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疋田さんは一人でブランコに乗って待っていた。真っ黒な疋田さんは暗闇ではほとんど見えないので、相変わらず遠目で見るとひとりでにブランコが動いているようにしか見えない。
「こんばんは」
疋田さんに声をかけて隣のブランコに腰掛ける。
「あ……こんちゃっす」
疋田さんはブンブンとブランコを揺らしながら、こちらをチラとも見ずに返事をした。
「なんか余所余所しくない?」
「そうっすか? あんなナルシスト王子様ムーブかますような人にはこのくらいで丁度いいっすよ」
「お……王子様ムーブ?」
「あっ……あんな……いきなり抱きとめるなんて王子様しかしないっすよ! それか跡部様!」
「あぁ……ごめんね。でも危なかったからさ」
「それは……悪かったっすけど……いきなりエレベータで遭遇すると思ってなくて……私の脳内シミュレーションでは、先にコンビニに行ってイートインで夜食を食べて、それからブランコで待ち構えておく算段だったんすよ」
そういえば今日からは深夜の三時くらいになると言っていたのに二時過ぎには部屋から出てきている。先にコンビニで腹ごしらえをしてからブランコで待機する予定だったらしい。
「イートイン、この時間に空いてるの?」
「あれ? 空いてないんですか?」
「多分閉まってるんじゃないかな……」
「ま……まぁとにかく! 私は腹ペコなのですよ!」
「うーん……俺もお腹空いてきたなぁ……」
「ラーメン、行っちゃいます?」
疋田さんは中々に罪深い提案をしてくる。
「こんな時間に営業してるところあるの?」
「それがあるんっすよ! 朝の6時までやってる名店が! この近くに!」
ゴクリと生唾を飲む。こんな時間に美味しいラーメンを食べたらそのまま完徹コースは間違いない。
「奢りますよぉ? 財布、持って来てるんで」
「いいって。後で返すよ」
「お! それはつまり行くって事っすか!? ほらほら、佐竹さん! スタンダップ!」
疋田さんは立ち上がって俺の手を引く。
そのまま、疋田さんの案内でラーメン屋に向かうのだった。
◆
深夜のラーメン屋はガラガラで俺たち以外に客はいない。注文をすると、ほぼ麺の茹で時間だけがリードタイムでカウンターに置かれた。
「うぅん……これっすこれっす。太い縮れ麺に大量の背油……ほのかな柚子の香り……たまらんっす……」
疋田さんは湯気を思いっきり吸いこむと、レンゲでスープを一口含み、「あぁ……」と感動の声を漏らす。
「今日、遅かったんだね」
「あー……そうなんですよ。仕事で」
「例のあれ? パソコンでちょちょいーってやるやつ?」
「そっす! 中々大変そうで……」
「具体的に何が大変なの?」
疋田さんは言えない事でもあるように「アハハ……」と笑ってラーメンをすする。
「あ、それより見ました? 最北南の配信」
「ん? ちょっとだけね」
「人気投票、最下位だったっすよ……」
疋田さんはそう言って肩を落とす。
疋田さんが最北南の中の人であることはほぼ確定。自分の人気が同期デビューに劣っている現実をまざまざと見せつけられたのだから元気が無いのも仕方ないだろう。
とはいえ、あくまで推しとして好きな一般人という設定なので、それに合わせるしかない。
「残念だったね。でもその方が推し甲斐があるんじゃない? これからの伸びしろがたくさんって事でしょ」
疋田さんは下を向いてラーメンをズルズルとすすっている途中でピタッと止まり、そこで麺を噛み千切ってこっちを見てくる。
「そ、そうですよね! その発想は無かったっす! 結構ネガティブになってたので……」
「大丈夫だよ。あの人、面白そうだったし。最初って絵とちょっとのスピーチだけで決まるんでしょ? これからだよ、これから」
そう言ってラーメンをすすると、隣の疋田さんから音がしなくなる。びっくりして横を見ると、俯いて涙を流していた。
「うぅ……佐竹さん……ありがとっすよぉ! これからも悩みを聞いて欲しいっす!」
疋田さんは半べそをかきながら俺に抱き着いてくる。
「ちょ……分かった分かった! 聞くから離して!」
「はい! たくさん話すっす!」
「いや、そうじゃなくて……」
同音異義語のボケに突っ込むと、疋田さんは素で間違えていたようで、ポカンとしてしまった。
疋田さんは多分、結果に相当の自信があったのだろう。部屋の間取り的に家族と住んでいるとは思えないし、孤独に耐えながらあの結果を見たのだと思うと同情してしまいそうになる。
頑張れ、疋田さん。心の中で応援しか出来ない自分にもどかしさが募る。
「まぁ……ほんと、何でも相談してよ。大学の後輩って聞いたら他人だとは思えないし」
「うす! あざっす!」
疋田さんは後輩らしい挨拶と満面の笑みで――
「歯に海苔ついてるよ」
「わわ! はっず!」
やっぱり疋田さんは疋田さんだった。