第七十五話 追憶令嬢13歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンですわ。
ステイ学園の2年生です。
平穏な生活を夢みる公爵令嬢です。
非常事態が起こりました。
先触れを出す時間も惜しく足早にリオの部屋に突撃しました。
今世で一番の危機かもしれません。
手紙は何度も見返しても見間違えではありません。足を踏んでも、頬を抓っても痛いため夢ではありません。
シエルに心配されましたがお使いを頼み送り出し傍に控えさせていません。本当は授業など受けている余裕はありません。でも品行方正を目指すので授業は休めず、放課後の授業が終わった途端に荷物を持って教室を優雅に飛び出しました。
扉を開き書類を読んでいるリオに気を使う余裕はありません。一応、授業中にこの非常事態への対応を考えました。リオはお父様に私のことを任されているので協力してもらわないとと気付いて今に至ります。それに気づいたのが今日の最後の授業の時間だったため先触れを出す余裕がありませんでした。
「リオ、逃亡しますわ」
「は?」
「一月ほど身を隠しますので、お父様達をごまかしてくださいませ。お願いしますね」
書類から顔を上げた無言のリオは聞こえなかったんでしょうか?まぁいいですわ。
「待って。説明」
「一月ほど身を隠します」
「まず理由を教えて」
リオに今朝から何度も見返した手紙を渡します。
セリアにも見せましたが書かれている内容は私の認識と同じでした。
今朝、留学生の隣国王女エリザベス様からお茶会のお誘いを頂きました。
王女様から直々に渡された招待状をお断りするわけにもいかず、その場では感謝を告げました。その時の私の体には恐怖で冷たい汗が流れていました。たとえ好印象の王女様でも王族は体が拒絶反応をおこしますわ。
授業中に必死に記憶を遡りましたが私の記憶では隣国王女の留学は見つからず、面識もありません。隣国とはいえそこまで親交の深い国でもなく記憶にあるのは国王陛下のお顔だけでした。お姫様が訪問すれば接待の役目はアリア様か王太子の婚約者の私でしたが一切ありません。午前の授業中に考えこみ、途中で思考を放棄しました。記憶にないなら仕方ありません。今更情報を集めても遅いので、いつも通りの方針を決めました。王家とは関わりたくないので、留学が終わるまで身を隠そうかと思います。
逃亡先は決めてあります。
留学中のカトリーヌお姉様を頼ります。お金はお小遣いが貯まってますし、いつでも遊びにいらっしゃいとお手紙にありました。
お茶会の日付は明後日なので明日には出国しないといけません。
リオは手紙から顔を上げません。もう報告をしましたしよろしいですよね。ルーンは大きな取引を終えたばかりなこともあり留学期間中は社交の予定はありません。それなのでルーン公爵邸に帰る予定も公爵令嬢の役目に支障もきたしませんわ。
「時間が惜しいので失礼しても?お父様達をよろしくお願いします」
「待て、シア」
「また出立する時に挨拶にきますわ」
「座って」
「時間がありません」
「ルーン公爵に早馬だすよ」
「座ります」
リオの恐ろしい一言に息を飲みソファに座りました。
お父様に知られるわけにはいきません。お茶会から逃げたなんてお説教案件です。だからシエルを遠ざけて内密に処理しようとしましたのに。
私はこれから乗船手続き等をしないといけません。急いでいる私の様子を気付かず、ため息をついているリオに早くして欲しいと不満をこめて視線を送ります。
「学園から突然生徒が消えたら大捜索が始まるよ。隣国王女が来ているから特に」
「書き置きを残せばいいですか?」
「出奔は諦めろ。まだ大怪我か病気で自宅療養の方が現実的だ」
「わかりましたわ」
お父様の報告さえごまかしていただければ問題ないと思いましたのに。学園は私がいなくても勝手に社交と勘違いしてくれませんのね。
リオの提案に思考を巡らせます。
