第十二話 しろくまさんと過去のお話し
「娘を返して!」
「おい!あの子はまだ、16歳なんだぞ!」
「あんた、何をやってるんだ!」
「お前は、変態だ!」
「このロリコン!お前みたいな奴は、死刑になってしまえ!!」
「警察に通報してやる!」
「お前は終わりだ!」
「犯罪者め!」
時々、あの日の夢を見る。
フラッシュバックという奴らしいけど、俺のことを悪く言った奴らは、きっともう覚えていないだろうな。
覚えていないから、覚える必要が無いから、無責任に人を貶めることが出来るんだろう。
責任が無いから、ありとあらゆる罵声を浴びせる事が出来るんだ。
罵声を浴びせられる人の気持なんか、想像も出来ないだろう。
だから、いつまでもこういうのは無くならない。
これはそう、俺がまだ三十代中ごろの、今よりもずっとずっと若かった頃のことだった。
道を見失う前の、そんなどうしようもないぐらいの世間知らずの頃の出来事だった。
「こちらはアルバイトで入った子ですので、皆さん、面倒を見てあげてください」
若い女性だった。年齢はよく分からないけど、少なくとも、俺には未成年に見える。
でも、こんな職場に来るぐらいだから、実際はもっと上だろう。
あの若さは、ちょっと普通じゃないからだ。
本社から送られてくる女性社員だって、若手ではなく中堅どころのベテランが来るぐらいだから。
そもそも若い女の子のアルバイト先なら、ファミレスとかコンビニに行くだろうから。
これは、一種の先入観だった。
「ええっと、城田君」
「はい、所長」
「君が、彼女の面倒を見てあげてください」
「私がですか?」
「君のラインの担当になるから、よろしく頼むね」
「ああ、はい。分かりました」
やれやれ。こんな若い子の面倒を見るのは、ちょっとしんどそうだ。
ましてや、女の子はなおさらだ。
重いモノは持てないから、サポートは必要になる。
仕事が増えるということだ。
「あの~、しろたさんですか?」
「ああ、はい、そうです」
俺はネームプレートを指して、名前を教えた。
「これから、よろしくお願いします」
頭を深く下げる子は、基本的にいい子だと思う。
何も最初から、警戒することもないか。
その時までは、俺はそう思っていた。
まさか、あんなことになるなんて、その時の俺は想像だにしていなかった。
俺は彼女に、仕事を教えることとなった。なるべく、丁寧に指導した。きつい態度と見なされ、パワハラ扱いは御免だからだ。
会話には、特に気を付けた。
当たり障りのない、いわゆるビジネストークに徹した。
まあ、俺が話せる内容は、それぐらいなんだけど。
だからプライベートに関わることは、むしろ彼女の方から話してくれた。
でも、俺はせいぜい、へ~とか、ふ~んとしか返せなかった。
つくづく、俺はつまらない人間だと思った。
そんな彼女は特段、仕事の飲み込みが早い訳も無く、特に悪い訳でもない。いわゆる、普通の子だった。
ただ、彼女の仕草が、どこか可愛らしかった。
そんな彼女と一緒に居られるのが、俺にはちょっと不思議だった。
普段から、女っ気のない人生を送ってきたからか、若干の違和感があったから。
それでも何と言うか、気分は良かった。
若い女子に仕事を教えるのは、どこかやりがいがある。
俺は、仕事が楽しくなった。
俺は彼女の指導をするようになったけど、公私共にお付き合いする訳も無く、彼女のプライベートに関わる部分は、実はまったく分からなかった。
彼女が話すプライベートな部分には、なるべく踏み込まないように慎重にしていたからだ。
彼女は趣味でジムに通っていること、身体を動かすことが好きなこと以外は、まあ当たり障りのない会話をしていたけど、こっちから込み入った話をすることは無かった。
いつも、仕事に関する話しか、俺は彼女にしなかった。
もちろん、連絡先の交換なんて、ありえなかった。
何故なら、当時はLINEはもちろん、携帯電話だってまだそれほど普及していなかったからだ。
そんな時代の連絡先と言えば、今で言う固定電話になる。それはちょっと、ハードルが高かったし、そもそも必要性を感じていなかった。
