第百話 追憶令嬢15歳
ごきげんよう。
レティシア・ルーンです。平穏な人生を目指す公爵令嬢ですわ。
気持ちを落ち着けるために散歩をしています。
リアナ・ルメラ男爵令嬢の部屋が荒らされました。
部屋の中に置いてあったルメラ様のバイオリンに私の名前が刻まれたので私に容疑がかけられています。
誰が考えても無茶な言い分に思えます。ルメラ様の物と主張するバイオリンは1年生の時に紛失した私のバイオリンです。
ルメラ様の部屋の前に置かれた私のバイオリンの件も含めておかしいことだらけです。
私は下位貴族や平民のための第二寮の中には入ったことはありません。
水に触って癒やされたいですわ。
水の気配を探ると一つは訓練の森。ここは駄目ですね。もう一つは庭園のほうに気配を見つけて足を進めます。歩いていると見覚えのある場所がありました。
ここは私が捕まった場所の近くです。しばらく足を進めると捕まった離れを見つけました。離れを壊すわけにはいかないので見なかったフリをして通り過ぎると小さな祠と泉がありました。
周りに人の気配はないので水魔法で祠を掃除します。近くに咲いている花を摘んでお供えして日頃の感謝を込めて祈りを捧げます。
優しい風に目を開け、空を見上げると青い空が広がっています。人の気配はないので、靴と靴下を脱いで泉に足を入れるとポチャ、ピチャ、ピチャと水の音が響きます。足の周りに小さな泡ができては消え、体と魔力が馴染んで気持ちがいい。
水に触れると落ち着き強張っていた体の力が抜けました。ずっと冷たかった体がどんどん温まっていきます。
「平穏に生きたいだけなのに」
両手で水をすくいあげると、手の隙間から水がどんどん落ちていく。
「また、はなれていくのかな」
生前殿下達が離れて行ったとき、気にしてないフリをしました。私と一緒にいるよりもルメラ様達と過ごす時間が増えているのも知っていました。
寂しいけどそんな感情を認めるほど私は自分に甘くできませんでした。
記憶にあるのは王太子妃となって殿下を支えることだけを考えてた私。
いつも一生懸命な殿下が幸せになれるように。
王族は民のことを一番に考えなければいけない。でも私だけはクロード殿下の幸せを祈ろうと。
それがいけなかったのかな…。
傲慢だったのかな。
自分自身の気持ちなんて目を向けず、エイベルとリオと一緒に殿下を支えていく未来を信じてました。
気持ちがどんどん沈んでいく。
でも温かい泉の水が心を慰めてくれる気がします。
大丈夫だよ。元気だして、一人じゃないよって。
あれ?やっぱり声が聞こえます。目を閉じて人の気配を探しても何も気配はありません。
「やっと気づいてくれた」
泉から顔を上げると目の前には綺麗な女性がいます。
「こんにちは?」
「こんにちは。驚いてるわね。昔から傍にいたのに」
綺麗な女性が美しい笑みを浮かべました。見覚えがないのに、なぜか懐かしい気がします。そして漂う馴染みの魔力も覚えがあります。
「前も池で慰めてくれた?」
「ええ。いつ気付いてくれるかなと思ってたのよ」
「そっか。ありがとうございます。ごめんなさい」
「いいのよ。貴方が鈍いのは知ってるわ。大丈夫よ。みんないなくなっても私だけは傍にいてあげる」
優しい声の主の言葉が心にストンと落ちていく。耳に響く声に安心する。良く見るとウンディーネ様に似ています。青い瞳はもしかして・・。
「ありがとう」
「私はディーネ」
「ディーネ様?綺麗な名前」
「貴方は?」
「レティシア」
「レティシア。レティね。ずっと呼びたかったの!!」
微笑む顔につい笑みがこぼれます。目の前にいる美しい女性を見ていると、今世の無属性設定の私には入る権利のないルーンの部屋を思い出します。ルーンの直系だけが入れるルーンの魔法の継承を行う部屋にはウンディーネ様の像が祀られています。
「また会えますか?」
「ずっと一緒にいるわ」
「この泉の精霊様が?」
「鈍いわね。そんなところも可愛いけど。契約したでしょ?」
「契約?」
「お互いに名前を呼んだじゃない」