自宅療養は他の家なら簡単ですが残念ながらルーンの医療技術はフラン王国一。
大怪我は治癒魔法で治るので自宅療養にはなりません。
治癒魔法の使い過ぎは禁止されています。治癒魔法は使いすぎると効果がなくなると言われているので、軽いものは魔法ではなく薬や自然の力で治療します。大事なのは治癒魔法を使わない程度の軽い病気。そしてルーンの回復薬や万能薬を飲むほどでないのは・・・。
軽い風邪を引きましょう。
最近気づきましたが、私はそんなに体が丈夫ではありません。無属性設定のため昔のように体に違和感を感じても治癒魔法で治せません。魔力を纏わずに冷たい湖で泳げばきっと発熱しますわ。実は高熱はあまり出しませんが微熱はよくでます。微熱は眠ればすぐに下がってしまうので、高熱が必要ですわ。解熱しても大事をとって療養すれば・・・。名案ですわ。体調不良なら王族には近づけません。大事な御身に風邪を移すなど許されませんもの。
「シア、まだ話は終わってない」
立ち上がるとリオに声を掛けられました。
湖に飛び込むのは時間も準備もいらないので、もう少しここにいても大丈夫ですわ。
「やるなよ。湖に飛び込むのは論外、高台から飛び降りるのも駄目だからな」
嗜める物言いに心を読むのやめてくださいませと言う言葉は飲み込みました。ごまかすように笑みを浮かべます。
「お茶会なんで嫌なの?」
「王族と関わりたくないです」
「フウタ結界を頼む。隣国王女はシアの過去とは関係ないだろ?」
関係なくても王族は怖いです。それに私を招待する理由もわかりません。
「ですが・・・」
「隣国は冒険ギルドが有名だ。王女と親交を深めたら、冒険者になるとき役に立つかもな。シアの知らない本もたくさんあるだろう。彼女達は殿下の婚約者候補として送られてきたから、シアの憂いが一つ晴れるかもな。親交を深めるのもいいと思うけど」
殿下の婚約者候補という理由に光が見えました。理解しましたわ。生前に訪問がなかった理由も。
これは逃げるよりも参加しないといけないお茶会ですわ。殿下の婚約者が決まれば王国も安泰ですわ。療養計画は変更しましょう。きちんとルーン公爵令嬢らしくお招きされましょう。
「お茶会に参加してきます」
「頑張れ。これ手土産に。俺からの餞別だ」
リオが立ち上がって私に渡してくれた見覚えのある箱はルーン公爵領産の蜂蜜ケーキです。しかも一番人気のお店。特別な製法で作られる稀少で品質の良い蜂蜜を贅沢に使用したケーキは予約だけでも数年待ちです。養蜂家により作られる蜂蜜の味は違います。養蜂に誇りを持つ者達は技術の安売りをしません。ルーンも貴重な技術を受け継ぐための支援は怠りません。ルーンの蜂蜜は扱う量は他領に劣りますが、品質は国内一だと私は思っております。ルーンの蜂蜜は王国一高価な蜂蜜。それでも求める声が多く、王家にも献上しています。わがルーンの誇る名産品の一つです。
「いいんですか?」
「シア用に取り寄せたからな。あとこれも」
見覚えのない缶に入っているのは、新しく販売されたマール公爵領産の茶葉。これも貴重なもので中々手に入らないそうです。マール公爵領は嗜好品は大量に取り扱わず、需要よりも供給が上回らないようにしているそうです。誰もが手に入れられるものよりも手に入りにくいものの方が商品価値として高いというお考えです。
「ありがとうございます」
「何かあったらフォローするよ。どうにもならなかったら一緒に出奔しよう」
「伯母様達が驚きますよ」
「俺はエドワードの追っ手を撒けるかが心配だ」
「リオの方が年上ですのに」
「俺より優秀だ。ルーン公爵家は安泰だな」
王女様にお渡しする手土産としては十分なものです。
献上するケーキとは別にリオが取寄せてくれた蜂蜜菓子を目の前に置かれて感動しました。
マールの美味しいお茶とルーンの絶品の蜂蜜菓子を口に含み久しぶりの幸せに浸りました。
リオの冗談に付き合えるほどの気力も回復しましたし、お茶会頑張りましょう。
