閑話 ある冒険者の呟き
村出身の若者の中で一番有名なのはBランクの冒険者になった俺、シオンのこと。
教養のない俺は世界のことはあまり知らない。砂の国は王族が治める国だがうちみたいな田舎の村には関係ない。自分の力で金を稼いで生きていく。困った時は村にある冒険者ギルドにお金を出して依頼する。依頼料はかかるが良心的な値段。村で一番大きな建物の冒険者ギルドには屈強な男が多く怖い場所だと思い近づくことはなかった。
うちの村は家業を継ぐやつばかりだ。稀に野心を持って首都に仕事を探しにいくやつもいるが少数派。俺の家は代々パン屋を営んでいる。俺はパン屋にも、ちまちまお金を稼ぐことにも惹かれなかった。親父に手伝えと言われても逃げて遊んでばかりいた。将来嫁をもらってパン屋を守るなんてごめんだ。いつもパン屋で店番をする妹が風邪で寝込んだため仕方がないから店番を変わった。妹にパンの詰め合わせを渡されてローブを着た男に渡して欲しいと頼まれた。
「今日はいないのか」
「妹から預かってる」
「不良兄貴か。家族は大事にしろよ。一月は顔を出さないからいつものはいらないって伝えてくれ」
パンの詰め合わせを渡すとお釣りはいらないと銀貨を一枚渡され出て行くローブを着た男。1日の売り上げよりも多い金額を惜しげもなく置いていく背中は村で人気の男達よりよっぽど格好良かった。
俺が冒険者に興味を持ち目指すようになったのは時々うちのパン屋に来る中肉中背の屈強な体を持たない冒険者のアルク兄貴に出会ってからだ。冒険者は危険だけど一獲千金も夢じゃない。話を聞けば聞くほど惹かれて俺は冒険者を目指すことにした。
親に反対されたので成人してすぐに家を出た。
兄貴に鍛えてもらっていたのでDランクからのスタート。ギルドには格安で貸してくれる部屋もあり生活に苦労はなかった。時々妹が売れ残りのパンを大量に持って訪ねてくるので食べ物にも困らなかった。
冒険者はパン屋と違って自由だった。好きな仕事を選び好きな時間に働いて金を稼ぐ。素晴らしい職業だ。稼ぎも悪くないのでCランクに上がってからは広い部屋に引っ越した。俺が引っ越してからは妹は訪ねてこなくなった。その代わり俺の周りには女が増えた。パン屋の息子では見向きもされなかったが段々声を掛けられるようになりBランクに上がってからは特に女に不自由はしなかった。家の片付けもしてくれるし、夜を明かす相手に不自由はなかった。
家業を継いだ友人の恨めしい視線は気にしない。
「いつか絶対に後悔する」という呟きを笑い飛ばして酒を飲んでいた。友人の言葉は真実と知るのはその翌年の話だった。
そろそろ稼ごうかとギルドに顔を出すとダッドが銀髪の小柄な奴と食事をしていた。見覚えのない銀髪に興味が引かれて近づいた。
「ルリ、おごってやるから食え」
「ありがとう」
酒に酔っているダッドの隣には猫を抱いている緑色の目の見たことないほど綺麗な子がいた。肩に届かない短い銀髪に男用の冒険者の服装でも華奢で小柄な体は男には見えなかった。ダッドの話に笑う顔も、村一番の美少女とくらべものにならないくらいに綺麗だった。
レラさんとの出会いを運命と語る兄貴の気持ちがわかった。
恋は落ちるものだと言う兄貴の言葉の意味も。初めて自分から女が欲しいと思った。
「ダッド、知り合い?」
「新人だ。ルリ、何してんだ?」
「食べ方がわかりません」
「ああ?知らないのか。そのまま食え。種も食べれる」
「わかった。ありがとう」
ルリはダッドにギルドの料理の食べ方を教わりながら抱いている子猫に分け与えながらゆっくりと食べていた。
「俺はシオン。Bランクの冒険者だから」
「よろしくお願いします。ご馳走様でした」
