第五十三話 追憶令嬢12歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンですわ。
ステイ学園一年生ですわ。
長期休暇が終わり学園に向かう馬車に揺られています。多くの生徒は前日から学園に戻りますがルーン公爵邸からステイ学園は馬車で二時間程度です。前日に学園に行く必要はないので、エディに見送られ今朝出発しました。
不思議なのはなぜかリオがうちまで迎えに来たことです。マール公爵邸からうちによると遠回りになりますが。
断る理由もないので、リオの馬車に同乗しながら伯父様からのお土産の本を読んでいます。リオも書類を読んでいて相変わらず忙しそうですわ。
門の前で馬車が止まったので先に立ち上がったリオにエスコートされ馬車を降ります。自然なエスコート姿はさすがマール公爵家。
年々所作に磨きがかかり、公爵子息として相応しい振舞いです。もう一人の公爵子息とは大違いです。もちろんうちの優秀な跡取りのことではありませんよ。
令嬢達の味方を増やすためにリオと仲良く見えるようにしないといけません。
名目上は婚約者なので二人でいても問題はないので、一緒にいることは傍から見れば仲良く見えるはずですわ。わざわざ迎えに来てくれたのはリオの作戦ですね。
令嬢達の休暇前と変わらぬ突き刺さる視線は気にせず、笑みを浮かべながらリオのエスコートで足を進めます。
教室に着いたので、リオの手を解いて礼をします。
「リオ兄様、送ってくださりありがとうございます」
「俺が一緒にいたかっただけだから」
お互いの意思で一緒にいるとアピールするのは大事ですわ。権力で脅していると思われたら逆効果です。非常識な令嬢達の戯言ですけど、保険をかけるのはさすがリオ兄様ですわ。
「私も嬉しいです」
「名残惜しいけど、」
リオの顔が近づき、首を傾げると額に口づけを落とされました。
こないだエディと参加した夜会でお会いした他国のお客様がエディにも同じことをしてましたわね。学園内に国外の文化を取り入れるなんてリオくらいですわね。
私の頬をそっと撫でて「またな」と笑みを浮かべて去って行ったリオの背中を見送ると周囲から悲鳴が響き渡りました。
久しぶりのエセ紳士モードだからですか?
久しぶりの賑やかな声に本当にこれでいいのか迷いながらも席に着こうとすると肩に手が置かれました。
視線を向けると目を輝かせているブレア様。
「レティシア様!!お休み中に何がありましたの!?」
興奮しているブレア様。親しき中にも礼儀ありですわ。ブレア様には求めませんが、
「ごきげんよう。ブレア様。お茶会や視察でほとんど終わりましたわ」
伯母様とお父様の命令によるお茶会地獄に夜会にルーン領の視察等なかなか多忙でしたわ。ルーンの高等研究所の視察にはセリアが付き合ってくれました。うちの研究者達はシオン伯爵令嬢を歓迎して楽しそうに研究成果を話してました。セリアも楽しそうだったので私はお茶を飲みながら眺めていました。さらに新たな道が開けたとお互いにとって有意義な時間だったようで何よりですわ。
お父様に変わり、ルーン領を治めてくださっている伯父様のもとでエディと一緒にルーン公爵家の嫡男の披露のために動き回っていました。
8歳で社交デビューしたエドワードはお勉強に修行に社交に多忙のはずですが、本人はまだ余裕があるそうです。時間があるときは両親に隠れて晩餐の後にエディの部屋を訪ねて褒める時間を作りました。リオ兄様がエディに会いに来られない所為か寂しがり私にべったりなのでせめてもと。
「マール様との雰囲気が甘くなってますわ!!」
「ブレア、落ち着きなさい」
「サリア様ごきげんよう」
「レティシア様、ごきげんよう。ブレアがすみません」
「構いませんわ」
サリア様がブレア様の肩を叩きましたが全く落ち着く様子はありません。ブレア様がリオとのやりとりで興奮するのはいつものことです。
目をキラキラと輝かせるお顔は可愛いらしいですが、果たして仲良し作戦は成功してますか?
