第三十九話 しろくまさんと約束の場所
芽依さんが家出をした。
何で?
どうして?
でも、閉じ込められているなら、逃げたくなるのも当然だろう。
ましてや、芽依さんは花の女子高生だ。
そして少なくとも、芽依さんは牧田父を始めとする親戚たちの思惑に、同意していないということだろう。
俺と牧田娘は、とりあえず牧田父の事務所から外に出ることにした。
牧田父は、もう俺なんかと話す余裕はないみたいだから。
ひっきりなしに掛かって来る電話に、ひたすら言い訳とか謝罪とか、あるいは何か言い募っているようなのだが、何となく分かるのは牧田父の立場が、一層悪くなったようだ。
もっとも、俺はそんなことを考えている場合ではなく、牧田娘と二人で心当たりをあたることにした。
「せめて、芽依さんが携帯を持っていればなあ」
「仕方がありません、あんなことがあったんですから」
「あんなこと?それは・・」
俺が言い終わる前に、遮るように話してきた。
「今はそんなことを、言っている場合ではありません。芽依さんを探さないと」
確かにそうだけど、一体何を焦っているんだ?
「あなたには、心当たりはないんですか?」
不機嫌に訊ねられたけど、とんだとばっちりだ。いや、最初からこの子はこういう態度だった。
むしろ、これが普通なんだ。
若い女子の、普通なんだと。
俺はそのことを、すっかり忘れていた。
だから、こういうモノだといい加減慣れないと。
そう、芽依さんだけが、特別なんだと。
「う~ん、何ともなあ」
「心当たりは、本当に無いんですか?」
「彼女の交友関係はもちろん、行きそうな場所も分からないよ」
「だったらとりあえず、芽依さんのお家に行きましょう」
「そうだね、いや、俺一人で行こう。ひょっこり家に戻っているかもしれないし、牧田先生に連絡が行くかもしれないから」
「芽依さんのお家にいきなり行って、大丈夫ですか?」
「以前行った時にね、品のいい女性が居てね、一応挨拶はした。あれって、誰だろう?」
「ああ、お手伝いさんです。芽依さんのおじいさまの代から、あの家に仕えている人です」
お手伝いさんときたか。まあ、あの広そうな家を、子供が管理するのは無理だろうし。
「とは言え、芽依さんはあの家に戻るまでは、親戚の家を転々としていましたけど」
「何で?家もあるのに?」
「未成年が一人暮らしをするのは、外聞が良くないからです」
「ふ~ん、それで本音は?」
牧田娘は、一瞬ムッとしたけど。
「芽依さんを取り込もうと、そういうことです」
まあ、それ以外に無いか。
あるいは、どこの馬の骨か知らんけど、そんな奴に取られないようにかもしれない。
きっとそこで、色々なトラブルが起きたんだろう。
だって、自分たちの目の前に金の成る木があるんだから、それ欲しさに冷静さを欠いた行動の一つぐらいするだろう。
そしてそれが、芽依さんにトラウマを植え付けることに、一役買ったということだろう。
「とにかく、俺は芽依さんのお家に行ってみるよ」
「分かりました。では、連絡先を教えてください」
彼女はスマホを取り出し、俺に向けた。
俺は、戸惑った。
「ええっと、俺はガラケーなんだけど」
「はい?」
俺は懐から携帯電話を取り出して、彼女に見せることにした。
牧田娘は明らかに、あきれ顔をした。いや、この子が俺にいい顔を見せたことは、一度も無かったから別にいいけどさ。
でもさ、ガラケーを馬鹿にしちゃあいけないよ。
言わないけど。
「番号」
「え?」
「電話番号を教えてください」
「ああ、そうだった」
俺は彼女に電話番号を教えると、彼女はすぐに電話を掛けた。
すると、俺の携帯電話が鳴動したけど、すぐに鳴りやんだ。
いわゆる、ワン切りだ。
俺の携帯の画面には、着信した電話番号が表示されていた。牧田娘の電話番号だ。
いわゆる、女子高生の携帯番号だ。
高橋ならきっと、狂喜乱舞したことだろう。
でも不思議だ、俺は嬉しくもなんともない。
なんとなく、面倒だと感じた。
