も居ないことを確認し、弁当箱に入っている二個の唐揚げを箸で四つに切り分けた。
「あ!しまった!」
わざとらしいけど、俺は四つに切り分けた唐揚げを一つずつ放り投げた。
親猫はのそのそと唐揚げに近づき、その場で食べ始めた。
以前なら、どこかに持って行ったけど、それはもういいのかな?
子猫はと言うと、唐揚げに気が付いていなかったようだ。まだ、じゃれ合っているし。
しかし、一匹が唐揚げの存在に気が付き、脱兎のごとく唐揚げに食らいついたのを皮切りに、他の猫も唐揚げを奪いにかかった。
いや、全員の分、ちゃんとあるけど?
狩猟本能かどうか分からないけど、他の唐揚げには見向きもせず、ひとつの唐揚げを奪い合っていた。
しかし、闘争に敗れた子猫は、側に転がっている唐揚げに気が付き、彼らも唐揚げにありついたようだ。
やれやれ。
俺は猫を見ながら、つぶやいた。
「強く生きろよ」
すると、爽やかな風が俺の耳元に吹き抜けた。
それは甘いけどどこか涼し気な、それでいてどこか懐かしい匂いと共に、それはやってきた。
まるで、あの時聴いた音楽のように、俺の耳元でさらさらと流れた。
「やさしいんですね」
俺は、のけ反らなかった。
俺は静かに、振り向いた。
「やあ」
「お久しぶりです!」
芽依さんだった。というか、芽依さんだよね?
長い黒髪がばっさりと切られ、ショートヘアになっていた。
俺は一瞬、この子が誰か分からなかったけど、俺に声をかけてくる女性なんて、この世に一人しか居ない。
でも、頭が一瞬真っ白になったことは、否めない。
だって、あまりにもイメージが変わったんだから。
女子って、やっぱり怖い。
でも、その髪型も何だか、芽依さんらしいと思う。
俺が芽依さんのことをまじまじと見ていたので、彼女は髪を触りながら説明してくれた。
「切ったんですよ。どうです?牧田のお姉さんみたいで、大人っぽいでしょう?」
芽依さんはいつものように、と言うよりまるでそれが当然の如く、俺の隣に腰掛けた。
芽依さんは、ニカっと微笑んだ。
いたずらっぽく笑う彼女は、やはり愛おしく思う。
とは言え、牧田娘は大人っぽいというより、怖いというイメージが先行していたけど、芽依さんにはそう映っていたようだ。
少し年上の女性に、憧れを抱くのは年頃の女の子には普通のことらしい。
でも、髪が短くても全体としてふんわりしていて、確かにどこか大人っぽい感じがする。
女子高生と言うより、女子大生でも通りそうなぐらいに。
俺は急に思い出した。
「ああ、そうか。お誕生日おめでとう」
「ありがとうございます♪」
「あれから、どうしてたのかな?」
「勉強、勉強、また勉強ですよ。ホント、酷いんですよお」
「ふ~ん、それでどこ狙えそう?」
「ばっちりです!」
俺に向かってVサインをするけど、何がばっちりなの?まあ、いいならいいか。
「やっとですよ。やっと、私は成人しました」
そうか、18歳になったのか。
俺にはあっという間のような気がするけど、やっと再会出来たようにも思う。
時間って、不思議だと思う。
「おめでとう」
「でも、私、何にも無くなりました」
「何も無い訳はないよ」
「どうしてですか?」
「だって、君自身がいるじゃないか」
「私自身ですか?」
「そう、君自身だよ。芽依さんにはね、無限の可能性があるんだよ」
いきなり、芽依さんは吹きだした。失礼な。
「ご、ごめんなさい。だって、だって、しろくまさんカッコいいんだもん」
カッコいいのに、吹き出す奴があるかと思ったら、芽依さんは猫たちを見ていた。
「子猫ちゃんもいるんですね。ほら、おいでおいで」
芽依さんは猫を手招きするけど、子猫は芽依さんに関心が無いようだ。
子猫たちは思い思いに唐揚げを食べ終わると、また子猫同士でじゃれ合っていたからだ。
いや、その内の一匹が、芽依さんに近寄ってきた。
「ああ、来た来た」
子猫は芽依さんの指先の匂いを嗅ぎ、ついで頭をこすりつけてきた。
「や~ん、かわいい!」
芽依さんは子猫を抱き上げ、膝の上であやし始めた。子猫は特に抵抗せずに、芽依さんの膝の上でお腹を見せながら遊んでいた。
「あ~ん、かわいい♪かわいい♪」
芽依さんも可愛いけどね。
でも、可愛くてもその子猫は、君の子じゃない。
「芽依さん、そろそろ返してあげなさい。親猫が心配すると思うよ」
「ええ?いやですぅ。ねえ、にゃんこちゃん♪」
いやですじゃないけどと思ったら、親猫と子猫二匹は、茂みに向かって歩き始めていた。
「あれ?おい?この子はどうする気だ?」
猫に話しかけても、返事があるはずもないけど。
猫たちが去った後、ここには俺と芽依さんと一匹の子猫が取り残された。
どうしたらいい?
