第七十二話 追憶令嬢13歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンですわ。
ステイ学園の2年生です。
平穏な生活を夢みる公爵令嬢です。
試験も終わり、アリス様との連日のお茶会もなくなり時間に余裕ができました。アリス様のことはハンナに任せてます。向上クラブの日は連日お菓子を持参し通われているようです。二人が楽しそうでなによりですわ。
私は野外訓練を振り返ろうと思います。
採集に出かけた後の記憶がないのでエイベルに聞くと、蛇に怯えていたと言われました。私は蛇を見たことがないので図書館から爬虫類図鑑を借りました。
実は爬虫類図鑑というものを学園で初めて見ました。学園にも貴重な文献が揃っており、ありがたいですわ。
図鑑には色取り取りの蛇の絵が描かれています。
「何を真剣に見てるの?」
「蛇に怯えて倒れたから慣れようと」
「今のところ大丈夫そうね」
「蛇を初めて見たから驚いたのでしょうか?熊の時より怯えたというか異常って言われました」
あのエイベルが様子がおかしいと言うなら相当ですわよね。
「あんなに野外で活動してて初めて蛇を見たことに驚きよ」
「蛇の名前と毒はわかりますが、絵があるものは学園で初めて見ました。知識としては知ってましたが本当に生息するものなんですね」
「は?」
呆れるセリアの声にニコル様が蛇が珍しいものではないと教えてくれました。そして爬虫類図鑑も貴重な物ではなく簡単に手に入る物だとも。
「幼少期にトラウマでもあるのかな」
「蛇の資料もないのか。うちにあるから貸そうか?リオ様のこと呼んでたからリオ様なら事情知ってるんじゃないか?」
採集に行き帰ってこない私とエイベルを心配してニコル様とクラム様が迎えに来てくれたときに、私とエイベルの焦った声が聞こえたようです。エイベルが背負って連れ帰ってくれたことに感謝してますよ。お礼に生徒会の書類仕事を手伝いました。敵でも恩は返さないといけませんから。
「いえ、これで充分ですわ。リオに訓練のこと話してませんわ」
「なんで?」
「自分の不甲斐なさとあまりにリオとの実力の違いに心が追いつきませんわ。それに怒られますもの」
「レティ・・・。とうとう親離れの時期が。それともまだ反抗期かしら?」
「セリア?」
しみじみと呟くセリア。私は親離れ?はすでにできていると思いますが。私の肩を慰めるように叩くクラム様。そしてニコル様が視線を逸らして笑みを浮かべていることが非常に気になります。
「ごめん。レティシア嬢。僕、話したよ」
ニコル様!?笑顔で言われた言葉に固まりましたわ。ひどいですわ。リオとニコル様の仲が良いこと忘れてましたわ。でも授業が終わりしばらく経ちますがリオのお説教がない。グランド様がお灸をすえてくれたからでしょうか?図鑑の上に力なく伏せた私の肩に労わるように大きな手が置かれてました。すぐにパチンと容赦なくクラム様の手を叩き落とした色白の手はセリアでしょう。
「大丈夫か?」
「怒られたら、泣けばリオ様は黙るわよ」
「リオに涙は通用しません」
「相談したほうが早いと思うよ。ビアード様もシオン嬢も知らないならリオ様に聞くのが一番じゃないかな」
「怒られたら慰めてやるから行ってこいよ」
「わかりましたわ。行ってきますわ」
時間は有限。情報収集は大事です。顔を上げると明るいクラム様の笑顔に勇気付けられセリア達に見送られ、教室を出ました。リオの部屋に着くと鍵が空いてます。ノックしても声はなく、扉を開けるとグランド様がいました。
「失礼します。ごきげんよう」
「リオはすぐ戻るよ。ルーン嬢、その本は?」
グランド様が私の抱える本を凝視してます。
まずいですわ。爬虫類図鑑持ったままですわ。
図書館の本なのでカバーはなく、慌てて後ろに隠し笑みを浮かべてごまかします。
「お忙しそうなのでまたにしますわ。失礼します」
「リオは忙しくないから大丈夫だよ。座って待ってなよ」
強引なグランド様に腕を掴まれ、ソファに案内されたので撤退失敗ですわ。
グランド様は物言いたげに私を見ています。爬虫類図鑑は背中に隠してあります。お茶を用意しようにもグランド様の前で勝手に動き回るわけにはいけませんし……。
気まずい沈黙が続き、先に口を開いたのはグランド様でした。
「蛇はもう平気になったんだね」
サラリと言われた言葉に首を傾げます。もしかしてクラム様達から聞いたんでしょうか?
