使い潰されてきた聖女達と幸福な来世を願った王
*のっけからあり得ない矛盾があったので修正しました。
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聖女とは全ての疾病を癒やし、全ての傷を癒やし、全ての害意から守る者とされている。最も神に近い存在とされ、結婚できる相手は神以外にはないとされるため、聖女になった者は皆結婚せず、子を一人も生さないという。
その模範とも言えた先代聖女が亡くなられて2年。神託によれば、今年再び女神が降臨し、最も心清く若き乙女に癒やしの力を授けることになっている。
自分こそが最も心清らかであると確信できる人間が、心清らかであるはずがない以上、誰が聖女として選ばれるかは分からない。それでも、この乙女なら聖女に選ばれるかもしれないと他人から思わせる人間は一定数いた。それは救国の英雄だったり、可憐な王女だったり、教会のシスターだったりと様々だが、私の場合は目の前にいる平民の少女だった。
「――ですから、もう私に対する嫌がらせをおやめください!マーガレット様のためになりません!」
その少女からわざわざ夕暮れの空き教室に呼び出された私は、日頃の行いを非難されていた。少なくとも平和的で冷静な話し合いとは言えない。平民の少女はいじめを止めるよう訴え、公爵令嬢がそれを拒否しているという状況は、平穏からは遠かった。
「貴方の言い分はわかりましたわ、アデールさん。だけどそれを聞いたところで、私の気持ちは変わりません」
「そんな……!?どうしてですか!?」
「殿下のお心を無自覚なまま盗もうとする、貴方のことが嫌いだからよ。出来るなら今すぐに引き裂いてやりたいくらいだわ。そんな私が出任せの未来予想図を聞いたくらいで、貴方への仕打ちを止めると思って?やめてほしいなら自主退学することね」
どうやら悔しげな顔でさえ、彼女の愛らしさと夕暮れの美しさにかかれば、困難に立ち向かう聖少女にしか映らなくなるらしい。彼女特有の黒髪が、夕日の光を吸って美しく輝いている。
「そ、それは……できません。学園を卒業して魔法省に就職することは私の夢でした。ようやく夢を叶えられそうなのに、それを捨てることなんて……!」
「そう?ならこの話は終わりよ。精々心削る日々を送ることね」
「待って!お考え直しくださいマーガレット様!」
強引に話題を打ち切ったつもりだったのに、まだ諦めないらしい。身の程を教えるため、振り向き際に敵を射抜く目線でアデールの瞳を貫いた。
「貴方は大人しく私から憎まれていればいいのよ、清純さだけが取り柄のネズミさん」
俯いたまま震えているアデールを無視して、教室を出る。
「どうすればマーガレット様を止められるの……?一体、どうしたら……!」
小さな独り言は、教室のドアに阻まれてすぐに聞こえなくなった。
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軽い頭痛を覚えつつ生徒会室で作業をしていた私に、一人の生徒会メンバーが困り顔で報告してきた。もちろん、内容はいつものそれだ。
「また公衆の面前でアデール事務員を虐げていたと言うのか?」
「どうやらそのようです。今度は足を引っ掛けて、花壇の前で転ばせたとか……」
昨日は私に色目を使ったとかいう理由から、授業中に突然水魔法を浴びせかけて早退させていたな。どこまで陰湿なのだ。ここ最近のマーガレットはどうかしている。
「……わかった。副会長をここに呼んでくれ。二人で話をしたいから、すまないが人払いを頼む」
「わかりました」
生徒会室に入室するマーガレットは、実に堂々たるものだった。
「召喚に応じ馳せ参じましたわ、親愛なるフェリクス・フォン・バルドー第一王子殿下」
だがその第一声は、副会長としてではなく婚約者のものだった。用件はわかっている、ということか。
「一々嫌味な言い回しをするな、我が婚約者マーガレット・ラファージュ公爵令嬢よ。今日はアデール嬢を花壇の前で転ばせたそうじゃないか。どうしてそんなことをする?」
「土いじりが好きだと言うから、思う存分いじらせて差し上げただけですわ。愛しの殿下に対して色目を使うあの女に対し、好意的である理由などありません」
「私はアデール嬢から色目を使われた覚えはないぞ。それに彼女は生徒会の事務員として立派に職務を果たしているじゃないか。露骨な嫌がらせをするなんて、お前らしくもない」
傲慢不遜な態度に少なくない苛立ちを覚える。アデール嬢と出会ってからのマーガレットはいつもそうだ。つまらない嫌がらせばかり熱心に取り組み、未来の王妃であることを忘れているかのように振る舞う。全く度し難い。
「……だからこそよ」
「何?」
あまりにもささやかな声は、私の耳までは届かない。
「失礼、独り言ですわ。殿下、人間とは意味のある行動しかしない生き物ではありませんの。彼女を虐めるのはあくまで私の嫉妬、殿下をお慕いする女の本能からです。あなたの愛は私だけのもの……あんな小汚い平民なぞに渡してなるものですか」
退出するマーガレットを見て、幼いころの恋心が急速に冷めていくのを感じる。彼女はあんな人間だっただろうか。それとも私に見る目が無くて、あれが本性だったというのか……?
「なんと愚かな……愛が無条件に向けられるものとは限らないことなど、お前ならわかっているはずだろうに」
自分で独り言ちていながら、胸やけに近い吐き気がした。友情や愛ですら等価交換の材料と捉えてしまうのは、上級貴族の多くが持ちうる病だ。マーガレットと私の間で育まれた愛が、無償のものであると信じていた私も、また例外なく病んでしまったということなのだろうか。
「無償の愛……貴族ではなく、平民ならそれが存在するとでも?……馬鹿な」
頭の隅に一人の生徒会員の姿がチラついてくる。輝かしく清純な瞳は、私達貴族では持ちえない純粋さの表れだった。あれは自らの利益を考えなくては生きていけない貴族では絶対に持てない、最も尊き光だ。まさに、聖女に相応しいと言えるほどの。
「……クズが」
婚約者以外の女性を少しでも意識してしまったことに対する自己嫌悪感は、無償の愛を疑った時に匹敵するほどの吐き気をもたらした。今日はもう、仕事になりそうにない。
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翌日。事務をする生徒会員達は、私に対して一礼するとまた作業に戻った。その中には花壇で転ばされた少女の姿がある。
「アデール君、怪我はないか?」
私が身分や男女の区別なく呼ぶ時は、生徒会長として声掛けをする時だ。身分差による差別を是としない学園の生徒会とはそうあるべきだと信じている。
「生徒会長殿……ご心配をおかけして申し訳ありません。私は大丈夫です。柔らかい土の上でしたから」
「副会長には私から再度よく言っておく」
再度という言葉が、暗に彼女が止める見込みが薄い事を表しているような気がしたが。しかし第三者に近い私が罰を与えれば止めるような問題でもなさそうだった。何か根本的な……マーガレットがアデールを虐げるに足る理由を知る必要があるだろう。
……だが、もし明確な理由も無く感情の赴くままにアデール嬢を虐げていたとしたら、どうすれば良いのだろう――
『殿下。私マーガレット・ラファージュは、生涯に渡って殿下へ愛を捧げ続けることを誓いますわ。たとえ何を失おうとも、私が愛するのは殿下だけです』
『まさに無償の愛か……良い言葉だが、私にはもったいない気もするな。私も君に何か捧げられればいいのだが』
『殿下を愛し続ける権利さえ下されば十分ですわ。ただ……私はとても嫉妬深い女ですから。きっと他の女性に目移りしたら、嫉妬に狂ってしまうことでしょうね』
愛する彼女が嫉妬の狂気に身を委ねているだけだとしたら、お前はどうするというのだ?