「もし芽依さんが見つかったら、その番号に連絡してください」
「ああ、分かった」
彼女がまだ何か言おうとしていたけど、俺はそれを振り切ってその場を離れた。
舌打ちする音が聞こえたけど、気のせいにすることにした。
慣れって、怖いなあ。
芽依さんの家は、静まり返っていた。
俺は諏訪と書かれた表札を見た瞬間、思いっきり後悔してきた。
牧田娘を連れてくれば良かったと、今にして思った。
でも、今はそんなことを考えている場合ではない。
俺は意を決して、呼び鈴を鳴らした。
するとすぐに、応答が返ってきた。
「はい、どちらさまでしょうか?」
「ええっと、わたくしは城田と申します」
「はい?」
ああ、分からなかったか。あの時は車内だったし、薄暗かったし。
でも、確信がある。よく分からないけど。
「しろくまと言えば、分かりますか?」
呼び鈴のスピーカーは静かになったけど、すぐに玄関が開いた。
割烹着姿の、とても品のいいご婦人が現れた。
「来てくれたんですね」
長い黒髪が、海風に吹かれてさらさらと静かに揺れている。
海辺ににたたずむ彼女は、あまりにも自然だった。
まるでこの風景の一部にでもなったように。
何だか、不吉だ。
でも何で、後ろを向いたまま俺が来たことが分かったんだ?
君はエスパーか?
彼女は振り向いて俺の姿を一瞥すると、ちょっとムッとした表情をした。
「その格好、似合いません。何で、あの白いジャケットを着てくれないんですか?しろくまさんは、白が一番似合います!」
ああ、そういえば一張羅のままだった。というか、白が似合うって、ちょっと不吉じゃないか?
だいたい、俺に白が似合うと思っているのって、きっと芽依さんだけだと思うけど。
きっと牧田娘なら、あけすけなぐらいの蔑むような目を向けてきただろう。
そう、通報していいですかと、わざわざ俺に確認してくるぐらいに。
「何で、ここなんだい?」
「だって、次のデートはここって、決めていたからですよ」
本当にそうだろうか?
海辺はデートスポットでもあるけど、もうひとつの場所でもあるから。
俺は、それを心配した。
そしてあのお手伝いさんも、それを案じていた。
だから、どこの馬の骨ともしれない俺を、ご婦人は信じてくれた。
お嬢様をお願いしますと、頭まで下げられた。
「しろくまさん?」
芽依さんが俺の顔を覗き込んでいた。
心配しているというより、何か面白いことでもあるのかなって、そんな感じに。
「ああ、いや、でも何でここなんだろうって、考えていたよ。若い女子が行きたがる場所なら、他にもたくさんあるしね」
「ああ。だって、私、初めてなんです!」
芽依さんの眼差しは、どこか遠くを見ているようだ。
まるで、遠くにでも行きたいと、そう思っているように。
どこまでも、どこまでも遠くに。
誰も居ない、そんな世界に。
「初めてって?お台場に来るのが?」
「違いますよ、男の人と初めてのデートです!」
「ええっと、あれはデートではなくってね」
「私、初めてなんです。男の人に抱っこされたのも、二人っきりのドライブも、海辺のデートの思い出も。みんな、みんな、しろくまさんが私にくれたんです!」
ええ~?そう聞くと、何だか大層なことをしたような気もするけど。
「ああ、そうだんだ」
いや、違うと思うけどなあ。でも、芽依さんがそう思うのなら、きっとそうなのかもしれない。
「それに、私を助けてくれました。怖い悪漢から」
高橋、お前悪漢扱いされてるぞ?さすがにそこまでではないと思うけど、少女にとってはそうなのかもしれない。
実際、あの時の芽依さんは普通ではなかったし。
「しろくまさんは、私のヒーローなんです!」
ええっと、すまん。恥ずかしいからやめて。
返答に困ることは、とそうだ、芽依さんはいつもしているな。
「俺はヒーローではありません。ただのおっさんです」
そんな芽依さんは俯きながらも、何だかぶつぶつ呟いていたけど、よく聞こえなかった。何を言ってるんだろう?
