元公爵令嬢の記録 第二十一話
ごきげんよう。レティシアです。
目を開けると見慣れた天井。
違和感を感じて見渡すといつものぬくもりがないことに気づきました。体を起こし目を閉じれば体に馴染んだルーンとリオの魔力の気配がします。いつの間にか手をギュッと握っていたことに気づき、手を解きました。
「起きたのか?シア?」
突然現れたリオに驚きつつも、抱きしめられる温もりにほっと安堵して息を吐きます。ゆっくりと頭を撫でる手の持ち主に身を委ねると、体がじんわりとあたたかくなっていきます。
「まだ眠い?食欲、は?シア、こんなに体冷やして、駄目だろう」
抱き上げようとするリオ。お父様やエディのところに連れていかれないように慌てて首を横に振って止めました。
「もしかして、シア、いい。何も考えないで。もう少し眠ろうか。子供達は母上達にしばらく預けるか」
リオにぎゅっと抱きしめられながら、ベッドに優しく押し倒されました。
リオの優しい声が聞こえるのに言葉が認識できません。髪を優しく撫でられ、どんどん瞼が重たくなります。
「おやすみ。シア」
優しい眼差しと幼い頃から見慣れた微笑みに体の力が抜け、瞼の重みに耐えられなくなり目を閉じました。
***
「変装して出かけよう」
リオと一緒に起きて、身支度をすませると言われた言葉に驚きました。
お忍び用のローブを被せられ、リオに抱き上げられ風に包まれながら久しぶりに出かけました。
「シア知ってるか?風使いでも上空飛行は誰でもできるわけじゃない。高く長く飛ぶのは難易度が高い。結界を作ってもほとんど引っかからない。だから上空には結界がないんだよ。そして監視の目もほとんどないから偵察し放題。これで下を覗いてみな」
リオに望遠鏡を渡され、覗いてみるとステイ学園が見えました。リアムとティアが武術の授業を受けています。
声は聞こえませんが、魔法を使い上級生との手合わせに圧勝しています。
「昔の俺達より強いだろう?」
「リオより強いかはわかりませんわ」
「あの頃のビアードやサイラスよりも強いよ。まだまだ伸びしろがあるから、俺も負けないように頑張らないとだな。そろそろ移動するか」
リアム達の様子をずっと見ていたい気もしますが、リオに予定があるなら任せましょう。
次に行ったのは王宮。
クロード様とエイベルが手合わせしてました。エイベルがクロード様に押されて負けそうなんですが……。
「ビアードよりも両殿下、いやもう陛下か。まぁいいや。二人はビアードよりも強いよ。攻撃の風、守りの土、有利なのは風なのにな。陛下達の読みはビアードの風の速さを封じる」
「情けないですわ……」
決着がつく前にまた風に包まれ移動しました。
今度は段々高度を下げ、フウタ様と出会った泉の前に着地しました。
「足をつけるだけならいいよ。泳ぐのは駄目」
「かしこまりましたわ」
泉に足をつけることを許してくれるだけでも妊娠してから過保護になったリオが譲歩してくれるのはわかります。
ポチャンと足をつけると、泉に漂う気持ちの良い魔力が体に巡ります。
「なぁ、シア。シアが守りたいものはそれなりに強いんだよ。そしてシアを守りたいものはさらに強い。俺もエドワードも父上達もセリアも」
リオが隣に座り、肩を抱かれました。
真剣な声音に泉から顔を上げると美しい銀の瞳と目が合いました。
「リオ?」
「シアが生きる決意さえしてくれればどんなものからも守る……もしも何かあっても必ず助ける」
「リオ?」
「俺は陛下より強い。もちろんビアードよりも。叔母上に時々負けるけど、これからもっと強くなる。そんな俺が一番守りたいものはシアなんだ。俺はシアと一緒にいる時しかいらない。シアが俺の隣にいることが俺の強さになる」
「リオ?」
「シアのいない俺は弱いけどシアのいる俺は最強だ。不安も恐怖も全部塗り替えるよ」
リオの意思の強い瞳と自信満々な笑みを見て、なぜか涙がこぼれました。優しく涙を拭う指、理由もなく涙を流す弱い私を受け入れてくれる存在がどれだけありがたいことか知ってます。
「泣き虫シアはいくつになっても可愛いな。涙の理由なんてわからなくていい。泣きたい時は俺の腕の中にいてほしいけどな」
微笑むリオの顔はうっとりするほど素敵です。短くなった髪に口づけを落とされ、体の熱が上がります。
「余計なことは考えなくていい。シアの願いは俺が叶える。シアの笑顔が俺達の幸せだ。シアの守りたい気持ちも理解はできるよ。でも俺がシアを守りたいとずっと思ってることも忘れないで」
ぼんやりした頭にリオの言葉が響きました。リオがお説教ではなく、懇願するような口振りで話すのは浚われた時に自害しようとしたこと。身重の体では普段は空の散歩をさせてくれないリオの突然の思いつき。これからもリオと一緒にいたい気持ちは何があっても変わらないと思います。
ルーン公爵令嬢として、ルーン一族として務めを果たせていません。それでも大事にしてくださるお父様達。
かつて女神を召還したという誤った言い伝えによる弊害を考えれば、私は世間に生存を知られるのはよくないこと。
それでもルーンの血は受け継がれています。お腹に宿る命に必要以上の重荷を背負わせたたくありません。
この子は窮屈で騙し合いが日常茶飯事の世界に生きていかなければいけません。
セリアの適材適所という言葉が頭をよぎりました。
文武ともに最強の教師陣に囲まれ、育て上げられるルーンの跡取り。きっとリアム達のように皆が愛情を注いでくれるでしょう。そして容赦なく鍛えてくれるはず。
弱さを見せるのはリオの前だけにしましょう。
知らない場所や知らない部屋が少しだけ怖いのは内緒ですわ。でも恐怖もリオの存在を思い出せば、隠し仮面を被れます。
目を閉じて、暗い部屋を思い出しても体は震えず、うまく呼吸もできます。
リオに微笑み返し、頷くと極上の笑顔が返ってきました。気づくと夕焼け空になっており、久々に昔住んでいたマール領の村を訪ねました。リオとリアムとティアと四人で暮らしていた頃が遠い昔に感じます。一泊だけリオと二人で過ごし冒険者だった頃を思い出しました。
ディーネと二人でも寂しくてたまらなかった日々。あの頃と比較できないほどたくさんの人に囲まれています。
冒険者は出会いと別れの繰り返し。
だから出会ったあとも縁が続いているのは尊いこと。
どうかこの幸せが続きますように。
そして子供達も幸せな縁で結ばれますように。
願いをこめて、お腹の子供にルーンの魔力を送ります。