「え?だめだよ。私は貴方を使役したくない」
リオとフウタ様が結んでいる契約。精霊は主の命令には逆らえません。力を持つのは怖いことです。私は制御できない感情を知りました。無意識に命令して傷つけるかもしれない。
私が願うと、あまりいいことはおきないから。こんなに美しい精霊様を巻き込みたくありません。
「契約者よ。近くにいて私が気が向いたら力を貸してあげるだけ。他の精霊にとられないように目印をつけただけ」
「私は貴方に命令を」
「私に命令はきかないわ。下位の精霊じゃないもの。でもレティのお願いなら最優先で聞いてあげる。友達みたいなものよ」
「友達。ディーネ様とお友達」
「そう友達。様はいらないわ」
「綺麗な女神様を呼びつけはできません」
美しく微笑んだディーネ様が青く光り消えると青い瞳の子猫が浮いています。
「可愛い!!」
あまりの可愛さに手を伸ばして抱きしめると頬を舐められ笑みが溢れます。
「くすぐったい」
「これならディーネって呼んでくれる?」
「うん。ディーネ可愛い。失礼では?」
「いいえ。ずっと近くにいたもの。昔は守れなかったけど今度は守るわ」
「昔?」
「気にしないで」
ディーネの言葉はわかりませんが、気にしなくていいなら気にしません。
「シア!?」
聞こえる声にディーネに夢中で警戒するの忘れてました。
「お前、何やって、ばか、あがって」
リオに抱きかかえられて泉が足から離されます。
「泉が気持ちよくて、」
「泉の水も冷たいだろうが。大丈夫か?」
いつのまにかリオの上着を足にかけられています。先ほどまで温かかった体が冷たくなっていきます。
「上着が汚れますわ」
「リオ、不安にさせたあなたが悪いのよ。レティは水の魔導士だから泉の魔力に魅入られても当たり前でしょ。泉に足をつけるくらい大目に見なさい」
腕の中のディーネをリオが見ています。
「猫?」
「お友達になったディーネですわ」
「主!レティに契約印が」
「フウタ?」
「余計なことは言わないでね。これからは私がレティの傍にいるからよろしくね」
「レティシアに危害を加えることは?」
「ありえないわ」
「わかった。これからよろしく。リオ・マールだ」
「ディーネで構わないわ。あなた見えるのね。風と契約しているだけあるわ。レティ、私の姿は貴方とリオにしか見えないから」
「わかりました」
「リオ、レティ不安定だからなんとかして」
「それは言われるまでもないけど」
「レティ、何かあったら呼んでね。隠形してるから」
「うん。ありがとう。またね」
ディーネが消えましたが友達が増えましたでいいのかしら?
「リオ、降ろして」
「こんなところに座らせられないよ。なんでこんなところに」
「気づいたら」
「無事で良かったよ。大丈夫か?」
優しい瞳で見つめるリオは探しに来てくれたんでしょう。リオはまだ私の味方でいてくれるみたいです。
「あんな理不尽なことで疑われるのが悲しかった。でもとらえ方次第なら私を加害者に仕立てあげ、やっぱりイチコロされたかな」
「誰もシアが犯人なんて思っていない。殿下は立場上中立を保たないといけないから」
頭を撫でる優しい手と慰めの言葉。でも殿下らしくない行動をされていました。そして私はもう知っています。
「でも恋心は人をおかしくするでしょ?」
「もし殿下とビアードが恋心でおかしくなっても俺はシアに狂ってるから丁度いいよ」
「2対1で勝てますか?」
「余裕。俺は一番恋心でシアにおかしくなってる自覚があるからな。権力総動員して守るよ」
「王家とビアード公爵家に?」
「マールとルーンの両公爵家で相手かな」
「笑えません。反乱と思われますわ」
頼もしく笑うリオについ笑ってしまいました。
「シア、顔が笑ってる。まぁそうならないように手を打つよ。シアが一年の時の茶会の招待状はパドマ嬢を嫌う令嬢の仕業だったんだがな」
「パドマ様の家に圧力をかけられて調査は中止では?」
「パドマ嬢が茶会で嫌がらせをされるほど嫌われてたなんて立派な醜聞だろ?」
