第十九話 追憶令嬢9歳
ごきげんよう。
レティシア・ルーンですわ。
ターナー伯爵家に修行のためにお世話になってます。
お父様から手紙がきました。
親愛なるレティシア
元気にしているか?
王都では殿下の婚約者候補が決まったがレティシアの名前はない。
マール公爵と話し合い婚約話を進める。
手続きを済ませれば少し騒がしくなるだろう。
レティシア、すまない。
幸せを願っているよ。
父より
ターナー伯爵家にお世話になってから一度もルーン公爵邸に帰っていません。
エドワードから頻繁に手紙が届くので邸の様子はよくわかります。お勉強を頑張っているようです。
お父様からも時々手紙が届くのでルーン公爵邸にいた頃より交流していますわ。お父様と文通するなんて初めてですわ。
殿下との婚約回避成功ですわ。これで一安心ですわ。
あら?
お父様はどうして謝罪を?お父様が謝罪されるのは初めてです。考えても仕方がないのでお返事を書きましょう。
季節の変わり目なのでマール公爵家とシオン伯爵家、ルーンの伯父様にもご挨拶の手紙を書かないといけませんね。社交デビュー前でもご縁のある方に季節のお手紙を送るのは淑女の嗜みです。
今日は訓練は午後からなので、畑作業を手伝ってます。
畑作業を見学していると皆様が一緒にどうぞと誘ってくださったので、甘えさせてもらっています。
うちではありえませんわ。控えているシエルの顔は見てはいけませんわ。ターナー伯爵家の皆様は和気あいあいとしていて距離が近いです。
私は初めてトマトの収穫をしています。大きいトマトを手に取り、パキンとハサミで切り篭に入れる。
背中に篭を背負う令嬢は中々いないと思います。私は初めて背中に篭を背負いましたわ。
「お前、なにしてんの?」
美味しトマトの見分け方を教わりました。みずみずしいトマトを篭に入れます。宝探しみたいで楽しいです。楽しい気持ちを台無しにする声は聞こえませんわ。
「無視するなよ。ルーン令嬢」
名指しされれば無視できませんね。不躾な視線を向けるビアード様に笑みを浮かべて礼をします。
「ごきげんよう。ビアード様」
「その格好おかしいだろ。公爵令嬢が」
私が公爵令嬢とわかっているならその態度は失礼ですよ。相手をするのも面倒ですので、挨拶は終えたので気にせず収穫を続けますわ。
「無視するなよ」
うるさいですわね。ずっと隣で私の行動について文句や問いかけをされますわ。楽しい気分がどんどん沈んでいきますわ。脳筋は空気を読めませんのね……。
「お話する理由がありまして?聞けば教えてくれるなんて、世間は甘くないですわ。親切に質問に答えてくれるのは教師だけですわ」
「お前の行動が想像と全然違って訳が……」
私に無礼を働く紳士としても公爵家嫡男としても相応しくない行動をするビアード様には言われたくありませんわ。
「ビアード様も収穫したいんですね。篭をどうぞ」
「別に、」
「できませんの?」
「できるよ。やればいいんだろう!!」
篭を背負ったビアード様が夢中で収穫を始めました。単純な脳筋は話しながら作業なんて器用なことはできません。
これで静かに作業できますわ。トマトの収穫を再開し篭もいっぱいになりました。
スカートの裾が汚れたので食事の前に着替えなければいけませんわ。割烹着を持ってくればよかったですわ。篭を返すとシエルに濡れたタオルを渡されたので綺麗に手を拭いて返しました。
「姉さまー!!」
腰にポスンと温かい何かが張り付きました。ここにいるはずもない存在が…。
疲れですかね?ビアード様の所為ですね。可愛い弟の幻覚が見えますわ。
「姉さま!!お久しぶりです。お会いしたかったです」
私の腰に抱きついてニッコリ笑う幻覚は可愛いです。そっと頭を撫でると触れられますの!?嬉しそうに笑うお顔もギュっと腰に強く抱きつく感覚もしっかりしています。
「エドワード?」
「姉さま、ますます綺麗になりました。お会いでき嬉しいです」
幻覚と会話できますわ。夢でしょうか?
頬をつねると痛い。
「姉さま!?」
エディの顔が青くなる。これもしかして本物……?
