第二十六話 しろくまさんとモーニングコーヒー
泣き疲れたのか、芽依さんはうとうとしてきた。
正直、俺は芽依さんをなだめるのが精一杯で、時間のことはすっかり頭になかった。
もう、帰るには遅い時間だ。
「諦めるか」
幸い、この部屋はスイートルームで、もう一つ部屋がある。
芽依さんにはベッドルームを使ってもらい、俺はもうひとつの部屋で休もう。
後は、野となれ山となれだ。
「もう、休みなさい。俺ももう休むよ」
「はい~」
目をこすりながら、芽依さんは弱弱しく返事をした。
こういう芽依さんも、初めてだった。
しかし、一体俺は何を間違えたのだろうか?
何で、芽依さんは泣いたんだろうか?
そんな芽依さんはいそいそと、お布団の中にもぐりこんだが、そこからはいつもの彼女だった。
「はい♪どうぞ♪」
布団をめくり、入るように促してきた。
俺は、芽依さんの近寄った。
芽依さんは、少し緊張気味の顔をしたけど、布団を直すことはしなかった。
芽依さんは、目を閉じた。
俺はため息を吐くのをこらえながら、デコピンをかますことにした。いい加減、学習しろと。
「いった~い!」
「いいから、休みなさい」
「しろくまさん、ひっど~い」
「俺をからかえるぐらいなら、もう元気が出たということのようだね。良かったよ。じゃ、お休み」
「えええええ?一人は寂しいです!」
「一人で眠れないようなら、まだまだ子供だ。俺は、子供の相手はしない」
「ぶ~、それ、私にはどうにも出来ないじゃないですか?」
「さあね、明かりを消すよ」
メイン照明を消すと、常夜灯が点いた。何ともお洒落だ。というか、かえって雰囲気が出てしまった。夜景の光も気になったので、カーテンも閉じた。
そんな俺の行動を見守る芽依さんは、薄暗い部屋だけど存在感を示すように、ぽっかりと光って見えた。
まるで、芽依さん自身が光っているように。
「おやすみ」
俺は隣の部屋に備え付けてある、ソファーで休むことにした。
布団代わりに洗面所に置いてあったバスタオルを身体にかけ、クッションを枕代わりにして横になった。
建前に過ぎないのはよく分かっているけど、少なくとも俺は彼女とベッドを共にしていない。
とは言え、バスタオルでは布団の代わりにはならない。
幸い、部屋には暖房が効いているから、朝まで耐えられるだろう。
小さな声で、おやすみなさいという芽依さんの声が聞こえた。
まるで、鈴のような儚いけど、不思議とどこかしっかりとした声だった。
俺はその声に応えずに、さっさと休むことにした。
休むには少し早いけど、今日は散々振り回されたので疲れていたし、正直もう眠りたかった。
いや、もうあの子と対峙したくなかった。
もう、これ以上、芽依さんのことを心配したくなかった。
それだけ俺は、芽依さんのことを気にしているということだ。
俺は、芽依さんをどうしたいんだ?
俺は、芽依さんとどうなりたいんだ?
分からなくなってきた。
朝起きたら、実は夢でしただったら、いいと思う。
その反面、こんなに慕われていることにどこか戸惑いがあった。
以前は、違和感しか無かったのに。
「このままだと、青少年健全育成条例違反とかになるのかな?」
そんなことを考えていたら、俺はいつの間にか眠りに落ちたようだった。
誰かが、俺を呼んでいるような気がしたけど。
もう、どうでもいいや。
「しろくまさん!しろくまさん!!」
え?
「しろくまさん!しろくまさん!!」
だから、何?
「しろくまさん!しろくまさん!!」
だから、何?
「私を許して」
え?
気が付いたら、朝のようだった。
こっちの部屋のカーテンを閉め忘れたせいか、朝日が部屋を照らしていた。
「何だろう、重いなあ」
ついでに言えば、やけに温かいし、いい匂いもする。
おまけに、柔らかい感触があった。
感触?
「あ?」
顔を下に向ける。
俺の胸のあたりに、艶やかな黒髪が見えた。
よく見渡すと、寝間着姿の芽依さんが、俺の上に載っている。
良かった、下着姿で無くて。
いやいや、そんなことを言ってる場合か!
「芽依さん、芽依さん、お~い、芽依さん、起きて」
「う、う~ん、なんですかあ?」
「朝だよ、ほら、朝だよ」
「そ~ですか~」
少しあげた頭を、またポテッと俺の胸に落とした。
おい?
「芽依さん、朝だよ?遅刻するよ?」
「ど~でもい~ですぅ~」
良くない!
