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翌日、Edgeのオフィスにやってきた。受付を済ませると速やかに社長室に通された。
社長室とはいうが、ガラス張りの部屋で外からは丸見え。ドアを開ける前から安東さんは俺を認識して手を振ってきて、椅子から立ち上がるとドアを開けて迎え入れてくれた。
「来てくれてありがと」
「いえ。こちらこそです」
「ささ、座って座って。今日中にはプレス出しちゃうから、早く契約書だけまとめちゃいましょう」
安東さんは俺を急かしながら書類の必要な箇所を指で示してくる。
「プレス……ですか?」
記入しながら尋ねると安東さんは力強く頷いた。
「そ。あのツール、無償公開するの」
「えぇ!? そうなんですか?」
俺個人から会社に移管されたからといってコストが無くなる訳ではない。法人なので割引が効いて多少は安くなるかもしれないけど、ツールの利用が広がれば月当たりの料金はもっと高くなる。
「えぇ、そうよ。今はあれ単体で儲けようなんてこれっぽっちも思ってないもの」
「あ……そうなんですか」
安東さんはニヤリと笑うと、マーカーペンを持ち、部屋に置かれているホワイトボードに点を2つ打つ。
「理由、当ててみて」
「理由……ですか」
「そうよ。言い換えるなら、五百万円をどこで回収するか、ね」
「ユーザー……VTuberに売って稼ぐって事ではないんですよね」
安東さんは「短期的には」と笑顔でヒントを出しながら俺にペンを渡してくる。
ここにきて入社試験だろうか。安東さんのキャラクターが緩いので緊張感も試されている感じもなくリラックスは出来る。
とりあえず思いつきで書き連ねることにした。
・ブランド向上→他の事務所より技術力があると有力な個人勢にアピールできる
・採用→エンジニアの採用にも力を入れているアピールになる。
ホワイトボードに一つ点を追加。
・今後の展望? プラットフォーム構築?
「うーん……こんなところですか?」
安東さんは腕組をして俺の板書を眺める。
その目つきは泥酔して肩を組んでくるオバサンではなく、経営者の鋭い目つきだ。
何度か首を傾げているのでヒヤヒヤしてくる。安東さんはそのまま無言で机に戻っていった。
「あはは……眼鏡かけるの忘れてた……なーんか見えづらいと思ってたのよねぇ」
机に置かれていた眼鏡をかけて再度ホワイトボードを眺める。コテコテなボケにこけそうになってしまった。
安東さんは今度は大きく頷いて俺を見てくる。
「うん、いい線いってるわね。短期的には、書いてくれた通り広告代わりにしたかったの。いいものを作っている人は速やかに拾い上げるってアピールね。求人サイトの広告を増やすよりお得だもの。これだけで五百万の価値はあるわ。炎上してくれてありがとうって言うのも変な話だけどね」
「なるほど……」
「後は長期的な効果ね」
安東さんはそう言って丸を3つ書く。その中には「個人勢」「他事務所」「ユーザー」と書いた。
まずは個人勢と他事務所に注目させるようにぐるぐる円を重ねる。
「タレントへのアピールもその通り。VTuberをやっている人は1万人とも2万人とも言われているわ。えくすぷろぉらぁに所属しているのはその中のたった100人程度。もちろん上澄みだけれどね。ま、これから淘汰はあるでしょうけど、優秀なタレントをどんどん囲い込みたいの」
「でも……表情管理ツールだけじゃ弱いですよね? あれくらいなら他所でも似たようなものを作れますし」
「そうね。もっと便利になるように拡充していく必要はある。でもいいものが作れたら最高よ。他事務所からしたら利用制限も簡単にできなくなる。例えば……うちの会社では検索エンジンはGoogle禁止、隣の似たことをやってる会社ではOKならどっちを選ぶ?」
「後者ですね」
機密情報保護の観点とかで禁止する会社はゼロではないだろうけど、個人的にはお断りだ。
「そうよね。それと同じ。いいツールが出来ている前提だけど、タレントから見た時に便利なものが使えない事務所とそれを開発していて自由に使える事務所、どっちがいいかしら? ってことね」
矢継ぎ早に話す安東さんは息継ぎを挟む。
