第三十八話 追憶令嬢12歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンですわ。
初めての武術の授業も無事に終わり楽しみにしていた放課後になりました。
廊下を歩いていると視線を感じますが気にしません。
「ルーン様、あの…」
声を掛けられれば無視はできません。足を止めて振り向くと見覚えのない令嬢です。
「ごきげんよう。なにか?」
「いえ、失礼しました!!」
顔を真っ赤にして颯爽と去っていきましたわ。
具合が悪かったのでしょうか?無礼ですが平等の学園なので気にしませんわ。
シエルはお使いを頼んであるので別行動です。
さてリオの部屋を目指して足を進めましょう。これからを思うと頬が緩み笑みが零れそうになるので令嬢モードで穏やかな顔を作ります。楽しみですわ。
扉に手をかけると鍵が開いてます。部屋に入るとリオ一人だけ。侍従は控えていませんのね。
「シア、頼まれた物は揃えてあるから好きに使って。俺は仕事してるから、何かあったら声掛けて」
「ありがとうございますわ」
書類から顔をあげたリオに笑顔でお礼を言いキッチンに行きます。
キッチンには食材が揃えてあります。厨房ほどの設備はありませんがオーブンもあります。
家宝のケイトの本を開きます。すでに熟読して頭に入っておりますがお守り代わりですわ。
まずは野菜を洗います。
次はカボチャを切ります。カボチャを切るのは初めてです。
シエルも料理長も私には包丁と火の扱いは許してくれませんでした。包丁はセリアと一緒に練習しました。
勢いよく包丁を突き刺そうとすると全く切れません。
なぜですか?
ケイトはいつもサクって切ってましたよ。
包丁で駄目ならやはり剣ですかね。学園内に刃物は特別な許可がないと待ち込めません。なぜかリオは武器を持ち込んでいます。
「リオ、剣を貸してください」
書類から顔を上げたリオが目を見開きました。
「剣?」
「すぐ返しますよ。カボチャを切るだけですよ」
リオが立ち上がり、キッチンに開いたままのケイトの本を読んでます。リオは初めて読みますね。私の家宝をリオが真剣な顔で見ていますわ。
「シア、どこに剣って書いてあるの?」
「書いてませんよ。包丁が使えないので剣が、」
「俺がやるよ」
リオがカボチャに包丁を入れるとスパンと切れました。
包丁がおかしいわけじゃなかったんですのね。手際良く切ってますわ。
「また本に書いてないことをやるなら呼んで。あとオーブンを使うときも。わかった?」
本当は自分でやりたいですがここはリオの部屋なので従いましょう。
一歩間違えればお説教されそうな目で見られてますもの。笑みを浮かべて頷きます。
「わかりましたわ」
リオが頷いて執務机に戻って行ったので作業の再開です。
火の使い方は見ていたのでわかりますよ。
残りの食材を切り、今度はきちんと切れますわ。ケイトにカボチャの切り方を今度聞きましょう。
野菜が切り終われば炒めます。それからお水を加えて煮ます。
一人で料理するの初めてですわ。いつもは隣で教えてくれるケイトがいないのが少し寂しいですわ。
あとはオーブンで焼いて終わりです。
ケイトのように全然手際よくできません。
オーブンを使いたいので、リオを呼びに行くと笑われました。何がおかしいかわかりませんが、気にするのはやめました。
リオがオーブンを使っているので隣で眺めています。
「リオ、オーブンも使えたんですね」
「一応な。シアは一人で使わないで」
「わかりましたわ。ありがとうございます」
なぜかオーブンは触らせてもらえません。でも求めすぎてはいけませんわ。
料理を許されるだけでも嬉しいですもの。あとは焼けるのを待つだけですわ。
その間に片付けです。片付けまでが料理です。
片付けが終わるとリオの侍従が戻ってきましたわ。
グラタンが焼きあがったのでオーブンから出そうとすると侍従に止められました。
リオの侍従は一言も話しません。身振り手振りで全てを表現します。手伝ってくださるんですね。
「リオ、お仕事はいかがですか?」
「もう終わったよ」
「できました!!一緒に食べましょう!!」
「俺の分もあるのか。ありがとな」
作った料理を侍従と一緒にテーブルに並べました。侍従にはシエルに内緒とお願いすると頷いてくれたので大丈夫でしょう。
貴族の食事としては質素ですが私には十分です。
カボチャのグラタンとスープをリオと一緒に食べました。
カボチャが甘くて美味しくリオも褒めてくれました。
ケイトのレシピは素朴で暖かい味がします。
ラウルに感謝ですわ!!