招待状が届いた日からラズ様に付き纏われることはなくなりました。
エリザベス様が諫めてくれたんでしょう。
招待されたサロンに向かい、扉を守る護衛に取り次ぎをお願いします。
特例で王女様の護衛に騎士団が派遣されています。
危険物の持ち込みがないか確認を受け、しばらくして扉が開いたので礼をします。
「頭を上げてください」
「失礼いたします。お招きありがとうございます」
「ルーン嬢、おかけになって」
エリザベス様の声に顔を上げると第三王女のシャルロッテ様もいらっしゃいます。
「ありがとうございます。エリザベス様、シャルロッテ様、こちらを献上することをお許しください」
恭しく手土産を差し出すと、侍女が近づいてきたので渡します。
「ありがとうございます。ルーンの蜂蜜は有名、」
エリザベス様が献上品を見て、美しい笑みを浮かべて賞賛されるので丁寧に感謝を伝えます。献上品に丁寧にお礼を言いながら、きちんとフラン王国のことをわかっていることをアピールするのも大事なことです。形式的なやりとりを続けた後に案内された椅子に座ります。
波打つ金髪と豊満な胸にすれ違うだけで殿方を赤面させる妖艶さを持つエリザベス様、まっすぐな金髪と細やかな胸に引き締まった体、知性を感じさせる清廉さを持つシャルロッテ様。正反対の印象を持つ姫を用意したラル王家は本気だろうとブレア様達が話してましたわ。
「ルーン嬢、貴方には申しわけないことをしました」
「いいえ。私こそ配慮が足らずに申しわけありませんでした。恋ゆえに、」
お茶に口をつけながら謝罪を口にするエリザベス様に頭を下げます。ラズ様の件はもう終わりだと思っていましたが、蒸し返すんですか?動揺を隠して外交問題にならないように言葉を選びます。
「ルイーザも諦めたからこれ以上はお二人の邪魔をしないことを約束しますわ」
「ご令嬢に容赦のない言葉を、紳士として恥ずべき行動をしたと婚約者も反省しております。この場を借りて婚約者の代わりに謝罪することをお許しください。」
「頭を上げてなさい。お気になさらず。非はルイーザです。この件を大きくするつもりはありません」
「寛大なお心に感謝いたします」
優雅に微笑むエリザベス様、淑やかに微笑むシャルロッテ様。気分を害した様子はないので大丈夫でしょう。
「マール様が情熱的な方とは思いませんでしたわ」
終わったと思った話題が続くことに、嫌な予感がします。良識的な王女様はもしかして言葉の重さをわからない方でしょうか?他の王族でしたらここで話題を変えます。終わった話題を広げません。警戒を緩めずによわよわしく微笑みます。
「二人の純愛物語は胸を打たれましたわ。読んだルイーザも二人の絆に敵わないとようやく諦め留学につれてきた甲斐がありましたわ」
微笑むエリザベス様の言葉の意味がわかりません。突っ込み所は満載ですが、余計なことは考えていけません。知らないことが幸せなこともありますわ。リオが情熱的と評価されるのも初めてですが、強烈な印象を残したからでしょうか?遠回しにラズ様への冷たく過激な言葉を非難されてます?迷惑ってはっきり言いましたしね・・。あれはフラン王国の紳士としてありえないと思いますわ。純愛と言う言葉にリール公爵夫人の可愛らしい笑顔が浮かんだので慌てて打ち消しました。
「ラズ様に幸せが訪れることを心からお祈りしていますわ」
「ルーン嬢は寛容ですこと。さすがクロード殿下の想い人」
真っ赤な唇から溢された言葉に冷たい汗が流れました。動揺を出さないように気をつけてカップに口をつけ、声を出すために喉を潤す。カップをそっと置いて穏やかな顔を作って、顔を上げて口を開く。
「恐れながら、勘違いされてると思いますわ」
「私もいろいろ影は忍ばせておりますのよ」
真っ赤な唇が弧を描き妖艶に微笑む瞳には細やかな敵意の色を見つけました。護衛はフラン王国の騎士達なので、私を斬ったりしませんよね?