「――いいんです。こうして私も傷一つついておりませんし、いずれ副会長殿もわかってくださいます」
思考の海を漂いかけた私を、彼女の言葉は灯台の光のように掬い上げた。
アデールは心の清い少女であり、誰かの悪口を言ったり、貶めたりしている姿を見た者は一人もいないとされている。だからこそマーガレットの所業が、アデールの言う通り些細なものであっても必要以上に際立って見えてしまう。もし転ばされたのがマーガレットであったなら騒ぎにはなれど、恐らくはアデールの時ほど周囲の同情は集まらないだろう。
「あの、会長殿。どうか副会長殿をお見捨て無きよう、よろしくお願い申し上げます。心優しき方であるはずなのに、誤解されては心が痛みます。会長殿が頼りなのです」
平民であればとても言えないような事も、生徒会メンバー同士であれば言える。表向きは生徒会の運営についての進言という事に出来るから。彼女もそれをわかっているのだろう。
この娘は自分が虐げられていながら、その相手の前途を憂いているのだ。そのような娘の慈悲深さに好感を持てこそすれど、虐げるに足るだけの欠点が私には見当たらない。何故マーガレットは、アデールの美点を認められないのだ。
「あの、会長殿……?」
「ん?あ、ああすまない。少し考え事をしていた。マーガレットを見捨てるな、だったな。それは心配いらないよ」
それにしても、最近はどうもこの娘の前では集中力に欠けてしまう。思わず敬称を外してしまったのは心の動揺からか、それともアデールの純粋さに油断して、つい婚約者として答えてしまったからか。
「彼女はいずれ次期王妃になる女性だからね」
どこかその言葉には虚しさが滲んでいた。
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マーガレットの嫌がらせは続いている。あの日のように突然水を掛けることは無かったが、花壇での突き飛ばしはもはや日常となった。さらに行為は徐々にエスカレートしており、わざわざ生徒会室でアデールの淹れたコーヒーの味を嘲笑ったり、ついには階段から突き落とされそうになったこともある。突き落とされそうになった際は、私がアデールの傍にいたため辛うじて転落には至らなかったが、一歩間違えれば大事故だった。
その陰湿で、かつ苛烈な精神攻撃を目の当たりにし続けた私の忍耐は、既に限界を迎えつつあった。マーガレットへの恋慕が急速に冷え込み、健気にも耐え続けるアデールに対する好意が膨らんでいく。
それが如何に不誠実で醜い感情であるかは頭で理解していても、婚約者による稚拙な悪事が毎日のように繰り返されるとなれば、不満と苛立ちが少しずつ大きくなっていくのもまた当然だった。その都度叱責しても効果が無いとあれば、尚更だ。
私の我慢が限界を迎えつつあった頃、また生徒会室から怒鳴り声が聞こえてきた。その怒声が廊下にまで響いているということだ。
「ああっ!そ、それは計算を終えたばかりの書類です!返してください!」
「ふん!貴方の計算なんて合っているかどうか怪しいものだわ!こんないい加減な書類になんの価値がありまして?」
生徒会室に走り、ノックもせずにドアを開いて叫んだ。
「やめろマーガレット!計算結果が信用ならないならお前が検算すれば良かろう!作った書類をわざわざ破棄する必要はない!」
私の怒声を聞いても、マーガレットは眉一つ動かさないまま、取り上げた書類を眺めている。
「ふん、それもそうですわね。でも二度手間には違いありませんわ。もしこの書類に誤りがあった時は、この事務員を能力無しと見なして解任し、後釜に私を兼任として配置するというのはいかがですか?この愚図に選任させるより遥かにマシだと自負してますわよ」
アデールは涙目になりながら震えている。悪辣に過ぎる言葉が彼女を傷つけているのは明らかだ。
「副会長殿、おやめください……!それ以上は、本当に……!」
消え入るような声が、私の中でくすぶっていたものを爆発させた。
「もういい!その子は平民だぞ!大貴族の令嬢である君が、嫉妬心から平民を虐げるとは何事だ!君には次期王妃となる自覚はあるのか!?そんなことでは――」
興奮した私は、この時自分の論点がずれたことにさえ気付かなかった。いつの間にか身分差を非難の材料にしてしまっている。
「"婚約破棄も考えなくてはならない"ですか?どうぞご自由に」
だが、どこまでもマーガレットは冷たかった。まるで私が言う事が分かっていたかのような尊大さだ。その態度にさらに激しい怒りが……憎しみに近い悪感情が心を焼き焦がすのを感じる。
「私が平民だからこの娘を虐げていると思われるのも心外ですし、清純だけを売り物にしている小娘に目移りするような殿下など、こちらから狙い下げですわ。ところで――」
何のことでもないようにパンッと書類を指の裏で弾くと、彼女はそれをアデールへ投げるように渡した。
「計算結果は合ってたみたいですわ。良かったわね、アデール事務員。その細い首は繋がったみたいよ」
あの応酬の中、いつの間に検算したのかと唖然とする周囲。だが私はそれどころではない。マーガレットの悪意が自分にも向けられたことに、これまで以上の衝撃と、憎悪に近い黒い感情が湧き出していた。そして同時に――
「殿下……違うんです……マーガレット様はそんな人じゃ……っ」
涙を流しつつ震えるアデールが、哀れでならなかった。私が助けるべきではないか。あるいは私にしか助けられないんじゃないかと、アデールを保護することばかり考えていた。
それがどれほど傲慢で、滑稽な発想であるかに気付くこともなく。
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次の日。用事を終えて生徒会室に戻った私に、アデール事務員が駆け寄ってきた。そういえば今日は入れ違いばかりで顔を合わせてなかったな。もしや私を待っていたのだろうか。
「生徒会長殿。お話がございます」
「どうした、アデール君?」
「えっと……お人払いをするか、別室へご一緒願いますか?殿下と二人きりでお話したいのですが」
周囲のやや訝しげな目線が集まった。畏れ多くも生徒会長にではなく、平民として第一王子に対して話があるというのか。個人的な考えで言えば叶えてあげたいが、私にも踏み越えられない一線はある。
「どうしてもそうしないと駄目か?君も知っていると思うが、私とマーガレットは婚約している身だ。君が平民かどうかは無関係に、女性と二人きりになるのはあまり好ましくないのだが」
「い、いえ!断じて私が殿下と添い遂げようですとか、殿下に恋をしているですとか、そういうお話ではありません!!それは今この場で、生徒会の皆様にお誓いいたします!!」
その声の大きさに、生徒会室の誰もがぎょっとした。まさに本人が言ったことを疑っていたのだろうが、これほどあからさまに叫ぶという事は……流石に別用件ということなのだろう。
「わ、わかった!そんな大声で言わなくていい!……では、1階の空き教室で良いか?皆は作業を続けてくれ。時間になっても戻らなかったら解散してよろしい」
少なくとも彼女はあからさまな嘘を吐くような真似はしないはずだ。私は提案に乗って、普段なら絶対にしない一対一の話し合いに応じることにした。
1階の空き教室へ入る時、影から誰かが見守っていることに気付けなかったのは、私の気が逸っていたからだろうか。逸っていたのだとしたら、一体何に対してだ。あるいは、誰に対してなのだ。
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空き教室の窓は、夕日によって赤く染まりつつあった。これは皆に言うまでも無く、間もなく解散時間になっていたな。
「ご足労頂きありがとうございます」
「話とは?」
「昨日、殿下が婚約破棄を匂わせてらしたことですが……」
……その事か。気になる気持ちは、わからなくもないが。
「すまないが婚約を破棄するかどうかは、あくまで私とマーガレットの問題であって、君が関わる問題ではない。言いたくは無いが、踏み込みすぎれば不敬に当たるぞ」
アデールは首を横に振った。本題はそちらではないのか?
