第百一話 後編 追憶令嬢15歳
ごきげんよう。
レティシア・ルーンです。平穏な人生を目指す公爵令嬢ですわ。
リアナ・ルメラ男爵令嬢に申し込まれた謎の決闘の日になりました。
3対3の手合わせであり敗者は勝者の願いを一つ叶えるという何度聞いても理解のできない決闘。私はルメラ様に願いたいことはありません。願いがあっても言葉が通じないルメラ様には伝えるだけ無駄だと思いますわ。生前は私は何度もルメラ様の不敬や非常識な行動を窘めましたが一度も聞き入れていただけませんでした。
気の重い私と違いノリノリのニコル様に言われた通り弱気な令嬢を演じるしかできませんわ。脱貴族したときに役者になれますかね…。
今回はセリアも立ち合ってくれるそうです。セリアの胸で怯えたフリをして静かにしていましょうか。
セリアはなぜかルメラ様に怒ってます。被験者にしようとするのは止めました。生徒を被験者にするのは非常識とセリアには通じない常識を説くのは諦めていますが。
会場は武術大会で使われる競技場。
監督はロベルト先生。
こんなくだらない茶番に付き合うのは、お気に入りのリオの頼みだからでしょうか?悲しいことに噂が広まり観客もいます。武術大会よりも多い気がするのは見間違えですわね?すでに心が折れそうにですが動揺を隠して笑みを浮かべて選手の控え室に行くと固まりました。ありえない光景に訓練着を着ているリオに近づき睨みつけます。
「リオ、説明してくださいませ」
「なにが?」
全てリオとニコル様にお任せしました。決闘のことは現実逃避してました。ルメラ様にしつこく絡まれたり階段から落ちたり、リオが過保護になり令嬢達がルメラ様に意地悪しようとするのを止めたりと中々多忙でしたので。話題に出さなければ決闘のことなど忘れてうやむやになってほしいという細やかな願いは叶いませんでしたわ。決闘という言葉を聞こえないよう読書に集中していたことを反省しますわ。反省はあとですわ。私の目の前にはありえない人物がいます。
「クラム様はわかります。リオも百歩譲ってわかります。どうしてグランド様を巻き込みましたの!?」
「ニコルが欲しかったんだけど、今回は進行してくれるから」
「こんなにくだらないことに巻き込むなんてありえませんわ」
ゾクリと寒気がして穏やかな顔をしていたリオの目が据わりました。怖いですがここは引けません。銀の瞳から視線を逸らさずに睨みます。
「俺は百歩譲っててところに突っ込みたい」
「クラム様は手合わせが好きなので付き合ってくれますが、リオは違うでしょ?」
「俺達には話し合う時間が必要みたいだな。レティシア」
ゆっくりと窘めるように話すリオはお説教モードに入りそうですが負けられません。
「脅しても無駄ですわ。私が出ます」
「駄目だ」
「私はリオが出るのも納得できません。グランド様は尚更です」
「俺はシアに危ないことをさせたくないから俺に譲って」
「私もリオ達に危ないことをしてほしくないです」
「シアより俺とサイラスのほうが強いだろ?」
「それは…。でもリオとグランド様が仲が良くても、こんなくだらないことに巻き込むなんて許しませんわ」
確かに二人は強いです。それでもルメラ様が連れてくるのは武術に優れている生徒でしょう。怪我をしない保証もありません。クラム様は手合わせが趣味なので構いませんわ。駄目もとでエイベルに頼めば良かったですわ。どうして私は丸投げしましたのよ。
「シアにとってはくだらないことでも俺には意味があるから。くだらないと思うなら尚更譲って」
ゆっくりと反論は許さないという雰囲気でリオの口にした言葉。嗜める顔ではなく覚悟を決めている強さを感じる銀の瞳に見返されました。この顔のリオは譲ってくれません。なにか思惑があるのかもしれない。それでも私は負けるわけにはいきません。
「ルーン嬢気にしないで」
無言で睨み合う私とリオ。沈黙を破ったのはグランド様の優しい声でした。リオから視線を逸らしてグランド様に向き直ります。
「グランド様、貴重なお時間をいただいて申しわけありません。お帰りください。リオのほうが家格が高いですが私が穏便に収めます。遠慮なく断ってください。こんなくだらないことで怪我をされたら、お詫びのしようがありませんわ。戦う理由も家の利もありません。グランド伯爵家には何も関係のないことですわ」
「ルーン嬢は被害者だから気にしないで。リオと組むの久々だし、俺の訓練だと思って」
「グランド様」
「ルーン嬢!?感動して泣かないで。頼むから。リ、リオのところ帰ろうか」
私が気にしないように気遣ってくれる優しさに目頭が熱くなりました。こんなくだらないことに巻き込んだ私に優しい…。最近の私の周囲の非常識な環境。これが本で読んだ砂漠で見つける恵みのオアシスということでしょうか。
