第六十八話 追憶令嬢13歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンです。
ステイ学園の2年生です。
もうすぐ試験です。
私は2回目なので必死に勉強しなくても平気なのでアナ達の試験勉強を手伝っています。
参考書と問題集を貸しています。
応用問題や文章の読み取りにつまずいているようですわ。
貴族特有の言い回しもありますので、平民のアナ達には難しい部分もありますが基礎ができているので、点数はそんなに悪くないと思いますが。
「グランド様!!」
扉が勢いよく開きご令嬢が入ってきました。
「探しましたわ。部屋を取りましたの。一緒にお勉強しましょう」
笑顔でノア様の机の前に立つご令嬢の視界には私達は入っていませんわ。私は嫌な予感がするので、ノア様から一番遠くの席に座っているリナの隣で空気になりましょう。
リナには人差し指を口元に当てて内緒にしてほしいと合図をすると頷いてくれましたわ。察しが良くて素直な子は可愛いですわ。
「マートン侯爵令嬢、私のことは気にしないでください」
いつもは敬語をあまり使わないノア様にしては丁寧な言葉を使っています。物凄く嫌そうな顔のノア様。マートン侯爵令嬢とは他人行儀の呼び方です。
社交界と違う平等の学園には幾つか暗黙のルールがあります。
王族を除いては平等な学園では爵位を入れて呼ぶことはあまりありません。
ルーン公爵令嬢>ルーン令嬢>ルーン嬢>>>>レティシア嬢>>レティシア>>>レティ。
このように親しさの呼び分けもできます。
平等の学園で爵位を呼ぶのは貴方とは仲良くしたくありませんという意思表示の一つでもあります。
「そんな。私はグランド様と同じクラスで過ごせると楽しみにしてましたのに」
「私は優秀ではないので。マートン侯爵令嬢は優秀なご学友たちと有意義な時間をお過ごしください」
マートン侯爵令嬢?同じクラスのアリッサ・マートン様の妹ですわね。直接面識ないので忘れてましたわ。できれば場所を移してお話していただきたいですが余計なことは口にしません。
リナの手が止まったので、公式を指差すとコクンと頷き手を進めました。ロンに服を引っ張られそっと近づきました。無言で私を見つめるロンに笑みを堪えて飴を渡して静かに皆に回すように目配せすると頷きました。そして飴を口にいれて嬉しそうに笑った顔に微笑み返しながら問題を指差します。
空気を読んで静かに勉強している後輩達に関心します。
賑やかな二人を気にせず勉強に集中するとはすばらしいですわ。
将来が楽しみですわ。私は興味がないのでノア様達に関わったりしませんわ。
「私はグランド様と過ごしたいのです。こんな下賤な者たちと仲良くするなんて」
マートン様の言葉と見渡す視線に嫌な予感がします。貴族同士の揉め事に当人以外それも平民を巻き込むのはやめてくださいませ。お姉様も非常識の塊なので妹も同じなんでしょうか。
マートン様がノア様に向ける視線はリオのファンが向けるものと同じ。
グランド伯爵家よりもマートン侯爵家のほうが家格は高いです。
ですがグランド伯爵家はうちの派閥であり名門伯爵家。
マートン侯爵家とは派閥が違うので侯爵家といえ強引に婚約を結べません。
またグランド伯爵とマール公爵は兄弟弟子。リオとサイラス・グランド様は友人。グランドとマールは親交が深い為、マートン侯爵家からの強引な申し出は余裕で断れます。本人達の希望がなければ一切のご縁のない縁談ですわ。
「俺の友人にそんな言い方はやめれくれませんか」
「そんな!?グランド様。私は貴方のために」
「価値観の相違です。マートン侯爵令嬢に見合う方々とお付き合いすればいいかと」