「どうしてですか?」
「爬虫類図鑑持ってるから」
爬虫類図鑑には蛇以外も描かれています。
「蛇のことどうして知ってるんですか?」
「昔、蛇に襲われてたから。ごめん。忘れて。余計な事言った。リオを呼んでくるから待ってて」
グランド様が立ち上がり気づいたら部屋から出て行ってました。風のような動きの速さに驚きましたわ。さすが武門名家ですわ。
昔、蛇に襲われた記憶はありません。
図鑑の蛇のページを開きじっくりと眺めます。茶色い蛇がとぐろを巻いているのかが気持ち悪いですわ。緑色の蛇、気持ち悪いですが見覚えはありません。一枚一枚の絵を見ながらページを捲り、見覚えのあるもの……。真っ赤な長い舌を持つ白い蛇の絵にゾクリと寒気が走りました。体が震えて、冷たい汗が流れてていきます。
「シア!!」
この蛇……?真っ白、なにかが引っかかります。思い浮かんだのはマール公爵邸、もう一度図鑑を覗こうとすると膝の上の図鑑がありません。顔を上げると銀の瞳。この銀色が閉じた光景、起きない、死ぬ?
「シア、考えなくていい」
震える体を抱きしめると温もりに包まれる。頭を撫でる覚えのある感覚に。
「シア、大丈夫だよ。怖くない。俺は平気だよ。ゆっくり息を吐いて」
頭に響く声に合せて息を吐く。声に合せて吸って吐いてを繰り返す。自分の音ではないゆっくりした鼓動に呼応するように速かった音がだんだんゆっくりになっていく。意識せずとも呼吸ができるようになり、冷たい汗も引きました。顔を上げると銀の美しい瞳に情けない顔の自分が映っています。
「大丈夫。何も怖くない。俺が誰だかわかる?」
「リオ?」
「ああ。俺は大丈夫だから安心して」
ポロリと涙が零れた理由はわかりません。それでも目の前で笑っている存在に力が抜けて胸に埋めさせてくれる手に甘えて涙を流します。どうしてかわかりません。
しばらくして涙が止まりリオに涙の痕を指で優しく拭われました。そして唇にチョコを当てられているので口を開けると、甘みが広がりました。
飲み込むとさらにチョコを食べさせようとする手に手を重ねます。
「無言でチョコ食べさすのやめてください」
「もう大丈夫そうだな。ほら」
いつの間にか用意されていたお茶を渡され口に含むと全身がじんわりと温まります。隣に座って肩を抱いて優しく頭を撫でる手の温もりに甘えながら、口を開く。
「リオ、どうして怖いんですか?蛇を見た記憶がないんです」
「昔、俺が蛇に襲われて倒れた時に傍にいたから、トラウマなんじゃないか?」
「覚えてませんわ」
「小さい頃だから仕方ないよ」
私ではなく襲われたのはリオ?覚えてないことを考えても仕方ありませんわ。
大事なのは、
「どうしたら克服できますか?」
「蛇除けの魔法具を贈ろうか?」
「常に付けていられるわけではありません」
「蛇除けの魔法陣でも探そうか」
「克服したいんです」
「無理して克服する必要あるの?」
蛇は珍しいものではなく身近な存在であり、贈り物として取引されるとも教わりました。克服しないと生活に支障がでます。王妃教育に蛇に慣れる項目などありませんでしたわ。
「蛇は身近に生息しているものです。贈り物になることもありますし、偶然見つけた時に倒れるわけにはいきません」
「俺が処理するよ」
「リオがいない時に困ります」
「ずっと傍にいるから安心して」
