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「……っし、出来たぁ……」
オフィスにある机の背もたれに思いっきり体重をかける。
開発用の環境でログイン機能とEdgeSpaceの接続が完了した。
いそいそとVRゴーグルや諸々の機材を会議室に持ち込んで動作確認に入る。
頭にVRゴーグルをつけて電源を入れると、デザイナーの人が気合を入れて作ったロゴの後にログイン処理中の画面が表示される。ストレスを感じないくらいの待ち時間でEdgeSpaceのホームが表示された。
開発中なのでまだ変な所はあるけれど、目の前にあるメインステージ上ではスタッフ用の入り口から入って動作確認をしている集団が目に入った。
「ちょ! イッカクさんのこれ滅茶苦茶エッチじゃないですか!?」
会場に響くのは最北南の声。ステージ上では10人くらいのタレントがわちゃわちゃと飛んだり跳ねたりしている。
「しっ、下から覗かないでよ! 変態!」
氷山イッカクが大声でキレている声がする。よく見ると、開脚したイッカクの足の間に最北南が寝そべっている様子が見えた。
ステージ上の大画面には最北南目線の映像が流れ始めた。水着を下から撮ったアングルは流石にアウトでしょうと思いながらその様子を眺める。
あれ、現実ではどうなっているのだろう。雫花がズボンを履いている事を祈りながらその様子を眺める。
遠巻きに眺めているとどうやら水着衣装の人がチラホラいることに気付く。まだ春すら来ていないのに夏のイベントの仕込みとは恐れ入る。
9期生の人はまだそこまで開発が進んでいないのか、全員がデフォルトのアバター衣装のままだ。
『一曲だけ流してみまーす!』
スタッフの天の声が聞こえる。9期生の面々がステージに並び、それ以外の人達は一瞬で客席側へ移動。
少しすると音楽が流れ始め、ステージ上で踊り始めた。一人だけゾンビがいるけれど、そういうものらしく誰も突っ込まない。
「お疲れ、有照ぃ」
いきなり真横から声がしたので驚いて隣を向くと氷山イッカクが俺の横にワープしてきていた。
「うわっ! びっくりした……」
「あ、ごめんね。色々機能が増えてきたから楽しくってさぁ」
「へぇ、何が出来るの?」
「ガチ恋同伴ライブ観戦」
そう言ってイッカクは更に俺との距離を詰めてくる。
前を向けば音楽ライブ、真横を向けば推しが笑顔で盛り上がっている姿が見られる、という事らしい。
「南のすぐ近くでも見れるらしいよ。行ってみる?」
「あー……大丈夫」
面白そうではあるけれど、真横で最北南のゾンビダンスに耐えられる気がしない。
「後はねぇ……何かゲームも出来るようにするんだってさ」
「ここで?」
「そ。リスナー参加型でシューティングゲームとか。ライブの演出にも使えるし。水鉄砲でバシュンバシュンッてさ」
「はぁ……」
3D空間の開発はほとんど中身を知らないので、なんともピンとこない世界だ。
「目玉はねぇ……これ!」
イッカクがそう言うとピコンと画面の端に招待通知が出てきた。わけも分からずそこを押すと、音楽が聞こえなくなり静かな別室へワープした。欧州貴族が住んでいそうな雰囲気の部屋にはシャンデリアや家具が飾られている。
「なっ……何ここ?」
イッカクはニッコリと笑いながら部屋の中をグルグルと歩き回っている。
「1on1グリーティング用の部屋だよ。要は……二人っきりでお話できるってわけ。あ! 佐竹ぇ、今どこから繋いでるの?」
「オフィスの会議室」
「じゃ、鍵閉めて待っててよ。すぐ戻るから!」
「あー……うん」
イッカクが離席する。
二人っきりで話せるのはチャンスだ。最近は忙しくてきちんと話す時間を取れなかった。
それにしてもこの部屋は雫花の趣味なのだろうか。
疋田さんが同じことをするとしたらとんでもない部屋にしそうな気がしてならない。あの人なら例のプールを再現するくらいならやりかねないだろう。
予約がスカスカな会議室の予約時間を目一杯伸ばして鍵を締めて立てこもる。ガラスの壁はスケスケなので外からは丸見えなのだけど、声が漏れなければ問題ないだろう。
少しするとイッカクのアバターがバタバタと動き始めた。
「おっ……お待たせ。どう? 聞こえる?」
ヘッドホンの右耳側から雫花の声がして耳がくすぐったくなる。
「きっ……聞こえる」
「良かったぁ! これ、なにか分かる?」
今度は左耳のすぐそばでネチャネチャとした音が聞こえてゾワゾワしてくる。
「なっ……何?」
「スライムだよ、スライムぅ」
スライムが雫花の手の中で形を変えているのが分かるくらいに音が鮮明だ。
「すごいね……マイクの性能?」
「そ。ASMR配信したいんだけどさぁ、配信サイトの規約だと高校生だからアウトなんだってさ」
「それは……エロに振るからじゃないの? 健全なやつはやったことあるでしょ」
「そうだけど……やってみたくない!? エロいやつ! 実験台になってよ!」
バーチャル空間上で個室に連れてこられた意味をやっと理解する。俺は今から、ここで氷山イッカクに耳を襲われるのだ。
いやいや! そういう事をしてる場合じゃない。仕事中だし、雫花にきちんと話をしないといけなかったのに。
「じっ……自社プラットフォームを悪用してるんじゃないかな?」
イッカクは何も言わずに俺を椅子に固定する。イッカクはそのまま俺の上に馬乗りになってきた。この人、水着衣装のままなんですけど!?
視覚的にはこれはもはやアダルトコンテンツなんじゃないかと思えてくる。
「ちょ……これはマズくない?」
「自社プラットフォーム、最高ぅ! ま、さすがにここまでは本番ではやらないよ。佐竹だからやれるんだ。私の配信テストを手伝うのも大事な仕事じゃない? リアルで出来ないこと、バーチャルでしようよぉ」
顔をとろんとさせてイッカクは微笑む。俺の作ったツール、いい仕事しすぎでしょう。流されたらダメなのは分かっているけれど「業務外です!」と強く跳ね返せない自分がいる。
「けっ……健全なやつなら……いいけど……」
イッカクはニヤリと笑うと顔を近づけて俺の右耳に顔を持ってくる。
「じゃあ……始めよっか。健全なやつ」
雫花が耳元で囁く。
雫花の声があまりに可愛すぎて、リアルでアウトなことはバーチャルでもアウトです! なんて真面目な事は言えなくなってしまったのだった。




