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部屋に入るとベッドでは疋田さんが寝転んでいた。合鍵を持っているのでそれ自体に驚きはしない。
驚いたのは、部屋がきれいに片付けられていること。疋田さんは片付けられない人ではなく、片付けをしない人なのだと気づく。
「お、佐竹さん。おかえりなさい」
疋田さんはいつものように軽い調子で体を起き上がらせると、俺の首元を見てギョっとする。
「あ……さ、佐竹さん……それは……」
「へ!? あ……あぁ……その……も、貰い物」
「貰い物!? それ結構なブランドのやつですよね? そんな高級品を……しかもオジサンみたいな巻き方で……」
疋田さんは立ち上がると勢いよく俺のマフラーを掴み、タグを捜索する。
「ふむ……カシミヤ100%……この手触り……」
疋田さんは探偵のように俺のマフラーを調査し始めた。
やがて、調査結果が出たようで疋田さんは一歩引いて気を付けの姿勢をする。
「佐竹さん、今まで本当にすみませんでした。年上の彼女さんによろしくお伝えください」
疋田さんは一人で納得したようにそう言うと頭を下げる。
「え……えぇ!? な、なんのこと?」
「わかるっすよ。最近の佐竹さんからは女の匂いがしますもん。前に公園で会った時もイイ女がつけそうな香水の匂いがしていました。それにハイブランドのマフラーを渡してくるセンス。明らかに年上のイイ女の存在が匂います。丸の内で働いていますね。ランチはサラダとアボカドを好みますか? 上着はとりあえず袖に腕を通さずに羽織ってますね。やけにパーソナルカラーを気にしているくせに、会うたびにブルベかイエベか定まらなさそうです。あぁ、後大して興味もないくせに四年に一度はサッカー好きになりそうですね。オフサイドも知らないくせに、頬に国旗を描いてそうです」
やけに敵意が剥き出しになったオタク特有の早口。そういう人は大体、ツーブロックのジャケットピチピチ色黒商社マンと一緒にいるだろう。偏見だけど。
「いや……そんな人、いそうだけど……というかめちゃくちゃにディスってるけど本当にその人が彼女だったらどうするの?」
疋田さんは顎に手を当てて自分の口から出た言葉を再度検討。明らかにいき過ぎていたと分かったようで頭を下げた。
「言い過ぎました。彼女さんに謝罪します」
「うん。すぐ謝れてえらい」
疋田さんはペースを掴まれたくないのか、今度は洗面台のある方向や床を順番に指さしながらワタワタと話す。
「とっ……とにかく! この部屋、歯ブラシが二本ありますよね!? ところどころに男性にしては長い髪の毛も落ちている! それに私の私物の黒マフラーも置いてあります! おや……この毛の縮れ具合は……佐竹さんのですか?」
疋田さんは詰問中に机の上に落ちていた小指くらいの長さの毛を摘んで俺に見せてくる。多分俺の陰毛なのだろうけど、何故そこに。そしてそれらしきものと認識しているのに抵抗なく摘める疋田さんはやはり疋田さんだ。
「その毛は知らないけど……歯ブラシも長い髪も疋田さんのだよね……マフラーはイルミネーションを見に行った日に忘れていっただけだし……」
「えっ……えぇ、そうですとも。その……カマをかけたつもりでした」
「あ、そうなの?」
引っ掛かる要素が皆無過ぎる。部屋にある「女の匂い」がするものは全部疋田さんのものなのだから、心当たりのないものが出現したら俺だって怖くなる。
「いや……しかし……ありえません。私の想像する佐竹さんの彼女像は明らかに衣杜さんです。エロい雰囲気でハイブランドを好み、ゴージャスでいい匂いがする。実は二人は前から繋がっていた……? あ、ちなみにこの繋がっていたというのは身体の関係があった、という意味ではなく、交流があった、という意味です」
「あぁ……うん」
名探偵疋田はまた明後日の方向へ推理を展開する。
どうやら俺と小野寺さんが付き合っていると思っているらしい。状況証拠を並べたら、安東さんの香水の匂いがついていて、マフラーを雫花から貰ったなんて事実にはたどり着けないだろうから妥当な線ではあるけれど、外れは外れ。
「というか小野寺さんが想定彼女なんだとしたら、イエベだブルベだっていうのも結構なディスりになるような……」
「はっ……佐竹さん! 私は架空の彼女をディスっていただけで、衣杜さんのことはリスペクトしています。それとあの人はイエベ秋です。昨日だって散々――」
疋田さんは何かを言いかけて「あっ」と言いながら口を押さえる。やはり昨日のすっぽん鍋は小野寺さんの入れ知恵だったようだ。
「昨日?」