「マール様とは一緒に過ごされたんですか!?」
「ブレア様?サーカスに行き、遠乗りに出かけましたわね」
「まぁ!!」
「ブレア、落ち着きなさい」
いつも以上に興奮しています。ブレア様とサリア様の関係はニコル様とクラム様に似ていますわ。あまりの興奮にドン引きしそうになりますわ。ドン引きはケイトから教わった言葉です。シエルは私がケイトから教わる言葉を口にすると嗜める顔で見るので心の中で使います。ケイトは料理も得意で物知りで優秀ですわ。フラれるのはわかっているのでお嫁さんにしてほしいとプロポーズしたりはしませんよ。ブレア様に聞かれるままにリオとの時間を当たり障りなく話していると珍しい人が近づいてきました。
「ごきげんよう。ルーン様」
「ごきげんよう。マートン様」
茶色い瞳と高い身長、クラスで一番女性らしい体系の持ち主のアリッサ・マートン侯爵令嬢です。パドマ様の取り巻きの一人で、目を吊り上げて突き刺さる視線を向けて来る方ですわ。
私に挨拶するなんて珍しいですわ。いつもは非常識なことをよく通るお声で呟きますが私の名前は呼ばれていないので相手にせず流して通り過ぎます。
「長期休暇は如何でした?」
「充実した時間でしたわ」
「あら?辺境の地に追いやられてたのではないんですの?」
首を傾げて、気の毒そうに蔑みを含ませ音にされる言葉に首を傾げます。
「辺境の地を訪問してはおりませんが」
「あら?隠さなくても知ってますよ。ターナー伯爵家で過ごされたのではなくって?」
ターナー伯爵家は上位伯爵家です。国王陛下の覚えも目出度くシオンには及びませんが伯爵家の中では上位にあたり家ですよ。確かに王都から放れてますが、フラン王国の防衛の要の一つ。
もしかしてそんな常識も知りませんの?パドマ公爵家の派閥はお勉強が足りないのではなくって?
弱気な令嬢設定がすでに崩れそうですわ。
無礼な物言いに物申したいですが、子供の戯言ですわ。ここが平等の学園ですわ。
令嬢モードで武装して淑女の笑みで流しましょう。
「のどかな自然に溢れる美しい場所なので避暑に最適でしたわ」
「まぁ?さぞかし素敵な殿方と出会いがあったんでしょうね。羨ましいですわ。ですがマール様がお気の毒ですわ」
マートン様が頬に手をあてて目を伏せて悲しそうな顔を浮かべました。
ターナー伯爵家はフラン王国の各地から騎士を目指す方が訪問します。殿方との出会い目当てに行儀見習いを希望する令嬢も多いそうです。確かに公爵家から子爵家まで身分に関係なく受け入れ滞在期間も長いので良いご縁に繋がる方もいらっしゃると伯母様がおっしゃっていました。
女性は恋や男女の話が大好物です。
敵対派閥でパドマ様の取り巻きをまとめ、警戒すべき相手だとはすでに知ってますわ。
「もしマール様との婚約を破棄して運命の方と結ばれたいなら私が手を貸しますわよ」
やはりパドマ様の取り巻きは非常識ですわ。
婚約は家同士のことです。
家格の低い侯爵家が全てに勝る力を持つ公爵家に口出しは不可能です。他国には名ばかりの公爵家も存在しますがフラン王国には存在しません。どの公爵家も侯爵家より力を持っています。
名ばかりが存在するのは爵位をお金で買える数の多い伯爵家からです。
婚姻に口出すことが許されるのは親交の深い家と同じ派閥の上位貴族のみ。派閥内は協力し合うのが暗黙のルールであり、目指す方向性は同じ。そのため多少の無礼も目を瞑り、婚姻についての真意を聞くことも許されます。言葉での干渉は許されますが家の力を使って反対するのはマナー違反です。
それが許されるのは当主夫妻と嫡男だけ。私もですが令嬢にそんな権限ありませんわ。
常識をお伝えしてもパドマ様の取り巻きには通じません。
クラスメイトの視線も集まっていますしせっかくなので利用させていただきましょう。
リオと仲睦まじいと思わせることが大切ですわ。リオには好きにしていいと馬車の中で了承も取りましたので大丈夫ですわ。
「リオと出会ったのはターナー伯爵家ではありませんよ。どなたと勘違いされてますの?」
「まぁ!?隠さなくても他言は致しませんわ」
その良く通る響く声の自覚はないんでしょうか。この向けられている視線にも気付かないなら医務官に診察を、うちの治癒魔導士を派遣します?ルーンの治癒魔導士は王国一を誇り王宮をはじめ各地に派遣してますわよ。マートン侯爵領には希望がないので派遣してませんが。
