第三十一話 しろくまさんと本屋の店員さん
ふたりで仲良く散歩道なんて、そんな風情ではなかった。
そんな余裕は、俺には無かったからだ。
「め、芽依さん」
「はい!」
「君、足腰強いね?」
「しろくまさんが情けないんですよ?」
「そ、そうは言っても、俺は普段、運動してないし」
「なら、今度一緒に運動しましょうよ」
「ああ、機会があったらね」
絶対に嫌だと思ったけど、芽依さんは何かやっているんだろうか?
聞きたいところだけど、今の俺はあまり、喋っていたくなかった。下りは膝にくるし、時々登りもある。登りは息が切れるし、心臓もばくばくする。
だいたい、何でまっすぐ下りではないのか?
俺は、どこに向かっている?
「しろくまさん!」
「へ、なに?」
「いい景色ですね!」
「ああ、そうだねえ」
確かに、海が見えていい景色だ。
ぜ~ぜ~言いながらでなければね。
しかし、芽依さんは余裕あるなあ。
俺はもう、限界のようだけど、参道の入口にあった赤い鳥居が見えてきた。
ゴールは近い!
「ぜ~、ぜ~、ぜ~」
俺は、膝をついてしまった。
「もう、しろくまさんは」
芽依さんはいい匂いのするハンカチで、俺の額を拭ってくれた。
拒否したいけど、すでに抵抗する余裕はない。
「め~、め~、さ~、んんんん、は、はん~か~ちが・・・・、よごれ・・・・げほっ!げほっ!」
「はいはい。分かりましたよ」
いや、分かってない。
ああ、分かってないのは俺か。
情けないなあ。
でも彼女の目は、本気で俺のことを案じているようだった。
いつもの子供っぽい表情ではなく、どこか大人びているような、そんな慈愛に満ちているような感じに見えるから。
しかし、ここはまだゴールではない。
まだ江ノ島から、出ていないからだ。
そう、あの橋を渡るんだ。
ああでも、さっきのホテルに泊まれないかな?
もちろん、俺一人で。
明日朝一に出れば、会社には間に合うだろう。
ついでに温泉に浸かって疲れを取れば、なんて考えは却下だ。
芽依さんが、俺を一人にするはずはないじゃないか。
最善なのは、今日の明るい内に帰ること。それだけだ。
そんなことをつらつら考えていたら、芽依さんは橋を渡らず、その手前のロータリーに向かった。
うん?
バス停があるぞ?
ということは、路線バスあるじゃんか!
「ふ~」
俺は息を吐いた。
バスはすぐにやってきたので、俺たちはバスに乗った。
本当に、やれやれと思う。乗り物万歳!
そうは言っても、バスはすぐに江ノ島の駅に着いたので、俺と芽依さんはそこで降りることになった。
歩くと遠いけど、乗り物は本当に早いなあ。
そんな訳で、江ノ島駅で鉄道に乗換え、帰宅の途につくことになった。
でも、何か忘れているような。
「ああ!」
「どうかしましたか?」
「たこせんべい忘れてた」
「ああ、そうでしたね」
「まあ、仕方が無いか」
「また、行きましょうよ」
「ああ、俺一人で行くから、どうぞお構いなく」
すると芽依さんは、いきなり俺の耳を引っ張った。
「む~、しろくまさん!さっきから、私に酷くないですか!」
「ひ、酷くない、酷くないよ。酷いのは、君だよ」
「わ・た・し・は、酷くありません!」
「あいたたたたたた」
「私も行きます!」
「わ、分かったから、耳を離して」
「約束ですよ!」
「はい、約束しました。だから、お願い」
芽依さんは掴んでいた耳から手を離し、今度は俺のシャツを掴んだ。
いや、つまんだというべきか?
「しろくまさん」
「ああ、なんでしょうか?」
「ずっと、一緒ですよ」
「分かったよ」
芽依さんの顔が、それこそ本当にパ~と明るくなった。
「出来る限りね」
「む~、またそう言う」
「君は学生、俺は社会人。時間の感覚や、価値観が違うんだよ」
「今は、多様性の時代です!」
「建前はね」
そう、そんなのを真に受けたら、どんな目に遭うか、この子はまだ知らないんだろうか?