「パドマ様が黒幕だと思ってましたが違っていたんですね。圧力はこの事態を明るみにしないためですか」
「ああ。途中で調査を止められたからシアのバイオリンを盗んだ相手まで追えなかった。あのバイオリンは返してほしい?」
「いりません。贈ってくれたお父様には申しわけないですが、何が仕込んであるかわかりません。生徒会でお好きに対処してください」
「わかった。またルメラ嬢が賑やかになるな」
「もう充分賑やかですわ。リオがルメラ様と仲良くしてたのは」
「シアの茶会の演奏を邪魔させないため。あと欲しい情報が、その目やめて」
「それが私の傍にいなかった理由なんですね。かわいい令嬢と仲良くできて良かったですね」
「ただ話して傍にいただけ」
「腕組んで抱き合ってたのに?」
「見間違えだから。その情報は誰から聞いた!?」
「秘密。ルメラ様に触った手で触られたくないからおろしてください。裸足は淑女として許されませんわ」
リオの腕から降りて靴下と靴を履きました。周りは暗く星が綺麗に輝いてます。
背中を包む温もりは・・。後ろからリオに抱きしめられています。
「シアだけだから。頼むから信じて。俺がエスコートするのもダンスするのもシアだけ」
「騙されません」
「本当だよ。授業とレッスン以外で触れたことない」
「不可能」
「不可能じゃないから。シア以外に触れられるなんて不快で耐えられない」
「本当?」
「本当」
リオの珍しく必死な言い訳に笑みがこぼれます。振り向くと嘘をついてる感じはありません。仕方がありませんわ。
「次はありませんよ」
「もちろん。令嬢の話し方にもどったな。あどけない話し方もなかなかいいんだけど」
「リオ?」
「いや、シアは可愛いなって」
「すぐからかう」
「そろそろ戻ろうか」
戻ろうといいながらも腕が離れないのでぼんやりと夜空を見上げました。
しばらくするとリオの腕から解放されて、手を引かれて立ち上がり歩き出しました。
足を進めると離れが見えてきました。
「もうすぐここで捕まりますのね」
「そんなことさせないから安心して。俺もフウタもシアを守るから」
「こんなに大事にされて、私は何を返せるかな」
ポツリと呟いた自分の言葉にリオの足が止まりました。腰を屈めて視線を合わせて見つめる顔に嫌な予感がします。マール公爵家を抜け出してお忍びに連れ出してくれる時の悪戯する時の顔をしています。
「シアのくちづけ一つで充分報われるけど。たまにはシアからしてくれる?」
「む、無理ですわ」
「守られっぱなしは不満なんだろ?」
これは覚悟を決めるしかないですの?睨みつけますが、折れてくれない・・・。
微笑むリオの顔を見て覚悟を決め、そっとリオの頬に口づけます。頭から湯気が出そうなほど恥ずかしく下を向くと頬に手が添えられた手にそっと顔を上げさせられ目を開けると正面にリオの顔がありました。
「シア」
熱の籠った甘い瞳で見つめられ心臓の鼓動が大きくなりどんどん速くなっていきます。リオの顔が近づいて口づけされました。
え?苦しくなる前に唇が離れ息をするとまた口づけを。何度も何度も口づけされてどんどん力が抜け、倒れないようにリオの服を掴んでいる手さえ力が入らなくなります。何も考えられなくなり力の入らない体をリオの体に預けます。自分の心臓の音がうるさくリオの鼓動は聞こえません。リオは余裕があってずるいです。でも敵いません。これが惚れた弱みですわ。
「リオ、大好きですわ」
見上げたリオの顔が赤くなりお揃いに嬉しくなり笑みがこぼれました。優しい風を感じながらリオの腕の中で過ごし、しばらくすると体に力が戻りました。先ほどまで冷えていた体が嘘のように熱く、手を繋いで歩いているだけなのに令嬢モードが装備できません。抱き上げようとするのを断り寮に向かって足を進めます。寮に帰るまでに赤い顔をなんとかしないといけません。恥ずかしくても繋いだ手の温もりを解きたくありません。リオは私を疑っていません。それならきっと大丈夫です。この手がある限りきっと。