「ご婚約の是非についてお話をしたいのではありません。いえ、もちろん婚約破棄は望ましくありませんが、それよりもマーガレット様の嫌がらせについて、真意を知って頂きたいのです」
アデールが何を言いたいのかわからず、困惑してしまった。
「真意も何も、度重なる稚拙な嫌がらせは止まず、中には危険なものもあったではないか。親切心からの嫌がらせだったとでも?」
「あれは――」
何か言おうとしたアデールの言葉を遮るように、教室のドアが乱暴に開けられた。
「私の輝かしい未来を邪魔するつもりなのかしら、アデールさん?」
「マーガレット様!?」
数名の私兵を伴ったマーガレットは、アデールの肩を突き飛ばし、壁へ叩きつけた。そしてすかさず閉じた扇でアデールの下あごを持ち上げる。マーガレットよりも身長が低いアデールは、強制的にマーガレットと視線をぶつけさせられる形になった。
「私からの嫌がらせをダシにして、誘惑でもするつもりだったのかしら?確かに殿方から人気の高い貴方がその気になれば、すぐにでも殿下の心を射止められるかもしれないわね。あなたはとても清らかで、庇護欲を誘うから」
「そんなつもりは毛頭ございません!マーガレット様こそいい加減になさってください!貴方様が露悪的に振る舞い続けていては――」
「あら、誘惑し続けているのは貴方なのに、説教をするつもりですの?本当に見下げた女ですわ。100万回は生まれ変わらないと、あなたの性根は変わらないのでしょうねえ?私がどれほどあなたを虐げようと、殿下の婚約者が私であることに変わりはないのよ。あなたの恋心が成就することは無いわ。いい加減に諦めて――」
「お前こそいい加減にしろ、マーガレット!!」
強すぎる悪意に耐えられなくなった私は、マーガレットに対して怒気をぶつけた。私の怒りに触れたマーガレットは顔を曇らせ、何故かアデールまでもが傷付いた表情を見せる。
「アデールは初めから、私に対する求愛ではないことを宣言している!それも生徒会室で堂々とだ!だからこそこうして空き教室での話し合いに応じたのだ!それでも君はアデールと私を疑うのか!?」
「話し合いですって……?ふふ……密談、の言い間違いでございましょう?ここなら邪魔は入りませんものねえ?」
「マーガレット……君というやつは!!」
「殿下!駄目です、ご冷静におなりください!マーガレット様ももう――」
「おだまり!!平民如きが公爵令嬢の発言に異を唱えるつもり!?増長も甚だしいですわ!!護衛兵!!何のために私の傍に控えていますの!?この身の程知らずをさっさと学生寮まで連行なさい!!朝まで絶対に寮から出すんじゃないわよ!!」
「ま、待って!私の話を聞いてください!殿下!マーガレット様!!」
数名の私兵がアデールを拘束し、文字通り連行してしまった。扉が閉まった先でも、アデールの悲痛な叫び声が聞こえてくる。何か大事なことを伝えようとしているようだが、それを覆い隠すようにマーガレットの高笑いが響いた。
「ふっ、ふははははは!!所詮は下賤な生まれの小娘ですわ!!公爵の娘である私の命に逆らえるはずがないのよ!!精々自らの力の無さを悔いるがいいわ!さあ殿下、邪魔者はいなくなりましたわ。美味しいケーキを提供してくださる喫茶店がございます。薄汚いネズミの戯言など忘れて、そちらでお口直しを――」
そしてこの時ついに、私も忍耐の限界を迎えてしまった。
「もういい!!マーガレット!!君が嫉妬に狂う余地も生まれないほど、一途に君だけを愛してきたつもりであったが、どうやら君には一切伝わらなかったようだな!!嫉妬に狂った君の姿をもう見たくない!!君との婚約を破棄することを宣言する!!王家との婚約が破棄された意味、お前ならよくわかっているはずだ!身辺を整理しておけ!悔いの無いようにな!!」
静まり返る教室。マーガレットはただ憂いを見せるだけで、何も言わなかった。
言い切ってから自分が何を言ったかを思い返し、一瞬にして青ざめた。婚約破棄まで言うつもりはなかったのだが、過去のマーガレットが見せる嘲笑を思い返す度に、つい過剰な程の正義心が燃え上がってしまった。
いや、正義心などではない。これはただの怒りだ。溜まったストレスをマーガレットにぶつけただけじゃないのか。
「す、すまない……言い過ぎた。婚約は――」
私は、婚約の破棄については訂正しようとした。が……もう遅かったようだ。
「……御意にございますわ、殿下。どうか、お幸せに」
彼女は完璧な礼を見せた後、たった一人でいずこかへと歩き去ってしまった。不穏な一言に何か不安な気持ちが高まっていく。どうやら私は取り返しのつかないことをしたらしい。
……いや、そもそも嫌がらせを続けていたマーガレットに原因があるのだ。私ばかりが悪いとは限らないではないか。
明日、もう一度彼女とよく話し合おう。まだお互いに頭に血が上った状態だ。冷静に話し合うことは出来ないかもしれない。
「……アデール嬢に窮屈な思いをさせているかもしれないな。帰る前に学生寮へ向かおう」
アデールが住まう学生寮へすぐに馬車を走らせた。時間にして15分ほどで到着したのだが、何やら学生寮の様子がおかしい。狂乱の様相で何かを叫ぶアデールと、それを聞いて困惑する周囲の護衛兵たち。あろうことか彼らは、主人の命を守る以外のことで、迷いを生じさせているようだ。プロである彼らを迷わせるほどの叫びとは、一体なんだ……?
