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最北南が子供向けのチャンネルを開設して一ヶ月が経った。
本チャンネル程ではないにしても、子供向けチャンネル界隈ではそれなりに認知度が上がってきたようで、チャンネル登録者も二十万人を超えてきた。
雫花の分析だと大きなお友達こと従来のファンが多いみたいだけど、新規もそれなりに見てくれているらしい。
今日はそんな子供達のアイドルである疋田さんと行き先も決めていないデートだ。
二人で手を繋ぎ、並んでマンションをエントランスを出たところでいきなり右腕が引っ張られた。
「あだっ!」
隣から間抜けな声がしたので顔を向けると、疋田さんがずっこけてしまっていた。コケる拍子に俺の腕を掴んだのだろう。
「だ……大丈夫?」
しゃがんで疋田さんの顔を覗き込む。
「だっ、大丈夫です! 突き指も骨折も心肺停止もしていませんから!」
結構な大事の心配までしているようだけど、何もないところでずっこけたのだからそんな大怪我をするとは思っていない。
「じゃ、立てる?」
先に立ち上がって手を伸ばすと、疋田さんは両手で掴んで「どっこいしょー!」という掛け声とともに立ち上がる。
「やれやれ……何もないところでこけるなんてまるで私がポンコツみたいじゃないですか。困っちゃいますね……」
「あ……うん……そうだね」
その件については何も言えない。
無言のままマンションを出ると、疋田さんの足は自然と公園のブランコに向かった。
特にどこへ行くと決めているわけでもないのでブランコに座るのもデートと言われれば反論はできない。
午前の公園は近隣の保育園からやってきた子供達で溢れかえっている。
なぜかブランコは不人気なようで、俺と疋田さんが座るのに抵抗を感じない程度には閑古鳥が鳴いていた。
「いやぁ……子供達はいいっすねぇ。何のプレッシャーもなくて」
「そうなのかな? 意外とあるのかもしれないよ」
「例えばなんすか?」
「親からのさ……ほら、他の子と比べて発育がどうだとか、話すのが遅いだとか」
「あー……ありそうですねぇ……」
無邪気に公園の敷地を走り回っている子供もいれば、大人しく隅っこで落ち葉拾いをしている子供もいる。
ブランコの近くに一人でいる子供を見ると、等間隔で赤い木の実をニヤニヤしながら並べているところだった。どことなく疋田さんと雰囲気が似ている。
同じ子を見ていた疋田さんと目が合う。
「どうにも彼とは遠からぬ因縁を感じてしまいますね」
疋田さんが意外と自分を客観視していたようで何よりだ。
その男の子は俺達と目が合うと木の実をほっぽりだして近寄ってくる。
「ぶらんこ!」
「ぶ……ブランコに乗りたいんですか?」
疋田さんは子供の扱いに慣れていないようで、恐る恐るブランコから降りる。
すると男の子は「ありがと!」と舌っ足らずな挨拶をしてブランコに座った。
「なんか、声似てる」
男の子は疋田さんをじっと見ながらそんなことを呟く。
「へっ……へ!? に、似てる?」
疋田さんが自分を指さして尋ねると、男の子は頷いた。
「みなみ! 似てる!」
どうやら純粋な子供の耳は騙せないらしい。というかほぼ配信と声が同じなので騙すも何もないのだけど。疋田さんが身バレをするほど部外者と絡んでいなかっただけだ。
なぜかブランコの周りには他にも子供が集まってきていた。
「この人、みなみに声が似てる! おねーさん、歌ってよぉ」
「みなみ! みなみ!」
「でも赤色の服着てたよ。この人真っ黒じゃん」
「お母さんが言ってたけど、あれは着ぐるみなんだってさ」
子供たちは口々に自分の考えを喋る。近くの保育園にも営業部隊が声をかけていたのか、最北南の名前がかなり浸透しているようだ。
当の疋田さんはあたふたしながら足元に集まってきた子供達に当たらないように逃げようとしている。
「なっ……何のことやら……」
チラチラと俺の方を見ながら誤魔化そうとしているので、俺は素知らぬ顔でブランコから立ち上がり疋田さんの手を引く。
「あっち行こっか」
「あぁ……はい!」
疋田さんを子供の集まりから引っ張り出したところで、保育園の先生が俺たちの方にやってきた。
「すみませぇん……子供たちが何かしませんでしたか?」
「いえ! 何もされていませんので!」
疋田さんは手をブンブンと振りながら先生から離れていく。
「せんせー、この人、みなみにそっくりじゃない?」
「みなみ? あぁ……蒼人君、あれは芸能人だからこんなところにいないんだよ」
先生は先生でちょっとだけ認識がズレていそうな気がしなくもないが、芸能人といえば芸能人なのだろうか。
しゃがんで子供を諭していた先生は会釈をして去っていく。
「あ……あははは……お、おかしな話っすよねぇ。声、そんな似てますか?」
疋田さんはロボットのようにカクカクと動きながらだみ声で尋ねてくる。
「似てるかどうかはわかんないけど……疋田さん、急に声が濁ったような……」
「そ、そうですか? 地声ですよ」
「地声可愛いところも好きなんだけどなぁ」
「ひっ……ほ、本当はこっちです」
疋田さんは顔を赤くして本物の地声に戻る。最北南と波形レベルで同じなのだけど、本人はそんなのは全く気にしていない様子だ。
「いや……しかし……これは点と点をつなげると分かるような……」
疋田さんは急にボソボソと独り言を言いながら顎に手を当てて何かを考え始める。
「佐竹さん!」
「えっ……あっ……はい」
「こっちです」
疋田さんに手を引かれて向かったのはマンションのエントランス。オートロックを開けて廊下に行くと、ある程度のところで立ち止まって回れ右をした。
二人で手を繋ぎ、そのままもう一度エントランスから出ていく。そして、またエントランスを出たところでいきなり右腕が引っ張られた。
「あだっ!」
隣から間抜けな声がしたので顔を向けると、疋田さんがずっこけてしまっていた。コケる拍子に俺の腕を掴んだのだろう。
あれ? ループしてる?
「ひ、疋田さん?」
「だっ、大丈夫です! 突き指も骨折も心肺停止もしていませんから!」
え? デジャブ?
「な……なんでさっきと同じことを……」
「さっき? はて、今しがた部屋から出たところですよね?」
疋田さんは腕時計を見せてくる。俺の時計と十分くらいズレて巻き戻っている。
あれ? もしかしてタイムリープした設定で公園のやり取りを無かったことにしようとしてる? 無理無理。絶対ムリだから。
「佐竹さん! 今日のデート楽しみです! 最初はどこに行きますか?」
疋田さんは笑顔で俺の腕に巻き付いてくる。
「いや……さすがにこれは……」
「『最初は』どこに行きますか?」
とんでもない圧が腕と心にかかってくる。腕をもぎ取られる前に話を合わせたほうが良さそうだ。デート中、どこかで気を失って十分の帳尻を合わせないといけないのだろう。
今日の疋田さんも平常運転。そろそろ身バレしてくれた方がいっそ楽なのに、なんて思ってしまうのだった。