ビアード様の馬鹿にした視線など気にしませんわ。
膝を折って視線を合わせると小さい手が伸びるので抱きしめると温かい。
「エディ、会えて嬉しいわ。大きくなりましたね。一人ですか?」
「お母様も一緒です。伯母上と話していますよ」
ニッコリと笑いながら私の顔を見て話す可愛い弟は本物ですわ。幻覚ではありませんでした。
「何かご用が?」
「僕が姉さまに、会いたいってお願いしました」
「よく連れてきてもらえましたわね」
「武術を始めたので、ターナー伯爵の目利きを体験したいとお願いしました」
笑顔は可愛いのに言葉がおかしいですわ。
舌足らずな可愛い口調がきちんとしたものに変わるのは成長の証拠なので仕方ありません。
ルーン公爵家とターナー公爵家は馬車で1日。往復すれば二日かかります。多忙なお母様が幼いエディを連れてここまで来たんですか?
交渉ってあのお母様を動かせますの?
まさかお父様の謝罪ってエディのことですか?
「おい、お前」
ビアード様は収穫が終わったみたいですね。不躾な視線を向けられてますが、エディの教育に悪いのできちんとお相手しましょう。
「何かご用ですか?収穫したかったんでしょう?」
「違う!!」
声を荒げるビアード様。抱きついていた弟が離れてビアード様の前に背筋を伸ばして立ちました。
「初めまして。ルーン公爵家嫡男エドワード・ルーンと申します。姉様に無礼を働いたのは覚悟の上でですか?」
綺麗な仕草で礼をして、ご挨拶が上手にできるようになったんですね。ん?最後におかしい言葉が聞こえませんでした?
「ビアード公爵家嫡男エイベル・ビアードです。覚悟?」
「自分の行動に責任を持つのかと言うことですよ。バカなんですか?」
私の可愛い弟が…。聞き間違えではありませんでした。
反抗期ですか?
まだ5歳ですのに!!見た目は可愛いのに中身が可愛くない。貴族として生きて行く上で必要なことでもまだ純粋無垢な弟を愛でたかったですわ。
「お前の弟なんなんだ」
顔色を悪くして囁くビアード様の声に我に返りましたわ。
「私も久々に会いました。成長とは早く残酷なものですのね…」
「目が虚ろだけど大丈夫か?」
「姉様?」
「大丈夫よ。せっかくだからお茶にしましょう」
見上げる顔は可愛いのに。嬉しそうに頷き手を繋いでエスコートしようとする姿も立派です。エドワードはやはり生意気に成長していくのかしら。
庭園のサロンに着き、ニコニコしているエドワードは可愛い。先ほどは聞き間違えかしら?
ビアード様もなぜか同席してますが気にしませんわ。
シエルの用意したお茶を飲んで一息つきましょう。
「姉さま、僕はお聞きしたいことがあってきました」
「なんですか?」
「婚約するって本当ですか?」
「お父様の判断に従いますわ」
婚約?そういえばそんな話題もありましたね。殿下の婚約者候補から外れた嬉しさとお父様の謝罪に動揺して忘れてましたわ。
「婚約!?相手は!?」
ビアード様が声を荒げて立ち上がり私の肩を手で掴み驚いた顔で見つめました。
「汚い手を姉さまから離してください」
冷たい声に生前に覚えのある黒い笑顔を浮かべた可愛いはずの弟がビアード様を見ています。肩を掴む手がブルッと震えすぐに離れる。
弟の成長が悲しい。
「悪かった」
「構いませんわ。お気になさらず。エディ?」
「リオ・マールとの婚約は本気ですか?」
私の声に黒い笑みではなくいつものお顔に戻り向き直りました。切り替えの早さも貴族らしいですわ。
「お父様が婚約の話を進めているなら本気でしょう」
「姉様はよろしいのですか?」
「貴族令嬢の役割ですわ。将来エディが困らないように必要なことです」
「僕は姉様にずっと側にいてほしいです」
まだ子供ですわね。子供らしさにほっとします。
「もう少し大きくなったらわかりますわ。嫁ぐのはまだ当分先ですよ」
「レティシア、エドワード」
お母様の声に立ち上がって礼をすると伯母様と一緒でした。
「お久しぶりです。お母様」
「はじめまして。ルーン公爵夫人。ビアード公爵家嫡男エイベル・ビアードです」
「ローゼ・ルーンです。娘がお世話になってます」
ビアード様が礼をしますが、声を掛けるのはお母様が先ですよ。お母様は無礼を咎めず挨拶を返してますが、お世話になってませんよ。私はスカートが汚れてるんですが大丈夫でしょうか?お母様に、はしたないと怒られないように汚れが気づかれないように祈りましょう。
「お母様、今日はどうされましたの?」
