第二十三話 しろくまさんとノンアルコールワイン
別館と言っても、歩いてすぐだった。
ここもキレイな建物で、江ノ島の別の顔とも言えるだろう。
「江ノ島のイメージ、変わるなあ」
嘘です。イメージす出来るほど、よく知りません。
ただ、江ノ島と聞いて思い浮かぶのが、神社と洞窟としらすぐらいしか、俺は知らない。
「何ですか、しろくまさん?」
「いや、なんでも」
俺と芽依さんはその別館に入り、エレベーターで上層階に上がった。
俺は黙って芽依さんに付いて行ったけど、どこか違和感があった。
本当にここは、貸し切り休憩所なのか?
どう見ても、ホテルにしか見えないけど?
「はい!ここです!」
ああ、やっぱり。
「ここって」
「はい、貸し切りです!」
ああ、そう。もう、どうでもいいや。
だってどう見ても、ツインのベッドルームだ。しかも、スイートルームのようだ。
一般的にアウトだろうけど、俺は眠くて仕方がなかった。
どうせ、お泊りする訳じゃないから、お遊びに付き合おう。
多分だけど、デイユースって奴だろうから。
「じゃ、俺は少し休むから。時間になったら、起こしてくれるかい?何なら、俺を置いて先に帰ってもいいし」
「む~!私、そんな薄情じゃありません!」
「ああ、そう。ふわあああああ」
久しぶりに、思いっきりあくびをしてしまった。何だか、ものすごく眠い。
「ふふ、トトロみたい」
ああ、そうかい。そう言えば、トトロのヒロインも、めいちゃんって呼ばれてなかったっけ?
うん?さつきちゃんだったっけ?
まあ、いいや。
もう、どうでもいいや。おやすみ~。
俺は広いベッドに横たわり、そのまま眠りに付いた。
まるで、谷底に吸い込まれるような、そんな感じだった。
温かい。
柔らかい。
いい匂いがする。
何だか、心地よい重みを感じる。
音がする。
心音だろうか?
何だか、心地よい音だ。
何か鳴っている。
なんだろう?
目覚ましのようだ。
「う、う~ん、よく寝たなあ」
部屋は、真っ暗だった。
真っ暗って、それって夜ってことか?
「あれ?」
起き上がれない。
何かが、俺の胸のあたりに乗っていた。
常夜灯の光しかない、ほぼ真っ暗な部屋の中で、何かがそこにいた。
「め、芽依さん?」
何か、さっきから音がする。
鳴っていたのは、アラームのようだ。
「芽依さん?起きて?ほら、遅刻するよ?」
「う、う~ん、なんですかぁ~?」
「ほ、ほら、アラームが鳴ってるよ?」
「ああ、お夕食の時間ですね」
はい?何だ、お夕食って?
芽依さんはもそもそと起き出し、思いっきり伸びをした。
正直、くすぐったかったけど、今はそれどころではなかった。
「ふわああああああぁ~。う、う~ん」
目をこすりながら、いかにも眠たそうな感じがした。
子供っぽいその仕草は、とても愛らしいけど、それどころではない。
俺は逆に、頭がはっきりとしていた。というか、なんつ~恰好している?
シャツ一枚って、おい?
「久しぶりですぅ~、こんなにぐ~すり寝たのは」
俺はその時芽依さんが発した、その言葉をうっかりスルーしてしまった。
そのことに気が付くのは、だいぶ後になってからだ。
「とにかく、目が覚めたのならもうここを出よう。早く帰らないと」
「ええ?どうしてですかぁ?」
「どうしてもこうしてもない。もう、子供は家に帰る時間だよ」
「私、子供ではありません!」
ああ、そうだった。これは禁句だったか。
「とにかく、支度をして、早く帰ろう。服を着なさい」
「だから、何でですか?」
「遅くなると、ご家族が心配するよ?」
そう、こんな遅い時間までこの娘を家に帰さないと、あの時のように、やれ誘拐だの、やれ監禁だのと騒がれる。
それはもう、勘弁してほしい。
「大丈夫ですよ」
「君は大丈夫でも、俺は大丈夫ではないよ。ほら、早く」
「だって、今夜はここにお泊りするんですから」
「そう、お泊りするんだ・・・・って?」
俺はびっくりした。というか、頭の整理がつかなかった。
何で?