「とっ……とにかくこれ、返します。私のような下の階に住んでいるもやしキモオタクが自由に出入りしていたら……そのマフラーを渡してくれた女性に悪いですから。これまでありがとうございました。本当は昨日の非礼を改めてお詫びしたかったのですが、それ以上に……その……心へのダメージが……うっ……先を越されたぁ……」
疋田さんは過剰な自虐をしながら部屋の合鍵を机に置くと、大袈裟に胸を押さえてよろめく。
俺に彼女ではないにしてもいい感じの人がいると勘違いしているらしい。相変わらず勝手に早とちりして慌てていてなんとも疋田さんらしくはある。
確かに雫花の事はあるけれど、とりあえずは保留。現時点では彼女ではない。
「彼女なんていないよ。これは雫花から貰ったんだ」
「なっ……雫花センパイから!? クリスマスに……まぁ受験勉強もピークですもんねぇ。最後の追い込みですか」
「そ……そうそう!」
「なるほどぉ……」
よくよく考えると、VTuberの世界では大先輩ではあるけれども、年下の女子高生をセンパイと呼んでいるのも中々なガバガバ具合だ。
何にしてもこれで疋田さんの疑問は解消したはず。だが、まだ何かが引っ掛かっているようで、その場に立ち尽くしている。
「と……とりあえず座ったら?」
「いえ。結構です」
疋田さんは立ったままなので俺も座りづらい。
少しの間そうしていると、疋田さんは覚悟を決めたように一度深呼吸をした。
「佐竹さん。お伝えしたいことがあります」
雫花からもあった本日二度目のお伝えタイム。
「え……疋田さん、大学通うの?」
「違いますけど……何のことすか?」
「あぁ……いや、何でもないよ。どうぞ」
どうやら違うらしい。疋田さんのことなので何が来るのか全く読めない。
「私……佐竹さんのことが好きだったかと思われます。それでは。良いお年を」
ん? 今なんて言ったの? 好きだったかと思われる?
「え……ちょ!」
立ち去ろうとする疋田さんの手を掴んで引き止める。
好きです。これは分かりやすい。愛の告白だ。
好きだった。これも分かる。現在は好きではないけど、過去好きだったということ。
好きだったかと思われる。つまり、現在は好きではないけど過去好きだった、という事が定かではない、ということ。
つまりこれは告白でもなんでもなく、ただの報告だ。
過去に好きだったかもしれない、という報告。
でも、前世ですれ違ってたのかな? タイムリープしてる? なんて冗談を言える雰囲気ではない。
というか引き止めたのは俺。疋田さんは何も言わずに俺が口を開くのを待ってくれていた。
「あ……そ……その……どういうことか説明してくれる?」
バクバクと早鐘を打ち始めた心臓のペースに耐えながら言葉を絞り出したのだが、疋田さんはニッコリと笑って俺の質問を無視した。
俺の首からブランド物のマフラーを取ると、自分が忘れていった黒いマフラーを代わりに巻いてくれる。
首元をしっかり暖められるようにグルグルと巻いて、口元をマフラーで覆う疋田さんスタイルだ。
疋田さんは俺の口元を隠すようにマフラーを立てて調整する。
そして、マフラーを巻き終わると朗らかに笑い、俺のコートの袖を掴むと少しだけ背伸びをして顔を近づけてきた。
唇いっぱいに化学繊維のチクチクとした感触が広がる。カシミヤの感触とはまるで違っていて、年始の格付け特番でもこれくらい違いがあるなら俺でも正解できそうだ。
とても簡単な二択。だけど昨日だって簡単なはずだった二択を間違えた気がしてならないから、俺はその二択も外すのだろう。
疋田さんがキスをしてきたのはほんの一瞬で、すぐに俺から離れていった。
マフラー越しだからこれはノーカン。そう言いたげに疋田さんはウィンクをすると「来年もよろしくお願いします」と言って今度こそ部屋から出ていってしまった。俺の部屋の合鍵は机の上に置かれたまま。
さすがにこの流れで疋田さんの部屋に突撃する訳にもいかず、服もそのままマフラーもそのままでベッドに寝転ぶ。
疋田さんが長い事ベッドで寝転んでいたのか、マットレスはまだ暖かいし疋田さんの匂いがする。
ボーっと目的もなく携帯でSNSを開く。最北南の投稿したばかりのものが目に入った。
『世の中うまくいかないもので、少し遅いですがクリスマスプレゼントにはギアスが欲しいですね。皆を意のままに操りたい! (ひ)』
文言の前後に添えられているのはシロクマとペンギンの絵文字。
本当にそう。チャンスはあったのに何一つうまくいかない。
とにかく突っ走るシロクマと、とにかくビビッて氷床の上をバタバタしているペンギンは来年もつるつると滑る氷の上でぶつかり続けるのだろう。
そんな事を思いながら、疋田さんのマフラーに顔をこすりつけるのだった。
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