そのせいか、俺は彼女のことが分からなかったし、俺に好意を持ってくれているのかさっぱり分からなかった。
年齢も知らなかったし、実は下の名前も知らなかった。
知ってても、下の名前で呼ぶことはないだろうけど。
歓迎会では彼女はアルコール類を平気で飲んでいたので、俺は彼女を成人と思い込んでいた。
むしろ、あまり飲まない俺に、もっと飲んでくださいよとお酒を勧めてくる始末だった。
「お酒、強いんだね」
「城田さんが弱いんですよぉ」
俺はビールだったけど、そんな彼女は焼酎のお湯割りを呑んでいた。
かなりの酒豪のようだ。
「そうだね。もう私は、ジンジャーエールにしておくよ」
「城田さん、おっしゃっれ~!」
なんというか、人懐っこいというか、彼女のちょっと意外な面が見れた。
バシバシ背中を叩かれたし。
酒癖が、悪い子なんだろうか。よく笑っていた。
あるいは普段のストレスを、アルコールで発散しているのかもしれない。
タバコも吸っていたし。
タバコを吸わない、あまり酒を呑まない俺には、正直、苦手な部類だった。
そういう面が見えてからか、俺は彼女に対する興味が、急速に減っていった。
ちょっと前まで、可愛らしい子だと思っていたけど、今はそうは思えなかった。
きっと、俺とは合わないだろうし、彼女もそうだろう。
彼女も、俺よりも他の奴と気が合っていたようだから。
実際、他の同僚と仲良く話していたから。
そんな時のことだった。
「城田君!君は何をした!一体、どう責任を取る気だ?」
「何の話ですか?」
「とぼけるのか?」
「ですから、いったい私が何をとぼけているとおっしゃっているんですか?」
よく分からないけど、所長が怒っていることだけはよく分かる。
抽象的な言い方では、要領を得ない。少なくとも、それでは上司失格だろうと思った。
事態を冷静に捉え、的確な指示を出してくれないと、現場は混乱するだけだ。
だいたい、出社早々朝礼もしないで、俺を捕まえていったい何なんだ?
「もう、いい!」
なんだ?
所長は、その場を後にした。
その場に取り残された俺は、諦めて自分の職場に向かった。
その俺の職場の空気が、どことなく悪かった。
ひそひそと俺を見ながら、何かを話している。
明らかに、俺の話しをしていた。
思い込みとかではなく、それは間違いないだろう。
所長といい、何かあったのだろうか?
どうしても、思い起こすことが出来ない。仕事で、何か致命的なミスをしたのだろうか?
いや、そもそもそんな致命的なミスが出来るような、俺はそんな部署には居ないからだ。
そうだとすると、一体なんなんだ?
いや、ミスならミスで、はっきりと言ってくるだろう。
むしろ、責任転嫁をしてくるはずだ。
そんなことを考えていた、その時だった。
ある同僚の女性社員が、俺に耳打ちしてきた。
俺よりもずっと年上の女性で、比較的面倒見がいい人なんだが、詮索好き、噂好きなのが玉に瑕な人だ。
俺のもっとも、苦手とするタイプだ。
「城田君、あの子、家に帰した方がいいですよ?」
「え?何を?」
「だから、城田君のお家に居るんですよね?」
「誰が?何の話し?」
「誤魔化さなくてもいいですよ。私は、城田君の味方ですから」
誤魔化す?味方?どういうこと?
すると、ライン長が俺を呼んだ。彼女と話の続きをしたかったけど、仕方がなかった。
俺は、ライン長の机の前まで出向いた。
「城田君。どうしてくれるんだ?」
「何をですか?」
ライン長は、ため息を吐いた。
「私がうまく話しを付けてあげるから、とにかく彼女を家に帰してあげなさい」
「ですから、一体何の話ですか?」
「あのさ、親心って、知ってる?」
「よく分かりません」
俺の知ってる親心と、ライン長のおっしゃっている親心は、恐らくは違うだろうから。
「なら、覚えておきなさい。私は君の為に、骨を折ると言っているんだ。だからとにかく、私の言う通りにしなさい。だいたい、彼女はまだ16歳だ。君みたいな中年男と、一緒に居ていい子ではないよ。年相応の相手を、見つけるべきだろう」
畳みこむように話していたけど、どういうことかよく分からない。
そもそも、誰が16歳だって?誰の話なんだ?いったい、何の話だ?