すると、芽依さんは突然顔を上げ、俺を呼び掛けてきた。
「しろくまさん!」
「あ、はい」
「クレープ食べましょうよ!」
そういえば、前にここに来た時もそうだったなあ。ホント、君はクレープが好きだね。いや、甘いものが好きなのは、女子にとっては当たり前か。
まあ、付き合うか。
「ああ、いいよ」
「ダイエットは、やめたんですか?」
「無理なダイエットは、しないと決めただけだよ」
「ふ~ん」
俺は芽依さんと一緒に、海辺のお洒落なクレープ屋でクレープを二つ買った。
クレープと言うより、携帯パフェと言うべき代物だけど。俺はもっと、シンプルなのがいいけど、どうも食べにくいし。
「ん~!美味しい!!」
ホント、君は美味しそうに食べるねえ。俺にはとても、真似は出来ない。
恥ずかしいし。
「しろくまさん!ほら!!あ~ん!!!」
「はいはい」
「しろくまさん!はいは一回です!」
「ああ、そう」
俺は口を開けた、スプーンで掬ったクレープを、芽依さんに食べさせてもらった。
何だか、こういったことに抵抗感が無くなっていることに、自分でも驚いている。
「美味しい?」
「ああ、美味しいよ」
「じゃ、あ~ん」
今度は芽依さんが、口を大きく開けた。乙女らしくないけど、まあ可愛いからいいか。
「はい」
俺はクレープをスプーンで掬い、芽依さんに食べさせた。
芽依さんはむぐむぐと食べたけど、どこかご不満なようだ。何で?
「もっと、少なく掬ってください。お口の中、クリームで一杯です。私、これでも一応女の子なんですよ?」
一応って、俺は君のことを女の子扱いしなかったっけ?
ああ、君を女子としてではなく、子ども扱いしていたか。それは悪かったね。
「次は気を付けるよ」
「はい!しろくまさんはもっと、私に優しくしてください!」
「ああ、分かったよ」
すると、芽依さんは俺をじ~と横目で見つめてきた。
クレープを食べながら。
君、器用だね。
「ええっと、何かな?」
「今日のしろくまさんは、素直です」
「そう?」
「どうしてですか?」
どうしても何も、そうだ、どうしてだろう?
「君が家出をしたって、そう聞いたからかな」
「牧田さんですか?」
「うん、そうだよ。彼女から教えてもらった」
実際は、牧田父だけどね。話がややこしくなるから、省略したけど。
「仲がいいんですね」
「え?」
「しろくまさんの浮気者!」
「ちょ、ちょっと?」
「冗談です」
「ホント、やめてよ。心臓に悪い」
俺は胸に手を当てたけど、芽依さんは俺の胸を見ていた。どうしたのと聞く前に、芽依さんから質問してきた。
「それで、ここに来たんですか?」
「まあ、他に心当たりはないからね」
「ふ~ん」
なんだろうか、ご不満なようだけど。
いや、今はそんなことを言ってる場合ではない。
「それで、これからどうするの?」
返事は無い。
芽依さんはクレープを食べる手を止め、目の前に広がる海を見ていた。
いや、違う何かを見ていたのかもしれない。
「私、結婚するんです」
「そう、おめでとう」
「めでたくないです!」
いきなり、頬をつねられた。耳を引っ張られるのも痛いけど、つねられるのも痛かった。
勘弁してよ。ねえ、どうして口と手が同時に出るのさ?
