23
話し込んでしまい時間はあっという間に過ぎた。家の最寄り駅についた頃、入れ替わりで反対方向の終電が出発していた。
ショートカットのために公園を横切っていると、ブランコの背後に植えられた木に顔を近づけている疋田さんを見つけた。
全身黒で木にへばりついている様は不審者かゴキブリ。それかクワガタだ。
「ひ……疋田さん?」
「あっ……ちっす。お早いおかえりですね」
「もう終電の時間だけどね」
「皮肉っすよ」
疋田さんはそう言い放ち、俺を一瞥するとまた木に向き合う。なんだか機嫌が悪そうだ。
「何してるの?」
「セミの抜け殻を探してるんすよ」
安東さんとのハイコンテクストな会話に慣れきってしまっていたので忘れていた。この人には「何故セミの抜け殻探しをこんな夜中にしているのか?」と聞くべきだった。
「な……なんでセミの抜け殻を探しているの?」
「んー……イメトレです。サクサクフワフワカリッとしているものなので」
安東さんとの雑に成り立つ会話で忘れていた。疋田さんと話す時は5W1Hを誰よりも意識すべきだと。
「な……なんでこんな夜中に一人でイメトレのためにセミの抜け殻探しをしているの?」
疋田さんは一切俺の方を見ずに「暇つぶしです」とだけ返す。会話がどうにも噛み合わない。
「もしかして……怒ってる?」
疋田さんの動きがピタッと止まる。
「少々……ただ佐竹さんは関係ないっす。自分の不甲斐なさにイライラして……無になれることを探していたらセミの抜け殻を見つけまして。踏むと気持ちいいっすよ」
そう言って疋田さんが足元にあるセミの抜け殻を踏みつけるとシャリッと軽い音がする。相当溜まっているようだ。
「夕方、話せなくてごめんね」
「わっ……私が勝手におしかけただけですから……」
「あれ? たまたまあそこにいたんじゃなかったの?」
矛盾点を指摘された疋田さんはセミの鳴き声を真似ながら抜け殻を数個投げつけてきた。
「どうしたの……」
「いえ、図星をついてドヤ顔をしている佐竹さんが妙に癪に障りまして」
「荒ぶってるねぇ……」
「そういえば晩御飯は食べましたか?」
「あぁ……焼肉――」
そう言うと疋田さんは一気に距離を詰めて俺の胸元に顔を埋める。
「クンクン……本当ですね。いい焼肉屋でしたか? A5ランクの匂いがします」
「えぇ!? わかるの!?」
「冗談っすよ」
疋田さんは真顔でそう答えると首を傾げる。
「ん? なんか……いい匂いもしますね。これは香水……イイ女の匂いがします!」
俺から離れて目をこれでもかと開いて疋田さんは俺を見てくる。最後の方は安東さんも酒が入りベロベロに酔っていた。店を出たところで肩を組んで来たのでその時に匂いがついたのだろう。
「あぁ……これは……そのー……」
「んん? でもこの匂い、なんだか嗅いだことがあるような……」
疋田さんは動物的な勘の鋭さで何かを察しかける。
これはまずい。俺が安東さんと会ったことがバレるのは好ましくないのだから。
「ひっ、疋田さん! それよりも一緒にセミの抜け殻を集めない!?」
慌てて話題を逸らすと疋田さんは眼鏡をクイッと持ち上げて俺に人差し指の先端を向ける。
「怪しいですね……普通大学生にもなってセミの抜け殻を集めたがりますか? 何かを隠しているような……」
疋田さんは自分の奇行を棚に上げて常識的な思考を展開する。
「隠し事なんかないない! ないって!」
「いや……しかし……私達は別に付き合っているわけでもないですし、女性と食事に行ったところで隠し立てする必要はないような……他に隠していることが……いや、そもそもなぜ私はそんな事を気にして……別に佐竹さんが誰とどこに行こうが関係ないはずなのに……」
疋田さんは名探偵ばりの推理力で真実に近づいたり離れたりする。
「俺が疋田さんに隠し事なんてするわけないじゃんか。嘘を吐く理由もメリットもないよね? 電車で隣にいた人の香水が強かったからそのせいじゃないかな?」
「それも……そうですね。うん、なるほど」
疋田さんは視線の先をぐるっと一周させて思考を巡らせ、納得したように頷く。嘘を吐いているのは若干心が痛むも、これが最善なのだ。お互いの正体については知らない方が気楽に過ごせるのだから。
「佐竹さん、先程は八つ当たりをしてしまいすみませんでした」
今度は腰を直角に曲げて謝罪してくる。