いや、そんなことはないだろう。
赤の他人が人所に集まれば、自然と派閥が出来て、そして対立する。
そしてそこに、建前や倫理は通じない。
でも、それを知る必要は、やっぱり無いな。
それが俺のエゴだとしても、芽依さんがそういった現実に潰されてしまうのは、やはり嫌だと思う。
いつもキラキラしたモノに囲まれ、笑っていて欲しいと思う。
それが似合うのが、芽依さんだからだ。
俺には、縁の無い話だ。
だから、守りたいと思うのだろうか?
芽依さんが、綺麗だから。
純粋だから。
そんな気持ちが湧き上がってくることに、俺自身が驚いている。
そんな人間なんて存在しないって、分かっているのに。
それでも俺は、芽依さんを特別な人に見えてしまう。
芽依さんは、俺をどう思っているのだろうか?
それが俺には、少し怖い。
江ノ島から帰った俺たちは、次のデートの約束をして別れた。
いや、これは不正確だ。
ここは、正確に言うべきだろう。
芽依さんから一方的に何かを宣言され、反論、批判、意見、苦情など一切無視し、というか何も喋らせてもらうこともなく、約束ですよと交わしてもいない約束を交わしたことになった。
次のデートは、ふたりで行った、あのお台場にしましょうと。
君、本当に海辺が好きだねえ。
まあ、お台場なら登り下りは無いだろうけど。
エレベーターにエスカレーター、もしかしたら動く歩道だってあるかも。
文明万歳だ!
約束はしたけど、あれから芽依さんと会うことは無かった。
お昼にあのいつもの公園のいつものベンチに来なかったし、ついでに言えば、猫も来なかった。
俺は、一人になった。
いや、最初からひとりだった。
そう、ひとりだった。
ひとりでいるべきなんだ。
でも、言いようもない感じがして、俺は寒くなった。
何か肩のあたりがスース―するような、そんな不思議な感覚だった。
この感覚は、初めての経験だった。
きっとこれが、寂しいと言うモノなんだろう。
そうか、俺は寂しいのか。
芽依さんが居ないことを、普通ではないと思っているのか?
普通でないことを、普通と思っているのか?
俺は芽依さんに、依存しているようだ。
仕事を終え、帰宅するときも公園のあのベンチを見る。
そこには、芽依さんも猫も居なかった。
誰も、居なかった。
まるで、あの日々が幻だったような気がする。
芽依さんの温もりも、息遣いも、彼女は本当に存在したのだろうか?
そんなことを思いながら、俺は帰り道の途中で本屋に立ち寄った。
そこに、どこかで見たことがあるような、若い女性店員が居た。
どこかで見たような、誰だったっけ?
思い出せない。
「しろくまさんですか?」
「え?」
「しろくまさんですか?」
何か嫌な予感がしたので、俺はテンプレで返した。
「人違いです」
「しろくまさんですよね?」
「ああ、多分そうです」
すごく強い目で睨まれたので、俺は折れてしまった。ドスの利いた声も、ちょっと怖かった。
「諏訪さんのことで、ちょっとお話があります。お時間よろしいでしょうか?」
「ええっと、あなたは?」
「私は諏訪さんと同じ学校の、牧田と申します」
「ああ、そう」
聞いたことがある名前だ。
「一応、諏訪さんの親戚です」
いえ、別に疑ってませんよ。
「少ししたら上がりますので、外で待っていてください」
「ああ、そう。うん、分かったよ」
俺はこうして、本屋の外で牧田さんなる女性が出てくるのを、ただ待つことになった。
でも、思い出せない。
誰だ?
まあ、いい。
どうせ、ロクな話しじゃないだろうから。
わざわざ俺に話しかけるんだから、どうせまともな話しであるはずもない。




