未来の正妃の日記
ごきげんよう。カトリーヌ・レートです。
留学して他国の司法を学んでいました。国の大事な時期なのでいい加減に帰国をと命を父から受けました。度重なる交渉もあしらわれ仕方なくレート公爵令嬢として務めを果たすために帰国し王宮に参内しました。お父様が私を呼び戻した理由に溜め息が溢れました。
国王陛下に挨拶が終わったのでクロード殿下の執務室に向かいます。
入出許可が出たのクロード殿下に礼をします。
「礼も口上もいらない。帰国したのか」
「ええ、少しお時間いただけます」
「構わないよ」
書類の山に囲まれている殿下が執務室から人払いをしました。殿下とも長い付き合いになりました。
「留学は充実していたか?」
「楽しかったです。外国は女性も政務官として働き法律や裁判も、多種多様で―」
「相変わらずだね」
穏やかな笑顔で興味のない声で話す殿下は手を止めることなく書類を裁いています。
昔はレティシアが腹黒と言ってました。多くの令嬢は殿下の興味のない声を聞き分けられないでしょう。
「留学は殿下のお力添えのおかげです。そろそろ王太子妃をお決めください」
「またその話か」
常に笑顔なのに瞳と笑顔の感じで殿下の機嫌が読めると言うレティシアの言葉通りです。レティシアに言われて注意深く観察すると容易にわかりました。手を止めた殿下が目が笑っていない穏やかな笑みを浮かべて私に視線を向けました。不機嫌な殿下に気付いても遠慮はしません。成人した殿下には現実を見ていただかないといけません。
「殿下が昔からレティシアを好いていたのは知っています。彼女はいません」
「生きているかもしれない」
「フラン王国のメダルを手放した時点でレティシア・ルーンは死にました」
「君だってレティシアを気に入っていただろう?」
「もちろん今でも大事です。レティシアはきっと幸せに暮らしてます。ですがお二人の未来が重なることはありません」
「私はマール達が羨ましい。家を捨てて彼女を探しに行けるのが。私にはできない。レティはそんな私を許さないだろう」
悔しそうに呟く殿下がペンを置きました。
マール様は貴族位を返上して巡回使になりました。
これは聞いた話です。
マール様が巡回使の試験を受けたのは社交界を騒がせました。成績は申し分なく落とす理由が貴族ということだけ。ですがマール様が爵位の返上の手続きをしたので任命できない理由がなくなりました。外堀を埋められても本人の意思さえあれば覆せます。マール様は国王陛下より王家主催のパーティーに招待されました。国王陛下は挨拶を終えると一番先にマール様に声を掛けられました。国王陛下は強い魔道士は国内に留めておきたいというお考えの持ち主です。魔力も強く優秀なマール公爵家の子息が巡回使を希望することを思い留まらせるつもりだったのでしょう。やんわりと巡回使を辞退しなさいと伝える陛下にマール様は申されました。
「恐れながら無礼をお許しください。私はルーン公爵令嬢を愛しています。巡回使を志望したのは愛する婚約者が守った国の平和のために力を尽くすためです。ですが国や家のために彼女以外を選ぶことはできません。婚約者が守ったフラン王国には愛しい思い出が溢れています。思い出があるのにレティシアはいません。このままここにいれば私は壊れます。私は王家に忠誠を尽くせません。貴族として許されませんが、レティシアのことを思う一人の男として国に尽くすことを許していただきたくお願い申し上げます」
陛下は新しい婚約者を選び外交官として尽くすことを強く望まれました。
ですが切ない顔で話されたマール様の陛下への願いに涙を流す方もおり、場の空気はマール様に支配されていました。陛下も空気を読んで無理に巡回使の任命を取り下げ、婚姻を命じることはしませんでした。すでに新しい婚約者を決めており、この場で公表させまとめようとしていたのは非常識ですが。
陛下はマール様に傷が癒えたらいつでも貴族位を授けるから帰ってきなさいと話され、マール様の貴族位はマール公爵に預けると公言されました。
