第三十五話 追憶令嬢12歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンですわ。
ステイ学園の一年生です。
平穏な生活を夢見る運の悪い公爵令嬢ですわ。
放課後、私はリオの部屋のソファに座っています。何度か目を閉じて見ましたが見間違いではなく目の前には目の据わった怖いお顔のリオがいます。
見覚えのある軽蔑した顔ではなく、涼し気な笑顔でもなく、無表情の冷たい瞳にじっと見られており無言です。いつもはすぐに心が折れそうになる長いお説教をしますのに無言です。生前も何度も怒られましたが、こんなに怒っているのは初めてです。
見慣れないリオの様子に寒気がして鳥肌が立ち、背中から冷たい汗が流れます。
子供の頃のように泣いて許してくれる雰囲気は一切ありません。泣けばきっと余計に恐ろしいことが。
頭を深く下げるしかありません。
「ごめんなさい」
「謝罪はいらないよ。顔をあげて。その謝罪は何について?」
「レオ様のことですわ。報告を忘れて申しわけありません」
ゆっくりと顔を上げるとやはり空気が冷たいです。そして銀の瞳に向けられる色は変わりません。
「あとは?」
あとですか?他に何かやらかしました?
リオの態度は変わりません。うるさいお説教がないのが余計に恐怖を煽りますわ。
肘置きに肘をついて顔を乗せたリオの求める答えがわかりません。
「あとは?」
やはりレオ様の件ですよね。
お父様に私のことを頼まれているリオ。第二王子殿下との接触は場合によっては報告が必要な案件。でも私の行動の報告はシエルがしていますし、特にお父様からの指示もありません。
ルーンがよくても、わかりましたわ。これは怒られるのは当然です。
もう一度頭を下げます。
「相談もせずにリオを巻きこんで申しわけありませんでした。軽率でした。勝手にレオ様に紹介してごめんなさい。今後は相談もせずリオを紹介することはないとお約束します。ルーン公爵令嬢として軽率な行動でマール公爵家に」
長いため息が聞こえ、下げた頭をゆっくりと上げるとリオが頭を抱えていました。
「俺の育て方が悪かったんだろうか。いや、シアが抜けてるのは今更だ」
ブツブツ呟くリオの声はいつも通りに聴こえ冷たい空気が少しだけ和らいだので、ケイト直伝上目遣いで見つめます。
「まずはパドマ嬢の件の時、なんで俺を呼ばなかった?」
まず?嘘です。冷たい空気は和らいでいませんでした。
パドマ様の件?忘れてましたわ。生徒会が動いたならリオにも迷惑がかかったかもしれませんわ。いえ、私が生徒会に事情説明に呼び出されていないのはリオが処理したからですわ。すでに迷惑をかけてますわ。そして仕事が増えて殿下の機嫌も悪くなり、ジロリと見られ思考している場合ではありませんわ。
「大事になるとは思いませんでした。それにいつものことでしたので、」
「いつも?泣かないで。お説教が終わるまで甘やかさないから」
ケイトに合格をもらった上目遣いは全く効果がありません。
ケイト、やっぱりこれ効きませんよ。冷たい瞳が恐怖を煽り震えそうになる体を必死に我慢して悩んでいるとリオが立ち上がりました。
隣に座りリオの手が私の肩を抱き寄せ、ゆっくりと頭を撫でます。
リオの温もりが冷えた体に温かく、落ち着くはずの懐かしい姿勢ですが和める心境ではありません。でもリオの肩に顔を預けているので顔が見えないのは有り難いですわ。どんな表情を作ればいいかわかりませんもの。
「駆けつけられない時もあるけど、シアに何かあったのに知らない方が嫌だ。たとえ些細なことでも。後手に回って後悔したくないんだ。俺のためにきちんと教えて。俺にシアを守らせて」
声に力がありません。怒ってたのではなく心配かけたみたいです。パドマ様の件はすっかり忘れてましたわ。レオ様の情操教育のことで頭はいっぱいでしたわ。
そういえば誘拐の時も力のない声を出していましたわ。身内にはとことん甘く優しいリオ兄様。
「リオ、泣かないでください」
リオの肩から顔を上げるとリオの手が両肩に置かれて、真剣な顔のリオの瞳には私が映ってますわ。
泣いてませんし弱った感じもありません。冷たさはありませんが真剣なお顔が怖いです。
「シアは自覚がないけど、トラブルに巻き込まれやすいんだ。シアがちゃんと教えてくれないなら、俺はフウタに頼んで監視するよ」
声に力がないのは気の所為でした。いつものリオのお説教ですわ。怖くても先ほどの無言よりはマシですわ。監視されるのは嫌です。お説教地獄になるのがわかっています。怒られそうなことをしている自覚はありますもの。頭を下げましょう。
「ごめんなさい。きちんとと伝えます」
「頼むよ。約束な」
「や、約束しますわ」
