第百三話 追憶令嬢15歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンです。
平穏な生活を夢見る公爵令嬢です。
王家主催のパーティーの中でも一番予算があてられる国王陛下の生誕祭が開かれています。
王宮の一番大きく豪華な広間で上位貴族と諸外国の来賓、王族や有力貴族が招待されています。このパーティーに参加できる王家から招待状を受け取った貴族はとても名誉なこと。公務の関係で参加できない貴族もいますが当主夫妻は必ず参加します。もちろんルーン公爵家は全員参加です。マール公爵家はマール公爵夫妻とリオが。国外を飛び回るリオのお兄様達は帰国が間に合わないため欠席です。
国王陛下のありがたい挨拶も終わり、私はリオと一緒に挨拶回りをしていました。
クロード殿下やレオ様は先ほどからずっと外国のお姫様達のおもてなしのために華麗なステップを踏んで踊っています。昔は婚約者の私がいたので何曲か一緒に踊り、その後は談笑しながら接待していました。クロード殿下のダンスする姿をしみじみと眺めるなんて初めてですわ。外見だけなら物語の王子様そのものです。私は殿下よりも頭一つ分身長が低いので見ている者には物足りなかったのでしょう。綺麗で殿下ともお似合いのお姫様と踊る姿は絵になりますわ。殿下が社交の笑みを浮かべてらっしゃるので気に入っているかはわかりません。いつもは忙しなく動いていた生誕祭でこんなにのんびりできるとは思いませんでしたわ。昔は生誕祭の準備に招待客リストを頭に入れるだけでも大変でしたわ。来賓のお客様への接待をアリア様と一緒に伯母様と、いえ恐ろしいことを思い出すのはやめましょう。
クロード殿下とお姫様も絵になりますがうちの弟も絵になりますのよ。ルーン公爵家嫡男のエドワードの婚約者の椅子は殿下の妃の次に魅力的なもの。エドワードもお姫様や有力貴族のご令嬢の接待ダンスを爽やかに踊っています。まだ11歳なので他の殿方と比べ身長は低いですが、体格差を気にさせずリードする技術は王族にも劣りませんわ。そして社交の爽やかな笑みを浮かべるエドワードもご令嬢達に憧れの眼差しを受けています。
来年はエディも学園に入学しますが、ファンクラブができますわね。未だに私に甘えてきますがそろそろ姉離れの時期でしょうか。成長は誇らしい、それでも時々見つける子供らしい可愛いところがなくなるのは寂しいですわ。
差し出されるグラスを戻ってきたリオから受け取ります。
昔は王太子の婚約者として金の刺繍の入ったドレスを纏うことが多かったです。今日は青い生地に銀糸の刺繍と濃紺の装飾で飾られたドレスを纏っています。ドレスはリオから贈られました。婚約者への贈り物は殿方の甲斐性と言いますが…。毎月贈られると思う所がありますわ。お断りすると捨てる?と言われるのでありがたく受け取っています。
「今日のシアも一段と美しい。ドレスも似合っているよ。他の男に見せたくない」
「社交辞令以外の賛辞を言うのはリオだけですわ」
「鈍いからなぁ」
穏やかに笑うリオは自分がいかに容姿に優れて周囲の視線を釘付けにしているか気付かないのでしょうか。婚約者と一緒にいる時にダンスに誘うのはマナー違反です。私が傍にいなくなればリオにダンスの誘いが殺到しますわ。
「私はリオが美しいお姫様達にとられないか心配ですわ」
「俺のお姫様はシアだけだから杞憂だ」
耳元で囁かれた甘い声に心臓の鼓動が速くなります。最近は令嬢モードを上手く装備できるようになりました。深呼吸して緩む頬も赤くなる顔も必死に抑え、ルーン領の花を思い浮かべます。ほのかに香るのはルーンの鎮静作用を持つ香油。この香りを嗅ぐと自分を取り戻せると気付いてからはハンカチやドレスに使っています。このドレスには贈られた後にルーンの紋章を入れる時に使った糸は香油をたっぷり染みこませてあります。この香油を贈ってくれたのはエドワードです。姉の不甲斐ない姿を見ても引かずにさりげなく効果のあるものを贈る器の大きさは将来有望ですわ。令嬢モードの穏やかな笑みを浮かべてリオに微笑み返すと甘い笑みではなく穏やかな笑みでそっと髪を撫でる手に安堵しましたわ。リオのエスコートを動じずに受けられるまで中々大変でしたわ。様子のおかしいルーン公爵令嬢は許されませんので。私とリオの役目は終わっているので談笑しながらパーティーが終わるのを待ちましょう。
「レティシア!!」
呼ばれる声に視線を向けると金髪が近づいてきます。あれは?