マール公爵はリオ・マールの婚約者は本人が望まない限りはレティシア・ルーンのままと公表されました。多くの貴族達が縁談の申し入れをしましたが愛する婚約者を失くした息子を利用してまで家の繁栄を望んでませんとお断りされました。
静けさに襲われたような会場で国王陛下の話の後にマール様に声を掛けたのはリール公爵夫人。
リール公爵夫人は愛らしい顔で歌うように口にされました。
「もしレティシアに会えたらどうしますか」
「絶対に離しません。来世で出会えたら今度こそ幸せにします。レティシアの見たかった他国の話をしたら喜ぶかな」
銀の瞳を細め切ない声で悲しそうに笑うマール様の姿は会場の夫人や令嬢の涙を誘いました。
そしてマール様のレティシアに向ける愛情に心を打たれた貴族達が味方につきました。そしてマール様は巡回使になり旅立ちました。
巡回使の貴族出身者の任命も初めて、しかも序列1位のマール公爵子息の任命は歴史に残るものになるでしょう。
前例がないとすぐに否定する役人達に見習ってほしいです。前例は覆すためにありますのよ。古き良きを守る役人や貴族が嫌う考えですが。
私にとって陛下の生誕祭でのレティシアのことは衝撃的でした。ですがマール様やセリアの様子を聞いて確信しました。
レティシアは元気です。二人が報復行為をしてませんもの。執念深いお二人はレティシアのためなら国も滅ぼすでしょう。
もしも殿下が探しに行けば、「ありえません」と怒るレティシアが想像できます。王家を捨てたなんて言えば冷たい目線で見るでしょう。
自分の所為と知れば、責任を感じて命を絶つくらいしそうですわね。
誰よりも殿下の即位を信じているのはレティシアです。レティシアと仲の良いレオ様の即位について持ちかけた貴族を「お戯れを」と笑顔であしらってましたわ。
「でしょうね。レティシアと殿下は想い合ってますわね」
「え?」
笑顔が剥がれるなんて珍しい。
でも殿下が素の表情を引き出すのはいつもレティシア関連です。
驚いてる顔なんてはじめて見ました。
「レティシアは昔から、殿下の幸せを願ってました。自分だと力不足なので殿下を支えてくれる婚約者を早く選んでほしいと」
「私はレティが傍にいてくれるだけでよかったのに。あんなに誘っても頑なに拒否され、嫌われてたのかな」
殿下が弱気…。本当にレティシアはすごいです。
「レティシアにあんなに大事にされてましたのに?」
「自覚はないんだが、」
「レティシアは誰よりも殿下の感情を読み取るのがうまかったです。理由は検討違いなこともありましたが。腹黒で仕事を増やされるのが何よりも嫌いな人」
「レティの中の私って…。」
笑いがこみあげてきました。
「私などに聞かなくても、レティシアが殿下を嫌ってないことなど、殿下が一番ご存知でしょ?」
殿下、レティシアに嫌われたら生きていけなそうですもの。
殿下のほしい言葉は想像できますが、私はわざわざ言ってあげるほど優しくありません。
「レティは私の感情は読みとれるのに、意図の方向性がおかしいんだよ。私はレティが側にいてくれるだけでよかったのに全然伝わってないんだろう」
レティシアは殿下の想いなんて気づいていません。
公爵令嬢として王太子としての意識に支配されてますもの。
レティシアは不器用なので公私を分けるなんて芸当はできません。
常にルーン公爵令嬢として行動してましたわ。
「レティシアは公爵令嬢です。伝わっても殿下の手を取りませんわ。殿下より王太子の立場を考えていました」
「普通の女の子なら私を選んでくれたかな」
「わかりません。王位継承に魔力の有無がなければレティシアが殿下の隣にいたかもしれませんね」
レティシアは魔力さえあれば正妃となれる生まれ。本人が望むかはわかりませんが、ルーン公爵の命なら受け入れたと思いますわ。
「忌々しい慣習」
「わが国は変わっていかないといけないと思います。あの事件で王宮魔道士が役にたたなかったことも含めて。」
陛下の生誕祭で皇女の魔法に王国の魔道士が対応できなかったのは醜態です。
全ての魔力を無効化する広間であったことは言い訳になりません。そこで海の皇女は魔法が使えたなら尚更。
