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大学の研究の作業を進めながら、もう一つの画面にSNSや最北南の配信を投影していると、SNSのタイムラインで最北南の投稿が目についた。
『給湯器が壊れました! 風呂をキャンセルするか否かアンケートを取ります! #風呂キャンセル界隈』
疋田さんがヤバい界隈に足を踏み入れようとしている事に苦笑いが出てくる。
最北南のフォロワーにアンケートを取るようなので、俺は『風呂に入る』を選択して投票する。
案外、最北南のフォロワーは真面目で、風呂に入らせようとする人が7割を占めている。
これなら大丈夫そうだ、と思った次の瞬間、俺は直感的に嫌な予感を感じとる。
疋田さんは自分の部屋の風呂が使えない。よって、他の部屋に行って借りるか銭湯に行くことになる。
しかしあの疋田さんが一人で銭湯に行けるとは思えない。
つまり、借りるにせよ銭湯に行くにせよ、疋田さんは必ず俺の部屋に寄る事になる。
研究の作業の追い込みがあるため疋田さんと銭湯に行っている暇はない。
まぁ人間、一日くらい風呂に入らなくても余裕だろう。俺は投票結果を取り消して『風呂キャンセル』に投票し直した。
◆
『むむっ! 実に9割の方が風呂に入れと言ってくれているようです! 南極は寒いっすからね! 銭湯に行ってきます!』
そんな最北南の投稿が目に飛び込んで来る。投稿されたのはほんの数十秒前。
「……これは来るな」
俺は窓を開けて換気をして、疋田さんを迎え入れる準備を進める。
数分後、玄関チャイムが鳴った。
玄関に向かい、念のためにドアスコープから外を覗き込むと、シャンプーハットをかぶった疋田さんが風呂用具一式を持って立っていた。
俺は慌ててドアを開ける。
「疋田さん!?」
「おや、佐竹さん。そんなに慌ててどうしたんすか? そんなに私に会いたかったんすか?」
疋田さんはいつものような脱力した雰囲気でそう言う。
「玄関にシャンプーハットを被った人がいたら思わずドアを開けちゃうよね!?」
疋田さんは真顔で「変な人もいるもんすね」と言い何事もなかったかのようにシャンプーハットを取って部屋に入っていく。
俺は最北南が疋田さんだと知らない体なので、風呂道具を持って部屋にいきなり入られても状況を呑み込めないはずなのだが疋田さんはお構いなしだ。
「ひ、疋田さん? それは何?」
「お風呂道具一式です。実は給湯器が壊れてしまいまして……佐竹さんのお部屋のお風呂を貸していただけないかと」
「あ、う、うん……いいけど……銭湯は?」
思わず聞いてしまったが最北南のSNSを見ていたと感づかれはしないだろうか。
「銭湯? 行かないっすよ?」
疋田さんはポカンとした表情で首を傾げる。
最北南の投稿と俺の発言は一切紐づいていない様子。相変わらず俺のポカは疋田さんの天然具合に助けられてバレずにいる。
俺がソワソワしているのを見た疋田さんは「佐竹さん」と呼び掛けてくる。
「な、何?」
「別に一日くらい風呂に入らなくても良いんじゃないか、と思っていませんか? これは厳正な調査によって『入るべき』と確認されています。サンプル数は5000強。精度的にはもはや日本国民の総意と言っても良いかと」
「えぇと……母集団が一億二千万で信頼度が――」
本当か? と思いふとスマートフォンを手に適切なサンプルサイズの計算を始めてしまう。
「が、ガチ統計っすね……」
「あっ、ご、ごめん……とりあえずお風呂は使っていいから」
「ありがとうございます。一緒に入りますか?」
「入らないよ」
「うぃっす」
疋田さんは際どいジョークをかますと、敬礼をして風呂場へと消えていった。
◆
「ふぃー、佐竹さん、ありがとうございました」
風呂上りの疋田さんがタオルで髪の毛を拭きながら部屋に入ってきた。作業に集中していて最北南の配信アーカイブの再生を止めたまま開きっぱなしだった事に気付き、慌ててブラウザを閉じる。
「む、エロいサイトでも見ていましたか?」
疋田さんが俺の真横に来てPCの画面をのぞき込む。自前のシャンプーなのかふわっといい匂いがして妙にドキドキしてしまう。
「あー……う、うんうん! そうだよ!?」
最北南の配信を見ていたと言うのはリスキーなので、いっそエロサイトを見ていた事になってくれた方が良いと咄嗟に判断を下す。
「すみません、冗談にのっていただいたところ申し訳ないのですが、紳士的な佐竹さんが私が風呂に入っていてこちらに来るかもしれないという状況でエロいサイトを見ますかね……?」
疋田さんは突如として常識人になると、自分でかけたハシゴを外してくる。
首を傾げていた疋田さんの視線は俺のPCのモニターに釘付けになる。
「なっ……さ、ささささ、佐竹さん!?」
疋田さんは何かに気付き、アワアワし始める。
「ん? あ……」
配信サイトは閉じていたがSNSは開きっぱなし。更新が止まったSNSの画面では最北南の投稿が表示されていた。疋田さんの視線も最北南に注がれている事は明らか。いよいよこれはマズいかもしれない。
「こ、これは……えーと……だ、大学の研究で!」
「大学の研究……?」
疋田さんはポカンとした表情をみせる。
「そう! AIでVTuberを動かす研究をしていて! ひっ、疋田さんが推してるからこの人を参考にしてたんだ!」
「そ、そうだったんですか……」
疋田さんは俺の言葉を聞くと何故かがっくりと落ち込んでしまった。どうやら誤魔化せているようだ。
「疋田さん、どうしたの?」
「いえ……いずれは私もAIに代替されるのか、と思うといささか寂しい気持ちになりまして」
「あぁ……」
いやもうそれはVtuberをしている人じゃないと出てこない台詞なのよ。俺が招いた事とはいえ疋田さんも中々のガバガバ具合だ。
「ま、まぁ人間は人間。AIはAIだからね」
「二次元は二次元、三次元は三次元、みたいなもんすかね」
「エロサイトに引っ張られてない!?」
「そんなことないっすよ。さて、では風呂上りのビールでもいただきましょうかね。冷えてますか?」
「自分の部屋から持って来てくれる!?」
「後で補充しておきますから」
疋田さんは首にタオルをかけて冷蔵庫の方へ向かうと、缶ビールを2本持って戻ってきた。
「佐竹さんもどすか?」
疋田さんはニヤリと笑い、可愛らしく首を傾げてビールを差し出してきた。
「あー、まだ作業が……いや、飲みましょう」
断ろうかと思ったが、風呂上がりの疋田さんが可愛らしく誘ってきたのでついそんな返事をしてしまう。
プログラムを書いていたツールを終了して疋田さんからビールを受け取り、椅子から立ち上がって二人でローテーブルの前に並んで座り、プルタブを引いて乾杯をした。




