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 『あんなところにいる』というのは、つまり身の丈に合わない、と感じているということ。えくすぷろぉらぁ、即ち安東さんの求める水準はそれほどまでに高いのだろう。


 俺も前の会社でインターンを始めた最初の頃にそう思った。周りは優秀な人ばかり。自分が一を理解する間に十を理解して五を実現している。そんな人に囲まれると必然的に劣等感に苛まれた。


 皆、人間の限界を越えていると感じた。エリート集団になにかの手違いで紛れ込んでしまった自分が、悪い意味でとても異質な存在に思えた。


 だけど、そんなところに身を置いていると、自分も気づけば一を理解する所要時間で五を理解するようになったし、次第に十を理解できるようになった。人間の限界を超えているように見えた人達は、皆ただの経験を積んだ人間だった。


 疋田さんだって同じ境遇のはず。一年で百万人登録が必達だなんて無茶苦茶にも思える目標が設定されているのに、その必達ラインを軽々と越えようとしている同期たち。そしてその人達は仲間といいつつも実質は競合。頼れる人が少ないのも事実。


 それに加え、全てが数値化されて、可視化されて、全世界に共有されている。


『君は同期の半分しか人気がない。きっちり半分。二分の一』


『それが君の実力』


 そんな風に、ただの数字の羅列が意思を持って、脅して、追いかけてくる。


 疋田さんだって覚悟はしていたはず。でもそれとこれは別。多分、他の人も以前に乗り越えたはずの壁。それを疋田さんも超えないといけないのだろう。


 壁を乗り越えるサポートをするのは雫花や有照の役割。じゃあ、佐竹は何をするのか?


 すぐ近くにある疋田さんの耳に向かって声をかけてあげたくなる。「大丈夫。すぐにデータ分析基盤を作って、雫花と打ち手を考えるから。一緒に頑張ろう。安東さんだって期待してる。クビなんてなるわけない」と。


 だが、それは有照としての役割。今はそんな声をかけることはできない。ただひたすら、ジクジクと傷んでいるであろう心を優しく覆うことしか、それしかできない。


 少しでも多くの傷を覆う事ができればと、自然と疋田さんを抱いている腕に力が入る。疋田さんも、数センチは空けていたであろう隙間を詰めて、俺に背中を預けて密着してくる。


 疋田さんの細い腕で隠れている顔は見せてこないし、見る気もない。


「ずびばぜん……ひっく……ヘラヘラの実が……うぅ……」


 疋田さんは鼻声で謝ってくる。


「いいよいいよ。話したら楽になるんじゃない?」


「言えないっす……その……機密情報とかありますし……」


「ヘッドホンしてるよ。前のトイレみたいに」


「断線してますよ……あれ……」


「買い替えたんだ。だから好きなだけ独り言を言えばいいよ」


「はいっす……あざす……」


 疋田さんはヘッドホンと俺の枕を持ってきて、足の間に戻ってくる。


 ヘッドホンは買い替えていないので当然断線中。俺はここで聞いたことは口外しないし、そもそも知っている話だから聞いたところで何も変わらない。


 ヘッドホンをつけて、音漏れするように大音量で音楽を流しながら疋田さんの肩を突く。


「佐竹さん、聞こえますか?」


 片耳から聞こえているけれど無視。声が若干籠もっているのは、疋田さんが俺の枕に顔を埋めているからだろう。防音のつもりらしい。


「ようし……大丈夫か……」


 スゥーッと疋田さんが息を吸う音が微かに聞こえる。


「私だってやれることやってんだ! 素人で三十万人いたら十分だろ! いや、もっと増やせ自分! エロいASMRなんてやれんがな! 処女にエロ売りは出来ん! 無理なもんは無理じゃ! 5ちゃんにも好き放題書きやがって! 絵師ガチャ失敗とか言うな! 可愛いだろ! もっと頑張れ私! じゃないと絵師さんに失礼だろ! ヒキタの間抜け! バカ! もっと頑張れ!」


 エアコンを効かせるために締め切った部屋に響く絶叫。多分、疋田さんなりにセーブはしていたのだろうけど、ポテンシャルを感じさせる結構な声量だった。


 色々とまずいことを聞いてしまった気がするので記憶を消去。


 目を瞑って疋田さんが落ち着くのを待つ。


 少しして、ヘッドホンが取り外される感覚があったので目を開ける。枕で息もしづらい中で叫んだからか、疋田さんの頬は真っ赤だ。


「ふぅ……喉、痛いっす」


 若干のガラガラ声で裏返りながら疋田さんが言う。


「大丈夫?」


「え……えぇ。ちょっと叫んでたんすよ。ま、聞こえてなかったと思いますけど」


 疋田さんは真相を確認するようにチラッと俺の方を見てくる。


「そうだね。枕から振動だけ伝わってたよ。波長的には……マツケンサンバでも歌ってた?」


「正解っす!」


 欠片も面白くないであろうボケに疋田さんは全力で笑い、枕を脇に置く。


 不意に思い出したのは、アデリーのアカウントが炎上したときのこと。疋田さんはなんてことない風に笑い飛ばして包み込んでくれた。あと、惣菜の唐揚げをくれた。


「疋田さん、隣に来てよ。俺の左側」


「え……この体勢がいいんすよ」


「いいから」


 疋田さんは少し不満そうにしながらも、俺の左隣で壁にもたれかかる。


 左手を疋田さんの頭に持っていき、手を大きく開いて耳に当たるかどうかくらいの距離で動かす。片足を立てるのを忘れていたので慌ててそれも追加。前に疋田さんに指定された慰め方だ。


「お疲れ様」


 俺が明後日の方向を見ながらそう呟くと、疋田さんは俺の顔を掴んで無理やり自分の方に向ける。


「おっ……覚えてたんすか!?」


「そりゃね。そういえば……唐揚げ、ありがと」


 疋田さんは泣くのを堪えながら、ニッコリと笑う。だな、笑った拍子に堪えていた涙がまた目から溢れてきた。


「い……今じゃないっすよ。そういうのは翌日、会ったら最初に! すぐに! 言うもんです! まぁ……私も忘れてましたけど……映画が怖すぎて……」


「あはは……何か食べたいものある?」


 疋田さんはニヤニヤしながら下を向き、食べたいものを考えている様子。


 やがて、下を向いたまま「たこわさ」と呟いた。


「日本酒は?」


「飲みます!」


 惣菜の唐揚げに対して日本酒とたこわさは釣り合わないけど、金額どうこうじゃない。


 佐竹として出来ることはやろう、と思うのだった。

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