「私は貴方が」
「しがない伯爵家の俺には貴方のお相手は荷が重すぎます。ご容赦ください」
ノア様が嫌そうな顔で容赦なく家格の高いマートン様にお断りをしています。
温和なグランド様の弟君とは思えませんわ。侯爵家対伯爵家。言い争うのが3組だったのがまだ救いでしたわ。名門貴族の多い1組でしたら、家格の低いノア様の直接的な非難の物言いは無礼として咎められたかもしれません。
「目を醒ましてください。どうして、もしかして」
マートン様が周りを見渡します。
嫌な予感が・・・。
「貴方ですの!?」
私を見て視線が止まりました。アナ達が標的になるよりいいですわ。
よわよわしく微笑み返します。
リナが心配そうに見てるので頭を撫でて、問題を指差します。
これ収集つきますかね?ノア様とマートン様の話は平行線です。
マートン様が引き下がるかノア様が付き合うか、二人は決して意見を曲げる様子はありません。マートン様は妄想で火事を起こすのが好きそうですし。
二人共私の言葉を聞くとは思えません。
どんなに言葉を尽くしても聞く気のない方には無駄です。
このままではこのクラスの生徒に迷惑がかかりますわ。
仕方ありませんわ。適任者を呼びましょう。この事態を穏便に収められるのはたった一人ですわ。魔力を送って念じます。リオ、申しわけありませんがグランド様を一年三組に連れてきていただけませんか。
これで大丈夫ですわ。
私がルーン公爵家令嬢とは気づいてないので、このままいきましょう。
知られたら余計に話を聞いてもらえなくなりますもの。私の瞳を見てルーンと気付かないお勉強不足に突っ込んだりしませんよ。
「貴方がグランド様をたぶらかしましたの!?」
マートン様はお姉様にそっくりな形相で睨んでますわね。ため息が溢れそうになるのを我慢し、静かに答えます。
「私はノア様とは単なる先輩と後輩ですわ」
「名前で呼ぶなんて無礼な!!馴れ馴れしいわ!!」
うっかり名前で呼んでしまいました。確かに明らかに嫌悪の視線を向けられているマートン様よりは私のほうがノア様と親密でしょう。でもあくまでも知人であり特別ではありません。
ノア様はペンに手を伸ばして課題を始めました。一瞬目が合うと笑顔で一礼しました。あとお願いしますって、傍観の姿勢に入らないでください。
厄介事がさったみたいな顔して課題に夢中にならないで。グランド様、弟君の教育をしっかりしてくださいませ。
「グランド様をけがらわしい目で見つめないでください」
うっかりノア様を睨んでしまいました。令嬢らしくないですわ。指摘されても仕方ない行為なのにいささか理不尽に思えます。マートン様にはたぶん何を言っても無駄ですよね。妄想癖と人の話を聞かないのは姉妹共通ですわ。私もエディの教育頑張ったほうがいいかしら・・。もう遅いですわ。
でもエディは人の話はちゃんと聞くから大丈夫ですわ。時々物騒なことを口にしますが、根は優しくて良い子ですもの。現実逃避してる場合ではありませんわ。彼女と比べるのはエドワードに失礼ですわ。
よわよわしく微笑みます。ロンが何か言おうとしますが、やめてと目配せすると固まりました。
察しの良さが素晴らしいですわ。
「黙ってないで、なにか言ったらいかがですか?男をたぶらかすのに忙しいの?」
ロンとのやり取りを見て、どうしてそうなるんでしょうか。
どうしましょう。グランド様早く来てくださいませ。
「よければご一緒にお勉強しますか?」
「誰があなた達みたいな下賤な者と!!」
先程から上位貴族として相応しくない言葉ばかり使いますね。平等の学園ですがクロード殿下の嫌うお言葉を安易に使うのは控えてもらったほうがいいでしょうか?