「い、痛いよ、ねえ、痛いってば」
「私、しろくまさんと結婚したいんです!」
「ああ、分かったから、手を離して」
「じゃあ、結婚してくれますか?」
「ああ、いいよ」
「本当で・・・」
彼女が言い終わる前に、芽依さんの返事を遮るように俺は条件を付けた。本当は、俺にそんな資格は無いんだけどね。
「ちゃんとしたらね」
「ちゃんとって、何ですか?」
「ちゃんとはちゃんとだよ」
「分かりません、だから分かるように言って下さい」
「そうだね、まずは質問だ」
「はい!今日の下着の色は・・・」
「本当の年齢は?」
「・・・・・・」
「俺には、言えないんだ」
「17歳」
「ホント?」
「じゅ、16歳と5か月です」
「それって一般的に、16歳でいいと思うよ?」
「でも、でも、でも、年が明ければ17歳です!花のセブンティーンです!」
「ああ、そうだね。でもさ、芽依さんは俺に何て言った?」
「ごめんなさい」
「まあ、いいさ。事情もあるようだしね。でもさ、ひとつ間違えたら俺は犯罪者だよ。法律でそう決まっているんだから」
「それって、変です!」
「変ではないよ。この法律はね、君たちに酷いことをするような、そんな最低な大人達から君たちを守るためにあるんだ。だから、変じゃないんだ」
「私がいいって、言ってもですか?」
「成人になる前はね、判断能力も責任能力も無いと見なされているんだよ」
「私、責任取れます!」
「だからさ、それを証明しないといけない」
「どうやってですか?」
「だから、ちゃんとするんだよ」
「分かりません、私には、もうどうしていいのか分かりません」
泣くかなと思ったけど、気丈に振舞っているようだ。
「君は、どうしたい?」
「しろくまさんと結婚したいです」
「どうして?」
「どうしてって、しろくまさん、いじわるです」
「それをはっきりとさせないと、ちゃんとしたことにはならないよ」
「どうしてですか?」
「それが、大人だからね」
「だったら、教えてください、どうすればいいのか」
「考えるんだ」
「どう考えるのか、私には分かりません」
「どうして?」
「だって、だって、親戚の人は皆、私の為、私の将来の為って、そう言ってくるんです」
なるほど、芽依さんの為か。
違うだろうな、それは自分たちの為だろう。
こうあるべきだ、こうしないとダメだと。
その本質は、芽依さんを支配したい、芽依さんを好きにしたいということだろう。
嫌な話しだ。
でも、よくある話でもある。
この手の話は、この社会にはいくらでもある。
自分達は正しい、自分たちは絶対に正しいと。
その正しさに対して文句を言うと、色々と言いがかりをつけて排除する。
しかし一転してその正しさが間違いとなると、今度は人のせいにする。
間違ったのは他人で、自分達は間違っていないと。
自分達は、騙されていたんだと。
ああ、そうだ。そいつらはきっと、芽依さんの事なんかこれっぽっちも考えていないだろう。
自分たちの頭の中にある、いわゆるお花畑を夢見ているんだ。
そこに、現実の芽依さんは存在しない。
だったら、
そう、だったら、
「君は、どうしたい?」
「だから、しろくまさんと一緒にいたいんです!」
「だったら、それにはどうするか、考えないと」
芽依さんは真剣な目で、俺を見つめていた。
と同時に、戸惑ってもいた。
しかし、これは自分で考えないといけない。
考えて考えて、苦悩して苦悩して答えを出さないといけない。
安易な考えの行きつく先にあるのは、後悔だけだから。
俺のように。
そもそも俺は芽依さんにとって、まだ何者でもないんだから。
でも、芽依さんが出さないといけない。
答えを。
だからね、どんな答えでも俺は受け入れるよ。
それが考えた末であり、心からの願いなら。
俺はそれを、拒否したくない。
そんな芽依さんは俯き、顎に手を当てながら考えていた。
いつになく、真剣だった。
いや、当たり前だ。
掛かっているのは、自分の人生なんだから。
だから、結論を急いではいけない。
しかし、いつまでも待ってはいられないし、待ってはくれないものだ。
時は止まってくれないからだ。
それでもまだ、芽依さんは考えていた。




