第十六話 しろくまさんと最終兵器
「しろくまさん!」
その呼び方にはもう慣れたけど、休日の雑踏でしかも大きな声で呼ばれると、やはりまだ恥ずかしい。
注目されるし。
それも、まずは俺を見て、それから芽依さんを見る。その後にまた俺を見るけど、その時はもう胡散臭い目で俺を見ているのだ。
何なんだ、この二人はと。
「声は小さくね。ここは、公共の場ですよ」
「は~い!」
まるで小学生のように、大きく手を上げているけど、君は女子高生だよね?可愛いけどさ。
まあ、分かればいい。
「しろくまさん!」
やっぱり、分かっていないようだ。
「ここにしましょう!」
俺と芽依さんは、いわゆるファストファッションの店にやって来た。
どうしてこうなったかと言えば、昨日のことだった。
「私、今晩ここにお泊りします!」
「却下」
「じゃあ、今日から一緒に暮らします!」
おい?
余計酷くなってるだろう?
「却下」
「しろくまさん、我儘です」
「すまんが、辞書でその我儘という言葉を調べてから言ってくれるかな?」
「調べたら、お泊りしてもいいですか!」
「却下」
「えええええ~」
なんというか、これ、いつ終わる?
というか、俺はどこで間違えた?
「そろそろ、帰ってくれないかな?」
「どうしてですか?私に何か、不満でもあるんですか?言って下さい、私ちゃんと直しますから」
不満だらけですと言ったら、この子はどんな顔をするんだろう?
言えないけど。
まるで見透かしたように俺を上目遣いで見るけど、俺も見返せばいい?
それとも、視線を外せばいい?
ああ、これはもう、どうしたらいいんでしょうか?
これって、どう答えてもアウトだよね?
「とにかく、もう帰りなさい。遅くなるよ」
「そうです、遅くなると危ないから、安全なしろくまさんのおうちにお泊りするんです!」
「私も男です、だからここは安全ではありませんよ」
あ?しまった!地雷を踏んだ。
「分かりました」
ああやっぱり、彼女はブラウスのボタンを外し始めた。
「あの~、その前に~、シャワー浴びてもいいですか?」
もじもじしながら言うな、可愛いだろう。
「家で浴びなさい」
「ええ?それじゃ、益々遅くなりますよ」
芽依さんは俺を咎めるようにキッとにらんだけど、それすらも可愛い。全然、怖くないから睨み方を練習しなさいと言いたいけど、それでも何だか不思議と怖い。
まんじゅう怖いって、こんな感じか?知らんけど。
「今からおうちに帰って、それからシャワーを浴びて、それからそれから、ええっと、とっておきの下着を身に着けて、ついでにお化粧もしてからここに来るなんて、私もう無理です!」
家でシャワーを浴びてから、うちに来いって、俺がいつ言った?
ねえ、いつ?
言ってないよね?もしかして、そう受け取れるように言ったか?
だいたい、乙女がそんなことをするか?そこにある、少女漫画を読んだらどうだ?そんなことなんか、一ページも書かれていないぞ。
書かれてないよね?
「だからしろくまさんのおうちで、私はシャワーを浴びます!私だって、乙女なんですから!」
乙女という言葉を、辞書で調べなさい。きっと、間違いに気が付くから。
いや、無理か。
「とにかく、家に帰りなさい。親御さんも心配しているから」
「ああ、大丈夫ですよ。あの人たちは」
うん?何だ?急に声のトーンが変わったけど?
分からんが、気になる。
気になるなら、質問だ。
「ひとつ質問だけど」
「ええっと、下着はピンクです!」
「真面目に聞いているんだけど?」
「私も真面目です。とっておきの勝負下着で、ここに来たんです!」
ああ、そうかい、そうかい。そりゃあ、良かったな。
それで、君は誰と勝負するって?俺か?知らんよ、そんなの。
他所でやってくれ。
俺はため息を、芽依さんに気付かれないように吐いた。
「君は」
芽依さんの目つきが、若干変わった感じがした。
「親御さんと何か、その、トラブルでも抱えているのかな?」
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
更に声のトーンが落ちたし、若干警戒している。
「なんとなくだよ」
「話したくありません」
ビンゴのようだ。いつもの、あのはしゃぎっぷりが鳴りをひそめた。ということは、何かあるということか?
それは、まずいことか?