ポンと頭に大きな手が置かれました。顔を上げるといつも元気をくださる明るい笑顔のお友達ですわ。
「レティシア、気にするな。やりたくてやってるだけだ。嫌なら断る。ここは平等の学園なんだろう?」
クラム様に頭を撫でられ気持ちの良さに力が抜けます。権力に従っているわけではないと言葉にするクラム様の優しさが胸を温かくします。
「クラム様」
「いつもの笑顔で応援してくれれば充分だ。それに俺達も自分で考えてここに立ってるんだよ。いつもみたいに笑ってくれないか?」
クラム様の優しさにこぼれそうになる涙を我慢します。優しさと強さを持つ赤い瞳。どんな時も明るく励ましてくれる頼りになるお友達。
冷静に考えれば私よりも強い三人に任せたほうが勝率は上がります。ルメラ様にどんな理不尽な命令をされるかわかりませんし。私が戦っても足手まといになるのは一目瞭然です。心配ではありますが、ターナー伯爵家の教えを思い出します。戦いに出る騎士に私ができることは、感謝を込めて精一杯の笑顔を作ります。
「わかりました。頑張ってくださいませ。ご武運をお祈りしてます」
「おう。任せろ!!」
クラム様のやる気に満ちた声と笑顔に今日も元気をもらってしまいました。グランド様に向き直ると視線でリオを示されました。確かに先に声を掛けるのは身分の高いリオのほうがいいですわ。
リオに向き直ると据わった目で企んでいる顔をしています。人を挑発するときに向けるお顔です。
「リオ兄様、負けられると困りますが、勝ってもお願いしたいことがないんです。この決闘の意味は私にはわかりません」
「俺に任せろ。絶対に負けないから心配するな。お願いは代弁するから傍で怯えてて。シアの憂いは俺が払うよ」
余裕のある笑みはきっと企んでますわ。
気にしたらいけまけん。昔からリオの考えてることはわかりません。
笑顔を崩さないように気をつけます。
「わかりましたわ。ありがとうございます。ご武運を。怪我は気を付けてくださいませ」
「完全勝利を捧げるよ」
私の手を握って手の甲に口づけを落としたリオに顔が赤くなり、自分がおかしくなりそうになるのを必死で堪えて、令嬢モードで微笑みます。
「ありがとうございます。信じておりますわ。グランド様もご武運を。引き受けてくださりありがとうございます」
「可愛い後輩のためだからね」
私の赤くなった顔の熱が冷めたことに、安堵の笑みを浮かべるグランド様に精一杯の笑みを浮かべます。最近の脆い令嬢モードをなんとかしないといけませんわ。派閥筆頭ルーン公爵令嬢として・・。同派閥のグランド様を不安にさせるようなことはいけませんわね。今は令嬢モードの準備中なのでリオの顔は見れません。
しばらくして時間になったので競技場に足を進めると歓声が響きました。さらに観客増えてませんか!?うちの派閥のご令嬢もいますよ。野蛮なことが嫌いな令嬢達の多さに驚きます。リオやクラム様は令嬢達に大人気だから仕方ないいでしょうか?
対戦相手に見慣れた色を見つけました。目を閉じて再び開けても見えるものは変わりません。
なんで…?
やっぱり…。
リオの手が伸びてきて肩を抱かれました。足を止めていたことに気付き促されるまま足を動かします。
大丈夫ですわ。ずっとわかってましたわ。エイベルはもともとあっち側の人。でも…。イチコロされる様子もなく剣を向けないとも言ってましたのに。
「シア、大丈夫だ」
囁かれ、抱き寄せられるとリオのゆっくりとした鼓動が耳に聴こえてきます。
エイベル…。今世も。
頭を優しく撫でられ、沈む自分を叱咤します。思考を止めてはいけません。誰が相手でも私の役割はリオ達の勝利を信じて笑顔で待つことですわ。笑みを浮かべると「設定」と囁く声に優雅な笑みは浮かべるのをやめました。心配そうに見つめる銀の瞳に大丈夫ですと視線を送ると頭を撫でる手が離れました。
「全員揃いましたね。何か一言ありますか?」
気付くとニコル様が司会をしてました。会場の盛り上がりを見るとまさか前座をしてましたの?色々突っ込みたいですが設定上できません。ニコル様に首を横に振って合図します。
「レティシア様、戦いませんの!?貴方から挑んだのに卑怯です!!」
ルメラ様の騒がしい声が響いています。私を睨むルメラ様にため息を我慢して、睨み返さずに伏し目がちに視線を下に向けて困惑した表情を浮かべます。
「発言に気をつけろ。先に勝負をしかけたのはそちら側だ」
「マール様は騙されてます」
「調べはついている。俺の婚約者に複数の男共をけしかけようとしたこともな。自分は戦わないのに彼女に戦えというのは卑怯じゃないのか?」
よく通るリオの声に会場がざわめきました。まさかと思い周囲を見渡すと声を拡張させる魔道具が仕掛けてあります。どうして会場中に声を響かせてますの!?
