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 オフィスビルを出てからは無言で店まで移動。連れてこられたのは店の真ん中に大きなスピーカーが配置された喫茶店。店に入った瞬間から大きな音量でクラシック音楽が流れている。


「ここって――」


 雫花の指が俺の唇に触れる手前までやってきて止まる。


 店内の案内板には『名曲喫茶 お話はご遠慮ください』と書かれている。


 ここは、全身全霊で音楽を楽しむ店らしい。そのため会話は原則禁止。


 つまり、雫花に俺と話す気はまるでないということ。


 ハメられた、と思いながら仕方なく案内されたテーブルに座る。


 俺の向かいに座った雫花はニッコリと微笑み、テーブルに備え付けられた紙とペンを取って何やら書き始める。サラサラと書き終えた紙を俺に見せてきた。


『ここ、話せないから丁度いいんだ』


 俺もペンを取ってその下に書き込む。


『何が?』


『声、出さなくていいから』


 続けて雫花は携帯で何かを検索。出てきたのは見覚えのあるキャラクターの画像。だが、どこで見たのかは明確に思い出せない。


『ごめん……誰?』


 雫花は驚いた様子で目を見開き、名前を携帯に打ち込む。


 携帯の画面に写っていた文字列は、氷山イッカク。以前、最北南の配信に登場していたので見覚えがあったのだと気づく。


『あぁ……ブイね』


『これでも事務所の看板背負ってるんだけど……私もまだまだだね』


『というか、これ……全部スマホでやり取りすればよくない?』


『それだと趣がないでしょ』


 普段はキーボード入力、変換ばかりなので手書きをほとんどしない。何なら日本語よりプログラミング言語の方が使う頻度が高いくらいなので、漢字がすっと出てこなくなっていたことに気付かされる。『携帯』が出てこなくて『スマホ』と置き換えるくらいには重症だ。


『趣』を難なく書ける雫花はそんなことは一切ない様子。これが若さかと感心すらしてしまう。少しだけ雫花を試してみることにした。


『バラとチミモウリョウって書ける?』


 雫花はすぐにペンを走らせる。


『薔薇、魑魅魍魎』


『ヒンシュク』


『顰蹙』


 雫花はほのかにドヤ顔でペンを置く。間違いない。雫花は俺より頭が良い。


 遊びはここまでにして本題に戻る。


『身バレ防止のためにここに来たの?』


『そゆこと』


 雫花は書きながらもニッコリと微笑み頷く。


 このプロ意識、疋田さんにも見習って欲しいところだ。身バレ防止のために声を出さなくて良い場所を選び、しかも重要なことは紙には書いていない。徹底している。話す気がないなんて思ってしまった入店時の俺を殴りたいくらいだ。


 俺と話すとはいえ、見知らぬ男と密室で二人は危ない。かといってオープンな場所では声は出しづらい。雫花の言う『趣』も条件に加えるのならこの店は最適解に思えた。


『それで、成海さんを説得できるの? っていうか、両親なんだけどね。結局は』


『両親?』


『両親に頭が上がんないのよ、成海さん。初めて事業を立てた時からうちの両親に出資してもらってるの。それから家族ぐるみの付き合いってわけ』


『じゃあ両親の意向で大学に行かせたいってこと? 今って高校何年?』


 雫花は指を3本立てる。高校3年の夏。学力の程は分からないけれど、もし本人に行く気がないのだとしたら、試験勉強が間に合うかどうか怪しい。


『受験勉強は?』


『エスカレーターだからないよ』


「じゃあ行けばいいじゃん……」


 つい言葉が口から漏れる。テーブルの下で雫花が軽く足を蹴って注意してきたので手を立てて謝る。


『エスカレーターならいけばいいじゃん。お金の問題なの?』


『ううん。この会社、分かる?』


 スマホに表示されているのは大宝寺グループという会社のホームページ。


 大宝寺グループは日本有数の企業グループ。総合商社から製造業まで幅広く手掛けている。名字が一致していて、両親がベンチャー企業に出資している。大宝寺グループの関係者であることは明らかだ。


『蕎麦からミサイルまでの?』


『ブラジャーからミサイルまで、ね』


『それは会社じゃなくて映画だよ……』


 雫花はツッコミに満足したようで、頬杖をついて優しく微笑む。


『佐竹は大学生?』


『大学院。大学5年生みたいなもんだよ』


 実際は単純に数字が一つ増えただけではない世界の変わり方だったが、大学にすら興味ない雫花に大学院の話をしても意味は薄いだろうから詳細はカット。


『何を勉強してるの?』


『エクセルの使い方』


 また足元から雫花の軽い蹴りツッコミが飛んでくる。今度は膨らんだ頬付きだ。


『とりあえずさぁ、佐竹、今度パソコン教えてよ。色々大変だから。それと成海さんへの二重スパイになって欲しかったり』


『スパイは考えとくよ』


『じゃパソコンだけでいいよ。ここからは名曲のリスニングタイムね』


 雫花は鞄からジップロックを取り出すと今書いていた紙を全てそこに入れてきっちりと封をした。逆さにして落ちないかまで確認している様はまさにプロの鑑。


 続いて、雫花は鞄から文庫本を取り出すと一人の世界に入っていったのだった。

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