「確認だけど、いいかな?」
「はい」
おお!いいぞ、芽依さんが俺を警戒し始めている。あの、芽依さんがだ。何ろう、嬉しいかも。
でもなんでだろう、天下の女子高生に警戒されて、俺は何で嬉しいんだ?
「芽依さんは、例えば親御さんに、何かされているのかな?」
返事なし。いつもなら、マシンガンのように喋るのに。
では、更に質問だ。
「帰りたくない理由って、家に帰ると何か問題が起きるということかな?」
「それはありません」
スパっと返ってきた。
うん、いいね。ゲームが成立しているようだ。会話は、こうでなくっちゃね。
よし、このまま主導権を取るぞ。
「では」
という前に、芽依さんが俺に抱き着いてきた。
「お、おい!」
胸がと言うか、ブラウスのボタンが外れたままだから、ブラジャーが丸見えなんだけど?花柄で確かに可愛いデザインで、これがいわゆる勝負下着と言う奴か。いやいや、違うだろう。
まずは、ブラウスのボタンを直しなさいと言うべきだったか。何を浮かれている、俺?
でも、芽依さんは俺を抱きしめてきた。力が弱いのに、不思議とどこか強くにだ。
俺は、振りほどくことが出来ない。
いや、出来たことは一度も無かったか。
「わたし!」
「うん」
また、だんまりだ。これじゃ、取り調べの刑事みたいだ。
「芽依さん?」
「あたま」
「うん?」
「頭を撫でてください。そうすれば、落ち着くと思います」
ああ、はいはい。
「お姫様の仰せのままに」
俺は、芽依さんの頭を撫でた。心なしか、彼女が震えていたからだ。
つくづく、安定しない子だ。年頃の子って、みんなこうなのか?
ああ、そうだ。思春期って、そういうものかもしれない。俺はどうだったか、もう覚えてないけど。
「家で何か、トラブルがあるのかな?」
普通に考えて、家出の理由はそれだろう。
「私、要らない子なんです」
なるほど、やはりビンゴか。子供の家出の理由は、だいたいが誤解とか勘違いとかからだが、深刻な事例もあるから一概に断定は出来ないけど。
後から実は思い込みではなかったなんて、そうあることではないけど、決して無いとは言えないからだ。
とはいうモノの、さて、どう返事したものか?
はいそうですと答えると、彼女は傷つくし、いやそんなことは無いよと言えば、やはり傷つくだろう。つまり、肯定も否定もアウトだ。
「しろくまさんも、私を見捨てるんですか?」
俺を見上げる彼女の目には、涙が溢れていた。
ああ、これはダメなパターンだ。いや、ダメでないパターンって、俺にあったか?
でも、どうにも出来ない。泣いている女子をどうすればいいかなんて、俺に分かるか!
はい、降参です。もう、どうにでもしてください。
いっそ、俺をどうにでもしてください。
でもどうして、俺は女の子の涙に弱いんだ?
涙は女の最終兵器と言うけど、何でこんなに威力があるんだ?
抵抗する気どころか、すべて俺のせいのような気がしてくるし、何とか宥めないといけないって、そう思ってしまう。
確かに、これは最終兵器だ。
女の最終兵器に敵う武器って、何かあるのかね?
俺は知らんよ。
もう、どうにでもなれ。
でも、誠実であらねば。
「見捨てるも何も無い。俺と芽依さんの関係は、一緒にお昼を食べるだけのそんな関係だよ。違うかい?」
「わたし、覚悟してきました!」
「それは、一方的と言うモノだよ?」
「じゃあ、私のこの気持ち、どうしたらいいんですか?」
ホント、どうしたらいいだろう?
「俺は君を知らない、君は俺を知らない。だから、まずは知るところから始めよう」
「オレ」
「へ?」
「さっきから、オレ、オレを連呼していますよ」
「あ?」
「やっぱりしろくまさんは、私のことが好き!」
「ちょ、ちょっと」
「しろくまさん!大好き!」
思いっきり、しかもギュッと抱き着かれたし、顔をすりすりしてきた。
芽依さんの髪の毛が揺れるたびに、いい匂いがするし。
その時の彼女の温もりと、どこかにある怯えが俺に伝わって、ちょっと気持ちがいいかもしれないし、それと同じだけ不安が伝染してきた。
この手を離してはいけないと、その時は何故かそう思った。
芽依さんの手が、とても冷たかったからだろうか。
この手の冷たさと、身体の熱さとのアンバランスさが、彼女の不安定ぶりを表しているのかもしれない。
「と、とにかく、離れて」
「いやです」
「お願いだから」
「じゃあ、まずはお友達からでいいです」
なんじゃそりゃ?まあ、夫婦だ妻だとか言うよりは、進歩したというべきか?
