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性の6時間が始まった。要するに耐えればいいのだ。疋田さんも積極的にアプローチはしてこないし、ただ拒まないだけという条件。
だから、俺が耐えれば何事もなくキリストの生誕を祝える。
そう言い聞かせながらすっぽん鍋を食べ始めて少しするとやけに心臓がバクバクし始めた。
鍋から立ち上る蒸気は乾燥しがちな冬場の部屋の湿度を高め、より俺たちの身体を暖めてくれる。
「意外とうまいっすね……リハーサルのときより美味しくできましたよ」
「り……リハーサルしたの?」
「えぇ。すっぽん鍋セットを2セット買いました」
こういうところはマメで好感が持てる。
「あ、ふるさと納税ですから懐は大して痛んでいません。安心してください」
「あ……うん。ありがとう」
それにしても疋田さんが分からなさすぎる。確かに仲は良いし、付き合っていてもおかしくない距離感ではある。だけど、順番があるんじゃないか。
「そういえばクリスマシーといえば陽気な音楽がつきものでしーよね」
疋田さんはそう言って俺の部屋にあるスピーカーに接続。音楽を流し始める。流れ出したのは『ABC』。かのMJも所属していたグループの超有名曲。
ん? ABC?
「クリスマスとは関係ないかな……」
「ええ、そうでしーね」
そう言いながら疋田さんは手でCの形を作っているが、俺から見ると逆でɔに見える。
A、B、C。
さっきからサ行の発音が変だし、疋田さんはやっぱりCを狙っているんじゃないだろうか。
いやでも分からん。これで実際に押し倒してみて「同意が無かった!」と言われたらアウトだ。慎重にならなければ。
いつもなら雫花に相談できるのだけど、さすがにこの手の話題は相談しづらい。
もう少し経験が豊富そうな小野寺さんに助けを求めることにした。今は昼配信と夜配信の間の休憩中なので多分大丈夫だろう。
『クリスマスに家ですっぽん鍋を作ってジャクソン5のABCを流す女の子って何がしたいんでしょうか?』
少しして返事が来る。
『(笑)』
『いや、ガチですから』
『すっぽん鍋はすっぽんぽんで食べてるの?』
小野寺さんのこの話を聞く気がない感じ、完全にグルだ。というか疋田さんがいきなりこんな積極的なことを思いつくはずがないし、小野寺さんあたりが吹き込んだと考えるのが自然だろう。
小野寺さんから更に追撃。
『素直になれない子が素直になれないなりにメッセージを伝えようとしてるんだからちゃんと向き合ってあげるんだよ』
良いことを言っている風だが、すっぽん鍋で伝えたいメッセージとは何なのだろう。貴方と合体したい? 百万年前から愛してる?
すっぽんの脚にかぶりついている疋田さんからそんなメッセージを受信。
今更だけど疋田さんは可愛い。それは初対面の時からそうだ。
だけど、疋田さんの中身はヤバい。それも初対面の時からそうだ。
中身のヤバさも受け入れてはいるつもりだけれど、どうしてもそこが足を引っ張り女の子として見られない部分でもあった。
それがこれまでの俺の疋田さんに対する気持ちだ。
だが仮に、万が一、億が一の確率で疋田さんと付き合うことになったとして、果たして疋田さんを性の対象として見られるのか、とふと疑問に思う。
今日はそれを確かめる良い機会なのかもしれないと思った。
これだけお膳立てされて疋田さんにムラムラできなかったら、それはもう良い友達でいるべきなのだろう。
折角なので、疋田さんには言わずに俺もそんな目標をこっそりと立てて性の6時間を過ごすことにする。
目の前では疋田さんが「ズズッ」と音を立てて汁を飲んでいる。そんな些細な生活音にも反応してしまうくらいには過敏になってきたようだ。
現在19時。残りは5時間。
◆
鍋を平らげた頃にはすっかり夜と言って差し支えない時間になっていた。
身体はポカポカしているし、確かに若干動悸が早い。疋田さんも暑くなってきたのか、頬が桃のように赤いしパーカーを脱いで手で扇いでいる。
これはひょっとするとひょっとするんじゃないかと1ビットくらい思い始めたところで疋田さんが俺の隣にやってきた。
「佐竹さん、暇っすねぇ」
「そ……そうだね」
「どうしたんすか? 今日はただの平日ですよ。クリスマスイブなんて我々のような極東に住まう非クリスチャンには関係のない話です」
「そ、それは当然だよねぇ!」
「というわけで映画でも見ましょうか」
そう言うといつもソシャゲをしているタブレットを取り出した。
ロックを解除すると出てきたのは同人誌販売サイトであるBLsiteのアプリ。ガッツリと最北南の18禁の同人誌の表紙が見えている。