「ターナ伯爵家ではリオも一緒に過ごしましたよ。もちろん素敵な殿方もたくさんいましたが、リオが一番ですわ」
「まぁ!?婚前に一緒に泊まられましたの?」
マートン様の眉がピクリと動き、責める矛先を変えました。
婚前に殿方とのお泊りはよくありません。昔はよくマール公爵邸にお泊まりしていましたが社交デビューする前の話です。ターナー伯爵邸では私は本邸の護衛付きの部屋でリオは別邸を使っていました。それを話しても通じないでしょうね。
でもお泊まりは理由があれば許されますのよ。
「お互い役目がありましたので、一緒に過ごせる時間は僅かでしたわ。久しぶりにお会いした伯母様達と有意義な時間を過ごせましたわ。マートン様はいかがでした?」
親族で仲睦まじく過ごしたと言えば、醜聞にはなりません。保護者と一緒ならばお泊まりしても責められません。
ブレア様がさらに目を輝かせている様子は気にしませんわ…。空気を読んで無言ですが。
「私はモナ様をお慰めしていましたわ。貴方との一件で婚約破棄され、お心を痛められてましたのよ。お可哀想に。ルーン様は有意義に過ごされたそうですが」
気の毒そうな顔でマートン様が視線を向けるのは後ろに控えているモナ・ダナム伯爵令嬢。私に魔法攻撃を向けたパドマ様に似た色の瞳を持つ令嬢。
批難する目で見られていますが私には関係ないことです。気弱設定なので無駄な感情ですとは言えませんね。
「婚約は家と家とのものです。貴族令嬢の務めでも難儀なものですわね」
「心は痛くありませんの?貴方が原因ですのよ?」
リオとの婚約破棄の話も新たな縁談の話もありません。
婚約者がいる私には縁談の申し出が届くはずもありません。もしも横槍が入るなら両家よりも高位。王族だけですが、クロード殿下の婚約者候補は上位貴族からしか選ばれません。派閥も違い力のないダナム伯爵家の婚約にルーンが関与することはありません。
エディの婚約者候補の話も聞きませんし、
「勘違いではありませんか?エドワードはまだ社交デビューしたばかりです」
「失礼します。恐れながらその話に僕も入れていただけませんか?」
にこやかな笑みを浮かべたニコル様が礼をして乱入してきました。いつもは傍観するのに珍しいですわ。
でも何か考えがあるんでしょう。
「ごきげんよう。ニコル様。構いませんよ。ここは学園です。無礼を咎めたり致しませんわ」
念のためマートン様が家の力を使わないように無礼講と保険を掛けるとニコル様が礼をしました。
「感謝致します。我が家のことでルーン令嬢に言いがかりをつけるのはやめていただきたい」
「彼女の浅はかさが友人の幸せを崩したことは許せませんわ。彼女は婚約者のことを慕っていましたのよ」
「兄上は実は潔癖です。マートン侯爵家の圧力もあり、うちは婚約を結びました。この婚約にはスワンの意思はありません。もし兄上を慕っていたなら、兄上が一番嫌う浅はかな行動をした令嬢自身を責めるべきだと思いますよ。」
マートン様とニコル様の攻防戦を聞きながらようやく理解しましたわ。ダナム様の婚約者はニコル様のお兄様。
婚約破棄される理由は家の利がなくなった時と醜聞持ちになった時です。
残念ながら生徒会に呼び出しを受けた時点で当主から呼び出され事情説明を求められる案件です。
ダナム様が呼び出された件で私が関わっているのは魔法で攻撃した件だけです。
私が魔法攻撃を躱しても、攻撃した事実は変わりませんよ。
他人の目がある状況で、軽率なことをしたのは自業自得。そして力のない伯爵令嬢が公爵令嬢を害するのはあってあいけないこと。
被害者と加害者を入れ替えて話すのはパドマ様の得意なことですわ。
「自分の婚約破棄をルーン令嬢の責任と問い詰めるような方を視界にもいれたくないと思いますよ。兄上は誠実で優しそうに見えますが、曲がったことは嫌いです。兄上のことを想うなら煩わせるようなことは控えてください。迷惑です。ご存知だとは思いますがすでに兄上はお見合いをされ新たな婚約者と縁を紡ぎ始めてます。今度の縁は良家に利のあるものですので心配無用です」