「アデール嬢、これは一体どうしたのだ?」
なるべくアデールが落ち着くよう、優しい声色を選んだつもりだったが、一方のアデールは何故か私の姿を見るとさらに顔色を悪化させた。
「何故殿下がここに!?駄目!!殿下、すぐにマーガレット様を追いかけてください!!学園の屋上にいるはずです!!あの人を助けてください!!」
「っ!?どういう意味だ!?」
聖女に例えられた彼女の喉は、叫び過ぎたせいか老婆のようにしわがれてしまっていた。
「マーガレット様は私の身代わりになるおつもりなんです!!早く!!間に合わなくなります!!」
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馬車にアデールを乗せたことで、私はようやく誰の邪魔も入らない状況で話を聞くことが出来た。それは彼女が話したくても話せなかった真相だった。
「女神再臨の日が、今日だと言うのか!?」
「そうです。本来なら私は、ある事がきっかけでクラスメートからいじめられるようになり、それを苦に屋上へ向かうはずだったんです。そこで女神様から癒やしの力を継承して、新たな聖女になり、行く行くは殿下と結ばれる……はずでした」
「それは……未来視、なのか?」
「えっと……今はそう思って頂いて構いません。でも、私は聖女になりたくなかったんです」
何故なら聖女になってしまえば、絶対に長生きできないからだと、彼女はそう呟いた。
「女神より与えられし癒やしの力。それは聖女の力とも言われていますが、実際は呪いや魔術に近いものです」
過去に癒やしの力を得た聖女たちは、五体不満足となった兵に手足を与え、視力を失った者に光を与えてきた。ではそれらはどのようにして成しえているのか。答えはひどく単純だった。
癒やしの力の保持者が持つ生命力、すなわち生きようとする力を未来から前借りして、他者に分け与えているからに他ならない。
そして常に少女が選ばれてきた理由は、より多くの生命力を他者に分け与えることができるからだ。本来ならその先50年以上に渡って発揮される生命力を、15,6の少女から強制的に吐き出させている。赤子が選ばれないのは単に体力の問題に過ぎないのだろう。実際、500年ほど前に一度だけ5歳の少女が聖女に選ばれ、三日で衰弱死した例がある。
その例に限らず過去の聖女たちで齢30まで生き残れた者はいない。そして、子を生しえた記憶も無い。
その残酷な事実を、この国は神以外に結婚相手は存在しないと言う美辞麗句で覆い隠してきたのだ。一人の犠牲によって、定期的に全国民へ健康を提供出来るなら、その方が金も時間も掛からないから。
「年端も行かぬ少女を消耗品としか考えていないのか……!腐りきっている!そんな欠陥商品を押し売りする女神も女神だが、それを政治利用するこの国もだ!民をなんだと思っているのだ!!」
私が女神と現国家を憎悪したのは、まさにこの時だった。アデールはその反応に特に驚く事もなく、一度だけ頷いて話を進めた。
「……マーガレット様は最初、平民の私に一番優しかったんです。特待生で入ってきた私はきっと将来素晴らしい魔法学者になれる、一緒に頑張りましょうって言ってくれました。周りが貴族様ばかりで孤独だった私は、そのお言葉が泣きたくなるほど嬉しくって、絶対にマーガレット様みたいな素敵な淑女になろうって、そう誓ったんです」
「だが君は入学してすぐ、マーガレットから嫌がらせを受けたじゃないか。確か最初は授業中に突然水を掛けられて――」
「…………あれは……私が教室で失禁してしまったからなんです」
「なっ……!?」
赤面する彼女は、それが事実であることを赤裸々に物語っている。それは確かに誰にも話せない、彼女とマーガレットだけが知る秘密だった。
「マーガレット様は私の隣の席でした。私の異常を知ったマーガレット様は、瞬時に水魔法を展開して私にぶつけたんです。そして真相を誤魔化すために、それが私に対する嫉妬のためだと突然周りに宣言しました。アデールは殿下のお心を惑わす、清らかに見えるだけのネズミは気に入らないと。でも、そのおかげで私は誰にも失禁した事実を悟られないまま早退できたんです」
「で、ではその後も毎日のように嫌がらせをされていたのはなんだったのだ!花壇で転ばされたり、階段から突き飛ばされたのは!?」
「連日の嫌がらせは、殿下に私とマーガレット様へ関心を向けるための、あの方の演技です。殿下は嘘と演技が下手だけど、こうすれば必ず殿下は本気で貴方を護ろうとする。私の演技力と殿下を信じなさいって笑ってました。階段でも突き飛ばされる直前、殿下の手に捕まるよう、密かに声を掛けられました」
そして周りの目があるところで堂々と虐めるフリをすることで、見事私の目に留まったという事か。私がやはり堂々とマーガレットを非難した結果、他の生徒たちはいじめに加担するどころか、むしろ私と一緒に正義の側に立つことを選んだ。貴族であれば公爵令嬢よりも第一王子を選ぶのは自明の理だ。その方がメリットが大きいから。
もしやマーガレットが虐めるふりを続けたのも、"安易ないじめをすれば何が起こるか"を周囲に分からせるためか。彼女はアデールを救うついでに、同年代のクラスで下らないいじめが起こらないよう、予防策を講じたのかもしれない。
「だけどより過激な手段を執り始めたのは、別の思惑もあったみたいなんです。……水を掛けられた翌日に、私はマーガレット様に自分が知っていることを全てお話しました。女神さまが再臨する日と、女神さまに選ばれるのが"その日一番女神さまに近い少女でしかない"事実をです」
「……より女神らしい少女が選ばれるということか?」
「いいえ……実は聖女が心清らかであるかどうかなんて、関係ないんです」
「……誰でも良いというのか!?」
そうです。女神様は、ただ手近な少女を捕まえて、自分に代わって強制的に癒やしの力を使わせているだけなんですよ。
あまりにも残酷な事実に、その言葉がひどく遠くから響いているような錯覚すら覚えた。
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あの日の朝、私はマーガレット様を空き教室にお呼びしました。マーガレット様は周りの目がある時には一見嫌々と、だけど二人きりの時はあくまで真摯に、私の話を聞いてくださいました。
そこで、聖女誕生の秘密と、女神様降臨の日をお教えしたのです。
『――私がこれを知ったのは、いえ思い出したのは、昨日マーガレット様に水を掛けられた時です。もしもあの日、マーガレット様が咄嗟に私へ水を掛けなければ、私は失禁のせいで毎日陰湿ないじめにあって、自殺寸前まで追い込まれているはずだったんです』
『あの時は乱暴な手段を取ってごめんなさい。もう少し、うまい手を思いつけば良かったのだけれど。……それにしても、ひどい未来ね』
『いえ……むしろマーガレット様の名誉が傷付くことになってしまいました……!感謝こそしていますが、お恨みするなんてありえません!!……だけど、困ったことになりました』
『どういうこと?』
『女神様の望みは、自らの生命力を削ることなく人々を癒やすことです。生命力を削れば、その分体は老いることになります。人間とは比較にならないほどの生命力を持ちながら、それが惜しくなったようです。……それを知ってしまった私は、もう聖女になろうとは思えなくなってしまいました。多分、私以外の誰かが聖女になってしまいます。そして昨今狂暴化してきている魔獣によって、たくさんの人が病み、あるいは不遇になりました。きっと聖女になった誰かは、すぐに生命力を使い果たしてしまうでしょう』
『そんな……何か、他に手は無いの?聖女になったからと言って、力を使わなければ――』
『どうして聖女が皆、心清らかでいられると思いますか?』
『……まさか!?』