「わぁぁあ! ハッキング! 乗っ取られました!」
疋田さんは裏垢と誤爆したアイドルのような下手糞な嘘を付きながらアプリを落とす。
20歳だから違法なことをしているわけじゃないし何の問題もないのだけど、最北南のエロ同人があることまず驚いたし、それを疋田さんはどんな顔をして読んでいるのだろうと興味すら湧いてくる。
「そっ……それより映画決めようか?」
「はっ……はい。これにしましょう」
速やかにアプリを立ち上げて疋田さんが選んだのはクリスマスがテーマの恋愛群像劇。トップに来ていたので単にオススメされたものを開いただけかもしれないが。
本来なら物凄く無難なチョイスなはずなのに、疋田さんがこれを選ぶと真冬に台風が来そうなくらいの異様さを感じてしまうのだった。
◆
映画を見終わると性の6時間は後三十分ほどになっていた。
何事もなく終われそうだ。すっぽん鍋が身体のあちこちの血流を良くしているのでさすがに無反応ではないけれど、理性は保てている。
後は身体の火照りを冷ましながら、日付を跨げば無事終了。そのはずなのに事態を動かそうとしたのは疋田さんだった。
「OK,Doodle。明かりを消してください」
AIにも敬語で話しかけるところはポイント高いっすよ、なんて言う間もなく部屋は真っ暗になる。
光源は、電源タップがアクティブになっていることを示す部分と、カーテンの隙間からの月明かりだけ。
少しだけ目が慣れてくると、隣で疋田さんは体育座りをして顔を伏せていた。
なんと声をかけたものか迷う。もしこれが疋田さん渾身の誘い方なのだとしたら、ここで手を出さないのは失礼になるし、イルミネーション跡部事件の比にならないトラウマになってもおかしくない。
かといって俺の勘違いだったらそれはそれでトラウマもの。
普段はズケズケと物を言うくせにこういう時はだんまりだから難しい。
判断に迷うので、とりあえず手を伸ばして頭をワシャワシャとやってみる。
「わっ!」
いきなりで驚いたのか、隣から可愛い声が出る。
手を離そうとしたのだが、疋田さんは両手を自分の頭に持ってきて、俺の腕を掴んで逃げられないようにしてきた。
「も……もう少しこれを……続けましょう。緊張が解れます」
「あぁ……うん」
体感時間だと一時間くらいはそのまま頭を撫で続けたはず。
だが一向にタイマーは鳴動しない。
「ど……どうすりゅ?」
緊張のあまり人生で一番キモいところから声が出てしまった気がするけれど、疋田さんは笑ってくれない。それどころか俺の腕を掴む手に力が入っていくばかり。
まだ疋田さんを性の対象として認識出来ているか確信は持てない。
だから、疋田さんの前に移動して、空いていた右手で疋田さんの顔を支えて起こす。
暗いけれど目が慣れてきているので十分に疋田さんの顔が見えた。暗くてもわかるくらいに顔は真っ赤。めちゃくちゃ可愛いしムラムラする。よし、いける。
「佐竹さん。その……いいっすよ……このまま……深呼吸しますから……三回目で……その……しましょう」
疋田さんは緊張しているのか囁き声でそう言うと、目を瞑って一度大きく息を吸い、吐く。
鼻息が俺の顔にかかると、途端にスッポンとニンニクとニラが挨拶をしてきた。その途端、ムラムラゲージが一気に下がる。
疋田さん、多分これはこんな大事な日に食す物ではなかったよ。
そんなことを考えていると、二度目の深呼吸。
ニンニクとニラを甲羅にくくりつけたスッポンが「アポポンアポポン」とノリノリで前後にステップを踏みながらまた顔を覗かせるが、今はそれどころではないので振り払う。
3回目。疋田さんが息を吸い始めたのでゆっくりと顔を近づける。
俺も息を吸うので二人の顔の間にある空気がとたんに薄くなる。
ピピピピピピ!
あと数センチのところでアラームが鳴る。疋田さん、真面目にアラームを設定していたのか。
疋田さんは我に返ったように俺の腕の間から抜け出て自分の携帯のアラームを止めに行った。
「あ……あはは……その……やっぱりまだ心の準備が……今日はこれにて! おやすみなさい! あ、片付けは明日やりますから! とりあえず鍋だけ持って帰ります!」
疋田さんは早口でそう言うと鍋を持ち、スマートスピーカーに「電気をつけてください」と言いながら去っていった。
残された俺は取皿に浮かぶ亀の甲羅を見つめてため息を吐く。
ヘタレすぎる……もっと早く決めておけば良かった……
ポジティブに考えれば疋田さんをエロい目で見られることが判明した。それだけでも収穫だと無理やり納得させて、布団に入るのだった。
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