リオが冷たい声と据わった目、一切笑顔のない不機嫌な顔でルメラ様を見ています。いつもの胡散臭い笑顔どうしましたの!?貴族が感情を露わにしていいんですか!?
「私は、みんながわたしの為に戦ってくれるって。危ないことしないでほしいって言うから」
先程までの私に向けていた声が甘さをもち、子供のようにたどたどしく話す様子も淑女としてありえませんわ。そして瞳を潤ませ選手を見つめるルメラ様にイチコロされた殿方は頬を染めながら頷いています。
「それならこちらも同じ理由だ。俺は婚約者に危ないことをしてほしくない。それに大事な友人や後輩を守りたいのは当然だろう?」
「それなら私も含まれるはずです」
リオがわかりやすい言葉を選んで話すのは珍しいですわ。ルメラ様は頬を染めてはにかんだ笑みを浮かべながら瞳を潤ませリオを見ています。
「俺達がそちら側につくことはない。彼女と比べる価値もない」
「レティシア様に権力で脅されてますの!?卑怯よ」
リオに権力を使えるのは王族だけですわよ。フラン王国の貴族を名乗るなら序列は覚えないといけませんわ。わざわざ教えませんわ。私は関わりたくありません。ルメラ様の潤んだ瞳に睨まれてますが決意は変わりませんわ。
「君に理解してもらいたいとも思わないから勝手にしろ」
「でも、武術の名門を揃えるなんてずるいわ」
「教えておくが君は全員武術の名門貴族を連れているが、うちの武術の名門貴族は一人だけだ」
一番大事な常識である序列を知らないのに武術の名門を知ってることに驚きましたわ。一応はお勉強をしているのでしょうか?残念ながらリオもクラム様も強いですが武術の名門ではなく生粋の文官一族ですわ。
「時間が惜しいのでそろそろよろしいですか?最後に勝ったら何を願うか教えてください」
「レティシア様にはマール様と婚約を解消して私の奴隷になってもらうわ」
終わりの見えないリオとルメラ様の会話をニコル様が割り込みました。ニコル様の質問への答えを声高らかに笑顔で宣言するルメラ様の言葉に会場がざわめく。
はい?聞き間違えでしょうか?
奴隷?フラン王国では奴隷や人身売買は禁止されてます。王族でも許されませんわよ。
「願いは一つだけです」
「じゃあ奴隷になってもらうわ。そしたら必然的に婚約も」
動揺しないニコル様の言葉に笑顔で応えるルメラ様。非常識なお願いは覚悟してましたが道理に外れる言葉は聞き間違えでありませんのね…。
「俺は降りる。話が違う。友人が怪我をしたから手合わせを変わってほしいって話だろ?敗者を奴隷にするなんて勝負は受けない」
不満そうな声のエイベルの言葉がうっとりしているルメラ様の言葉を遮りました。
「そんな!?エイベル様!?そうしたら私がレティシア様にどんな酷い扱いをされるか」
「ありえないだろ」
「貴方も騙されてます」
「は?」
眉間に皺のある嫌そうな顔のエイベルはもしかしてイチコロされてませんの?イチコロされてないなら、奴隷なんて騎士道精神に反するものを平常のエイベルが受け入れるわけありませんわ。
「ルーン嬢はなにを?」
エイベルを眺めているとリオの腕が伸び、胸に顔を埋めさせられました。これは余計なことは言うなってことですわ。
「奴隷発言に怯えてる婚約者の代わり、全権を委ねられている俺が願ってもかまわないか?」
「ルーン嬢、よろしいですか?」
ニコル様の声に首を縦に振ってコクンと頷く。
「構いません。どうぞ」
「ルメラ男爵令嬢がレティシア・ルーンに一切関わらないことを約束してもらおう。彼女の名を口にするのはもちろん、話しかけるのも噂を流すなど彼女に関係する全てのことをやめてもらいたい。彼女を奴隷にしたい人間など視界にいれるのもごめんだ」
「わかりました。両者異存はありませんか?」
リオの言葉など気にせずエイベルとルメラ様が言い争っています。
「ルールは武術大会の個人戦と同様で殺しは無しでお願いします。ご令嬢方は離れてください」
ニコル様がルメラ様をエイベルから引き剥がして回収して観覧席に連れて行きました。いつ見ても鮮やかな手腕ですわ。私はリオ達に礼をしてセリアの隣の席に座ります。ここからはロベルト先生が審判を務めます。両者整列して礼をして先生の合図で試合が始まりました。