『……そうです。あの力は制御不可能なんです。死罪を待つ罪人や、自らの不摂生で苦しむ人々を無差別に癒やし、守りたくもない人々を守るために力を尽くすしかない彼女達を、心清き者だと演出しているだけ。……だけど私は、そんなことで死にたくありません。学園を卒業して、魔法省へ就職して、お母さんに楽をさせてあげたいんです。聖女になって、皆を救う代わりにお母さんより先に死ぬなんて、絶対に嫌です!!』
その時の私は、自分とマーガレット様だけでも聖女にならないために何が出来るか、そして傷付いたマーガレット様の名誉を如何に回復するか、それしか考えていませんでした。
『……それに生贄が今回たまたま別の娘になったところで、この世界にとってどれほどの違いがありましょう。今の私はマーガレット様のおかげで誰からも虐められずに穏やかな日々を送れています。もう十分です。ですから、もう私に対する嫌がらせをおやめください!マーガレット様のためになりません!』
でも、マーガレット様は違ったんです。
『貴方の言い分はわかりましたわ、アデールさん。だけどそれを聞いたところで、私の気持ちは変わりません』
『そんな……!?どうしてですか!?』
『殿下のお心を無自覚なまま盗もうとする、貴方のことが嫌いだからよ。出来るなら今すぐに引き裂いてやりたいくらいだわ。そんな私が出任せの未来予想図を聞いたくらいで、貴方への仕打ちを止めると思って?やめてほしいなら自主退学することね』
『そ、それは……できません。学園を卒業して魔法省に就職することは私の夢でした。ようやく夢を叶えられそうなのに、それを捨てることなんて……!』
『そう?ならこの話は終わりよ。精々心削る日々を送ることね』
マーガレット様は、卑劣な公爵令嬢であることを演じたまま過ごそうとされるおつもりなのかと、この時はとても焦りました。
「待って!お考え直しくださいマーガレット様!」
「貴方は大人しく私から憎まれていればいいのよ、清純さだけが取り柄のネズミさん」
それはまるで敵を見るような目でした。全てを拒絶して、自分こそが巨悪だと思わせたいような、強くて寂しい目。その目を見てようやく私は理解できたんです。
マーガレット様は、敢えて周囲から嫌われた上で人知れず聖女となり、自分以外の全ての国民を癒やした上で死のうとしているのだと。
そして何よりも、愛する殿下が今後、死にゆく自分よりも相応しい伴侶を迎えやすくなるように、自身を婚約破棄させやすい悪役へと仕立て上げたのだと思います。
「私がいくら周囲へ誤解を解こうとしても、いつもマーガレット様は露骨な妨害をしてきました。そうすることで殿下の目に触れやすくなり、より自分の悪評を広める事ができると、恐らくそう考えたのだと思います」
どうしてマーガレット様がそこまで自分を殺して他人に尽くすことが出来るのか、正直私にはまだ理解できない。だけど一つだけ確かなのは――
「そんな……そんな馬鹿な……私は、彼女の事を信じきれないまま……彼女を理解しないまま、彼女の苦しみと覚悟をわからぬまま、婚約を破棄しようとしていたというのか……!?すまない……すまなかった、マーガレット……っ!!」
マーガレット様に相応しいお方は、このお優しい殿下以外にありえないということだ。
大量の涙を流される殿下の背中を撫でる権利も、資格も、身分も、私には無い。ただ後悔で小さく蹲る殿下を見守ることしかできなかった。マーガレット様の事が羨ましい。こんなに素敵な、正義感に恵まれたお優しい方と相思相愛でいられるのだから。
……本当に救いがたい。私は平民でありながら、公爵令嬢であるマーガレット様に、命の恩人であるあのお方に、嫉妬してしまったのね。畏れ多くも、殿下に対していつの間にか私も恋をしてしまっていたんだわ。やっぱり私は、ネズミと呼ばれるのに相応しい人間に違いない。
だけど、マーガレット様。貴方様を聖女様には致しません。貴方様がなるべきは聖女様ではなく、このお方の王妃様です。
「絶対にマーガレット様を止めましょう、殿下。きっとまだ間に合います」
「……ああ!!」
そうしないと、この淡い想いを諦めることなんて、きっと永遠に出来ないと思いますから。
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屋上から見える夕日は間もなく沈み、周辺に闇が訪れようとしている。
「そろそろかしら」
アデールが言った通りならこの日、夕暮れ時の学園の屋上に女神が再臨し、最も手近にいる少女に癒やしの力を与えるはずだ。今、屋上にいるのは私だけ……今なら、他の誰かを犠牲にせずに済むだろう。
しばらく待っていると、突如キラキラと、ダイヤモンドダストにも似た美しい光の欠片が舞い始めた。そしてその光の中から一人の美しい女性が浮かび上がる。その非人間的……いや非生物的で完璧な美しさが、その正体を何よりも物語っていた。
なるほど。神は全てを超越しているからこそ、何者にもなりえないのね。
「女神様かしら?意外と見た目は普通なのね」
精一杯の虚勢に対して、神であるはずの女は微笑みで応えた。私なんて取るに足らない赤子ということか。舐められたものね。
「わざわざ私を出迎えてくれたのですか。では、あなたは自ら望んで聖女になる道を選ぶのですね」
「ええ、そうよ。早く私に癒やしの力を授けて頂戴。そしたらあなたの望み通り、全国民の疾病傷病を瞬時に癒やしてみせるわ。公爵家の令嬢として、これ以上の名誉は無いでしょうね」
美女の口の端がゆっくりと持ち上がる。まるで赤子が初めて立ったのを見守る母親のような慈しみを感じさせるが、その口から発せられた言葉は明確な嘲笑が混ぜられていた。
「ふふっ、如何にも不服といったご様子ね。神である私に内心を隠すことなど、出来ると思いますか?」
「……っ」
この女、戯れているの……!?
動揺と激しい嫌悪が同時に襲い来る中、屋上出入り口のドアが激しく殴打される音が響いた。出入り口のドアノブは鍵ごと氷漬けにしてあるので、そうそう破られることはないだろうが、ドアの向こうから聞こえてきた声の方に心が動かされた。
「マーガレット様!!鍵を開けてください!!マーガレット様ぁ!!」
「マーガレット!!私はすべてを知ったのだ!!君が聖女になる必要などない!!すぐにドアを開けてそこから逃げるんだ!!」
ああ……私の愛する人達が、すぐそこまで来てしまっているなんて。
「本当に名誉だと思っているのかしら?正直に話していいのですよ。その反抗的な目……本当は、聖女になんてなりたくないのでしょう?」
「……当たり前でしょう……!聖女になりたい訳、ないじゃない……っ!」
「……」
「私だって死にたくないわよ!!平民でも努力家のアデールとちゃんと友人になりたかったわ!!愛する殿下と添い遂げたかったに決まってるでしょう!!でもあなたが適当に聖女を決めるものだから、私が誰かの代わりに聖女になるしかないのよ!!次期王妃である私が!!民を生贄にして安穏と過ごしていいはずがないわ!!」
「素晴らしい倫理観だわ。あなたこそ王妃の、いいえ聖女の鑑よ。きっと後世の歴史家たちがあなたを褒めたたえるでしょうね」
「誰も称賛が欲しくてやるわけじゃないわ!!貴方が神なのに横着して力を振るおうとしないから、私達が犠牲になっているだけよ!!飽きたならさっさと神を辞めれば良いだけなのに勝手すぎるわ!!絶対にあなたを許さない!!死んでも許してやらないんだから!!」
「言いたいことはそれだけかしら?癒やしの力が要らないなら、別の誰かに譲り渡すまで。私からすれば、人々を癒やせるだけの生命力があるなら誰だって構わないのよ。たとえ乳飲み子でもね」
信じられない……!!こいつ、本当に神なの!?こんなのが世界を支える神の一人だなんてありえないわ!!
こいつは……魔女だ……!神の形をした魔女に違いない……!
「……そういえば、先程からドアを叩いている方の少女は、実に輝かしい生命力を持っているわねえ?あっちの方がより聖女に相応しいのではないかしら」
っ!?
そんなこと、させるものですか!!