仕方がない、実力行使だ。
俺は芽依さんの身体を持ち上げながらずらし、ソファーから脱出した。
「しろくまさ~ん、もう少し休みましょうよ~」
「却下です。ほら、早く起きなさい」
いったい、いつの間にこっちに来たんだ?
油断も隙もあったもんじゃない。だいたい、年頃の娘のすることか?
しかし、幸せそうな顔をしている。起こすのは不憫だが、そうも言ってられない。
「ほら、起きなさい」
俺は芽依さんを揺すった。こんな経験は初めてだから、力加減が分からない。
「う、う~ん」
「起きなさい」
「ちゅ~してくれたら、起きなくもありませ~ん」
ああ、そう。これもお遊びね。だったら。
「ふがあああ、あにするんでふかあ?」
俺は芽依さんの、鼻をつまんだ。芽依さんの鼻は小さかったけど、掴めないほどではなかった。
女子にこんなことをしていいのかと思うが、そもそもこの状況を作ったのは俺ではない。
だから、責任は、責任は、やっぱり俺か?
「もう!乙女に何するんですか?」
芽依さんはがバッと起き出したけど、かなり不機嫌なようだ。
「起きないからです。ほら、早く起きて着替えなさい」
「ふつ~、旦那さまは優しく、妻を抱き起こすモノです!」
知らんよ、俺は結婚したことが無いし、離婚した同僚から実に嫌な話を聞かされているし。
結婚生活って、そんなに甘いもんじゃないらしいよ、知らんけど。
「私、猛然と抗議します!」
「ああ、はいはい」
「真面目に聞いてください!」
なあ、これって真面目に聞かないとダメなのか?
「ほら、朝ごはんの時間だよ、俺は腹が減ったよ」
「あ!本当です。私、支度してきます!!」
すると、芽依さんは着ていた寝間着を俺の目の前で脱ぎ捨て、あられもない恰好になってから洗面所に向かった。
何だろうか、芽依さんの下着姿に慣れてきたような。
いかん、いかん。
まあ、子供の下着姿に欲情する程、俺は性欲が強くない。
・・・・もしかして、俺って舐められてる?
「うん?」
シャワーを使う音が聞こえた。
「おいおい、今から風呂に入るのか?時間、大丈夫か?」
朝シャンをする女子を、初めて見た。
いや待てよ、俺は女子と一夜を過ごしたことがないから、初めても何も無いだろう。
俺はまだ、芽依さんの温もりの残る、ソファーに突っ伏した。
時間が掛かりそうだし、今日も散々振り回されそうだし。
俺、いつ帰れる?
ふと、コーヒーか何か無いか、部屋を見渡した。
机には電気ポットがあり、水が入っていた。
俺は電気ポットのコンセントを差し、お湯を沸かすことにした。
お茶とコーヒーがあったので、コーヒーを淹れることにした。
お湯が沸くまで、俺は電気ポットを見つめていた。
何も考えずに、ただ見つめていた。
すると、パチッと音がした。
「お湯が沸いたか」
本来なら沸騰したてのお湯はコーヒーには向いてないけど、そんなことは言ってられない。
俺は早く、頭をすっきりさせたいからだ。
コーヒーカップに一杯用の挽いたコーヒーパックを乗せ、そこにお湯を細く注いだ。
部屋に、いい匂いが漂ってきた。
「おお!いい感じだ」
俺は、淹れたてのコーヒーを飲む。
モーニングコーヒーという奴だが、やけに苦かった。
やはり、少しお湯を冷ましてから、淹れるべきだったか?
「あああああ!!!!」
びっくりした。思わず、コーヒーをこぼすところだった。
せっかくのコーヒータイムに、何て声を出すんだ?
そんな静寂を破ったのは、バスタオル一枚巻いただけの、あられもない姿の芽依さんだった。
「しろくまさん!ずるいです!!私にも、モーニングコーヒーください!!!」
「ああ、分かったから服を着なさい」
「まだ、髪を梳かしてません。服を着るのは、それからです」
知らんよ、そんなこと。
「分かったから、コーヒーを淹れておいてあげるから、髪でも何でも早くしてきなさい」
「は~い」
芽依さんは洗面所に戻った。すると、ドライヤーの音がしてきた。
「やれやれ、女子は色々と大変なんだな」
俺は残ったお湯を、コーヒーカップに載せたパックに注ぎ、コーヒーを用意してあげた。
俺は砂糖を使ってないから、二人分の砂糖とミルクがあるから、それも添えてあげた。
すると、鼻歌が聞こえてきた。
芽依さんは、ご機嫌なようだ。
俺はと言うと、実は少し機嫌がいい。
でも、これからのことを思うと、少し暗くなる。
俺たち、これからどうなるんだろうか?
窓の外は湘南の海と、海鳥が飛んでいた。
俺は海辺の風景を見ながら、コーヒーを楽しんだ。




