*第1話 シオンの涙
お願ぇしますだ聖女様・・・助けてけろぉ・・・少女の指先が希望を求める。
「オドナになったらメオトさなるべな」
「んだ!オラ、おメさのヨメゴになるべさ!」
今でもはっきりと覚えている。
他愛のない子供の言葉だったとしても、確かにあの日、将来を誓った。
婚約の成立した夜は、幸せ過ぎて眠るのが怖かった。
昇る朝日が谷に差し込み、新しい一日の始まりを照らして
漸くシオンは、この幸せが今日も、
そして明日からも続くのだと安心した。
あれから2年が過ぎシオンは12歳になった。
愛しいジャンゴは15歳。
来年のキヨランテの祭りで成人の儀式を済ませれば、
二人は晴れて夫婦と成る。
その筈であった。
ほんの十数年前までカモミ族の暮らすウーグス谷は、
貧しい少数民族の村でしか無かった。
しかしオバルト王国に誕生した史上初の聖女、
エルサーシアがこの地を訪れ、
カモミ族の伝統舞踊”蝶々の舞”を踊った事で一大観光地となった。
当時、エルサーシアに舞を教え一緒に踊った舞子がシオンの母である。
「かか様!そったごと嘘じゃわいなぁ!」
「嘘でね、先たユバル様がらお達しさあったべさ。」
「そったら・・・そったら・・・」
「オバルトがら上級持ちのヨメゴさ迎げぇるんだど。」
豊かになった村長ユバルの跡取り息子。
それがジャンゴである。
エルサーシアの来訪を機にコイント連合国とオバルト王国は和平条約を結び、
人の交流が盛んになった。
昨今では貴族は元より、裕福な家では上級精霊と契約している
オバルト人女性を、跡取りの嫁にする事がステータスとなっている。
それを国も推奨している。
観光事業の成功で貴族並みの財産を持つ村長は地位を求める様になっていた。
しかし爵位と言うものは財力だけでは得る事は出来ない。
戦争で手柄を立てるとか、何らかの形で国に貢献しなければならない。
更に貴族に相応しい家柄で有る事が求められる。
次期村長の妻が下級精霊と契約しているのは体裁が悪いのだ。
そして残念ながらシオンは下級精霊の契約者だ。
「すこたま銭さ積めばオバルト嫁さ世話するべな。」
懇意にしている官僚貴族からの話にユバルは飛びついた。
シオンの両親を呼び出して婚約破棄を言い渡した。
ジャンゴも彼らと一緒に思い直すように懇願したが、
聞く耳を持っては呉れなかった。
ジャンゴに会いたい!
彼の気持ちを聞きたかった。
家を飛び出したシオンは駆ける。
「お願ぇだ!ジャンゴに会わせてけろ!」
「この話すは終すめぇだ!帰ぇれ!」
まるで罪人を追い払うように村長は冷たい。
ついこの間まで”嫁っこ”と呼んでいた者に、
どうしてこんな扱いが出来るのだろう?
「待ってけろ親父様!俺が話すさするだ。」
ジャンゴだ!
彼が出てきて呉れた!
「ちょこっと彼方さ行くべな。」
家に入れてはくれないのか・・・
「な、なすて・・・なすて夫婦に成れんのだべか?」
何時しか見上げる程になった若者の目に問いかけた。
”一緒に逃げよう”
もしかしたらそう言って呉れるかも知れないと、
何所へでも付いていくよとシオンは願った。
しかし揺れる瞳が少女を見つめる事は無かった。
「許すてけろ、親父様の仕置きじゃ。」
本当にこの人はジャンゴなのか?
あの優しい瞳は何所に消えた?
この苦しそうな顔はなんだ?
私のせいなのか?
「お前が上級だば・・・」
ついに彼は言ってしまった。
それは彼女自身よりも体裁が大事だと、
そう宣言したも同然だった。
はらはらと悲しくて流していた涙は、
胸の奥深くから湧き出す恐怖に凍った。