「……駄目よ、私で我慢なさい。そして私に力を渡したら、すぐに帰りなさいな。あなたのような下衆は、この世界からさっさとご退場願いたいわ」
「ふふっ、物分かりがいいのね?じゃあ、後はよろしく頼んだわよ?新しい聖女様……」
アデール……殿下……。
ごめんなさい。
--------
「何だこの光は!?……こ、これは!?」
ドア越しでもわかる凄まじい閃光が、私の目を焼いた。ドアを叩いて血が滲んでいた私の手が癒やされ、見る見るうちに傷が塞がっていく。驚愕するばかりの私の横で、アデールが青褪めながら震えていた。
「そんな……これは癒やしの力!?な、なんて強い!?いえ、強すぎます!!このままだとマーガレット様が死んじゃう!?」
「そんな……駄目だぁぁぁ!!マーガレットぉぉぉぉ!!!」
魔力によって限界を超えて身体強化した私は、体当たりによってドアを吹き飛ばした。全身からバキボキと複数本何かが折れるする音がしたが、それさえも一瞬で治癒されていく。これは……たしかに異常だ……!!
そして次の瞬間、周囲が一瞬にして夜へと変化した。
すなわち、太陽が失われたのだ。マーガレットを中心とした、癒やしと恵みを与える光の源が。
力なく倒れるマーガレットの髪からは全ての色が失われ、あの艶めいていた肌が枯れていた。だが些かも美しさは損なわれていない。
彼女の美しさは、体の表面だけで描かれたものではないのだから。
「でん……か……」
「マーガレットっ!!」
「いやぁぁぁ!!マーガレット様ぁぁぁ!!!」
「おしたい……して……ます……」
「わかっている!!私も君を愛している!!君と結婚したいんだ!!だからお願いだ、死なないでくれ!!まだ私は君に何も償えていないじゃないか!!」
「ごめんなさい、マーガレット様!!私が、私が聖女になりたくないなんて言ったせいで!!私が生きたいと願ったから!!」
「ア……デー、ル……ゆめ……あなた、なら……きっと…………」
「…………マーガレット?……マーガレットぉぉぉ!!」
その日、バルドー王国から一人の聖女が人知れず生まれ、一晩で力尽きて死んだ。
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マーガレット様を喪った私達は、あのお方の遺志を継いだ。すなわち、平民であるアデールは、殿下を誘惑したと誤解したマーガレットから虐められていた。それを殿下が救った上でマーガレットに対して婚約破棄を宣言し、その後悪辣の令嬢マーガレットは降臨した女神の怒りに触れて急死した――そう周知したのだ。
一方の聖女は、一晩だけ力を使った後は行方不明ということになっている。
断腸の思いだった。だけど、最終的にこれを決めたのは殿下だった。マーガレット様の希望を叶えなくては、あのお方の生命が、ただ女神の代役として貪られただけで終わってしまうことになる。それに女神の凶行と真実は、聖女が一晩でいなくなった悲劇と重ねて周知するにはあまりに重すぎるものだった。
「これが貴族の……今の私の限界だ」
そう呟く殿下の手は、あまりに強く握りしめられた為に出血していた。むしろ殿下は、その傷が癒えないことによってマーガレット様の死を受け止めようとしているかのようだった。
聖女を一晩で失ったバルドー王国は混乱の極みに達していた。基本的に聖女は最低10年は機能してくれると期待されている為、特に平民に対する医療体制がまともに整っておらず、15年間全国民の健康を維持させるだけの予算も組めなかったからだ。王は国家運営を維持するために、王族とその関係者だけに医師を集中して充てようと画策していたわけだが、それを察知した殿下はクーデターを起こした。
「聖女の力に過度に依存し、国家を構成する国民の安全を自ら護ろうとしない者に、王たる資格は無い!!私はこの愚王に代わり、全ての民を護るために粉骨砕身の覚悟で臨むと宣言する!!」
こうしてほぼ強制的に王位を継承させた殿下……いえ、陛下は学園を中途退学し、その辣腕を振るいだした。
かつて太陽に例えられるほど万人に優しかった陛下は、絶対零度の墓碑に例えられるほどの変貌を遂げてしまった。誰に対しても冷たく正論のみを語って譲らず、可能な限り税を重くし、代わりに病院と医師を充実させたことで「死ねない国を作って無限の搾取を試みている」と揶揄されたほどだった。当然、15年後に再び聖女が現れることを期待する人々からは批判の声もあったが、全て黙殺している。
一方の私は、皮肉にも心清らかな聖少女と称されたまま学園を卒業した。その後魔法省にていくつかの功績を残した後、その功績によって陛下の臣下として登用されただけでなく、なんと陛下のご要望もあって、平民でありながら陛下と結婚することが許された。
この一見とんでもない婚約が周囲からも認められた理由はあまりにも単純で、それだけに深刻と言っても良かった。
「――でありますから、もう少し病院建設のペースを緩め、一棟辺りの医療レベルを高めた方がよろしいかと思われます。その方が重傷者を救えるようになりますし、建築士達にも少し休息が必要でしょうから」
「……なるほど、アデールの言う通りかもしれないな。一度予算の見直しを行おう」
それは冷血ですら温いと例えられる陛下が、唯一私に対してのみ温かな表情を見せるからだった。
無論、正論から外れて判断を誤るようなことは無かったが、より人道的な方向に舵を切るのは私が傍にいる時だけだったという。冷血が過ぎて暴君に走らぬよう、人間味を引き出せる者が陛下の隣に立っていたほうがいい。そんなものが身分差の壁を超えた婚約を認める理由になってしまうほど、殿下の急激な変貌は周囲に危機感を与えていたのだ。
だが、あの日からさらに流れた15年という月日は、多くを変えていく一方で、私達の中で養われた黒い炎を消すには至らなかった。
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あの日からちょうど15年後の学園。私とアデールは二人きりで学園の屋上に立っていた。
「アデール。女神の再臨まで、あとどれくらいだ?」
「もうそろそろだと思います。……陽が沈んだと同時に出現するはずです。準備してください」
促された私は小さく頷き返し、剣の鞘を握りしめた。
「……始める前に一つ聞いても良いか」
「はい、なんでしょう陛下?」
「君は女神について、15年前から非常に詳しかったな。だが君は水を掛けられた時に思い出したからだと言っていたが、国中の文献を調べても君の知識より詳しい本は無かった。これは未来視では説明がつかないことだ。……そろそろ私にも本当の理由を教えてくれていいんじゃないか?」
驚いたのか少しだけ目を見開いたアデールは、やはり少しだけ苦笑して俯く。
「……攻略情報……いえ、前世の記憶を少しだけ思い出したから、というお答えではいかがでしょうか」
「前世……輪廻転生の考え方だな。私には馴染みの薄い宗教観ではあるが……」
だが、もしも前世と、来世があるとするならば。
「……あるといいな。マーガレットにも、輝かしい来世が」
「ええ、きっとございます。もちろん陛下にも、今度こそ幸福に手を握り合える素晴らしい来世が」
「そして君にもだ、アデール。……こんな時だが、最も辛い時期に隣に立ってくれた君にはとても感謝している。来世でもまた会いたいものだな」
尤も、その時はまたマーガレットから嫉妬されてしまうかもしれないけども。