頭を下げたルリはダッドに笑顔で礼を言って立ち去った。ダッドが俺を見てニヤニヤしている。外も暗くて危ないから送るのを口実に近づこうと追いかけるとすでに銀髪は闇夜に消えていた。新人ならギルドに定期的に顔を出すし、すぐに親しくなれるだろうと思った俺の目論見が甘いと知るのに時間はかからなかった。
美少女ルリはガードが固い。
村を案内すると誘っても即答で断られた。
冒険者になってから女に誘いを断られたのは初めて。
ギルドで会うたびに話しかけるのに名前さえ憶えてもらえない気がする。
ギルドに行くと銀髪を探すのはルリと出会ってからの習慣になった。掲示板を見ているルリを見つけて近付く。
Dランクのルリと一緒に行ける報酬の悪くないCランクの依頼書を剥がす。
「ルリ、この依頼一緒に行かない?」
「行かない」
依頼書を見ることもなく即答で断られた。
「なんで?」
「体力ないから」
「俺がフォローするよ」
「誘ってくれてありがとう」
愛想笑いを浮かべてルリが採集と狩りの依頼書を持ち去っていく。今日もルリに相手にされない俺をよくチームを組む仲間達が笑って見ている。
最近は村の女と遊ぶ気分も起きない。友人は俺の現状に腹を抱えて笑っている。仕方ないからルリの愛猫を懐かせるしかない。
ルリは兄貴の恋人のレラさんのお気に入りだ。
その所為か兄貴はルリを敵視していた。
そんな兄貴がルリと一緒にギルドに帰ってきた日があった。それから兄貴はルリを構うようになった。ルリも明らかに兄貴には懐いている。ルリが名前を呼ぶのはダッドと兄貴とレラさんだけだ。俺は名前も覚えてもらえないのに。悔しい。
ルリに相手にされずどんどん時が流れていく。
ルリに誘いを断られるのはギルドでは見慣れた光景。仲間達は俺がルリに名前を覚えられる日が来るのかと賭けを始めた。楽しそうな仲間を恨めしく見ていると肩を叩かれた。
「シオン、村の西の空き地に行ってこい」
「は?なんで?」
「兄貴の言うことは聞け」
「わかったよ」
温和な兄貴がレラさん関連以外で俺に強引に言うのは初めてだった。村の外れにある空き地に向かって歩いていると音楽が聴こえる。なぜか寂しい音は突然消えた。気にせず足を進めるとキラキラ輝く銀髪を見つけた。近づくと嗚咽が聞こえルリが座ってディーネを抱いていた。
泣いているルリの隣に座りハンカチを渡す。素直に受け取るルリに内心驚いてそっと頭を撫でる。ディーネを抱いたまま俺を見る大きく開いた緑の瞳は濡れている。ルリは俺の顔を見たまま固まっている。
「どうした?」
「ほっといてください」
ルリの瞳からポタポタと涙がこぼれると膝を抱えて顔を隠した。ディーネが威嚇してくるから抱き上げてあやす。恐る恐るまたルリの頭を撫でると振り払われない。拒絶されないなら傍にいても平気だろう。光に照らされてキラキラ輝く銀髪、サラサラの細い髪。初めて触れた村の女の中で一番短い銀髪は絡み付くことなく滑らかで捕まえようとしてもすぐに抜けていく持ち主そっくりの髪。ギルドではいつも愛想笑いを浮かべているルリを泣かせるものはなんだろう。言葉にならない嗚咽が止まりしばらくすると顔を上げた。
俺を見て明らかに無理した笑顔でお礼を言うルリに何度目かわからない自己紹介をする。
あどけない顔で俺の名前を呼ぶルリに胸が熱くなり顔が緩む。ルリの息を飲む音を拾うと緑の瞳が潤み唇を噛んで目を閉じた。閉じた瞼からは涙が溢れ、胸を抑える小さくて白い手は震えている。ルリが消えそうで、思わず手を伸ばして抱き寄せる。強張っているのに柔らかい体の持ち主は動かない。胸に顔を押し当てると温かいものが服を濡らす。されるがままの無防備なルリ。拒絶されないことに驚きながら俺の胸を濡らすルリの背中を軽く叩く。無防備な柔らかい体の持ち主に欲が生まれ背中を叩く手を動かそうとすると小さい声が聞こえ、聞き返すとルリに胸を押されて抱きしめていた腕を解く。