わが国の魔法は海の皇国に劣ることが明るみになりました。
フラン王国の令嬢が鎮めたことで国の面目はなんとか保たれましたが…。
海の皇国の皇帝から謝罪と見舞金を頂き外交問題はおさまりましたが、国防の見直しが至急で進められています。
「それはわかっているんだが、中々ね」
周りには頭の固い方々が、多いですものね。
レティシアとマール様が一緒に働いてくれたら頼りになりましたのに残念です。
レティシアが私の部下になったら楽しそうです。
レティシアを囲い込めばマール様とセリア達もついてきますしね。
まずは、女性が活躍できるようにしなければいけません。
「殿下、私を正妃に選んでもらえませんか?」
「私はレティが」
殿下はレティシアのことになると公私混同しすぎです。
「私も殿下のことを愛してません。この国で女性司法官を目指したかったんですが、今のこの国では難しい。権力が欲しいんです。もちろん合意の上ならレティシアを側妃にしても構いません。権力や思惑が絡みますので他の側妃や妾も相談していただければ歓迎します」
「女性としての幸せを与えられない」
殿方に愛され子供を授かることだけが幸せではありません。
もともと貴族の令嬢には政略結婚しか選択肢がありませんもの。
殿下達みたいに、恋や愛に憧れたりはしません。
とくに爵位の高い令嬢達は。
恋愛に憧れるのは本の中の世界だけで、現実的にはありえません。
殿方は令嬢達に夢を見ていられて幸せですわね。
ただ夢を掴める可能性があるだけ私は恵まれています。
「いりません。私はこの国を変えたいんです。私と殿下が目指すものは同じですわ。」
「子供を作らないと君の立場は」
「覚悟の上ですわ。必要でしたら譲歩しますが。殿下、レティ以外は嫌でしょ?」
「君はどこまでわかっているの?」
「秘密ですわ。レオ様とエイミーから養子をもらうこともできますわ。いずれ殿下は私に権力を譲って、隠居してレティ争奪戦に加わっても構いませんよ」
「魅力的だな。レティの消息は…」
「そこは私にお任せください。転移魔法を教えてくださればいずれ繋いでさしあげますわ」
「まさか」
「私も留学中に伝手をたくさん作りましたの。それにマール様達を見張れば簡単です」
マール様はきっとレティシアを見つけますわ。
マール公爵家はレティシアのことを大事にしてますから。
昔、レティシアに送られてくる令嬢達の嫌がらせの手紙を減らしたのはマール公爵家の働きですわ。
マール様がお兄様達やお友達に幼い従妹が嫌がらせで落ち込んでる。令嬢教育にあんなに頑張ってる七歳の従妹がどうして責められるのと相談していたそうですわ。
レティシアが殿下に見初められたと噂になっていましたが、年齢までは知らされていなかったので、マール様のおかげで七歳の令嬢が殿下に見初められて嫌がらせを受けていることが子供の間で話題になりましたわ。
さすがに幼いレティシアへの嫌がらせの件を知った殿方の目が厳しくなりましたわ。マール公爵令息達と親睦が深い殿方は正義感の強い方々が多かったので余計に。マール公爵令息達は交友関係も広かったそうですわ。特にマール公爵邸でレティシアを見たことのある方々の憤りは凄かったですわ。マール公爵家の子息は三人とも、レティシアに嫌がらせをした令嬢達に厳しかったそうですわ。
お兄様二人はその頃は学園の令嬢達の人気者でしたしね。
「うちの幼い従妹に嫌がらせをするような浅ましい人間やその友人を視界にいれたくもありません」って令嬢達の手紙もハンカチも受け取らず、泣いた令嬢もゴミを見るような目で見てましたものね。
お兄様がおっしゃるには、穏やかなマール公爵令息の激しい嫌悪は目立ち、学園でもレティシアへの嫌がらせのことが、一時期話題になっていたそうです。
マール公爵家を敵に回したくないなら婚約者に選ばないほうがいい令嬢のリストが影で出回るほどに。
マール様のお兄様達もレティシアを相当可愛がってましたのね。
可愛がりたい気持ちはよくわかりますもの。
令嬢の争いに殿方は不干渉ですが、社交界デビュー前の令嬢への嫌がらせは眉をひそめても仕方がありませんわ。