海の皇国の皇女様が豪華なドレスで勢いよく駆けてきます。真珠や珊瑚など海の中でとれるものが飾られた重たそうなドレスが荒々しい音を生み、周囲の視線を集めます。淑女としてはありえない行為です。リオがグラスを給仕に預けて私の前に立ちました。
「皇女様、」
「邪魔よ!!私はレティシアに用があるの」
リオの口上を遮った皇女様の不機嫌な様子にグラスを給仕に渡し、リオの隣に立ち礼をします。
「このたびは」
「口上も挨拶もいらない。レティシア、お兄様は!?」
言葉を遮られ皇女様の我儘モードに突入しているのを察しました。公の時はきちんとお話される言葉も乱れております。フラン王国語を話せるようになったんですね。感心している場合ではありませんわ。
海の皇国は皇子皇女の数が多く名前を明かす風習はありません。招待状は全て皇帝陛下宛に送られます。招待客リストには海の皇国から皇帝陛下の名代での訪問は海の皇女様一人だけでした。到着が遅れていると報告がされておりましたが。随行しているはずの貴族も侍女も姿が見えません。まさか置いてきたのでしょうか?
「恐れながら本日の名代は皇女様お一人と」
「お兄様よ!!この国に外遊に寄ってからお姿が見えない。お兄様の後見のメイ伯爵家も代替わり。お兄様は貴方と一緒に過ごした日からおかしかった。接待役のレティシアが私の傍を離れるなんておかしかったのよ。あの時に気付いていれば!!お兄様を私に隠れて誘惑したんでしょう!!お兄様を返して!!」
声を荒げる皇女様が探しているのはロダ様でしょうか?
事情を知りませんの?国としての話し合いは済んでいます。だからロダ様達は爵位を与えられフラン王国民として受け入れクロード殿下も気に掛けています。クロード殿下は時々ロダ様の様子を見るために教室に顔を出しますもの。
「皇帝陛下のお考えをお聞かせいただけますか」
「あれには失望したって。もう兄じゃないから忘れろって。私にはお兄様だけなの。お願いだから返して!!」
海の皇国の事情はわかりません。ここでは絶対に口に出せないのは確かです。海の皇国とどんな取引をしたのかはわからないので、事情を話せば外交問題に。メイル伯爵もロダ様もこの場に招かれてません。皇女様を落ち着かせて、クロード殿下にお任せするのが一番ですわ。
「申し訳ありません。私は皇女様の望む答えを持っておりません。お力になれず」
「嫌!!許さない!!お兄様がいない国なんていらない」
叫ぶ皇女様は私の言葉は最後まで聞いてもらえません。リオは皇女様に邪魔と言われたので口を挟めませんし、ここは私がなんとかするしかないんですが。騒ぎに気付いた殿下が来てくださったりしませんかね。
「皇女様、」
「お兄様。どこにいらっしゃるの!!お兄様!!許さない、お父様も何もかも消えてしまえばいい!!」
声を荒げ、叫びはじめた皇女様から青黒い禍々しい魔力が漂います。会場には魔法が発動しないように魔封じの結界が仕込んであります。魔法で他国を蹂躙するつもりはなく、魔法を武力として使うつもりはないと他国にアピールするための部屋です。魔法を持たない他国の方々への安全への配慮のために用意された部屋です。魔法を未知と捉え恐怖の対象とする国の方々を接待するときに使われる部屋でもあります。全ての魔法が発動しないはずなんですが。なぜか青黒い靄が伸びてきて魔力が吸われていきます。ゾクリとする嫌な感覚に顔を顰めそうになると嫌な感覚がなくなりました。温もりに包まれて顔を上げるとリオに強い力で抱きしめられていました。風?
真顔のリオの顔には汗が流れ、風の結界で包まれています。禍々しい魔力が膨れ上がり青黒い尾びれ?が結界を壊しました。爆風が起こって体が吹き飛びます。
「お兄様を奪った全てを許さない!!」
ガシャンと音がして窓が割れて外に。ポタリと見えるのはリオの頭から流れる血。このまま落下すれば死にますわ。
「ディーネ、結界を。安全に下に降ろして」
温かい水の球に包まれポタンと地面に体が降ろされました。強く抱かれていた手を解き、血まみれで真っ青なリオに治癒魔法をかける。私を庇って王宮の強固なガラスが割れた時にきっと。止血して傷ついた組織を修復する。
「リオ」
冷たく閉じた目は開きません。周りではどんどん人が吹き飛ばされて落ちてきます。薄く水の柔らかい膜で地面を覆う。王宮魔導士も近くに倒れています。魔法の使えない空間で使われる魔法。陛下の無効化魔法も効かないかもしれません。会場は青黒い魔力に覆われたまま。
唯一皇女様を沈められそうなロダ様はいません。海の皇国の方も吹き飛ばされてます。
青黒い嵐の中心にいる皇女様には誰も近づけません。
「許さない。すべて無くなってしまえばいい!!」
皇女様の後ろに人魚?が見えました。あの銀髪と蜂蜜色ってまさか!?
殿下とエディ!?
