第百九話 追憶令嬢18歳
おはようございます。
平穏、気楽な生活をめざして謀略を巡らせていた元レティシア・ルーンですが今はCランク冒険者のルリです。
ドアを激しく叩く音に目を開けました。ゆっくりと起き上がると窓の外は暗くまだ夜明け前でしょう。ディーネはぐっすり寝ています。
肩掛けを羽織り、剣を持って警戒しながら扉を開けると真剣な顔のギルド長がいました。
「こんな時間に悪い」
「どうしました?中にどうぞ」
お客様を迎える服装ではありませんわ。
失礼ですがギルド長は気にされないのでいいでしょう。お茶の用意をしましょうか。
「お茶はいらない。座れ。隣町に銀髪の少女を探しに巡回使が来ている。念のため身を隠した方がいいだろう。Bランクの依頼書を持ってきた。これなら2週間はかかる。依頼が終わる頃には巡回使も移動してるはずだ」
巡回使というのは調査集団の総称です。
フラン王国もですが大きな国は他国の文化を調べ取り込むための巡回使を諸外国に派遣しています。王族の命令で動く力を持つ国の巡回使に私達は逆らえません。
巡回使は捕縛する権利はありませんが調査協力を求められれば拒否できません。態度によっては外交問題になるためフラン王国では常にマール一族が対応していました。
伯父様も身分を隠した巡回使や横暴な巡回使が訪問すると対応に追われて大変そうでしたわ……。平民には巡回使には逆らわず、会えば速やかに領主に報告するように教育しておりました。それでもトラブルは頻繁におこりましたわ。私も生前は何度も駆けつけましたわ。伯父様はお元気でしょうか。いえ、現実逃避している場合ではありません。そろそろここを離れましょう。
「お前は手のかかる娘のようなもんだ。ちゃんと帰ってこいよ」
大きな手に頭を乱暴に撫でられます。
「うちのやつらもお前を大切にしてるから、巡回使に情報を漏らすバカはいない。村に来るのは明日の昼過ぎか明後日だからしっかり準備をして行ってこい。手続きは俺がしとくからギルドには依頼達成後に帰ってくればいい」
本当にどこのギルドも優しい人達ばかりです。
慣れない私をいつも誰かが気遣ってくれました。いつも距離を置こうとする私にもたくさんの人が優しく声を掛けてくれました。
私は誰とも親しくなるつもりはありませんでした。
だから名前さえも覚えるつもりはなかった。
頭を撫でてくれるアルク、食事をご馳走してくれるダッド、明るく話しかけてくれるシオン、料理を振る舞ってくれるレラさん、他にもたくさんいます。帰ってきたらもう少し近づいてみようかな。
帰ってきたら?
頭を撫でる大きな手の持ち主が机の上に置いた依頼書を手に取ります。今回は逃げずに帰ってきましょう。恩には報いるものです。膝の上に飛び乗った起きたばかりのディーネも笑っていますわ。
「ありがとうございます。きちんと帰ってきます。行ってきます」
「ルリの強気な笑顔はいいんだが、くれぐれも準備してからだからな」
ギルド長の真剣な顔が崩れ笑われました。
どこに笑う要素があるかはわかりませんが帰っていくギルド長を見送りました。
依頼は辺境の洞窟にある幻の花の入手。
幻の花は泉から離すと枯れると注意書きがあります。
私向きの依頼です。
水関係の依頼は得意です。私とディーネにできない依頼はありませんもの。残念ながら海のない水も少ない砂の国では水関係の依頼は少ないですが。
マジック袋を出して荷造りを始めます。非常食、弓、回復アイテム、光の魔道具、火打ち石……。
矢と短剣が少ないから買い足さないといけませんね。
朝食の支度をおえると散歩に出かけたディーネが帰ってきました。
「ディーネ、2週間程出かけます。どうします?」
「一緒に行くわ」
「ありがとう。買い出ししたら出発しましょう」
朝食をすませて、非常食と矢と短剣を買い足し準備万端です。
ここから洞窟は遠いですが頑張りましょう。村を抜けて森を進んでいます。
辺りは暗くなり始めているので野営地も探さないといけませんね。砂の国はフラン王国よりも暗くなるのが早く昼は暑いのに夜は寒いため早めの準備が必要です。
「誰かが近づいてくる」
「殺気は?」
「ないわ」
「気配を消して隠れたほうがいい?」
「戦闘準備だけはしておいたほうがいいわ。この速さは魔法を使ってる」
殺気がないなら心配ないとは思いますが木陰に隠れて気配を消しましょう。
魔導士は魔法を使うと逆に気付かれるので結界は使えません。
他の冒険者かもしれませんが接触しないことが一番です。
以前助けた冒険者に追いかけまわされたのは恐ろしい記憶です。
当時所属していたギルドの先輩方が追い払ってくれました。その時に知らない冒険者とは接触しないのが一番だと教えていただきました。
「来たわ」
静かに身を潜めて通り過ぎるのを待ちますが気配がなく、どこにいるかわかりません。
私は気配を読むのは得意ですが、気配が読めないなら私より強いでしょう。戦ってはいけない相手です。強い相手からは逃げるのが一番です。
!?