食事を終えると、外は真っ暗なのでリオに送ってもらって急いで寮に帰りましたわ。
あとは着替えて課題を終わらせて休むだけですわ。もちろんシエルには食事はリオと食べると伝えてあります。
寮に入りすぐに自室に戻ろうとしました。私の前に立ち止まって通路を塞ぐ青い髪のご令嬢に先ほどまでの楽しい気持ちがしぼみました。
「ごきげんよう。レティシア様」
「ごきげんよう。パドマ様」
微笑むパドマ様に礼をして優雅に通り過ぎましょう。取り巻きの令嬢の間を通ればいけますわ。
「レティシア様にお願いがあります」
聞こえないフリをして歩いてみましょう。話すつもりはない意思表示を。
「レティシア様!!」
パドマ様の横を通り抜けると甲高い声に呼ばれて諦めて足を止めました。パドマ様の謹慎中は平和でしたわ。私が風邪を引いたのは水を浴びた所為だと勘違いしたエディが心配しては大変でしたわ。
連日見舞いのお手紙にルーンの最高級の薬にお花が届いてましたわ。
休養日にルーン公爵邸に帰りエディをなだめましたわ。もちろん風邪には最高級の薬はいらないときちんと薬の選び方も教えましたわよ。その際に一つお願いをされました。
「申し訳ありません。パドマ様とは関わらないようにと命を受けてますの」
「やはり貴方が圧力をかけましたのね!!私は心が広いので許して差し上げますわ」
腕輪に魔力を流します。
リオ、ごめんなさい。また問題をおこすかもしれませんわ。伝えましたから大丈夫ですね。リオに監視されて生活するのは避けたいです。パドマ様は非常識なので生徒会案件にならない保障はありません。高慢な物言いは謹慎明けも絶好調ですわ。
「存じません」
「ここには貴方に騙されてる殿方は来ませんわよ」
「おっしゃる意味がわかりませんわ。疲れているので失礼させていただきますわ」
パドマ様は綺麗な笑みを浮かべてますが、どうして言葉が通じないんでしょうか。エイベルで遊ぶことはよくありますが騙してませんよ。きちんと最後は種明かししてますもの。
まだ課題があるのでここで時間を使いたくありませんわ。礼をして立ち去りましょう。
「貴方に先輩としてお願いがあります」
パドマ様も実は頭が良いですわ。先輩、後輩を持ち出されたら無碍にはできません。
パドマ様の後にいる婚約破棄された取り巻き令嬢達の縁繋ぎでしょうか?それは私の領分ではありませんわ。
「婚約者の紹介は申しわけありませんが」
パドマ様の眉がピクリと動き、目が吊り上がりました。
「まぁ!!あなたに頼むほど、落ちぶれてませんわ。私の茶会でピアノを弾きなさい」
怒ったお顔で睨まれ、高らかと非常識な命令を告げられていますわ。昨日の下品な生徒達と同じですわ。
パドマ様の学年は自分で茶会を主催する授業がありましたね。
料理、席、音楽など趣向をこらして順位を争います。
茶会の演奏担当になると何度も打ち合わせが必要です。その度にパドマ様と顔を合わせるのでしょう?絶対に受けたくありませんわ。
私はピアノを習っているとは公言していません。得意な楽器はバイオリンとお伝えしています。私がバイオリンを弾くのはリール公爵夫人のおかげでうちの派閥では有名な話です。
「申しわけありません。私はピアノの心得がなく皆様のお耳汚しになってしまいますわ」
「まぁ!?ルーン公爵家の令嬢がピアノが弾けないなんて謙遜を。事実でしたら醜聞ですわ」
楽しそうに微笑みながら私を罵る姿にそろそろ飽きてきましたわ。パドマ様も取り巻きの皆様もある意味忍耐強いですわ。貴重な学園生活をこんなことに使うなんて。
「私などより、リール様にお声をかけたほうがよろしいかと思いますわ」
優秀なピアノの演奏者ならすでに学園にいます。
リール公爵令嬢であり国王陛下の覚えもめでたいピアノの名手のエイミー・リール様に頼むのが適任ですわ。実力のわからない令嬢に演奏を任せるなんて愚策だと思います。茶会で耳心地の悪い音楽が響けば評価が下がるのはパドマ様ですのに。
もしかして、リール様はすでにどなたかからお声が掛かっているでしょうか?