殿下が手を当てて無効化魔法を発動してますが効きません。青黒い魔力が二人を包んでいます。
「ディーネ、あれをなんとかできますか!?」
「海の魔術ね。皇女が怒りで我を忘れて使役してる人魚たちも同調してる」
「鎮められますか!?」
「力で抑えられるけど、あそこまで暴れたら顕現しないと対処できないわ。レティの魔法も私との契約も知られてしまう」
吹き荒れる風、荒れる会場、禍々しい魔力の刃、悲鳴、倒れている人達、目を開けないリオ。あのままだと殿下とエディが危ない。やるべきことはわかっています。もう会えなくても後悔しない。ここで躊躇う自分の方が許されない。
「大丈夫。ディーネ。お願い力を貸して」
「私はレティの願いを叶える」
「ありがとう。お願いします」
リオとの約束はもう守れない。でも守れる力があることを誇りに思ってルーン公爵令嬢らしく優雅に微笑む。
「リオ、ごめんなさい」
深呼吸して集中し魔力を纏い精霊を召還するための詠唱を唱える。使うことはないと思っていました。でも今はありがたい。ディーネ、ありがとう。絶対に生涯かけて貴方だけは守るから。
「親愛なる水の眷属たるディーネ。我の声を聞き給え。契約者たるレティシアが命じる。
かの者たちを鎮めるために姿を現せ」
纏った魔力が消えると青く美しい光が輝き、青い瞳を持つ美しい女性が現れる。初めて出会った時の姿。空から雨が降りディーネが皇女様に近づいていく。風や青黒い魔力なんてないように優雅に歩いて皇女様の前で足を止めた。
「頭が高い。下級精霊ごときが我が契約者を傷つけるとは」
ディーネの美しい声が響く。会場の中には雨が降るも状況は変わらない。
「消えたいの?これ以上わが契約者を傷つけるなら廻らない輪廻の果てに葬り去るわ。私はウンディーネ様のように慈悲はない。警告はしたわ。そう、」
ディーネが人魚に腕を向けると人魚がひれ伏す。
禍々しい魔力が薄れ、嵐が消え皇女様がパタリと倒れる。人魚が何かを唱えて消えていく。
近くに倒れているエディと殿下に傷はない。
これで大丈夫です。違いますわ。体を起こし、ざわめく人々が動く前にやることがあります。
「ディーネありがとう。全ての人を眠らせて」
ディーネの魔法で起き上がった人たちがパタリと倒れて眠りにつく。まずは治癒魔法をかけてまわらないといけませんね。
「治癒魔法は私が。全員に魔法を使えばレティが倒れる」
「ありがとう。お願いします」
ディーネに甘えましょう。まだ倒れるわけにはいきません。浅い呼吸で青白い顔の目を閉じたままのリオ。
「ディーネ、リオは平気?」
「魔力を吸われ過ぎてるわ。危険よ」
魔力欠乏は死に繋がる。リオから贈られた魔石を全てリオに持たせて吸収させても顔色は戻りません。リオに口づけてありったけの魔力を注ぐ。全部あげてもいい。お願いだから死なないで。
「レティ、リオはもう大丈夫よ。これ以上はレティが危険」
ディーネの声に顔を上げる。リオの顔には赤みが戻り、手も温かい。
辺りには水の魔力が漂っているのでディーネの治癒魔法が発動したのでしょう。
「ありがとう。エディや殿下、皆は大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。じきに目覚めるわ」
ディーネの言葉に安堵の息を吐く。
リオから贈られたお守りのネックレスや腕輪を全部外す。肌身離さず持っていた身分証明のメダルをリオの手に握らせる。眠っている大好きな人。手の温もりは大好きなものと変わらない。
「今まで守ってくれてありがとう。レティシアはリオにあげます。どうか幸せになって」
もう見れない顔を目に焼き付け、そっと唇を重ねる。これで最後。
「リオ、大好き。さようなら」
込み上げてくる涙は我慢して立ち上がる。視界が歪まないように。どんなときも優雅に振る舞うのがルーン公爵令嬢。なにより今は泣いてる時じゃないから。
「ディーネ、もうここにはいられない。行こう」
「レティ、いいの?」
「うん。私が招いたことだから。公爵令嬢が魔力を隠していたなんて許されません。それにこれからディーネの力を狙った人達が近付くいてくるかもしれない。私が消えれば全てが穏便です。嫌われ者の公爵令嬢の記憶なんてすぐに消えますわ」
「私は優しいレティが大好きよ」
「ありがとうディーネ」
ドレスは目立つので会場の破れたカーテンを拝借してローブ代わりに体に纏う。いつかきちんと返します。
どうか大好きな人達が幸せでありますように。今までありがとう。
寂しくなるから決して振り返らずに笑みを浮かべたまま外の暗闇に向かって足を進める。
レティシア・ルーン公爵令嬢の最期でありずっと目指していた脱貴族が叶った日。