涙を拭いて礼を言い愛想笑いをするルリはいつも通りだ。ディーネとじゃれて無邪気に笑う顔に見惚れて思考が止まった。愛想笑いをしない無邪気なルリは初めてであまりの可愛いさに頬に熱がこもる。機会をくれた兄貴に感謝する。
お礼に飯を奢るというけど、泣き腫らした目のルリを連れまわすのは危険。ギルドにはルリのファンが凄く修羅場がおこる。冷静になると手を出したらやばかった。今のほんのり頬を染めた可愛く笑うルリを誰にも見せたくないけどルリと過ごす時間は欲しい。後日ゆっくり時間が欲しいと頼み約束を取り付けルリを家まで送った。
ルリに名前を呼ばれるのも一緒に歩くのも初めてだ。
ここまで長かった。
それからルリは俺の名前を覚えてくれた。ギルドでは相変わらず一定の距離を崩さず、人形みたいな表情だけど一歩前進だ。
ルリがお礼にクッキーをくれた時は感動した。やっとここまで。これでルリとの距離が近づいたと思ったけど俺は甘かった。
ギルドで話しかければ反応するけど、外だと全く見向きもしない。嫌われていないとは思うんだけど。
俺はいつになったらルリを落とせるのかな…。
依頼を終えてギルドで友人達と時間を潰していた。採集に出かけているルリを待って食事に誘うと思っていたが一向に帰ってこない。ルリは薬草採集に出かけた日はいつも日が落ちる前に帰ってくる。もう暗くなるし、探しに行くか。友人達に別れを告げて立ち上がるとギルドの入り口がざわついている。銀髪を見つけて近付くとびしょ濡れでポタポタと水が滴り落ちるルリがいた。駆け寄りタオルを渡すときょとんとした顔で頭をさげて丁寧な言葉でお礼を言われた。
可愛いけど、様子がおかしくないか?タオルを渡したのに拭かないの!?
ルリはフラフラした足取りでタオルを持ったままレラさんの所に行った。
いつも落ち着いているレラさんが驚いた顔をしている。
「ルリ、ローブは?」
「雨、降る前に帰ってくるつもりだったから、これ」
袋の中から薬草を取り出しているルリに近づいてタオルで頭を拭く。ルリの足元には水たまりができている。薬草を机の上に置いたルリの体が揺れた。傾く体に手を伸ばし腰を抱く。ぐったりと俺に体を預けるびしょ濡れの体は震えている。震えている体をそっと抱き上げ額に手をあてると熱い。周りのうるさい俺を咎める声も固まってるレラさんよりも優先すべきは、
「医務室につれていきます」
抱き上げたまま医務室に向かうと虚ろな瞳が俺を見つめて首を傾げている。
「りお?」
「休んで」
ルリの頭をそっと撫でるとコクンと頷き目が閉じた。
医務室のベッドにルリを寝かすとギルド長とレラさんが駆けこんできた。
他のやつらは騒がしいので近寄るのを禁止にしたらしい。
医療の知識のあるギルド長とレラさんがルリの様子を見て風邪と言った。雨に濡れて熱が出るって・・。
体力がないって言ってたけど本当だったんだな。
レラさんがルリを着替えさせて食べ物と薬と濡れタオルを置いて去って行く。
二人はまだ仕事があるのでルリに手を出さないことを約束したら付き添うことを許してもらえた。
「りお?」
目を開けたルリが伸ばす手を握ると満面の笑みを浮かべた。こんな顔は一度も見たことない。
「そばにいてください」
聞いたことのない甘える声が耳に響くとすぐに寝息が聞こえた。ぐっすりと俺の手を握って眠るルリ。ディーネはルリの枕元に丸くなっている。
眠っているルリは「リオ」と呟く。聞いたことのない名前。ルリの大切な相手?
