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約束の焼肉屋の最寄り駅までは家から一時間かからないくらい。少し早めに家を出ようと思い、身支度を済ませて玄関ドアを開ける。
「大丈夫……イメトレは完璧……揚げ物……いける、いける。私、やれるぞ」
玄関を開けると、俺の部屋の前でボソボソと何かを言いながらウロウロしている疋田さんを見つけた。
「あれ? どうしたの?」
「ひいっ!? さ、佐竹さん。奇遇ですねぇ……あは……あははは……」
疋田さんは何かを後ろ手に隠して笑う。
スマホで奇遇の意味を調べると『思いもよらず出会うこと』。だとすればこんなに作られた奇遇はないだろう。
「まぁ……俺が部屋から出たから会えたわけだし奇遇なのかな」
「もしかして……お出掛けですか?」
「あ……うん。ちょっとね。何か用事?」
最北南が所属している事務所の社長と会食、なんて言ったら俺とアデリーが繋がりかねない。疋田さんのゆるゆる加減ならそうそう気づかれないだろうけどリスクは下げておくに限る。
「い……いえ! なんでもないっすよ! ちょっと散歩してただけなんで」
「なんでマンションの廊下を散歩してるの……」
「日差しが強いっすからね」
「もうすぐ日没だけど……」
「とっ、とにかく! どこに行くかは知りませんが、行ってらっしゃいませ! それでは!」
疋田さんはぺこりと頭を下げると階段で自分の部屋に戻っていく。
行きはエレベータで来たのか、一台しかないエレベータは6階で停止していた。一緒に乗らないなんて、そんなに俺と一緒にいたくなかったのか。
少しだけ悲しみを覚えながら、待ち合わせの店へ向かった。
◆
約束の時間より少し早めに到着。言われた通りに安東と伝えると、店の最奥にある個室へ通された。
扉が開くと、一人の女性が足を組んで焼肉用の網の前で薄いノートパソコンを開いていた。こちらをちらりと見ると、パソコンを閉じる。
俺がやることは一つ。
開幕土下座だ。
怒られるならこれしかないし、怒られないにしても謝っておいて損はない。
「この度はお騒がしてすみませんでした!」
「えぇ……ちょ、やめてよ。こんなところで」
「ほんと……訴訟だけは……就活も控えているので……」
「ちょちょ! 訴えるとかないから! 大丈夫! ほら、座って?」
安東さんは慌てて俺に近寄ってくる。縦巻きの茶髪に高い鼻。めちゃくちゃに美人で驚く。写真で見るより本物の方が遥かに綺麗だった。
香水もいいものを使っているのか、甘く重ための香りが鼻に入ってくる。それも不快な量ではなく、大人の香りという感じだ。
「あ……は、はい。ありがとうございます」
安東さんに誘導されて椅子に座る。向かいに座った安東さんはニッコリと笑って俺に手を差し伸べる。とりあえず訴訟は回避できたようだ。
「安東成海です」
「佐竹聡史です。アデリー……でもありますけど」
安東さんの手を取って自己紹介をする。その手は冷たく柔らかい。
「佐竹君、想像より若いのね。大学生?」
「修士です」
「就活って言ってたし博士号は取るつもりはないの?」
「そうですね。修士を出たら就職するつもりです。ものづくりしてる方が楽しいので」
「ふぅん……なるほどね」
安東さんは手でメモこそ取らないものの、脳内でキッチリと記憶していそうな雰囲気がある。ビシッと伸びた背筋とフォーマルな白ジャケットも相まって社長オーラは凄まじい。
「あ! ごめんなさい。真面目な話はあまりするつもりはないから。お肉、好きなものをどうぞ」
「あっ……ありがとうございます」
安東さんが渡してきたメニューを開くと目玉が飛び出そうになる。
どれもこれも値段は4桁後半から。この世界では数字は4桁から始まるらしい。しかも使えるのは5以上。
「本当に遠慮しないでね。面談がてら何度か来たことがあるんだけど、これまでの最高額は三十万円。参考までに」
「ふっ……二人で、ですか?」
「そ。その子、面白い子でね。全身真っ黒な服で来たのよ。パーカーも黒、ズボンも黒、靴も靴下も。ずっと下を向いてて、肉を食べるときだけ私の方をちらっと見るの。無言でね。それで最初になんて言ったと思う?」
「な……なんでしょうね……」
そんな人を一人知っている。確かに遠慮するなと言われたら俺以上に遠慮しなさそうな人だ。「遠慮するなって言ったっすよね?」という幻聴が聞こえる。
「ホッキョクグマって南極にいないんですかね? って聞いてきたのよ。知らないわよぉ! そんなこと」
安東さんは豪快に笑いながら手を叩く。
絶対に疋田さんだ。そんな変人、他にいるはずがない。事務所の社長とご飯を食べているくらいだし、疋田さんが最北南なのはもう確定だろう。わずかに白が混ざっていた仮説が真っ黒に塗りつぶされる。
「あ……あははは……」
「あれ? 何の話だっけ? ま、そのくらい遠慮しないでいいってこと」
「なるほど……」
それにしてもこんな機会は滅多にない。普段肉を食べるとしても安い鶏肉か豚肉がメインなのだから。
遠慮するなと言われたら遠慮する必要はないっすよ、と脳内にいるバーチャル疋田さんが語りかけてくる。
「で……では、この……時価の特選肉盛り合わせと……霜降りステーキで……良いでしょうか?」
時価というワードからは金額感が読めなさすぎるが、三十万はいかないだろう。疋田さん、一体何を頼んだのか気になってくる。
「勿論よ。あ、飲み物も適当にどうぞ」
「はい。あの……これってどういう趣旨の会なんですか?」
「あら、お肉以外に目的設定が必要?」
安東さんは値踏みするように頬杖をついて俺を見てくる。
「最初は訴えられると思ってここに来たので……」
「フフッ。真面目なのねぇ。じゃ、お肉が来る前に話をしてしまいましょうか。例のツール、うちで買い取らせてくださらない? AIの利用料金もこっちで払うから百万円の件は忘れられるわよ」
「かっ……買い取る?」
「えぇ。このくらいかしら」
そう言って安東さんは指を五本立てる。
「ごっ……5億円?」
ボケたつもりだったのだが、安東さんはポカンとした顔をする。
少し間をおいてブッと吹き出してくれたので安心した。
「フフッ……アハハっ! 君、いいわねぇ! そういうの好きよ。残念だけどその1%が私の想定ね」
五百万円。たった一日で作り上げたものがそれだけの価値になるなんて思いもしなかった。
「そんなに高いんですか? 単に他所の音声認識サービスにデータ投げてレスポンスで表情を変えてるだけのものですよ? 一日で作ったので粗も多いですし……」
「いっ……一日!? そんなに手が動くなら尚いいわ。アレだけにお金を払うというよりは君が欲しいっていうところもあるから。要はスカウトなの。うちで働いてみない?」
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