アルゴスの目
窓に何かがあたる音がして、シルヴィは目を覚ました。新しい職場、イデアを管理するカーウェル星へ昨日やってきたことを思い出す。昨晩は長時間の移動で体が疲れていたため、オレンジシュースしか喉を通らなかった。ユウたちには心配されたが、食後にすぐベッドへと潜り込めば大丈夫だとシルヴィは自分の体を知っていた。
カーウェルは、地球とよく似た環境だ。重力はわずかに軽く、大気も歩く程度なら息が苦しくない。ならば銀河から離れた辺境とはいえ、人類が移住してきてもおかしくなかったのだが、企業が買い上げ遊興の星としたのだ。
かつて、地球にあったラスベガスを模して作られた。その中で一番の目玉と言える賭事は、イデアの戦いだ。
大企業五社のイデアがトーナメント方式で年の半分を戦う。
シルヴィはベッドサイドの小机から眼鏡を取り出す。眼鏡越しに見る大地には、何か紙のようなものが無数にあるように見受けられた。強い風に巻かれて、窓に音をたてて当たっている。
「写真?」
紙には何かが印刷されてるようだったが、それは余りに小さくちぎれており、画像も不鮮明だった。
ベッドから降りて着替えをしていると、とつぜん放送が鳴り響いた。
緊急召集が時々あるからと、昨日ユウから聞いたような気がした。身支度もそこそこに格納庫へと向かう人々の流れと合流した。
昨日の格納庫まできたとき、シルヴィの足は止まり、なだれ込む人々の最後尾についた。
イデアのサフィールは、右腕が欠けた姿で昨日のように固定されていた。
「まただよ、また腕を落としてきた」
近くから呆れたようにつぶやく声がした。
サフィールの前にリフトに乗った老年の男性がいる。髪と同じグレーのツナギが板についている。どうやら現場の指揮官らしい。
サフィールは失った右腕はもとより、胴体部分のプラスチックスーツが横一文字に大きく裂け、血……赤い体液が流れ、顔も傷だらけだった。
シルヴィには、サフィールの姿はさらに恐ろしいものに見えた。
「換えの腕はあるさ、培養しているからすぐに付く。こいつのプログラムをいじった奴をこの場につれてこい」
「とっくに異動しました」と誰かが答えた。
「高給目的で志願した奴に限って、さっさといなくなるからねぇ」
シルヴィの隣にいつのまにか来たミランが腕組みをして皮肉げにつぶやく。
「新しいプログラマーは昨日到着しています」
ユウが手を挙げた。シルヴィは瞬間体をすくめたが、なんとか背筋を伸ばした。
「プログラム、修正します……できます。それとはべつなんですけど」
シルヴィは自分の喉あたりに手を当てた。
「このあたりとか、口のなかに細かい針のようなものが刺さっています」
工場長はイデアを見たが、振り返って肩をすくめた。
「おまえさん、アルゴスの目を持っているんだな」
居合わせたものたちから、さざ波のように小さな悲鳴やざわめきが起こった。
ユウもシルヴィを見て、かすかに目を見開いた。
「説明させていただけるのでしたら、少しだけ話をさせてください。アルゴスの目は眼鏡をかけている時だけ使えます。仕事の時以外は外しています。皆さんが不安に思われる個人情報等には接続できません。その点、ご理解いただければ」
「便利でいいやね。おれもあと何年かしたら、入れようと思っているよ」
工場長はリフトを下げて床に降りる。
シルヴィは、なんとか自然に笑おうとしたが、頬がひきつった。
アルゴスの目は、飛び交う電子情報を集約し、使用者の選択により必要な情報を見せてくれる。カメラの、通信の、それこそ保護されていない情報は見ようと思えば見れるのだ。今、シルヴィはすべてのチャンネルを開いている。集まった職員たちのバイタルを流し見していく。網膜を走るデータは、どれも呼吸数と心拍数の増加を伝えている。
アルゴスの目を使うためには脳外科手術を受けなければならない。身体への負担と高額であることもあり一般にはあまり広がっていない。
「なんでも見えるっていうんだろ、アルゴスの目は」
ミランがさもさも関心した、といったような声をあげる。シルヴィは、はっとして凝らしていた視界を切りかえた。
「でもおれのデータは見ちゃイヤん」
自分の肩を抱くようにして体をくねらせたミランに、みんながどっと笑う。苦笑半分の笑いを聞きながら、シルヴィは肩から力を抜いた。
「さあ、そうと分かったら王子様のメンテナンスだ。次の試合まで40時間もない。腕から行くぞ」
はい、という威勢の良い声が一つになって響いて、皆が各自の持ち場へと散らばってく。
「お嬢さん、プログラムしてくれ。少なくとも、腕を落とさないように」
言われてシルヴィはうなずいた。