「分かったから。友達、友達ね。いいから、離れなさい」
「友達同士でも、ハグしますよ」
「それは同性の話し、俺と君は違うでしょう?」
「分かりました」
「分かってくれたかな?」
「はい、しろくまさんがシャイなところが」
ああ、もうなんでもいいから。はいはい、シャイ、しゃい、謝意、らっしゃいと、もうなんでもいいです。
「シャイで何でもいいから、とにかく離れて」
「あした」
「え?」
「明日、私とデートしてください」
「なんで?」
「お買い物に行きたいので、私と付き合ってください。お友達なら、別にいいですよね?」
ああ、そういうことだったのか。すべて演技か?いや、違うか。
どこまでが演技で、どこまでが本気かなんて、そんな明確な境界線は無いんだろう。
特に女子は、生まれながらにして女優とも言う。
逆に言えば、どこまでも本気であり、どこまでも演技になるし、それは真実と表裏一体なんだろう。
嘘も本気も、同一線上にあるんだろう。
これではいくら頑張っても、男は敵わない。
思春期の女子は、特にそうだろう。
そんな不安定な存在だからこそ、中身はまだ子供なんだ。
「ああ、もう好きにして」
すると、芽依さんは顔を上げ、いわゆるキス待ちの顔になった。
「あのさ、何してるの?」
「契約の証をください」
「すまん、何を言っているのか分からない」
「黙って、私にキスしてください。それで、契約成立です!」
俺はいったい、何の契約をさせられるんだ?壺でも買わされるのか?だったらさ、契約書ぐらい見せてくれ。読まないけど。ああ、クーリングオフの項目があるかどうかぐらいは、最低限確認はするけどさ。
「しろくまさん、早く!私だって、恥ずかしいんです!」
だったら、そんな恥ずかしいことを止めればいいのにという言葉に、もはや意味は無いか。
「分かったよ」
すると、芽依さんは目を閉じた。
俺は芽依さんの顔にゆっくりと近づき、額に口づけをした。
「ああ!しろくまさん卑怯!」
「これでいいのだ」
「ぶ~」
「だいたい、友達同士でキスなんかしません」
「え~、してる子いますよ?」
知らんよ、そんな文化。君はどこの国の人間だ?ここは、日本だ。日本は、お辞儀の国だよ。
「とにかく、これで精一杯」
「分かりました」
「分かってくれたようだね」
「キスしてもらうには、まだお互い分かり合わないといけないんですね」
前提がおかしいけど、時間は稼げたようだ。今は、それでヨシとしよう。
問題の先送りは、日本のお家芸だから。
「とにかく、もう遅いから帰りなさい」
「はい!」
「そこまで、送って行く」
「あ、大丈夫です!」
「しかしね」
「私のこと、そんなに心配してくれるんですか?」
「早く帰りなさい!」
「は~い」
芽依さんは、手を振りながら靴を履いていた。器用だと思うけど、その仕草が可愛いと思う。
「またあのおっきな樹の下で、待ち合わせです!10時ですよ?」
「ああ、分かったよ。10時ね」
「バイバ~イ!」
「はい、ばいばい」
「しろくまさん!ありがとう!」
また、投げキッスをしてきた。
さっきまでの様子を思うと、まるで二重人格のようだ。
俺にはよく分からんが、荒らしが去った後の部屋は、本当に静かになった。
彼女の座っていた座布団には、皺が残っていた。ブランケットは、不思議にきちんと畳んであった。
育ちは隠せないか。
そうは言っても、彼女の読みかけの本もそのままだったし、飲みかけのお茶もそのままだ。
まるで幻のようだったけど、彼女は幻では無かった。
俺はそれを確認するように、ひとつひとつ片付けて行った。
一つ片づけるたびに、何だか寂しい気持ちになるのは、俺がいよいよ芽依さんに依存しつつあるということかもしれない。
なんとかしないと。
でも、無駄な抵抗という奴かもしれない。
結局、終始彼女のペースだったし。
だったら、このままこの流れに乗るのも、悪くないかもしれない。




