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「これ手土産です。どうぞ」


 定位置になりつつあるテーブルの前に座った疋田さんはリュックから缶ビールを取り出してテーブルに置いた。結露した水滴が滴っている。キンキンに冷えていて美味しそうだ。


「ありがと、いただくよ」


 疋田さんが二つ開けて片方を手渡してくるので、受け取り無言の乾杯。


「いやぁ……悪いっすねぇ。こんな夜分に」


「いつものことだしね。俺はやることあるから、適当にくつろいでてよ」


 二人共が昼夜逆転の夜行性なのは共通認識なので不満はない。明け方に寝るのも同じだろうし。


 パソコンの前に座ると、背後では「ぷはぁ〜」と疋田さんが酒を流し込む音だけが聞こえる。


 たまには疋田さんの存在を背後に感じながら作業をするのも悪くない。思いの外作業も捗ってしまった。


 ◆


 少ししてトイレに行きたくなってきた。椅子から立ち上がり部屋から廊下に繫がるドアを開けようとした瞬間、疋田さんが必死の形相で慌てて駆け寄ってくる。


「どっ……どこいくんすか!?」


「トイレだよ」


「ひっ……一人にしないでくださいよぉ……」


「えぇ……トイレもついてくるの?」


 疋田さんは小さく頷く。


「さすがにそれはキモいよ……」


「きっ……きもっ……佐竹さん!」


 疋田さんはショックを受けたように一瞬だけたじろいだが、すぐに正気を取り戻して立ち向かってくる。


「私は今日一人でいるのが怖いということは佐竹さんもご承知のはずです。つまり私がトイレについていこうとしているのもこの空間で一人になりたくないことが理由。キモいというのはもしかして私が排尿音フェチだとでも言いたいのですか? 私の性癖は至ってノーマルです。変態的な趣味嗜好は一切ありません!」


 カチン。屁理屈を並べ立てる疋田さんに少しだけイラッとする。ちょっとだけ懲らしめることにした。


「OK,Doodle。明かりを消して」


『はい。リビングの明かりを消します』


 途端に部屋が真っ暗になる。


「ひぃぃ! ちょ! うわわわ!」


 疋田さんはパニックになり俺に抱きついてくる。


「すっ……ずびばせんでしたぁ……分かってますよぉ……性癖がキモいって意味じゃなくて、この年になって子供の後追いみたいなことをしてるのがキモいって……でも怖いんすよぉ……」


