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第十五話  しろくまさんと人の気持ち

 俺は取って置きの、スーツを着ることにした。

 髪も整えたし、髭も念入りに剃った。

 もしかしたら、これで最後かもしれないから。

 テレビに映るかもしれないなら、せめて格好だけは付けたい。

 革靴を履くと足が痛くなるから本当は嫌だけど、この痛みは社会人ならではの、通過儀礼なのだろう。

 この痛みは、ある意味で最初の痛みだろうから。

 これからたくさん経験する、痛みの第一歩なんだと思う。

 きっと、こんなモノじゃないと思う。

 えん罪について、もっとよく調べてからにすれば良かったかな。

 もう、遅い。


 俺は外に出る前に部屋を見回し、玄関から部屋に向かって頭を下げた。


「今まで、ありがとう」と。



 支度に手間取ったせいか、若干遅刻をしてしまった。

 まあ、今さら朝礼に出る必要も無いので、問題は無いだろうけど。

 どうせ、私物を引き取ってそのまま帰るだけだし。

 もしかしたら、そのまま警察に連行されるかもしれないから。



 同僚の前でそんなみっともない姿を晒すのは、ちょっと嫌だなあと思う。



「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 俺はまっすぐ所長室に出向き、辞表を提出した。ちょっと、芝居がかった感じで。

「あ?ああ、預かっておくよ」

 何だろう、ちょっと様子が変だ。

「ところで、あの子はどうなりましたか?見つかりましたか?」

「ああ、そうそう。うん、そうなんだよ」

「ええっと?」

「ああ、まあ、君のね、うん、気にしないようにね」

 この様子だと、彼女は見つかったようだな。とりあえずは、俺は安堵した。

「それで、彼女はどこで保護されたんですか?」

「保護だなんて、君は大げさだなあ。城田君、ドラマの見過ぎじゃないか?」

「所長、冗談なら後にしてもらえませんか?昨日、警察云々と、私におっしゃったではありませんか?」

「ああ、それそれ。それはあの子のご両親が勝手に言っていただけでね、私はもちろん、君を信じていたよ」

 ああ、なるほど。ここにきて、今さら保身に走る訳か。タチが悪い。いや、こういう奴が、出世するんだろう。

 うまく立ち回る奴が、総取りするんだ。

 だったら、こっちは遠慮する必要は無いな。辞表も出したし。

「私には、知る権利があります。昨夜はこのことで散々思い悩み、一睡もしていません」

「ああ、それなら早退の許可を出すよ。今日はもう帰っていいよ、身体を休めたまえ」

「所長、はっきりおっしゃってください。結局、何があったんですか?」

「いやあ、実は私もよく分からんのだよ。とにかく、この件は終わり。帰らないのなら、業務に付いてください」

「分かりましたが、一つだけ確認させてください」

「何ですか?」

「私は誘拐の犯人では無かったで、いいですよね?」

「もちろんだよ、私だって、最初から君を信じていたんだから」

 よく言うよ。俺をトカゲの尻尾のように、切り捨てようとした癖に。

「そうですか、分かりました」

 所長は明らかに、安堵していた。

「では、この辞表届けは返していただきます。もう、必要ありませんよね?」

「ああ、もちろんだよ」

 俺は所長の机の上に放置してあった、辞表を回収した。所長が変なことに、使わないようにしないといけないからだ。

 俺の無実が、証明されたんだから。

 だったら、これ以上所長に気を使う必要はないはず。

「では、失礼します」

 俺は一礼して、所長室を後にした。俺が所長室を退出する一瞬だけど、所長は苦虫を噛み潰したよう顔をしていた。

 背を向けた俺を、睨んでいたようだ。俺に気付かれないように。


 別に俺が、留飲を下げた訳でもないのに。


 何なんだよ、一体?


 ホント、小さい男だ。

 

 

 俺は更衣室に向かい、いつもの作業着に着替えることにした。

「あれええ?城田さん珍しいっすね?」

「なにがだい?」

「だって、スーツ姿なんて、自分初めて見ましたよ」

「一応ね、社会人だからね」

「そうっすね。でも、あの子もあの子の親も、社会人失格っすよね」

「え?」

「だいたい、娘が彼氏と旅行に行ってたなんて、本当に人騒がせっすよね」

 旅行?彼氏?一体、何の話だ?

「そういえば、彼女はどうしたんだ?」

「え?もちろん、クビっすよ」

「ああ、そうだったね」

「そうっすよ。だって、あの子、普通に会社に来て、おみやげまで持ってきたんすから」

「おみやげ?」

「ああ、事務所にありますよ。温泉まんじゅう」

「そうなんだ。彼女、気が利くね?」

「本気っすか?」

「冗談だよ」

「そうっすよね。だいたい、無断欠勤した挙句、次の日に普通に出勤してくるなんて、さすがの自分も驚きましたよ」

 次の日って、今日のことか?もしかして、あの子はさっきまでここに居たのか?

「それで、クビになったのか?」

「違いますよ。所長やライン長が、色々と咎めたんすよ」

「へえ、あの二人にしては、珍しいね」

「ホント、あの子、ああ言えばこう言うって感じで、最後は逆切れしたんすから」

「逆切れ?」

「人権侵害だって」

「人権侵害って、それが通ると思っているのかな?」

「所長もさすがに呆れて、わざわざ雇用契約書を見せて、解雇の理由を説明したんすから」

「でも、君はよく知っているね」

「だって、自分らが居る目の前で、この騒ぎっすから。丁度、朝礼をする直前だった時なんすよ」

「なるほど。私ももっと、早く出勤してくれば良かった」

 支度に手間取ったことが、災いしたか。

「ホントっすよ。見モノでしたよ。ライン長なんて、もう顔を真っ赤にしていたし」

 問題はあの子の親だけど、恐らくは知らん顔をするだろう。

 まあ、でも無事で良かった。もし事件にでもなっていたら、俺は果たしてどうなっていたことか。

「本当に、人騒がせだな」

「ホントっすね。最低ですよね」

 ホント、どっちもどっちだ。


 そう、どっちもどっちだ。



 俺は気を取り直して、いつもの白い作業着に着替え、作業場に向かった。



「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 ライン長は目を合わさず、ただ挨拶を返しただけだった。俺を見た瞬間、明らかに狼狽えていたけど。

「ライン長」

「え?い、い、一体、何だね?」

 そうあからさまに動揺されると、むしろ同情してしまうじゃないか。

「昨日は、大変お騒がせしました。今後は、ああいった騒ぎに巻き込まれないように、留意したいと思います」

「ああ、そうだね。うん、気を付けなさい」

「それでライン長に、お願いがあります」

「え?あ、ええっと、な、なにかな?」

「今後、私に新人を付けないでください。男女関係なくです」

「あ、あ、あ、そう。うん、分かったよ」

「それでは、作業に入ります」

「ああ、頑張り給え」

 何が、頑張り給えだ。

 しかし、これで日常に戻った。いや、日常何てモノは最初から存在しないと、俺は理解した。

 日常とは人間に与えられた特権であって、俺のような存在に日常は存在しない。

 だって、俺は人ではないんだから。

 悪の象徴、アーリマンなんだから。


 だから、気を許してはいけない。


 またいつ、お前がやった、誘拐犯と言われるか、分からないからだ。


 だから俺はもう、若い子はもちろん、女性と関りを持つことをやめることにした。


 だって、俺は人間じゃないんだから。


 俺に、そんな権利は無いんだから。


 でも、俺はアーリマンですらない。


 俺は、悪を為した訳じゃないから。


 だったら、俺は何なんだ?





 誰か、教えてくれ。


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