強い力で掴まれ背中から羽交い締めにされてます。気配がなくて気付きませんでした。
振り解こうにも力が強いですわ。
殺気がないから勘違いしてましたが人攫いかもしれません。手が拘束されているので剣が持てません。
それなら、体に魔力を纏って水で流そうとしても魔力が発動しません。肩の上のディーネを見ると、警戒なく笑ってくつろいでいます。
「会いたかった」
聞き覚えのある声に息を飲みます。
「無事で良かったシア」
とうとう幻聴まで聞こえるようになりました。もしかして走馬燈ですか?
恐る恐る振り向くと恋しくて仕方なかった銀の瞳と目が合いました。
リオ?
腕が解かれ、体が自由になりそっと距離を取ろうとすると強い力で腰を引かれて、リオの胸に頭がぶつかりました。背中にまわる力強い腕に抱きしめられるこの状況はなに?
これは妄想でしょうか?こんなところにいるはずありません。
そっと手を伸ばしてリオの頬を触ると温かい。耳には聞き覚えのあるリオのゆっくりした鼓動と正反対の激しい鼓動の音が聴こえます。
本物?
記憶の中のリオより痩せ、いえ、やつれています。
ですが抱きしめられて胸が暖かくなるのはリオだけだからきっと本物でしょう。
夢でも走馬灯でもいいですわ。
もう一度だけ会えてよかった。あの時はリオに魔力は注いだけど、本当に無事かはわからなかったから。
「無事でよかったです」
「シア」
リオの背中に手を回し抱きしめます。
夢が叶いましたわ。リオの腕の中の感触を忘れないように脳裏に刻みつけます。強く抱きしめてくれる愛しい人の存在を。
これで充分です。これ以上は望んではいけません。目を閉じて舞い上がる気持ちを抑えて気合をいれます。
私はルーン公爵令嬢です。
どんなときも優雅であれですわ。笑顔を作ります。
「最後に一目会えて良かったです。さようなら」
背中に回した手をリオの胸に押し当てて離れようとしましたが動けません。
私はここで颯爽と退散する予定でしたわ。何度胸を押してもビクともしません。肩の上にいるディーネを見ると笑っています。
「ディーネ、助けて」
「嫌よ。素直になりなさい」
「このまま帰ったらすべてが無駄になりますわ。それに受け入れたくない現実も」
「大丈夫よ。その時は逃がしてあげるわ」
「今です」
「嫌。他の精霊もレティの声を聞かないわ」
「ひどい」
「精霊はきまぐれなものよ」
「私の願いをかなえてくれるって」
「レティの幸せを願ってるわ。それより前を見なさい」
ディーネの説得は諦めて強い力で拘束している腕の持ち主の顔を見る。頬がやつれて、髪も艶やかさがなくなり、暗い瞳の目が据わっているリオがいます。
今更気付きましたが最初から抱きしめられてるのではなく捕獲されてますわ。これは新しい体術でしょうか?