「エドワードの適性をターナー伯爵に見てもらうための訪問です。明日の朝には出立します。エドワード、行きますよ」
「姉さまも一緒がいい」
私は着替えに行きたいのですが、エディが離れません。ここでエディがわがままを言えばエディが怒られますわ。ここはお姉様が犠牲になりましょう。
エディと手を繋いでお母様についていきます。
なぜかビアード様もついてきます。着いたのは訓練場。伯父様が迎えてくれました。
「おまたせしました。義兄様」
「ローゼ嬢にかしこまられると。殺気を抑えてくれないか」
「失礼しました。つい」
お母様達の会話は聞こえませんがゾクリと寒気に襲われる。伯父様とお母様が見つめ合いしばらくすると伯父様はエディに向き直り全身をじっと見つめています。エディはお行儀よく背筋をピンと伸ばして静かに立ってます。私の手を繋いだままですが寛大な伯父様は気にしませんわ。
「筋は良さそうだな。訓練は?」
「体力作りと木剣を」
「槍より剣。弓も合いそうだな。力はつきにくいが、柔軟性がある。伸びるだろう。上手く鍛えれば騎士団長も夢じゃない」
「うちの大事な跡取りです。ありがとうございます」
「ローゼ嬢が指導するなら大丈夫、大丈夫か?もう少し大きくなったらうちで預かってもいい」
「その時はお願いしますわ」
「僕は今日からでも構いませんよ」
「貴方は武術以外も学ばないといけないことがたくさんあります。レティシアと一緒は認めません」
「姉様」
「お母様の言うとおりですよ。来年帰りますよ。ね?」
「絶対ですよ」
エディの頭を宥めるように撫でるとようやく頷きました。お母様に逆らうとお説教が怖いのに子供の無垢な無防備さゆえですよね。私もよく怒られましたわ。
「手合わせしないか?」
「相手になりません。鍛錬してませんから」
「久々に一本とれるかな。エイベルに魔法を使った戦い方の実践を見せたい。エドワードとレティシアの将来の役にも立つ」
「風使いの戦いなら、お姉様とすればいいのではありませんか?」
「妻とはできないよ。お相手願おうか。元ターナー伯爵令嬢」
「後悔しても知らないわよ。義兄様」
「ローラを呼んで結界で子供たちは守らせるよ。食事のあとにしようか。場所はいつものところで」
私達はターナー伯爵邸に戻り昼食をとりました。エドワードはプレート料理にためらうことなく上手に食べてました。
食事の前にもちろん着替えましたよ。お母様に咎められずにすんで良かったですわ。
午後はお母様と伯父様が手合わせするそうですがどういうことですか?
お母様は武術が得意なんですか?
伯父様に案内されたのは邸宅から一番離れた訓練場。
訓練場には見たことのないほどたくさんの騎士が見物に来ています。侍女や執事もいますわ。
伯母様が私とエディとビアード様の周りを結界で覆いました。
「この結界の中で見ててね。危ないから出ては駄目よ。ローゼは風魔法の戦闘の天才。色々武勇伝があるからファンも多いの。 昔はもっと凄かったけどね。ビアード公爵も瞬殺―」
伯母様は虚ろな目で武勇伝を教えてくれます。近衛騎士団長を瞬殺!?
「知りませんでしたわ」
「風魔法は変幻自在。速くて目で追えないけど気にしないで。あの二人は異常。武術大会の決勝以上の見応えは確実よ」
気付くと手合わせが始まっていて本当に何も見えませんでした。
風魔法の残像と竜巻、剣の音しかわかりませんでした。
気づいたら伯父様が竜巻の渦の中に閉じ込められていました。
あの竜巻も抜けられないってことは何かを仕掛けがあるんでしょう。
「お母様強いでしょ?」
伯母様の得意気な笑顔に無言で頷く。
お母様はいつもの無表情が嘘のように笑顔で立っていました。
振り返ったお母様と目が合うと先ほどまでの笑顔が嘘のような無表情になりましたわ。
「思うように動けなくて、無様な姿を見せてしまいましたね」
「速くて何も見えませんでしたが、お母様が武術に巧みなことはわかりましたわ。私はいっそう励みますわ」
「そう。励みなさい」
今日の私の訓練はお休みになりました。お母様は伯母様と用があるのでエディを預かり久々に一緒に過ごしました。色んな疑問は残りますが考えるのを放棄しました。
晩餐の席にお母様と伯父様の姿はありませんでした。伯母様はいつものことと笑って詳しく教えてくれませんでした。
翌朝、お母様とエドワードは帰っていきました。
どうか、まだ可愛いままでいてくださいね。
お母様のターナー伯爵家でのことは聞きませんわ。知らない方が幸せなことが多いですから。
私は強くなるために頑張りましょう。