「きみ、うちの子になるかにゃあ」
どうして人は、猫に語り掛ける時って、にゃあと語尾に付けるんだ?疑問だにゃあ。
すると芽依さんは、子猫を俺に差し出すようにしながら、高らかに宣言した。
「この子、私としろくまさんの子供にします!これは、決定事項です!」
やれやれ。動物を飼うのって、簡単なことじゃないんだけどね。
「きみだって、うちの子になりたいよねえ♪」
でも、猫とにらめっこしている芽依さんを見ていると、これもひとつの経験の内かなと思う。
ふと、子猫が二匹いるような錯覚を覚えた。
う~ん、似ているな。
「ねえねえ、しろくまさん!」
「何かな?」
「この子のお名前、何にしますか?」
「え?た、たまかな?」
「ぶっぶ~、可愛くない」
いや、普通に可愛くないか?まあ、今時たまはないか。じゃあ、吾輩は猫は、やめておこう。いちいち、おい吾輩って呼びにくいし。いや、この猫は芽依さんの猫だから、俺には関係無いか。
無いよね?
「そうだ!」
あ?何か、嫌な予感がする。
「君の名前は」
俺は生唾を飲み込んだ。
「しろくまちゃん!」
え?
「今日から、君はしろくまちゃんです!」
「にゃ~♪」
おいおい?
いや、猫なのにしろくま?確かにこの子は白い毛並みの猫だけどさ、しろくまは無いんじゃないのかな?
「しろくまさん、どうですか?」
「どうって言われても」
「可愛いでしょう?」
「でも、じゃあ、俺はどうなるの?」
「え?しろくまさんですけど?」
敬称で区別するのか?まあ、芽依さんから見たら、猫と俺の区別も付かないかな。
俺がそんなことに悩んでいたら、芽依さんはいたずらっ子のような表情を見せた。
「じゃあ、こうお呼びします♪」
嫌な予感がする。
「だんなさま♪」
「はい?」
「これからは、だんなさまってお呼びします!」
「ええっと、ねえ?それって、どうよ」
「ええ?ダメですか?」
「ダメも何も、普通におかしいでしょう?」
「私たち、将来を約束しました。だから、だんなさまでいいと思います!」
そうだった、これが芽依さんの平常運転だった。
「おいおい話し合おう。と言うか、その猫を一応動物病院に連れて行こう。予防接種とか何か病気が無いか、診てもらおう」
「そうですね!だんなさま!」
いや、待て。そのだんなさまって、これからずっと使う気か?
「あのさ」
「はい!だんなさま!」
「その、だんなさまだけど、やめない?」
「ええ?どうしてですか?」
「だって、恥ずかしいし」
「私、平気ですけど?」
君の話じゃない、俺の話だ。いや、俺なんかどうでもいいのか。
「でも」
「だって、かわいいじゃないですか」
「何が?」
「だんなさまって♪」
やっぱり、この子には勝てないと思う。
でも、こうしたまた一緒に居られることを、俺は心から喜んでいる。
俺も、面倒な奴なのかな?
正直に生きたいなあ。
「やれやれ、人生設計を考え直さないと」
「どうしてですか?」
「うん?君を引き取るだけではなく、ペットと一緒に住むなら、ペット可のマンションを探さないと」
すると、芽依さんの顔がぱ~と明るくなった。
「しろくまさん、大好きです!」
「いや、だから、やめよう、ここは会社の側だし、猫が驚いているし」
「じゃあ、私の家に来てください!」
「え?でもあの家は、いずれ出て行くんだよね?」
「はい!でも、私が大学を出て、無事に就職するまで居ていいって牧田のおじさまはおっしゃっていました」
まあ、そういう約束だからね。でも、俺がそこに転がり込むのとは、話しが違うだろう。
きっと、反対されるだろうし、また揉め事になる。
「う~ん、牧田先生に反対されるんじゃないかな?」
「あ!大丈夫です。牧田のおじさまに伺いました。しろくまさんと一緒に住んでいいですかって」
「え?いつの間に?」
「昨日、遺産相続についての確認をしたんです。その時に、お話しました」
「要領いいね。まあ、それもいっか」
「はい!」
家賃も浮くし、その間に芽依さんと子猫と一緒に住む家も探せるし。
いっそ、郊外の一軒家でも、いいかな?
まあ、それもおいおい相談しよう。
俺一人で、決めていい話じゃないしね。
でも、話は簡単ではなかった。
意外な方向に、事態が進んだからだ。