「離してください」
「嫌だ。もう絶対離さない」
捕獲であってもリオの腕の中にいることに歓喜しそうな心を封じます。令嬢モードの仮面を再び被り、リオの瞳を見つめます。
「約束を守れなくてごめんなさい。国には帰れません。それとも私の首がないと事態はおさまらない?」
「守れなくてごめん。今度こそ守るからどうか離れていかないで。頼むから」
リオの美しい銀の瞳からポロポロと零れ落ちる涙。愛しい人の涙を拭う権利は私にはありません。これから口にする言葉にズキズキと胸は痛みますが、愛しい人に幸せになってほしい。
「今までたくさん守ってもらいました。リオがいなかったら、きっとこんなに生きれなかった。でもね、私を庇ってリオが傷つくのは耐えられない。リオには幸せになってほしい。貴方は私がいないほうが幸せになれます」
私を庇って血まみれになったリオを思い出すだけで手が震える。きっと私を庇わなければあんなことは。
もう背中に回っている手を掴んではいけません。
「俺はシアが傍にいないと生きれない。シアのいない生き方なんてわからない。シアがいない人生なんていらないんだ。俺の所にかえってきて」
リオの悲しい声に頷きたくなる心を隠して首を横に振ります。私のために泣いて傍にいて欲しいと願ってくれたリオ。この想いを向けられただけで十分ですわ。
「私にリオ・マールの傍にいる資格はありません」
「父上達の許可はある。俺はレティシアがいないと駄目なんだ。シアさえいればいい。ルーン公爵令嬢じゃなくてもいい。シア。頼むから。シアさえいれば場所なんてどこでもいい」
「素直になりなさい。あんなに会いたいって泣いてたじゃない。大丈夫よ。なにがあっても私が守るわ。レティが私の力を利用したくないのは知ってるけど、私が勝手に使うだけよ」
「レティ、僕も守るよ。今度は負けない。だから主を助けて」
「ディーネ、フウタ様……」
「シア、頼むから」
笑っているディーネにしょんぼりしているフウタ様、涙が止まらないリオ。
今度は守れるかな。
許されるなら一緒にいたい。リオが望んでくれるなら……。
ディーネやフウタ様もいる。
リオの頬に手を伸ばしこぼれる涙を指で拭う。
「リオ、会いたかった。危険な目に合わせるかもしれません」
「俺のところに帰ってくる?」
弱った声で弱った顔をしているリオの言葉に頷く。こんなに頼りないリオは初めてですわ。
「はい。リオに離れて欲しいと言わない限り離れませんわ」
「じゃあ一生一緒だな」
銀の瞳が細くなり、暗さがなくなり微笑む顔。ずっと会いたかった色と温もりに抑えていた心が叫び出す。ずっと見ていたいのにどんどん視界が歪んでいきます。
「会いたかった。わすれようとしても全然忘れられなくて。もうリオには他の人がいるって思ったら怖くて…………会いたいのに会いたくなくて…………ずっと」
「俺にはシアだけだよ。忘れられてなくてよかった」
不安をいつも消してくれる優しい声に温かい言葉に涙がどんどん零れ落ちる。リオの胸に顔を埋めて頭を優しく撫でる手に身を任せる。
「一緒にいてくれますか?」
「当たり前だ。何があっても離さないよ。おかえり、シア」
ずっとリオの温もりに包まれしばらくして涙は止まりました。涙の痕を指で拭われ懐かしい感触に笑みがこぼれます。優しく笑ったリオが突然真顔になりました。
「なぁ、シア、あのさ…………」
リオが言い淀むなんて珍しいですわ。
「今のシアの心は俺のもの?」
「難しい質問ですわ」
「え!?まさか、うそだよな」
「レティシアの心はリオにあげて、ルリの心はディーネにあげるって決めてますの」
「え?ルリ?」
「私の名前ですわ。リオみたいに強くなれるようにリオの名前から二文字もらいました」
リオの顔が赤くなり、極上の笑みに息を飲みました。
「離れてても俺のこと想っていてくれたのか。たまらないよな」
「レティ、私の心はリオのものって素直に言いなさいよ」
「ですって」
悪戯っぽい笑みを浮かべると「幸せだ」と笑い、そっと抱きしめていた腕に力がこもりました。
いつもの余裕のあるお顔に声は記憶にあるものと同じです。リオの腕に帰ってこられて幸せですわ。
リオの腕の中でしばらく幸せに浸っていると衝撃の事実に気付きました。
辺りが暗いので野営の準備を急いでしないといけません。のんびりしている場合ではありませんでしたわ。