監視よりはマシですわ。満足したのかリオの手が放れて力が抜けました。今日はお説教は長くなかったですわ。
「レオ様とはいつ仲良くなった?」
油断するのは早かったですわ。
またお説教されるのは避けたいですが隠すとさらに長くなるので、事情を説明します。
「情操教育の為の友達作り?シアがそこまでする必要あるのか?」
不審な顔で見られていますがこれは譲れません。私が生きるために大事なことです。うっかり情操教育のことを話してしまいました。監禁の主犯はレオ様とはリオには伝えてません。ごまかすしかありませんわ。震える手をギュっと握ってリオを睨みます。
「将来のために必要なことですわ。正しい倫理観を身に付けていただかないといけません。レオ様を見てるとエディの幼い頃を思い出しますわ。それに将来は王宮を出てお母様に思う存分研究をさせてあげたいという親孝行な息子の願いを応援してさしあげたいですわ、それに―」
「シア、落ち着いて。変なスイッチ入ってるよ。男としてはどう思う?」
「整った容姿をしているのに、令嬢達に人気がないのが不思議ですわ」
「好み?」
「よくわかりませんが、可愛いとは思いますわ。きちんとした教育を受けて立派に成長していただきたいと思いますわ。素敵なお嫁さんをもらってほしいですわ。リオにご迷惑はかけませんのでご安心ください。私が」
仕方ないって折れてくれる顔に変わりました。
「わかったよ。レオ様の夢を叶えるために協力するのはいいけど、俺にやらせて。シアがレオ様と一緒にいるのはまずいから、友達作りは俺が協力するよ」
確かに私が二年生の教室に行くのは目立ちますわ。それにあらぬ誤解を生むでしょう。ルーン公爵令嬢がレオ様に付き纏っていると知られれば王家の関心を引いてしまいますわ。リオの協力はありがたいですが、
「リオ、お友達いますの?」
「シアよりは周りと円滑な交友関係を築いてると自負しているよ」
「失礼ですわね」
「これからはきちんと隠し事しないで俺に教えて。授業中に連絡がきても構わないから。緊急時以外でも使ってくれていい。前に言っただろう?わかった?」
できれば使わずにすませたいですが余計なことを言えばお説教が長引きます。
監視されてお説教地獄は勘弁していただきたいので気をつけましょう。生徒会に報告がいくことはきちんと伝えましょう。
「わかりましたわ」
「これからも勝手に行動しないできちんと相談して。シアは自覚ないだろうけど危なっかしいから」
物申したいですがここは静かに聞くのが得策ですわ。
「気を付けますわ」
「情報収集を怠らないように。状況によってはシアが加害者に仕立てあげられることもある。俺が守るけど、シアも自衛を怠らないで」
「わかりましたわ」
リオの注文が多いですわ。
お説教だから仕方がありませんわ。いつになったら終わりますのよ。
「お説教は終わりだ。甘やかしてあげるから、泣いていいよ」
「泣きませんわ」
「強がらなくていいのに。ほら、おいで」
優しく笑ったリオが両手を広げるので思いっきり抱きつきます。
久々ですわ。
小さい頃はよく抱きついていたのが懐かしいですわ。
もうよろけないんでしょうか。勢い余って、倒れこんだことがありましたわね。
優しく頭を撫でる手に力が抜けていきます。冷えた体も温まり、震えも止まりましたわ。
「リオも大きくなりましたね」
「シアもな。泣き虫シアが懐かしいな。俺の前だけなら泣き虫のままで構わないよ?」
「いつまでも子供のままではいられません」
「残念だ。もし泣きたくなっても俺の前だけにして。シアを慰めるのは俺の特技だから」
うちでは泣けず、我儘も言えないのでリオに甘えてばかりでしたわ。
怖い夢を見て温もりを求めに行った記憶が。大きくなっても泣くことを許してくれる腕がどれだけ貴重なものか私はよく知っています。子供の頃に言われた言葉の通りですわ。どんな私も受け入れてくれるって。夢のようですわ。
懐かしい記憶を思い出し笑みがこぼれますわ。先ほどまでの恐怖の時間が嘘のようですわ。
「その時はお願いしますわ」
「笑ったな。泣き顔もいいけど、シアは笑顔が一番だよ」
「ありがとうございます」
「名残惜しいがそろそろお姫様を送ろうかな。久々に抱いて送ろうか?昔ほどフラフラしないよ」
ふざけているリオに首を横に振ります。逞しい腕も厚くなった体も成長しているのはよくわかります。
「遠慮しますわ。目立ちたくないですわ」
「残念だ」
リオに送られ寮に帰りました。
リオと一緒にいると歓声が聞こえるのはもう気にしません。
リオが楽しんでるなら、この遊びに乗りましょう。
悪乗りしたら歓声が増えましたけど、もう諦めましたわ。
平穏な生活の手引きでも落ちてませんかね。