ニコル様が珍しく好戦的です。いつもは目を吊り上げて睨んでいる印象の強いダナム様の眉が下がり顔が真っ青です。慕っていた婚約者の新たな縁に動揺するのは貴族らしくありませんが仕方のないこと。お優しいお仲間に慰めてもらいましょう。醜聞持ちになっても取り巻きとして傍に置くならマートン様にとっては大事な存在のはず。取り巻きにするなら教育と庇護はお役目ですから。
視線を集めていますし、伯爵家同士の婚約破棄に上位貴族が口を挟むのはいけません。私やマートン侯爵家が関与を匂わせるような状況も非常にまずいので、非常識ですが言葉を挟みましょう。
「ニコル様、落ち着いてくださいませ。無礼講です。私はここでの会話を聞かなかったことにしますわ。それにダナム様もきっとわかってますわ」
静かな笑みを浮かべてニコル様の青い瞳を見つめます。平等の学園で使うべきではありませんがルーン公爵令嬢の発言は影響力のある重いものです。
「…。わかったよ。本当に君は」
「心配していただきありがとうございます」
ニコル様だけに聴こえるように囁くと、肩をポンと叩かれいつもの笑みを向けられました。これでこの件は終わりです。教室で私がこの話をなかったことにすると言えば良識あるクラスメイトは意図を読んで、このやりとりを口に出す者はいないでしょう。
「スワン様、伯爵家が我が家に逆らう覚悟はありますの?」
ニコル様をせっかく宥めたのに…。そして私の気遣いが無意味でしたわ。
「うちにはマートン侯爵家以外にもご縁はありますから。それに今回の婚約破棄はスワンに非はありません。伯爵家同士の縁談です」
静かに話すニコル様を睨みつけるマートン様は、伯爵家が侯爵家に逆らったと言いたいのでしょうか。
空気が読めないのも現状を把握できないのも上位貴族として致命的です。そんなことより後ろの取り巻きを慰めるべきですわ。公衆の前に取り巻きが泣き出したら貴方の教育不足として評価が下がりますのに。マートン様の評価はどうでもいいですが、大事なことだけ伝えましょうか。
「マートン様先程の発言は問題ですわ。ここは平等な学園です。そして侯爵家が伯爵家に私情で圧力をかけるのは許されませんわ」
「あら?周りに圧力をかけてばかりのルーン公爵家がよく言うわ」
ルーン公爵家ですもの。どうしても圧力をかけなければいけないことも存在しますわ。貴族の世界は綺麗ごとだけでは生きられませんわ。ですが圧力をかける時にもルールがあります。
批難の声にアリア様直伝の優雅な笑みを浮かべて口を開く。
「うちは謂れのない圧力などかけませんわ。お父様も弟も貴族としての心得を間違えることなどありません」
「そんなこと貴方にわかりますの?」
貴族令嬢にとって当主の存在は絶対であり、表面的にはどんな行いも肯定します。家を信じているように振舞います。私はお父様達を心から信じてますよ。
「当然ですわよ。私はルーン公爵令嬢です。」
「何も知らないのによく言えますわね。いつまでもルーン公爵家の力が続くとは思わないでくださいませ!!」
マートン様が顔を真っ赤にして教室を出て行きました。取り巻きの二人が慌てて追いかけますが、もうすぐ授業ですがいいのでしょうか?
ニコル様に肩を叩かれ振り向くと、青い目を細めて可愛らしいお顔で楽しそうに笑ってます。
「お疲れ様。見事な勝利だったよ。レティシア嬢」
「喜んでいいのかわかりませんわ。笑わないでくださいませ」
「そろそろ先生も来るから、席につこうか。災難だったね」
すでにクラスメイトはほぼ揃っておりセリアは真剣な顔で紙を睨んでいます。研究関係なので声を掛けても気づきませんわ。
初日から喧嘩…。
私は本当に味方を増やせるんですか?
私の味方を増やす計画は前途多難な気がしますわ。
クラム様の明るい笑顔とハンナの控えめな笑顔に挨拶を返し、授業の準備を始めました。
結局この日はマートン様は帰ってきませんでした。ダナム様を慰める会でもやっているんでしょうか?
家の事情以外で授業をサボってはいけませんが、私には関係ないので気にするのはやめましょう。
お昼休みにターナー伯爵を紹介したお礼とクラム様が美味しいお菓子を振舞ってくださりせっかくなのでハンナやブレア様達も誘っていただきました。
その中には蜂蜜菓子も含まれており思わず幸運に頬が緩んでしまいました。
高価で稀少な蜂蜜を食べられる機会は少ないので幸せですわ。