レティシアに嫌がらせをした令嬢達は自業自得ですわ。
恥を知るべきですわ。
マール公爵夫人も動かれていました。
マール公爵夫人も嫌がらせをする令嬢達の生家にレティシアの手紙と一緒にお手紙を出したそうですわ。
上位貴族の公爵夫人から手紙をもらった当主は騒然としたみたいですわ。
お茶会の席で「姪のレティシアからお返事を預かったのですが、この手紙はあなたの家のご令嬢からの手紙で間違いありませんか?」と令嬢達の嫌がらせの手紙を披露したときは驚きましたわ。
「うちの姪は言葉の意味がわからなくて、許されないってわかってますがどうすればいいかわかりません。助けを求めてもいいのでしょうかと目に涙を溜めて相談にきましたのよ。」
人の手紙を見るのは非常識だとわかっておりましたが返事が出せないと困る姪を放っておけませんでしたのと苦笑される姿に同席していた私は震えましたわ。
手紙を読んだ夫人は眉をひそめ、私は中身を見せていただけませんでしたの。
レティシアは嫌がらせの手紙のことを誰にも相談していなかったそうですわ。マール様が偶然気づいたみたいです。
「レティシアは書庫で一生懸命に言葉の意味を調べていたようですのよ。ただルーン公爵家でも、うちの書庫の辞書を調べても、わからない言葉ばかりで辞書を求めて、夫に相談しようか迷っていたみたいです。うちの息子がレティシアの手紙を覗き見て慌てて取り上げて、私の所にきましたわ。うちの姪は外国語も巧みなのにフラン王国語が不出来なのかしらね。どう思いまして?」
この件で社交的で穏やかなマール公爵夫人を怒らせてはいけいことをこの身にきざみましたわ。
レティシアのお返事は流暢な文字で季節の挨拶と返事の遅れと自分の勉強不足を謝罪してましたわ。
それが余計に夫人たちの同情を誘っていました。
しかも、数カ月間一人で悩んでいたそうです。
この茶会のおかげで同派閥にレティシアに嫌がらせをする令嬢はいなくなったはずですわ。
レティシアの周りには優秀な方々が多いですわ。
マール様とマール公爵家に任せればレティシアは大丈夫と信じてますわ。
「カトリーヌ、君は恐ろしいね。」
「褒め言葉として受け取りますわ。」
「本当にいいの?」
「むしろ殿下はよろしいのですか?私が国を乗っ取るかもしれませんわ」
珍しく殿下の興味をひいたみたいですね。
愉快そうに笑ってますわね。
「君なら悪いようにはしないだろ?私は早くレティに会いたい」
「精一杯頑張りますわ。殿下、もしレティシアがマール様と結ばれたらどうしますの?」
「それは…。悔しいがマールに一旦預けるよ。ただ人の心に絶対はないからね。今度こそは追い詰めよう。王家のしがらみがなければ、彼女の警戒も解けるかな。レティは優しいから拒否できないだろうし。うまくいけば…」
やっぱり腹黒ですわね。レティシアはいつも厄介な人達に好かれますわね。
「ほどほどにしてくださいね。私はレティシアの味方ですから」
「私の妃になるのに?」
「ええ。殿下も私よりレティを優先するでしょ?」
「本当に後悔しない?」
私を心配していますね。誠実な方ですものね。
愛はなくても殿下となら、よいパートナーになれると思ってますの。
権力があればできることがふえますわ。
私の司法官見習いを断った方々に後悔させてやりますわ。
権力の怖さを思い知らせてさしあげますわ。
楽しみですわね。
「ええ。プロポーズはいりません。手続きだけしていただければ」
「わかったよ。これからよろしく、カトリーヌ」
後日私は王太子妃になりました。
これからはクロード殿下と一緒にレティシアがいつ帰ってきても安心できる国を作っていきたいと思います。
まだまだわが国は諸外国より遅れております。
男女平等、魔力の貴賤を問わない国になればと思います。
ただ殿下が隠居できるのは、まだまだ先です。
殿下の恋が叶うかはわかりませんが…。
マール様と殿下に囲まれるレティシアは心配です。
でもきっと二人をレティシアが振り回すことになりますのよね。
いつか私も会いたいですわ。