どうして?
お泊りって、お泊り?
それって、帰らないってことか?俺は聞いてないぞ!
「どういうこと?」
「え?今夜はここに、お泊りするんですよ」
やられた。
そうか、これが目的だったのか?
最初から、そのつもりだったのか?
策士すぎるだろう。事前に準備しないと、出来ない話しだ。
いや、俺が不用心なのか?
だいたい、何で女子高生に用心しないといけないんだ?
いや、用心しなかったから、俺は犯罪者扱いされたんだろう。
俺にはどうも、学習能力が無いようだ。
しかし、一応聞いてみよう。きっと、無駄だろうけどね。確認は大事だし。
「君、一人で?」
「ひっど~い!私をこんなところに一人にするなんて、恋人として、最低です!」
本当にすまんけど、何を言っているのか分からない。恋人って言葉をさ、辞書で調べたら?ああ、無駄か。
なんというか、本当にプンプン怒っている。腕を上下させるアレを見たのは、正直初めてだけど、とても可愛い。
可愛いけど、怒っている事がよく分かることが、ちょっと不思議だと思う。
そう、俺が戸惑っていると、芽依さんの方から催促してきた。
何の催促かな?
「ああ、そうそう。ご飯の時間です。早く行きましょう」
「ご飯?」
「はい!ディナーです!」
「ええっと、話はまだ終わってないんけど?」
「ええ?後にしませんか?ディナーの時間に、遅れるじゃないですか?社会人として、それってどうですか?」
社会人として、すでにアウトなような気もするけど。
「ええっと、話を整理したいんだけど」
「ご飯食べてからにしましょうよ。ほら、腹が減ってはなんとやらでしょう?」
どうしようか。しかし、お腹も確かに空いている。
冷静になる為の、時間が必要だし。
多分だけど、無駄なあがきかもしれないが、精一杯抵抗を試みよう。
「ああ。分かったよ。ただし、食べ終わったら、きっちり説明してもらうからね」
「は~い♪」
嫌な予感しかしないんだけど。いや、いい予感なんて、一度でもあったか?
そんな俺の気も知れずに、芽依さんはシャツを脱いで水色のワンピースに着替えていた。
着替える瞬間、芽依さんは下着姿になっていたけど、俺は芽依さんから目を離すことが出来なかった。
見てはいけないということは分かっていたけど、どうしても目が釘付けになってしまっていた。
だって、あんまりにも綺麗だったから。
まるで、妖精のように。
芽依さんが服を着た時、髪の毛をバサア~と広げるような仕草も、とても絵になっていた。
こんな時でも、俺は芽依さんに見惚れてしまうようだ。
だって、本当に映画とかドラマに出てくるような、女優さんの仕草みたいなんだよ。
仕方が無いだろう?
って、俺は誰に言い訳している?
ああ、自分に言い訳しているのか。
そうなると、もう俺もおしまいだな。
素直になろう。芽依さんは、綺麗なんだと。
だからこそ、俺みたいな野暮なおっさんと、こんな場所に一緒に居ていい訳はないはず。
俺は益々、確信した。
だからといって、俺に何が出来るのだろうか?
いずれ、答えを出す日が来るだろう。
その時までは、この瞬間を大事にしたいと、俺は思う。
そう、もうこれは執着なんだろう。
俺と芽依さんは、また本館に向かった。
これだと、雨の日はどうするんだ?いちいち外に出るなんて、不便じゃないかな?
でも、移動するときに見えた江ノ島の夜景は、本当にキレイだ。
「しろくまさん!綺麗ですね。私をこんな素敵な場所に連れてきてくれて、ありがとうございます!本当に嬉しいです!いい思い出になります!」
「え?」
いつ俺が、芽依さんをここに連れてきた?
俺がここに、ほぼ無理やりというか、騙されてここにきたんじゃないの?
まあ、楽しかったことは事実だけどさ。
俺が抵抗しなかったことは事実だけどさ、嘘はいかんよ、嘘は。
俺のそんな気持ちを無視して、芽依さんはスキップしながら本館に向かった。
というか、ディナーなのにこんなラフな格好でいいのか?
芽依さんのワンピース姿はまあいいとして、俺のこの真っ白なジャケットは、どう考えても芸人だろう。普通にアウトではないか?