「下賤?」
「わかりませんの?貴族の施しがないと生きられないあなた達のことですわ」
高慢な口調で堂々とした物言い。淑女らしさの欠片もない態度。
マートン侯爵家はどんな教育をしているのでしょうか。感情を露わにするのもいけません。でも王族は民を宝と大事にしています。王族にとって大事な宝を下賤と思っていても口にするのは愚かなことです。社交デビュー前でも諫められることですのに。それに貴族は利のない施しなんてしませんわ。貴族と領民は利害の一致で結ばれてるんですよ。
「貴族は平民に支えられて生活してるのではありませんか?」
「まぁ!?傲慢ですわ」
私も傲慢な考えを持っている自覚はありますが、口に出すような愚かなことはしませんよ。心の中でどう思っていても表に出さずに知られなければいいんですもの。
幼いエディに教えたことをそのまま伝えましょう。
「貴族は平民に支えられているかわりに、彼らを守り生活しやすいように尽力するものです。貴族以外の方を下賤というのは失礼かと」
「あなたなんかにわかりませんわ!!」
言葉を遮るマートン様には通じませんでした。3歳のエディはお互いに助け合うんですね。姉様と一緒に頑張りますと愛らし笑みで決意表明しましたのに。
私も貴族なんですがここでルーン公爵令嬢が名乗っても逆上するのが目に見えてます。
撤退はできませんし、このままですと勉強の邪魔です。せめて場所を移してお話しますか?
今更ですが、グランド様を呼んでもらいましたが目立ちますか?グランド様のファンが付いてくるのは困りますわ。できれば空気を読んで一人で来ていただきたい。
いつもは授業が始まりマートン様との不毛なやり取りは終わります。今は放課後なので期待できません。
「これは何事ですか?」
聞き覚えのある声に視線を向けるとグランド様が来ましたわ。
グランド様、遅いですわ。
ノア様がようやく課題から顔を上げて驚いた顔をしました。兄君の召還は予想外でした?
本当はノア様が片付けるべきことでしたわよ。自分の問題を他人に押し付けるなんて恥を知ってください。
リオ兄様、ありがとうございます!!さすがです。頼りになりますわ。あとは当事者達に問題をお返しして、お任せしましょう。
「貴方の弟君がたぶらかされております」
マートン様はお姉様と違い殿方にも好戦的なんですね。マートン様は殿方の前では態度が変わります。リオがいると高慢な口調で絡んでくることはありません。私と同じく気弱な令嬢設定のようですわ。事情は興味がないので調べませんわ。
「それは勘違いかと」
「下賤な平民に騙されてますのよ」
「下賤な平民?」
グランド様が私を見てため息をつきました。貴方の弟君のせいですわと睨み返すと真剣な顔でマートン様に向き直りましたわ。
「グランドは平民に支えられてます。グランドは平民を大事にできない令嬢を迎え入れることはありません。たとえ多額な持参金を提示されても。後ろ盾も間に合っています。マートン侯爵に泣きついても無駄ですよ」
すでに婚約の打診があったんですね。
グランド様の浮かべた笑みにゾクリと寒気がしましたわ。グランド様も腹黒だったなんて。
敵だけど純粋なエイベルか明るいクラム様に会いたい。もう私はトンズラしてもいいでしょうか。グランド様がいるなら場所を変えて三人で話し合いをしてほしい。
マートン様は私を睨んでいます。私は無関係ですよ。
矛先向けないでください。
「その下賤な女が候補ですの?」
「ありえませんよ」
「安心いたしましたわ。まだ正常な判断はできたんですわね」
勝気な笑みを浮かべて笑うマートン様はおバカなんでしょうか?
グランド様によくここまで言えますね。ノア様と結ばれたいなら兄君は味方にしないといけませんのに。マートン様は何がしたいのかわからなくなってきましたわ。
「彼女はすでに友人の婚約者ですから」
「ご友人は選ばれた方が賢明ですわ。お義兄様のためでしたら紹介致しますわ」
「貴方を義妹にした覚えはありません。俺の友人を紹介しますよ。見てないで出て来いよ。真っ先に出てくと思ってたんだけど」
グランド様の視線の先には濃紺の髪色。扉に佇んでいたリオが近づいてきましたわ。
マートン様がリオの顔をじっと見つめています。
「はじめまして。マートン侯爵令嬢」
リオが社交の笑みを浮かべて礼をするとマートン様はほのかに頬を染め、口元を緩めぼんやりしてますわ。リオの笑顔を真似できませんかね。笑顔で相手が静かになれば理想的ですわ。リオの笑みを思い浮かべて真似しようとするとリオの背中が目の前にありました。
「私の婚約者がお世話になりました」
「いえ、よければ私の友人を紹介いたしますわ」
うっとり微笑むマートン様の言葉に驚いて息を飲みました。嘘でしょう!?リオの髪色はアリア様と同じ。そして瞳の色も。
上位貴族なのに序列一位のマール公爵家を知らないってまずいですよ。
ノア様とグランド様が楽しそうな視線を向けてます。このありえない事態に動揺しているのは私だけ?