リオ兄さま、この方怖いです。昔のサラ様よりも怖いです。親交を深めるの無理ですわ。
昔のように隣にクロード殿下はいません。自分でなんとかするしかありません。
「お戯れを」
「奥ゆかしいのね」
向けられる妖艶な笑みと私の言葉を受け入れる気のない姿勢に体がどんどん冷えていく。冷たくなる空気に、この場の主導権をエリザベス様に支配されていることに気付きました。私の殿下と親しくなってほしいという浅はかな策を後悔するよりもこの場を乗り越えないといけません。ここさえ穏便に乗り切れば、きっと殿下がなんとかしてくれますわ。
「お姉様、ルーン嬢が困っております。お戯れはおやめください」
良く通るシャルロッテ様の声が響きました。
「ごめんなさいね。ルーン嬢に伺いたいことがありまして、よろしいかしら?」
言葉だけの謝罪に冷たい空気は変わりません。獲物を見るような目に見つめられても私に許される言葉は一つだけ。そして断れば不敬を責められるのも目に見えてます。
「私にお答えできることであれば」
「貴方にとってクロード殿下はどんな方?」
先程から殿下との関係を疑われてるんでしょうか?調べても何も出てこないと思います。ラル王国よりもフラン王国のほうが魔法は優れています。そして王宮にも学園にも隠密を忍ばせるほどの腕もないはずです。そんな力があればもっと国として力をつけています。生前クロード殿下と伯父様が作った友好を特に深めるべき国のリストに名前はありませんでした。どちらかというとうちが遅れているラル王国に技術者を送っていますので全てにおいて優位はフラン王国です。争いを望まないので弱小国相手でも波風立てず、きちんとしたおもてなしをするのがフラン王国ですが。
「フラン王国を守ってくださる敬愛する将来の主です」
「模範解答。殿下の婚約者が決まっていないのはどう考えて?」
「申し訳ありません。私には政のことはわかりませんわ」
宰相一族の娘が王族の事情を他国の王族に話すことはありませんよ。脅すように見られても、揺らぎません。令嬢モードで受け流すだけですわ。
「そう。私達は殿下と親交を深めたいのですが、どう思われます?」
私の答えに満足せず、ピクリと眉を動かしたエリザベス様に求められる答えはわかっていますが、受け入れません。殿下の婚約者が早く見つかればいいと思いますが他国の王族相手に全面的に協力するとは言いません。あくまで優先すべきはフラン王家です。そして私はルーン公爵令嬢として席に付いています。
「殿下は誠実なお人柄です。親交を深めようとする方を無下にすることはないと思いますわ」
「私が王妃となれば貴方はどうします?」
「フラン王家に望まれた方に誠心誠意お仕え致します」
「嘘偽りなく言えますか?」
「ルーン公爵家の者としてルーン公爵といずれ嫁ぐであろう夫の考えに従います」
将来王妃として迎えられるかもしれない方への言葉は注意が必要です。私を呼び出したのは取り込むためでしょう。ラズ様の件ではなく、本題はこちらでしたわ。ここの空気はエリザベス様の支配下ですが、飲まれるようなことは許されません。
そして王家の意向に従いますと利用されるような言葉は残しません。王家の対立が生まれた時に、いずれお子が生まれた時に後ろ盾になるように捉えられる可能性のある言葉は絶対に。言葉は重いものですから。
「貴方が私達の邪魔をすることはありませんか?」
「殿下と陛下とルーン公爵次第です」
「無礼講。貴族でなかったら?」
「私は殿下と姫殿下がお幸せな未来を選ぶことを祈っておりますわ」
国のために懸命な殿下を支えてくれる方がいい。常に前を向いて、温かい手で全てを包み込もうとする優しい殿下には。でも私の理想と殿下の望みは違います。同じものを目指していたと思い込んでいた愚かな私。殿下の世界に邪魔になっても、駄目ですわ。余計なことは考えてはいけません。殿下に迷惑ですもの。殿下のことを考えませんわ。私は私の平穏のために生きますの。ここを穏便に乗り切る方法だけ考えましょう。
「貴方自身が殿下と結ばれたいとは?」
「私には魔力がありません。資格のない私には王妃は重すぎます。私は今に満足しております。婚約者にも不満はありません。許されるならこの幸せな日々が続けばいいと思ってますわ」
「お姉様、牽制する必要などありませんわ。ルーン嬢、もう下がっていいわ」
「かしこまりました。失礼致しますね。」
エリザベス様の不満そうな顔は気付かないフリにして、シャルロッテ様の言葉に従い退室しました。そしてリオの部屋に駆け込みました。抱きついたリオは私の冷たい体に何も言わずに優しく頭を撫でて労わってくれました。ようやく体温が戻ったので、お茶会のことをリオに伝えてあとの対応はお任せしました。留学生の接待は生徒会役員が務めてます。殿下への報告も引き受けてくれる頼もしい従兄に全力で甘えました。
胃の痛くなるお茶会は終わりました。留学生の3人のような方とうまくやっていける気がしませんわ。冒険者は憧れますが隣国を訪れるのはやめた方が良さそうですわ。あんなに言葉の通じない方々がいる国はお父様の命令でない限り絶対に行きたくありませんわ。




