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3回目のデートの日、疋田さんからは自宅待機を命じられた。
家でソワソワしながら待っていると疋田さんが缶ビールを片手にやってきた。
「あれ……どっか行かないの?」
俺は着替えを済ませて万全の体制。どこかに行くと思っていたので疋田さんの格好に面食らう。
「今日は家でダラダラしようかと。あ、佐竹さん、私と付き合ってください」
「え……あ……うん……えっ!?」
唐突すぎない?
「では、これからは彼氏彼女ということでよろしくお願いいたします。乾杯」
疋田さんは俺に開けたばかりの缶ビールを渡すと、自分ももう一本を開けてコツンと乾杯をして飲み始めた。
「え……あ、あれ? 今日って……」
「今日は付き合う意思決定をする日です。既にその儀式は終わりました。後は楽しく飲みながら今後の話でもしましょう」
疋田さん、意外と釣った魚に餌をやらないタイプらしい。
「いや……もっとこう……ムードというか……なんだろう……」
「ま、ぶっちゃけこれまでと何かが変わるわけでもないですから。ラベル付が変わっただけっすよ」
「そうだけどさぁ……」
なんだろう、急に立場が逆転してしまった感がある。
「疋田さん、なんかあった?」
「何もないっすよ」
「じゃ……じゃあ……もうちょいデレ強めがいいかなぁ……なんちゃって……」
控えめにリクエストすると、疋田さんはニヤリと笑って俺の隣にやってくる。
「仕方ないっすねぇ」
疋田さんは体を密着させて俺の肩に頭を載せてきた。こういうのでいいんだよ、こういうので。
◆
9期生の3Dモデルお披露目ライブはいよいよ明日に迫ってきた。
アプリチームもユーザーログインの入り口に問題がないか確認をしつつ、明日の問題発生時に備えた連絡体制の最終確認中。
休憩がてら誰もいない会議室でVRゴーグルをつけてEdgeSpaceに接続してみると、ちょうど最北南がステージに立ってリハーサルをしているところだった。
バーチャルの世界だが、大きなミラーボールが吊るされ、レインボーな配色のネオンがレトロな雰囲気を醸し出している。
それにしても相変わらずのゾンビダンスで苦笑いしてしまう。
「南さーん。ちょっと配信側の音響チェックするので待っててください」
「はいっす!」
スタッフの呼びかけに答えると最北南はその場でぷらぷらと円を描くように歩きだした。ライブ用に全身のモーションキャプチャをしてるのだろう。
ふとステージにいる最北南と目が合う。
一瞬固まった南は俺に向かって笑顔で手を振ってきた。
「佐竹さーん!」
俺のアバターの上に名前が表示されていたのだろう。
南の姿なのにいいの? とは思うが一応手を振り返す。
「あっ……さ、佐竹さんって誰でしょうねぇ……あはは……」
配信スタジオ側に誰かがいたのか、俺を知らない設定を遵守しないといけないと思い出したのか、南は変な誤魔化しを始めた。
明日のライブでは観客側からの声も届くようになっている。人数に応じてマックスの音量を調整するようになっているらしいので一人しかいない今なら声は届くだろう。
「南さん、明日頑張ってくださいね」
「あっ……ありがとうございます!」
南は丁寧に頭を下げる。
「あのー……ちょっとミュートしてもらっていいですか? はい! 観客席だけ残してください」
南は明後日の方向を見て指示を出す。少しして「あーあー」と音声チェックをするとまた俺の方を向いてきた。
「佐竹さん」
「あ……はい」
「今、この会話は他の人には聞こえてないです。今私は佐竹さんの脳内に直接語りかけています」
バーチャルの世界とはいえステージの上から直接語りかけられている。脳内に直接ではないにしてもそれなりの没入感だ。
南は少し溜めてから話し始める。
「佐竹さんのお住まいの階下にはとんでもねぇ美少女が住んでいることかと思います。ご存知ですね?」
何がきっかけになったのかはわからないが、疋田さんはついに正体を明かす気になったらしい。
「あー……うん。自慢の彼女」
「なっ……なんと!?」
カウンターを食らった南は驚いた表情で俺を見てくる。この表情変化も俺の作ったツールのおかげ。最近は精度も向上してかなり自然に動くようになっている。
「それで……どうしたの?」
「実はですね、私がその疋田桃子なんですよ」
遂にこの日が来てしまった。デビューの日から知ってたけど、なんと言ったものか戸惑う。「知ってた」もなんか違う。「そうなの!?」とわざとらしく驚くのもなんか違う。
うん、決めた。
「えぇ!? 疋田さんが最北南なわけ無いでしょ。彼女はパソコンでちょちょいーっとやるバイトしてるって言ってたしさ。下の階に住んでいる引きこもり美少女が同じ会社でVTuberをやってるなんて、そんな偶然あるわけないよ」
南は一瞬だけ固まるとすぐに笑顔に戻る。
「あ……あはは……そうっ……すよねぇ……」
そもそも最北南の中の人が疋田さんじゃない別人だったとしたら疋田桃子なんて名前を知っているわけがない。
だから、これで俺が信じていないなんて話が通るわけない。
そのはずなのに疋田さんは俺の話をまるっと信じてしまったように見える。まぁ信じていないけど、そんな素振りを見せてるだけかもしれない。
「じゃ、帰ったら彼女さんをたくさん褒めてあげてくださいね。多分、今日もバイト頑張ってるはずですから」
「うん。分かったよ。仕事、戻るね」
そう言ってEdgeSpaceから切断する。
隠し事のストックはお互いに一つ。この隠し事が無くなったら別の隠し事が出来てしまいそうで、それが嫌に思えた。だからこれでいいのだろう。
最北南が引退してもうお互いに隠し事をするような必要がない関係性ができたとき、そのときにまだ付き合っていたら有照なんて人はいないんだよって教えてあげようと思ったのだった。
ありがとうございました。
以降は番外編として不定期更新です。