「私は彼女に夢中なのでご勘弁を」
「あなたも下賤な女に騙されてるんですの?」
「彼女になら騙されても構いませんよ。申し遅れました。マール公爵家三男リオ・マールと申します」
マートン様にまた睨まれました。まずはリオへの謝罪が先ですわよ。リオの婚約者が私って有名ですよね。悲しいことに。
貴族として交友関係の把握は必要ですから仕方ありませんわ。ルーンと気づかれてなければそのまま過ごしたかったですわ。
「レティシア、挨拶した?」
振り返ったリオの涼し気な笑みが怖いですわ。顔は笑っているのに瞳は笑ってません。初めて気づきましたがクロード殿下にそっくりですわ。二人は従兄弟でしたわ。怖い記憶が蘇りそうになり、リオに名前を呼ばれて我に返りました。現実逃避してる場合ではありませんわ。
リオの背中から出て、隣に立ち動揺を隠して笑みを浮かべます。
「申し遅れました。ルーン公爵家長女レティシア・ルーンと申しますわ」
指示通り自己紹介して礼をとります。
ノア様が笑っているのが忌々しい。あなたのせいですよ。私は部外者ですのに。リオのお説教が…。
「なんで、公爵令嬢がこんなところに」
「年長者として務めを果たしていただけですわ」
「マートン侯爵令嬢、初犯だから見逃すが平民を貶める発言は貴族として許されない。目に余るなら生徒会が動く。俺の婚約者や関係者に手を出したら、それなりの対処をさせてもらう。マールとルーンの両公爵家を敵に回す覚悟があるなら喜んでお相手しよう」
震えはじめたマートン様にリオが冷たい声で極上の笑みを浮かべました。
潤んでいる瞳に1年生相手にこれはやりすぎですわ。グランド兄弟はやはり動かないですね。
「マートン様、」
「失礼しますわ」
颯爽と去っていましたわ。感心するほど見事な撤退ですわ。
話を聞かないところは困りますが、泣かずに戦う姿勢は嫌いではありません。お姉様より好印象です。
とりあえず一件落着ですわ。
やっと安心して勉強は、できませんわ。リオが怖い笑顔で私を見てます。
「もう遅いから、そろそろ終わりにしようか。騒がして悪かった。これからも弟をよろしく頼むよ。ノアは話があるから一緒に帰ろうか」
グランド様がノア様の肩を掴むと顔が青くなり笑顔が真顔になりました。
「気を付けてな。男子は女子を寮まで送ってやれよ」
なぜかリオ達が仕切り、アナ達が空気を読んで片付けてます。
試験前の貴重な時間をごめんなさい。心配そうにアナ達に見られているので微笑んで手を振ります。
「シア、送るよ」
私は悪くないですが、お説教をする前の怖い笑顔を浮かべるリオに頭をさげます。
「すみませんでした」
「今日はもう遅いからその話は明日だ。お前も勉強しないと。朝待ってるよ」
「リオ兄様、起きられるかわかりませんわ」
「シア、昔から無駄に早起きだろ?」
無駄って。確かに朝は自由なので比較的早く起きて行動しますわ。
「心配なら俺が迎えに行こうか?」
これは逃げられませんわ。諦めましょう。
「シエルがいるから大丈夫ですわ。リオのクラスに行けばいいですか?グランド様にも、」
「俺の部屋に朝食を用意するから一緒に食べよう。サイラスには俺が話す」
「わかりましたわ。よろしくお願いしますわ」
リオの笑顔に怯えながら寮に向かいました。
私は悪くありませんのに・・・。
明日は気が重いですわ。