「いいって! 謝らないでよ」
「その……こうなることを読んでいた訳ではないですが、冷蔵庫にささやかなプレゼントを置いておきました。お詫びの品として受け取ってください。その……部屋の鍵、開きっぱなしだったので……」
「あ……」
言われてみると、ドアを開けて疋田さんがいたことに気を取られ鍵を閉め忘れていたかもしれない。
「確かに……忘れてたかも……」
「はい。なので、これどうぞ。合鍵です」
疋田さんが渡してきたのは確かにマンションの鍵だ。玄関ドアの内側に貼り付けているフックに合鍵をかけているので、それがこの鍵だろう。
「なんで疋田さんが持ってるの……」
「ささやかなプレゼントを置くために侵入したのですが、そのまま開きっぱなしで放置するのは忍びないと思ったので閉めておいたんすよ」
「あ……ありがと……」
「ふっ……いいんすよ」
やっていることはメチャクチャ気持ち悪いのに、疋田さんは良い仕事をしてやったとばかりにドヤ顔で髪をかきあげる。
「今日はこれから仕事なんすよ。なので深夜のアレは無しです。それじゃ、おやすみなさい」
「あ……うん。おやすみ」
疋田さんは時間をかけて集めていたであろうセミの抜け殻を放置してマンションへ戻っていく。
結局、疋田さんはここで何をしていたのだろう。
俺を待っていた? そんな訳はないか。
◆
部屋に戻り、冷蔵庫を開けると疋田さんからの「ささやかなプレゼント」が入っていた。
「……唐揚げ?」
冷蔵庫にはスーパーの惣菜と思しき唐揚げが付箋付きで保管されていた。
『これを食べて元気もりもりっすよ!』
そんなメッセージとともにシロクマがペンギンを食べているイラストが描かれている。
「いや……食欲なくすでしょ……」
そういえば昼、帰る前に疋田さんが俺の好物を聞いてきた気がする。もしかすると、好物を食べさせようとしてくれて、スーパーで買い出しをして持ってきてくれていたのだろうか。
「疋田さん……」
居ても立っても居られず、階下に駆け出そうとしたが「仕事なんすよ」という言葉で我に返る。配信をしているところにチャイムなんて鳴らせられない。夜中だから、こんな時間にチャイムの音が配信に乗ったら尚更怪しまれてしまう。
ぐっと気持ちをこらえ、惣菜の唐揚げをチンしながらパソコンをつける。
想像通り、たった今最北南が配信を始めたところだった。
タイトルは『【大反省会】鶏の唐揚げむず過ぎん?』。
嫌な予感をひしひしと感じながら配信を開く。
「はぁ……あ、皆さんちーっす。今日久々に料理したんすよ。鶏の唐揚げ。ほんと……揚げ物って難しすぎません? あんなサクサクフワフワカリッとなるものなんですか? ギトギトベチャベチャのベトベトンだったんすけど……」
『それ、衣つけた?』
「当たり前じゃないっすか!」
『鶏肉買った?』
「買わないとただの小麦粉揚げですからね」
『鶏の油煮を作ったの?』
「ふっ……ふふっ……唐揚げっすよ。そんなおしゃれに誤魔化そうとしないでくださいよ」
鶏の油煮がツボに入ったらしい。
『油の温度が低かったんじゃない?』
「油の温度って関係あるんすか? 怖いんでずっと弱火だったんですけど」
『絶対それでしょ。草』
リスナー達と大喜利を繰り広げながらも最北南は正解にたどり着く。どうやら油の温度が低かったようだ。
もしかすると、夕方、疋田さんが部屋の前に来ていたとき、後ろ手に隠していたのは惣菜の唐揚げではなく、生の鶏肉と唐揚げ粉だったんじゃないか。
もしかすると、白い粉を顔や鼻につけながら、自分の部屋にある汚いキッチンで、恐る恐る低い温度の油の池に鶏肉を落としていたんじゃないか。
もしかすると、ベトベトの唐揚げを晩御飯に食べて、胃もたれする体を引きずってスーパーに惣菜を買いに行き、それを持って俺の部屋に侵入していたんじゃないか。
もしかすると、セミの抜け殻探しは暇つぶしで、唐揚げの件を慰めてほしくて公園にいたんじゃないか。
全部が全部、自分に都合の良い妄想だし、配信中なので疋田さんの部屋には突撃はできないから真実は分からない。
深夜、SNSのトレンドワード入りした『鶏の油煮』という言葉が頭から離れなくなり、どうにも寝付きが悪くなってしまうのだった。
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