先程から逃げることを勧めるリオは頼りになりませんわ。私の隣に座って肩を抱いている腕を振り払います。
「非現実的ですわ。真面目に聞いてくれないならもういいですわ」
「本気なんだけど。わかったよ。どうしても無理な時は諦めろよ」
ため息をついたリオは協力してくれそうですわ。
「フウタ、結界作って出てきて。シアに見えるように小さい蛇に変身して」
リオの肩に止まっているフウタ様が鳥から小さい銀の蛇になりました。
「シア、フウタに触れる?」
銀の瞳が美しいフウタ様の頭を撫でます。
「フウタ、成人した蛇に変身して」
手のひらサイズの蛇が光ると腕程の長さになりました。フウタ様はいつ見ても美しい色をしてますわ。
「大丈夫そうだな。次はこの蛇に変身して」
リオが図鑑で示した蛇にフウタ様が変身していきますが、恐怖はありません。
「シア、触れる?」
頭を撫でるのは特に問題はありませんわ。
「フウタ、シアの腕に巻き付いて」
リオの肩から移動する姿に、ゾクっとして腕に巻きつかれるとさらに寒気に襲われ、不快感が・・。
「シア、落ち着いて。フウタ、もういいよ」
「どういたしまして」
腕に巻き付く感覚がなくなるとともに、フウタ様が消えましたわ。
「シア、大丈夫か?」
やはり蛇というものは苦手なんでしょう。心配そうな顔をするリオにごまかすように笑みを浮かべて頷きます。
「はい」
「触られるのは無理だな。見れるなら問題ない。見つけた途端に弓か短剣で仕留めればいい」
やはり動揺したのは見つかっていましたわ。知られているなら隠しても仕方ありませんわ。
「本当に大丈夫なんでしょうか?」
「あとは実際に本物を見てどうなるかだな。それは追々な。今は無理だ。ただ蛇が苦手なことは誰にも言うなよ」
「セリアに話してしまいました。あとニコル様達や先生にも知られているかと」
「それは俺に任せて。周囲に知られれば嫌がらせに使われる」
毎日蛇が贈られるなんて耐えられません。絶対に気付かれないように頑張りましょう。
とりあえず蛇が苦手なことは自覚しました。蛇と対処できるかはあとでゆっくり考えましょう。
そういえば、
「気をつけますわ。リオをお借りしてしまいましたが、グランド様は大丈夫ですか?」
「あぁ。もう終わったから気にしないで」
「グランド様にお世話になっているのでお礼をしないといけませんわ」
「俺がしとくよ」
先程からリオにお願いしてばかりですわ。頼もしい笑顔につられて笑みが零れます。
「リオに甘えてばかりですわ」
「シアを甘やかすのは俺の趣味だから」
「趣味?」
「そうそう。シアは大きな顔して我儘言ってればいい。そろそろ帰らないとだな。支度して。その本は俺が返しておくから」
図鑑を取り上げられリオと一緒に帰りました。
私の甘やかすのが趣味と笑うリオは変わっています。でも全然平穏でない学園生活にいつでも相談できる相手がいるのはありがたいですわ。身内にとことん甘いリオ兄様。
リオへ感謝を籠めてチョコケーキを取り寄せましょう。
本当に蛇の嫌がらせがあるのでしょうか・・・。
やはり味方を増やさないといけませんわ。
まずは品行方正、成績優秀、武術以外ですが・・。他にいい方法はないでしょうか?
誰に相談するのがいいのでしょう。私にとって完璧な公爵令嬢であるカトリーヌお姉様が恋しいです。
明日は平穏な日でありますように。