「拡充した配信ツールを有料化して、他事務所や個人のタレントにも使ってもらえばツール単体のマネタイズができる。逆にその時、他事務所がうちのツールの利用を制限したら、不満が溜まって他所のタレントの引き抜きに繫がるかも。要は、他の事務所にとっては金を取るか人を取るかの二択になる。人が出てくれば最高ね。そこが広がらないと売上上がんないから」
安東さんは頭の中にある設計図を流暢に言語化するように淀みなく言葉を発する。
「中々ハードル高そうですね……」
「そりゃそうよ。だからやるの。独占しちゃえばこっちのもんなんだから。君のツールはその第一歩。他の事務所はマーケティングは強くても技術力がないところばかり。勝機はあるわ。とりあえずは実装済みの表情管理機能を綺麗に作り直しましょう。拡張はそれからね」
「それが僕の仕事ですか?」
「えぇ、そうよ。人もつけてチームでやるから安心して。後は……いきなり事務所の全員を対象にするとキツイから誰かと組んでスモールスタートしたいわね。横展開はそれから。そういえば最初に声を掛けたのは南なんだっけ? ファンなの?」
「あー……た、たまたまです」
「ふぅん……たまたまねぇ」
安東さんはさすがに簡単には信じてくれなさそうだ。こんな嘘を全員につき続けるのは不可能だし、疋田さんに正体がバレないことを最優先事項として、安東さんはこっち側に引き込んだほうが楽な気がしてきた。
「ま、誰と組むかは追々相談しましょうか」
安東さんはそう言って最後の円、「ユーザー」をぐるぐる円で強調する。
「ユーザー、要は視聴者ね。ま、なんで使ってもない一般人が必死に叩いてんのって話なんだけど……要は君を守るための話よ。何の後ろ盾もない個人なら皆も叩きやすいでしょうけど、これからはEdgeが前に出るわ。アデリーはうちの従業員。従業員への誹謗中傷は厳しく対処する。これだけでだいぶ変わるんじゃない? 問題のツールは無償公開なんだから火種もなくなるわけだし」
「あ……ありがとうございます。僕のことまで……」
効果の程は実際に動いてみないとなんともだが、良い方向の変化はありそうな打ち手に思える。
無償公開については納得できたので大きく頷くと安東さんは思い出したように「あ!」と言う。
「それと、もう一つ仕事を頼みたいの。えぇと――」
安東さんの目は俺の方を向いているが焦点があっていない。
振り向くと、ガラスの壁越しに一人の女の子が部屋を覗き込んでいた。安東さんは彼女と目を合わせていたようだ。
これまたとんでもない美少女。切れ長の目に浮かぶ光沢のある黒目が自然と視線を集める黒髪ロングの女の子。制服のような茶色いブレザーを着ているので高校生だろうか。
「やっほ、成海さん」
女の子は安東さんと仲が良いらしく、ゆるい挨拶とともに入室してくる。
「雫花。学校は終わったの?」
「終わったよ。隕石が落ちてきたから私だけ逃げ出してきたの」
「そりゃ大変だ。雫花、この人は佐竹君。大学生のインターン。佐竹君、この子は大宝寺雫花。もう一つのお仕事よ」
「仕事……ですか?」
わけもわからずオウム返しになってしまう。
「えぇ。この子の面倒を見てあげてほしいの」
「いやいや! そんなの要らないよ!」
雫花と呼ばれた女の子は首を横に振って断ろうとしてくる。
「要るわよ。VTuberで一生食べていけると思ってるの? 他のスキルだって要るの。せめて大学くらいは――」
「はいはい。またその話ね。私の話はまた今度するから。バイバーイ」
雫花は不機嫌そうにそう言って部屋から出ていく。
「佐竹君、追いかけて」
「へ? お、俺がですか?」
「そうよ。あの子を更生させるのが君のもう一つのタスク」
「でも……おれ……僕ってエンジニア採用ですよね?」
「契約書の職務内容のところ確認したの?(2)はその他。つまりこれもその他よ。とりあえず今日だけ! ね? まだ社内アカウントも出来てないし、メンバーとの顔合わせも来週からだし大してやることないでしょ?」
「はぁ……」
確認する暇もなくサインをさせられたのだけど、確認しなかったのは俺の落ち度。美人にゴリ押しされると断れない俺も俺だが。やることがないのもその通り。
仕方なく、オフィスの端まで逃げていく雫花を追いかけるのだった。
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