悲しそうに、しかし少しだけ嬉しそうに笑うアデールの顔は、草臥れていても美しい。彼女はあの日からずっと走り続けてきた。自らの夢を叶え、恩人の婚約者を支えるために王妃教育を詰め込み、そして今も聖女になるべく立ち上がっている。
願わくば、私と過ごす現世がより幸福なものになりますように。
「……来ましたね」
しばらく待っていると、キラキラと光る埃のようなものが周囲に満たされ、一人の女が舞い降りてきた。非現実的とすら思える美しさを誇るその女は、あの日と同じ優しげな、忌々しい笑みを浮かべている。
嫌悪で顔が歪みそうになる。だが、まだだ。まだ堪えろ。
「私はこの世界を統べる、あなた方が女神と呼ぶ存在です。……もしかして、聖女になりたいのはあなたかしら?」
「はい、女神様。アデールと申します」
「ふふっ、乙女とは言えないけど、生命力は並外れて優れているわ。人間にしておくのはもったいないほどよ……あなたなら20年以上聖女でいられるかもしれないわ。きっといい働きをすることでしょう」
「ありがとうございます。女神様のお力を、世のため人のために使うことをお約束いたします」
「素晴らしい。貴方こそ真の聖女だわ。さあ、受け取りなさい。これが人々を癒やす力よ」
女神の手が振られ、アデールの体が黄金色に輝き出した。いとも容易く行われた神聖な儀式は、ただこれだけで人間を聖女へと変えてしまう。
自分の代わりに命を捧げて人々を救う、実に都合のいい存在へ作り変えるのだ。
「ふ……ふふふ……私が真の聖女?」
「……?」
「女神様。15年前の聖女のことを覚えておいでですか?」
何故そんなことが気になるのだろう?というとぼけた表情が、全てを物語っている。この女にとって、聖女とは――
「ええ、覚えています。確か13年くらい頑張ってくれた娘かしら?実に聖女らしく清楚で、物静かな女の子だったわね」
本当の意味で、消耗品に過ぎないのだろう。
「やはりお忘れですか。そうでしょうね……数多の聖女を作り出し、15年に一度働くだけのあなたは、聖女となった日に死んだ娘の事など印象に残らないのでしょう」
「……そんな娘いたかしら?」
私の中で何かが切れる音がした。いや、もしかしたらアデールの方から聞こえた音かもしれない。素早く剣を抜いた私と、同時に杖を構えた聖女を見た女神は、一瞬だけひるんだ。
「真の聖女と呼ばれるべき人は、15年前に死んだわ。あなたが殺したの。私は聖女なんかじゃないわ!命の恩人を奪われて復讐に走る薄汚いネズミよ!!」
アデールに気を取られた隙を突いて、瞬時に間合いを詰めて女神へと斬りかかった。確かな手応えを感じたが、なんのことでもないように女神は後ろへ飛び、ついでとばかりに私の左脚を根本から吹き飛ばす。
「愚かな……神である私を殺せるつもり?そんな鋼の剣で……何っ!?」
私が斬った箇所からは、神の身ではありえない出血が見られた。そして同時に、私の吹き飛ばされた左脚が瞬時に再生していく。再生には苦痛を伴ったが、おそらくアデールも生命力を奪われる苦しみを味わっているに違いない。
すまない、アデール……!こんな時でも私は考えずにはいられない!
君が私の傷を癒やすだけでそんなにも苦しいなら……あの日のマーガレットは、一体どれほどの苦痛を味わって死んだというのだ……!!
喉奥からこみ上げるものを感じながら、私は剣を構え直した。それを確認したアデールは、普段なら絶対に見せない壮絶な怒りを女神に向かって叩きつける。
「聖女となった私の魔力は、女神様のものに限りなく近くなっています。神を殺せるのは神だけ……だから、神の力を纏った剣であなたを斬れば、あなたを斬り殺すこともできる!!自分の命で自分を癒やすことは出来ないのだから!!そして私の癒やしの力がある限り、聖女の尖兵となったフェリクス陛下は絶対に死なない!!私達が勝つわ!!」
「何を馬鹿な!?お前の生命力が尽きればそれまでだろうに!!第一他の人間はどうしたのだ!?国中の国民を癒やしながら戦うなど、そんなこと……ま、まさか!?」
私は思いきり口の端を上げた。敵に対して嘲笑を向けるのも、恐らく最初で最後になるだろう。
「……国民が……周囲に一人もいないのか……!?今日のために聖女の力が届かない隣国へ逃したというの!?どうやって!?」
『聞け!我が愛する国民達よ!一年後の今日、女神が再臨する!しかし女神によって聖女となった者は、生命力を強制的に全国民へ分け与えることになる!それも死ぬまでだ!過去数百年に渡って私達の祖先は、そうした犠牲を強いられてきた!その中には5歳で聖女にさせられて死んだ例も残されている!そして14年前も、一人の少女が一瞬にして全生命力を貪りつくされて死んだ!!だからこそ私は今日まで医療体制を完備し、聖女が必要ない世の中を作り上げたのだ!!今ここに宣言する!!聖女が生まれない世の中へ作り替え、未来の聖女達を救出すると!!そして犠牲となった君たちの祖先の霊を慰め、強大な王国に生まれ変わらせることを!!』
女神の悪行を公表したのはちょうど一年前。冷血と言われるほど冷酷に振る舞ってきた私が、一転して熱意ある演説によって未来の聖女救出を願い出た効果は絶大で、皆が聖女を救うために立ち上がったのだ。何故なら皆、遡っていけば先祖の誰かが、女神の怠慢によって使い潰されていたに違いないのだから。
「入念な準備と、意思統一。そして実行。それだけだ」
この日のために15年間、私は医療福祉に力を注ぎ続けてきたのだ。聖女の力に頼らなくても人々を救えるように。
二度とマーガレットのような娘を生み出さないよう、ただそれだけを願って。
「さあ、もうわかっただろう。私達にはもはや女神も聖女も不要だ。心置きなく、永遠に惰眠を貪るがいい」
再び身体がバラバラになるような超身体強化魔法を掛けて、女神に斬りかかる。先程よりもさらに深く、鋭い傷がお互いの身体に刻まれていく。そのたびに私の傷を癒やすため、アデールの顔が苦痛に歪んだ。
右腕が飛ばされれば左腕で斬った。片腕を盾にして斬りかかった。腹に穴が開くのも気にせず敵の身体を突き崩した。
戦いは夜明けまで続き、学園だった建物は徐々に形を失っていった。そして――
――ついに女神が力尽き、倒れた。
「お、愚かな……神を、殺すなんて……」
「お前が神であるものか。この魔女が」
「一人の犠牲で、数万の民を救える、のに……王国の……人類の繁栄を捨てると、言うの……?」
「勘違いしないでください。私達は女神様の力だけで繁栄してきたのではありませんし、人類の繁栄などという、だいそれたことにまで責任を負うつもりはありません。それに、言ったはずです!!」
「っ!?」
アデールの杖が、女神の腹部に突き立てられた。破壊に転換させた神の魔力を直接叩き込まれた女神の顔が苦痛で歪む。
「あなたはマーガレット様の仇!!」
再び魔力が叩き込まれる。何度も、何度も。
「そして今まで死んでいった聖女たちの仇よ!!」
さらにこれまでで最大の魔力が叩き込まれた。女神の瞳から、徐々に光が失われていく。
「あなたの命だけで償えるものではないわ!!死んで、来世でも永遠に悔やみ続ければいいのよ!!」
「マー……ガ、レット……?そう、か……あの、なまいきな……こむすめ、の……」
そう呟いた直後、女神だったものは砂となって散っていった。神を殺した前例など存在しないが、これでもう二度と復活しないと思いたいところだ。
「アデール。……大丈夫か?」
息上がるアデールは、杖に体を預けつつも私へ笑顔を向けてくれた。
「はい、陛下。私は無事です。……少し、力を使いすぎただけです」