ルリは過去を話さない。村の子供にせがまれても笑いながら話を変える。冒険者に過去を聞くのは良くないと兄貴から聞いている。綺麗な顔立ちで華奢な体。どう見ても成人しているようには見えないルリ。いつも同じような笑みを浮かべているのに、時々切ない顔で空を見上げている。祠にお参りするのが日課。目を閉じて両手を組んで誰よりも長く祈りを捧げる姿はいつか神に連れていかれそうなほど儚く見える。甘えた声や無防備なルリの陰にはいつもリオがいる。
俺ならずっと傍にいるのに。
ルリ、俺じゃだめ?リオの代わりでいい。ルリの心が欲しい。無邪気な顔を俺に向けてくれないかな…。一度だけ抱きしめた時にルリの腕が俺の背に回ることはなかった。甘えた声で俺の名前を呼んでほしい。泣かせる男なんて忘れればいい。真っ赤な顔で眠るルリ。誰かの心が欲しいと思ったのは初めてだ。せめて風邪をもらってやれないかな。荒い呼吸を繰り返すルリの頬に手を伸ばすと勢いよく扉が開いた。
「シオン、代わるわ。体を拭くから出てって」
仕事が終わったレラさんが来た。レラさんに追い出されたので大人しく帰るか。医務室を出るとルリを心配している仲間達に捕まった。適当にあしらいギルドを出る。帰る途中に女に誘われてもその気が起きない。目を奪われるほど大きな胸にも欲は動かない。褐色のいい肌よりも色白で成長途中の華奢な体を染めたい。部屋は妹が小遣い目当てで片付けてくれるし、女がいなくても生活に不便はない。ルリにうちのパンを持っていったら喜ぶかな。ルリがうちのパン屋の常連だったなんてつい最近まで知らなかった。母さんが不器用だけど気立てが良くてお嫁に欲しいと言っていたのがルリだったことも。俺は家にほとんど帰らないからうちの台所でルリが料理を教わっていたのも知らなかった。
ルリは翌日には回復し昼にはギルドに顔を出した。
「ルリ、体は?」
「もう治ったよ」
「ほら。やるよ」
ルリにうちのパンを渡すと目を大きく開け、財布に手を出そうとするので止める。
「残り物だから」
「ありがとうございます。おじさんのパンは美味しいのに売れ残るのが不思議だね。ディーネの好きなパンもある。今日のご飯は決まりだね」
ディーネと話していたルリが入り口に視線を向けた。兄貴が帰ってきたのか。
「アルクお疲れ様。おかえりなさい。パンをもらいました。食べますか?」
「ルリ、レラは?」
いつもは受付に座っているレラさんは今日は休み。
「レラさんはお休み。昨日、私が迷惑をかけたから」
「は?」
露骨に顔を顰める兄貴。ルリを背に庇い兄貴との間に入る。温和な兄貴はレラさんが絡むと人が変わるから。
「お帰り。落ち着いて。昨日ルリが倒れてレラさんが看病してたんだ。だから今日は休み。レラさんは無事。ルリも病み上がりだから」
「倒れた?」
「もう大丈夫です。体調管理ができなかったことは反省してます」
「わかってるならいいけど」
「はい。アルク、レラさんは家で休んでいますよ。パンをわけてあげます。お土産にいかが?」
「ルリ、なにをした?」
「え?なんのことでしょう」
ルリが兄貴から一瞬視線を逸らして笑っている。ルリ、ここは笑う場面じゃないと思うよ。
「嫌な予感がするんだけど、昨日受けた依頼ってなに?」
「薬草採取」
「マジック袋の中、見せて」
「見せるほどのものでは・・・。」
「ルリ」
「わかりました。もうあきらめます」
ルリが大きなため息をついてレラさんの代理の職員の前に行く。ルリは袋から3枚の熊の毛皮と魔石。換金の手続きをしているルリを見て温和な兄貴が怒っている。兄貴は新人冒険者のルリの面倒を見ている。
「ルリ?」
「採集してたらうっかり、条件反射で」
「捌いてたら時間がかかって、雨に濡れて風邪を?」
ルリが顔を青くして固まっている。さすが兄貴。
ローブも身に付けず碌な準備もしないで森に出かけたルリが説教を受けている。冒険者の基本を教えこまれている。危機管理能力の低さやら兄貴の長い説教は終わりを見えない。唯一止められるレラさんもいない。これは庇えない。ルリが必死に言い訳しているけど無駄だから素直に諦めろ。
「クマを倒すのに事前準備なんていりませんよ。弱いですもの」
「そういうことじゃないっていつも言ってるだろうが。この袋の中身はなんだ!!」
「非常時の備えはバッチリですよ」
「どこがだ!!荷物揃えたら確認するから見せにこいよ。教えたからわかるよな?」
ルリって強いの!?
ルリに負けないように鍛錬をしよう。クマを弱いなんて俺は絶対に言えない。
俺はルリを落としたいけどどうすればいいんだろうか。一緒に鍛錬誘ったら付き合ってくれるだろうか。