試合が始まるとすぐにエイベルが剣を置いて会場から出て行きました。
ルメラ様が叫んでいますが気にせず足を進め振り返りません。エイベルはイチコロされてなかったみたいです。奴隷にしたいと願ったルメラ様の代理で選手として参加すればエイベルも非難を受けます。奴隷を許すような騎士は資質の面で近衛騎士試験は受からないでしょう。近衛騎士試験の最終試験の面接官はビアード公爵と王族です。王家の忠臣ビアード公爵は騎士道精神の塊のような人です。息子とはいえ相応しくない思想を持つならためらいなく落とすでしょう。今更ですがもう二人の大柄なご子息達は大丈夫なんでしょうか?きっと家よりも心に従っているんでしょう。
剣を持つ手に迷いはなさそうですもの。家や輝かしい未来よりも守りたいものの為に剣を持つのも一つの形。絶対に王家の覚え目出度い家門には受け入れられない考えですが。生前の私なら王家に剣を捧げない騎士などフラン王国の騎士として認められませんわ。まぁ今の私には関係ないことですわ。家よりも恋を選んだ大柄な先輩達にグランド様とクラム様が剣で斬りかかります。二人に向かう魔法はリオが相殺して消しています。グランド様とクラム様は相手の魔法に動じず、視線も向けずに剣だけに集中しています。リオを信頼しているからできることでしょう。グランド様とクラム様が風に包まれました。リオの速度向上の魔法で五分五分だった様子から二人の優勢に変わりました。属性にも適性ががあります。
どの属性も速度向上の魔法はありますが、速さは風属性が一番です。
力は火属性、防御は水属性、速さ、力、防御の向上を一度にかけたときに平均的に高くなるのは土。
リオの団体戦は初めて見ますが凄いですわ。私が魔法を使っても防御が精一杯です。相手の魔法を相殺させながら、攻撃を仕掛けられません。リオの風が相手の集中力を乱して消耗させています。余裕のあるグランド様と楽しそうな顔のクラム様と違い相手の選手は汗を流し必死な形相です。グランド様達に攻撃する余裕もなく防御で精一杯です。
「レティ、禍々しいものが近付いてくるから気をつけて」
ディーネの声に首を傾げます。会場は熱気で溢れていますが、違和感はありません。パタパタという足音に視線を向けるとルメラ様が目を吊り上げて近付いてきました。ディーネの禍々しいものはルメラ様?シュッと風の切る音がして驚くと襟首がルメラ様の手に掴まれています。気配がありませんでしたわ。
「貴方、卑怯よ!!エイベル様を仕込んだでしょう!?棄権するように。貴方の所為でみんなが傷ついてるの!!貴方が負けを認めれば終わるの。わかる?」
掴まれている手を解こうとするとネクタイが引っ張られました。反論しようにも首がどんどん締っていきます。肩の上に現れたディーネから青い光が出ました。
ディーネ、大丈夫だから暴れないで!!私が魔法を使えば大問題なんです。大丈夫ですよ!!お願い!!必死に念じるとディーネの姿が消えました。これで大丈夫ですわ。
「さっさと負けを認めなさいよ!!」
「やめなさい」
セリアがルメラ様に手を伸ばすと、蹴り飛ばされました。セリア!?倒れるセリアをロダ様が受け止めてくれました。ロダ様、ありがとうございます。
どんどん首が締まって苦しいんですが。騒いでいる声が聞こえますが話す余力はありません。息がもうできなくなりました。体に力が入りません。こんな所で倒れれば醜態ですわ。どんどん視界が霞んでいきます。
風に包まれ、崩れ落ちる体が何かに包まれました。
「公爵令嬢殺害未遂。犯罪だ」
「どうして、試合は?」
「終わった」
「嘘でしょ?」
「弱かった。あれなら俺一人で充分。試合どころじゃないよ。公爵令嬢殺害未遂。ねぇ殿下?」
「学園内は平等とはいえこれは許されない。陛下に判断を仰がないと。君は沙汰が出るまで拘束させてもらう」
「誤解です。私、そんなこと」
「そのまま手を離さなければ彼女は死んでいた」
「嘘です。そんな。おおげさです、彼女が私を陥れようと、違います!!」
話し声が聞こえますが聞き取れません。そして歪んだ視界は真っ暗になりました。