「そうか……しかし……」
彼女の髪を撫でる手が、少し震える。その髪の毛は、半分以上が白く色落ちていた。……それとも、半分は残ったと考えるべきなのだろうか。いや、それよりも。
「……聖女の力は、まだ残っているのか?」
「……残念ながら、そうみたいです」
つまりそれは、国民を国内に戻した際に、全員へ生命力を分け与えることを意味する。いくら生命力が人並み外れているとは言っても、相当寿命を削ることになってしまうだろう。正直、一年保つのかどうかすら予測がつかない。
「私は自分の復讐のために、お前を犠牲にしたのだな、アデール。……すまなかった」
私は15年経っても、結局何も変わっていないのか。15年前は私情に燃えて、マーガレットを犠牲にした。そして今度は、アデールを。
「違います。私が陛下を利用したんです。私には陛下とは違い、癒やす力しかありませんでした。何度も死ぬような思いを陛下にさせることでしか、復讐を達成できなかったんです」
「……そうか」
哀れだ。私も、アデールも。それに付き合わねばならなかった国民たちも。せめて、今日からはもっと民衆のために善政を敷けるよう努力しよう。復讐はもう、終わったのだから。
「……アデール。マーガレットに来世があるとしたら、私達の子孫である可能性はあるのか?」
「えっ?私達の子孫……それって」
「当たり前じゃないか。お前は私の妻になるのだぞ?そして私は一途な男でな。正妻以外の妻と子を持つつもりはない」
きっとマーガレットは怒るだろうな。浮気者だと罵るかもしれない。だが許してほしい。君がいなくなってからずっと長い時間、アデールは私の隣に立って支えてくれていたのだ。私にはアデールを幸せにする義務がある。
「聖女が子を生せた記録はありませんよ」
「なら、君が最初で最後の記録になればいい。人並み外れた生命力なのは、女神のお墨付きだろう?」
「……ふふっ、それはそれは、全然嬉しくないお墨付きですね、陛下?」
「だがやつの期待を最後まで踏みにじってやりたいとも思わないか?聖女でも母親になれるところを、砂になった女神にも見せつけてやろうではないか」
「……そうですね」
「……君を愛している、アデール。現世にいる限り、君だけを愛すると誓おう」
「私もです。……フェリクス」
生まれて初めて交わした口付けは、二人分の涙の味がした。
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バルドー王国のその後については、順調だったという記録はあまり残されていない。
当時の王国としては異例なほど医療福祉が発展していた事は確かであり、国民の健康レベルもかなりの高水準であったことは間違いないのだが、女神討伐の際に国外へ散らした国民が、全員戻ってくることは無かったのだ。
それまで悪政を敷いていた訳でもないのだが、やはり急激な増税によって国民の中に嫌気があったのも確かであり、そのまま他国に亡命してしまう例が多かった。周辺国の資料を辿ると、その亡命に伴う国際問題が各所で頻発していた事が伺えるのだから、決して順風満帆な国家運営だったとは言えないだろう。
それでも女神討伐後のバルドー国王個人の評価で言えば、一転して太陽に例えられるほどの仁君と称され、アデール王妃が亡くなった後の数十年間も一人善政を敷き続けた。そしてクラウス第一王子へ王位継承した後は山荘へ籠り、アデール王妃同様にとある少女の墓の隣で永い眠りについた。
その墓碑には「使い潰されてきた聖女達の幸福な来世を願った王、ここに眠る」という過激な一文が刻まれており、これも一説によれば王自ら事前に用意していた文だというのだから、ここからもフェリクス国王の尋常ならざる思いが汲み取れるというものである。
そしてまた幾年もの時間が流れ、バルドー王国という名前すらも、やがて地図上から消えていった。
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「うわっ!?なんだあ!?」
教室の中が騒然としている。一人の女子生徒が、隣の女子生徒の頭にバケツの水を掛けたからだ。
「きゃー!!先生!!」
「夏目さん、何をしているの!?冬樹さん大丈夫!?」
冬樹と呼ばれた女子生徒は泣きじゃくってしまい、喉が引き攣って何も言えないようだ。それを見下ろしていた夏目と呼ばれた女子生徒が、強引に冬樹を立ち上がらせた。
「せんせー、冬樹さんが風邪を引くと良くないと思うので、保健室に連れていきまーす」
夏目は無表情のまま、その手を引っ張って教室から出ていった。冬樹の小さな泣き声がそれに続く。バケツの水を掛けた張本人が保健室へ強引に連れていくという、あり得ない状況によって教室内はさらにパニックを起こした。
「ちょっと、夏目さん!?あなた何を考えているの!?……もうっ!!後で職員室に来なさい!!皆、授業は中止!!床を拭くわよ!!」
教室が落ち着かないことには生徒を追いかけることもままならない。保健室まで無事にたどり着くことを祈りつつ、教師は急いでモップを手にした。
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「ひっく……!ご、ごめんね……!夏目ちゃん、ありがとう……!」
冬樹の全身は水によって濡れてしまっている。だが注意深く観察すれば、そこに尿が混じっていることに気付けたかもしれない。尤も、パニック状態でバタバタしている中、そこまで観察することは難しいと思われるが。
「いいのいいの。あの馬鹿が休憩時間削って二時間連続で授業したのが悪いんだから。私もトイレ休憩したかったし、ちょうどいいよ」
「だけど、あれじゃ夏目ちゃんが悪者になっちゃうよ……」
「そん時は職員室で堂々と叫んでやるからいいよ。二時間連続授業で休憩できなくてイライラしてましたー!!ちゃんと仲直りしましたー!!ってね。そうすれば先生も悪いってことで、私だけが悪者にならないでしょ?死なばもろともってやつよ」
いたずらっぽく笑う夏目の強かさに、冬樹も釣られて笑ってしまった。夏目のようになりたいと思う冬樹だが、夏目の方も冬樹のように勉強が出来るようになりたいと考えている。良い親友同士と言っていいだろう。
「そういえば聞いた?なんか隣のクラスに転校生がやってきたらしいじゃない。しかも外国人で超かっこいいんだって!見てみたいよねー」
「あはは……でも、初日でこんな大騒ぎだとびっくりするかもしれないね」
「むしろ他より目立ってて色々有利かもしれないよ!体育着に着替えたら会いに行こうよ!」
「もうっ、本当にポジティブなんだから!」
笑いあいながら歩く二人は、ずっとこんな関係が続いたらいいと思っている。そして数分後、職員室で怒られた夏目が宣言通り逆襲したことで職員室が騒然となり、それを一人の転校生がたまたま目撃することになった。
「――二時間もトイレを我慢できるかぁー!!私に教室でおしっこ漏らせって言うの!?この変態教師!!」
「あわわわ……ほ、本当に叫んじゃった……!ていうか言い過ぎだよぉ……!」
「どうしたの?……うわ、なんかすごいね、あの子」
「……あれ?あ、あなたは?」
「はは、実は今日転校してきたばっかりなんだ。えっと、僕の名前は――」
願わくば、彼らの現世がより幸福なものとなりますように。
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そして、舞台は現実恋愛へ?
ありがとうございました。