そもそも、情報が少なすぎる。
「君もいい年だから、結婚相手も欲しいんだろうけど、未成年を相手にするのは社会人としてはよくないと思うよ。それは、分かるよね?」
会社員ではなく社会人ということは、俺は淫行の疑いを掛けられているのか?
しかも、16歳の少女と。
とんだ人違いだ。
そんなの、俺は知らん。
「とは言え、部下が幸せになろうとするのを私は無下にはしたくないから、今はとにかく彼女を親元に帰すんだ。いいね?」
「だから、いったい何の話ですか」
ライン長がいらいらしてくるのが、見ていてよく分かる。
机をとんとんと、指で叩いているからだ。貧乏ゆすりもしているようだし、目も泳いでいる。
「いい加減にしろ!こっちが下出に出てりゃあ、付け上がりやがって!」
ライン長は机を叩きながら、立ち上がって俺を睨んできた。親心はどこに行った?ああ、最初からそんなものは、無かったということか。
分かっていたけどね。
「ライン長、落ち着いてください。一体、何の話ですか?」
「本当に最低だな。君はもしかして、ロリコンか?君は病気じゃないのか?」
正直、むっとしたけど、とにかく何が起きたのか、どうすればいいのか分からなかった。
情報が欲しい。とにかく、今はそれだ。それが欲しい。
これだと、下手な反論をしたら、藪蛇になりかねないと思う。
「ライン長、男と女の仲っすよ。野暮ってもんすよ」
若い同僚が割って入ってきたけど、話しが益々見えてこなかった。正直、話をややこしくするからやめて欲しいと、俺はそう思った。それならむしろ、状況説明して欲しいと思う。
「ねえ、城田さん。でもさ、相手は未成年なんだから、常識を持ちましょうよ」
「だから、何の話だ?」
「大丈夫っすよ。自分、城田さんの味方っすから」
まただ。親心とか味方とか、一体なんなんだ?
だいたい、そういうことを言う奴に限って、人の足を引っ張ろうと虎視眈々と狙っているようなものだ。
何かあれば、人を罠に嵌めようとするものだからだ。
俺は何度も、酷い目に遭ってきた。
しかし、それでも無下にすると敵に回るから、扱いが面倒なんだ。
敵にすると厄介な存在だが、味方にすると面倒な存在になる。
そんなことを考えていたら、内線電話が鳴った。
ライン長が受話器を取り、何か話しをしていた。電話に向かって、ペコペコ頭を下げていた。
滑稽だけど、意図は伝わった。状況は、最悪のフェーズに入ったんだろう。
俺にとって。
「城田君、第一会議室に来るようにと所長からだ。お話があるそうだ」
とても、暗い感じの伝達だったが、心なしかホッとしていたように見える。
「はい、分かりました」
ここまで誰も、何も俺に説明がない。
親心の欠片ぐらい、発揮してもいいと思うけどね。
「ああ。年貢の納め時っすね」
どういう意味だ?
若手の同僚の発言が気になったけど、俺はそのまま第一会議室に向かった。
今思うと、情報収集をもっとしてからにすれば、良かったと思った。
情報が無いということは、真っ暗闇の中を歩くようなモノだからだ。
「失礼します」
俺は、第一会議室の扉をノックした。
「どうぞ」
入室するとさっきまで会っていた所長の他に、中年の男女がそこに居た。
「あ、あなたね?」
いきなり、中年の女性に詰め寄られた。
あまりにも唐突だったので、俺はすっかり動揺してしまった。
「あの、何なんですか?」
「む、娘を帰して、お願いだから、私の子供を帰してください!」
この段階でも、俺には何の話か見当もつかなかった。
いや、薄々分かってきた。