「わ……悪かったって。OK,Doodle。明かりをつけて」


 パッと明かりがつく。俺の胸板に抱きついていた疋田さんは目を潤ませて俺を見上げてくる。


 小動物的な可愛さが出ていて、つい顔が赤くなる。


「ヘッドホンつけてくれたら……いいよ」


 疋田さんはニッコリと笑って俺が指さしたヘッドホンと自分の携帯を持ってくると、俺を追い抜いてトイレのドアの脇に座り込み、ヘッドホンを頭につけた。


「曲、何にしますか?」


 疋田さんが俺を見上げながら聞いてくる。


「なんでもいいよ……」


 トイレに入り便座に腰掛ける。ドアを閉めようとすると、疋田さんの腕が伸びてきて全閉を拒んだ。絵面だけならこの方がよっぽど恐怖体験だ。


「閉めないでくださいよぉ……同じ空間がいいっす……」


「はいはい。もう出すから音楽聞いといてね」


「はいっす!」


 ヘッドホンからは陽気なイントロが音漏れしだした。


 なんでトイレのドアを全開にして音漏れ音を聞きながら用を足しているのだろう。


 知恵袋に投稿しても誰も答えを持っていないであろう疑問に頭を悩ませる。


「おーい。疋田さーん」


 返事はない。きちんとヘッドホンをしているようだ。


「疋田ちゃーん」


 これも返事はない。


「桃子ちゃーん」


 ガタン、と音がする。


「聞こえてるんじゃん……やめてよ……」


「あ……あははは……」


 恥ずかしくなりながら水を流して廊下に出ると、疋田さんはヘッドホンを首にかけてこっちを見上げながら、両手をこすり合わせる。


「手、洗うんすよ」


「OK、Doodle――」


「わぁぁぁ! 冗談ですって! 佐竹さんはいつも清潔ですよね! 手を洗わない人だなんて思ってないっすからぁ!」


「ほんとそんな……ホラー映画見たくらいで……」


「だって怖いじゃないです――あれ? 私、ホラー映画を見たからって言いましたっけ?」


 マズイ。記憶をどれだけ辿っても疋田さんはそんなことを言っていない。疋田さんのゆるゆる加減につられてしまった。プロ意識を高くしていこうと決心したはずなのに。


「い……言ってたよ! うん、間違いないね。この耳で聞いたよ」


「そんな鬼の首を取ったようなテンションで言うことでもないっすけどね……」


「疋田さん、急に真人間に戻るよね」


「いつでも真人間ですよ」


 疋田さんは立ち上がると、少し背伸びをして首にかけたヘッドホンを俺の頭に装着してくる。


 流れるのは陽気なイントロ。音量も丁度いい。


「これ、いいね」


「そうっすよね? 私も今さっき初めて聞いたんすよ。トイレ、ついて行ってみるもんですよね」


 そんなきっかけがあってたまるものかと思いつつも苦笑いをして部屋に戻るのだった。


 ◆


 無言の空間が一時間くらい続いたところで疋田さんがスッと立ち上がる音がした。振り向くと廊下の方へ向かっている。


「トイレ?」


「そっす」


 さっきと同じように俺もヘッドホンと携帯を持って疋田さんについていく。


「え?」


 疋田さんは俺の行動が理解できないといった表情で俺を見てくる。


「え?」


 俺もわけが分からず聞き返す。


「ん?」


 疋田さんは首を傾げる。


「ん?」


 俺も首を傾げる。


「む?」


 疋田さんは口をすぼめて変顔をする。


「む?」


 俺も変顔をする。


「もしかして……ついてこようとしてます?」


「さっきそうしたじゃんか……」


「はっ……排尿音フェチ!?」


「そんなわけ無いでしょ!」


 疋田さんは顔をカァーと赤くしてそっぽを向く。


「いっ……いや……さすがに付き合ってもないのに……いや! 付き合っていたらなんでもリクエストに答えるわけではないですが……何にしてもいきなりスカ系はハードル高いっすよ……」


「きっ……記憶喪失になったの?」


 疋田さんならありえる、と思わせるところもまた恐怖だ。恐怖の根源である疋田さんは俺の反応を堪能すると、ニッコリと笑う。


「冗談すよ。ちなみにそのヘッドホン、片側断線してるんで普通に外の音聞こえますよ」


「えぇ!? これ、壊れてるの!?」


「残念ですが……なのでさっきの……その……あ! 佐竹さん!」


 俺のトイレについてきたときのことを引き合いに出してモジモジしていた疋田さんは急に何かを思いついたように背筋を伸ばす。


「なっ……何かな?」


「『いってらっしゃい、桃子』と言ってくれませんか? 鼓膜が震えているうちは一人でも耐えられる気がしてきました」


「じゃあすぐ駄目になるじゃん……」


「そう言わずに! はい! どうぞ!」


 疋田さんはノリノリだが、俺はかなり恥ずかしい。疋田さんは疋田さんなのだから。


「も……桃子……いってらっしゃい」


「逆ですよ」


 細かい指摘にカチンとくる。人が勇気を出しているのも知らずに。


「もってらっしゃも、いいこ」


「『い』と『も』が入れ替わってますよ」


「もっもっこ、いてらしゃい」


「逆ですし促音だけ取り残されてますよ」


 いい加減遊ぶのも飽きてきたしネタも思いつかなくなってきたので疋田さんの目をじっと見る。


「いってらっしゃい、桃子」


 疋田さんは目をカッと開いて「ぐぅ」と銃撃を食らった人のような呻き声を出す。


「い……いってきます」


 トイレに行くだけなのにこの尺が必要になるのだから酔っ払いは面倒だ。


 面倒くさいけど、なぜか楽しい。


 そういえば雫花のことはすっと名前で呼べたのになぜ疋田さんのことは呼べないのだろう。


 疋田さんの背中を見送りながらそんなことを考えて――


「佐竹さん! やっぱりついてきてほしいっす! イヤホン、貸しますから! アナル型なんで音は聞こえないっすから!」


「カナル型ね……」


 これは恋ではない。断じて。


 こんな人にガチ恋なんてするわけがないと、改めて思ったのだった。

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