だいたい、ドレスコードは無いのか?
ああ、無いのか。
実際、例の作務衣風館内着で食事をしている、カップルみたいなのもいたから。
とは言え、居心地が悪い。
「いらっしゃいませ。本日は、ようこそ当店にお越しくださいました。これが、本日のメニューで御座います」
「ああ、どうも」
何、本日のメニューって?明日のメニューとか、昨日のメニューとかもあるのかい?
タブレットで注文したいんだけど。
それで、猫型ロボットで料理を運んできてくれないかな?
いちいち給仕されると、かえって緊張するから。
俺さ、あのウエイトレスさん、苦手なんだよねえ。俺って活舌が悪いから、何度も聞き返されるし。
「こちらは、お飲み物のメニューで御座います」
「ああ、どうも」
どうしようかと思ったけど、メニューを見る限り、そんなに高くはない。もちろん、安くはない。
「お飲み物は、いかがしましょうか?」
「ええっと」
「お勧めの白ワインでお願いします」
おい?君はまだ十代だろう?
「ええっと、ノンアルコールワインはありますか?」
「ええ、ご用意して御座います」
「じゃ、それで」
「はい、かしこまりました」
給仕というか、執事っぽいダンディなおじさんは、メニューを受け取りと颯爽と下がって行った。
「しろくまさん!」
「はい?」
何だろうか、怒っているような?
「私、ワイン飲みたいです!」
「子供には、まだ早いです」
「私、18歳です!成人です!大人です!子供も産めます!」
その最後の、いらんだろう。面倒だなあ。
ここは、常識で行こう。
「はい、アウトですよ」
「どうしてですか?女性は、お酒を飲むなですか?」
「いいえ、違いますよ」
「じゃ、なんでですか?」
「お酒は二十歳になってからっていう、そんな広告を見たことはありませんか?」
「・・・・・」
お?無言になった。いいぞ。
「という訳で、ノンアルコールワインで我慢しなさい」
「しろくまさんって、真面目。ちょっとぐらい、いいじゃないですか?」
「はい、大人とは真面目なものです。ちょっとが、道を踏み外すモノなんです」
芽依さんが、ちょっとすねたようだ。それはそれで、愛らしいと思う。
でもそのほんのちょっとが、僅かな過ちが道を踏み外すことになり、しかも元に戻れなくなる。
そう、あの時はそれに気が付かなかった。
あの子は普通にお酒を注文していたし、飲酒する姿があまりにも自然だったから。
まさか、16歳とは思わなかった。でも、今から考えると、どこかに幼さがあった。
ただ、俺はよく見ていなかったと、そういうことだろう。
今のように。
そう言えば、あの子は今頃どうしているんだろうか?
まあ、二度と会うこともないんだろうけど。
「お待たせしました」
給仕というか、執事さんがワイン一式をワゴンに載せて持ってきた。
なんというか、ちょっと大仰な気もするけど。
でも、芽依さんの機嫌がよくなったようだ。目がキラキラしている。
執事さんは氷の入った容器からワインボトルを取り出し、流れるように慣れた手つきでワインの瓶をさっと拭き、コルクを開けた。
何と言うか、見惚れるなあ。実にスマートだ。
そしてどうしてか、俺のワイングラスに注いだ。
あれ?レディファーストではないのか?
「では、お試しを」
ああ、味見ね。
だいたい、ノンアルコールワインに味見もクソもあるか?
そう思ったが、雰囲気を壊すほど、俺だって無粋じゃない。芽依さんが、ワクワクしながらこっちを見ているからだ。
緊張するから、そんな目で見ないでくれるかな?
俺はグラスを軽く回し、ワインを口に含んだ。正式な作法は知らないが、確かこんな感じだったような。
「え?美味しい」
嘘みたいに美味しい。以前、ノンアルコール飲料が進化したと聞いたけど、こんなにとは思わなかった。前飲んだ時、まずかったからだ。
正直、ノンアルコール飲料を馬鹿にしていた。
執事さんは芽依さんのグラスにワインを注ぐけど、芽依さんはその様を凝視していた。
もしかして、初めての体験かな?
こういう芽依さんも、ちょっと新鮮だった。
こうして、江ノ島の夜は更けていくのだった。