リール様が無理なら自分の取り巻きの令嬢に弾かせればいいと思いますが…。よく政敵の令嬢に頼もうと思いますわね。
「まぁ、私に口答えしますの!!」
「パドマ様、落ち着いてくださいませ。レティシアはまだ病み上がりですのよ」
菫色の髪を緩く結い上げ室内着を身につけ近づき美しい笑みを浮かべたお姿に目が奪われました。パドマ様の取り巻き達が道を開け、優雅な足取りで私の隣に立ったのはカトリーヌお姉様です。
パドマ様のつり上がた目元が戻り、綺麗な笑みを浮かべました。
「レート様」
「パドマ様、口を挟んでごめんなさい。レティシアには私が先に声をかけて、返事待ちです。ごめんなさいね」
「構いませんわ。レート様にはリール様がいらっしゃるのでは?」
パドマ様は落ち着いた声で微笑みつつも瞳は笑っていません。パドマ様の後に控える取り巻きの令嬢達が怯えた顔で二人を見ています。
「エイミーの希望です。合奏をお願いしていますが、レティシアは恐れ多いと恐縮してるので説得中です」
「レート様、リール様と合奏なんて気の毒ですわ。明らかに差がありすぎてレティシア様が可哀想ですわ」
パドマ様の真っ赤な唇が一瞬弧を描くと、目を伏せ嗜める顔で私に視線を向けました。パドマ様の得意な被害者顔です。
「あら?ご存知ないのかしら?レティシアはリール公爵夫人のお気に入りです。心配には及びませんわ。申しわけありませんがパドマ様、レティシアは諦めてくださいませ」
カトリーヌお姉様は小首を傾げて美しい笑顔で小さな棘を含ませた言葉を。情報収集不足ですよと言う貴族令嬢には屈辱的な言葉ですわ。
二人は美しい笑顔で見つめ合いながら、貴族らしい攻防戦を広げています。時々ピクリと眉を動かすパドマ様と美しい笑みを崩さずに感情を見せないカトリーヌお姉様。
パドマ様は私以外の方の言葉は届くんですね。
「失礼させていただきますわ」
パドマ様が礼をして、立ち去りこの攻防戦の勝利はカトリーヌお姉様です。格の違いを見せつけられているのに、傷ついた顔を見せないのはある意味貴族らしいでしょうか?
「カトリーヌお姉様、ありがとうございます」
お礼を伝えるとパドマ様に向けていた感情を読ませない綺麗な笑顔から親しみの籠もった上品な笑みに変わりました。
「レティシアも災難ね。さっきの話し引き受けてくれないかしら?できればマール様とエイミーと三人で演奏してもらえるとインパクトが」
インパクト?
カトリーヌお姉様のお考えはよくわかりませんが、リオのことは確認しないといけませんわ。レオ様に勝手にリオをアピールして紹介して怒らせましたもの。
「リオは了承してますか?」
「マール様の説得は任せて」
可憐にウインクを決められましたわ。
カトリーヌお姉様も言い出したら止まらない所があります。
助けてもらいましたしカトリーヌお姉様とのご縁は必要なものですわ。殿下に勝てる貴重な方ですもの。
笑みを浮かべて頷きます。年長者は敬うべきものですしお断りする理由もありません。
「わかりましたわ。精一杯務めさせていただきます」
「ありがとうレティシア!!あなたのバイオリンを楽しみにしてるわ。詳細はマール様に伝えますね。これで勝利は私の物よ」
カトリーヌお姉様が優雅な笑みを浮かべて立ち去って行きました。パドマ様と会った後なので、カトリーヌお姉様の公爵令嬢らしいお姿にほっとしますわ。
あら?
バイオリン?最近は全然弾いてませんわ。
必死に練習しないといけませんわ!!
でも今日は先に課題を終わらせないと。
パドマ様の謹慎が終わったのでまた絡まれる日が続くのでしょうか?パドマ公爵家の派閥の令嬢達はぞろぞろと取り巻きを連れて歩きます。学園ではできるだけ非常識な塊に会わないように願いましょう。
生前は学園内が非常識な塊でありふれているとは知りませんでしたわ。貴族は外面を被ってます。私は外面に騙されますのでどうか非常識は心の内に隠してくださいませ。
表面的な形ばかりのお付き合いは貴族の嗜みではありませんの?




