第九十ニ話 追憶令嬢14歳
ごきげんよう。
レティシア・ルーンです。
ステイ学園三年生です。
学園内に私がルメラ様に意地悪している噂が流れています。それでも私はルメラ様に会うことなく過ごせていることに感謝しています。今年の茶会ではエイミー様に演者を頼まれステラと一緒に引き受けました。ステラはレオ様と一緒にエイミー様からピアノの指導を受けていました。お忍びをしたレオ様からステラへのお土産がピアノのオルゴールだった理由がようやくわかりましたわ。演者を引き受けてからはエイミー様のスパルタが始まりました。何度も何度も心が折れそうになりながらもレッスンを受けました。当日はステラがピアノ、私はバイオリンを演奏します。夜遅くまで練習した帰りはいつもレオ様が送ってくださっています。
リオの送迎はなくなりました。多忙なリオに一人で行動しないように忠告されてからは全然お会いしてません。噂を聞く限り元気に過ごしているようです。
学園の大行事の茶会の日を迎えました。
寮の前で待ち合わせをしたステラと一緒に会場に向かいます。令嬢達の足の引っ張り合いや妨害にステラが巻き込まれないようにできるだけ一緒に行動してます。
あれは…。厄日ですわ。会場に向かう途中の道にリアナ・ルメラ男爵令嬢が立っています。
「レティシア様」
聞こえないフリをしてすれ違います。
「私の話を聞かないと後悔しますよ」
ステラに構わないでと目配せしてそのまま足を進めます。
「リオ様は私が攻略した。いつも私の側にいてくれるわ」
背中に掛けられる言葉に足を止めずに進みます。
リオが攻略?
イチコロされましたの?
そう、やっぱり……。
ステラが心配そうに見つめる顔に大丈夫と言う意味を込めて微笑みかけます。
ルメラ様には目を向けず会場に向かいましょう。背中から聞こえる二人の思い出に興味はありません。ズキズキと痛む胸となぜか泣きたくなる自分を令嬢モードでごまかします。ルメラ様もリオのことも忘れましょう。今日は大事な日。エイミー様の茶会を成功させることの方が大事です。私はルーン公爵令嬢ですもの。
会場に着くと可愛らしい笑みを浮かべたエイミー様が迎えてくれました。
「レティシア、ステラ、今日はお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
「レオ様達からお花を頂いたから髪に飾りましょう。今日はマール様いないけど大丈夫?」
「ステラがいるので大丈夫ですわ」
花の詰まったバスケットを大事そうに抱えて頬を染めながらレオ様の話をするエイミー様が可愛いらしく羨ましいです。
殿方はやはりふわふわの髪を持つ可愛いらしい笑顔の令嬢が好きなのでしょうか。
脳裏に浮かんだ光景を慌てて打ち消します。リオなんて知りません。打ち消しても打ち消しても脳裏に浮かぶ光景。こんなにリオのことが頭をから離れないのは初めてです。
ステラが心配そうに見ていることに気づき、微笑んでごまかします。エイミー様のために頑張らないといけません。バスケットの中には幸せの意味を持つ花が詰まっています。レオ様とラウルも応援してくれていますわ。花を手に取りステラの髪に飾ります。ステラの可愛さに笑みが溢れます。胸の痛みも耐えられないものではありません。リオのことは考えたらいけません。だって何を選ぶかはリオの自由ですもの。手に取った青い花から爽やかな香りが漂い、私の気持ちを沈めてくれます。もう大丈夫です。お守りに青い花を自身の髪に飾ります。ルーン公爵令嬢は常に優雅であれですわ。
茶会が始まりました。ステラと一緒に礼をして演奏を始めます。
今回は驚くような招待客はいません。もちろんリール公爵夫人も来ておりません。
会場の周りには生徒達が溢れています。さすが一番注目されているエイミー様の茶会です。
セリアを見つけました。頑張ってと微笑むセリアに頷けないかわりに微笑み返します。ハンナはアナ達と一緒、ブレア様やサリア様もいます。お友達が聴きに来てくれるなら一層頑張りますわ。感謝を込めて想いを音に乗せるように。
今回は休憩はありません。
社交のない休養日は一日中演奏するというエイミー様のスパルタコースのお蔭で3時間は余裕で演奏できるようになりました。引き受けた日から毎日バイオリンを弾きました。連日楽器に触れるのは演奏家の嗜みと微笑む顔に目指してませんと反論できませんでした。
茶会は滞りなく進み、突き刺さる視線にそっと周囲を見渡します。
あれは?
見覚えのある濃紺を見つけるとリオとルメラ様がいました。視線の主のルメラ様はリオの腕を抱きながら勝気な笑顔でこちらを見ていました。優雅に微笑み返し演奏を続けます。また胸が痛み呼吸が乱れそうになるので、頭に飾った花から漂う爽やかな香りに集中するために目を閉じます。なぜか痛い胸もありえない考えも頭から追い出します。目を閉じてルーンの庭園を思い浮かべます。お母様の「優雅に」と話すお顔、お父様の「恥じないように励みなさい」と話すお顔、エディの「自慢の姉様」と笑うお顔を思い出しながら心を落ち着かせ目を開けます。笑みを浮かべて演奏を続け、最後の一曲を弾き終え礼をしました。
お客様のお見送りを終えたエイミー様が近づいてきました。
「お疲れ様。よかったわ。レティシア、一瞬音が揺らいで曲が不安定だったけど」
「ごめんなさい。集中が切れてしまって」
「演奏としては及第点だから大丈夫よ。そう…。いつでも相談にのるわ」
エイミー様に心配そうな顔に見つめられました。エイミー様は音楽の天才。私の動揺もお見通しですわ。それでも口にはしません。アリア様直伝の優雅な微笑みを浮かべて口を開きます。
「ありがとうございます」
「ステラもありがとう。成長したわね」
「お役に立てて光栄です。私達はこれで。レティシア様行きましょう」
ステラに促され礼をして立ち去ります。ステラに付き合ってほしいと言われ了承しました。私は茶会の見学と思っていましたのにスタスタとステラが足を進めるのは会場ではありません。笑みを浮かべているステラになぜか話しかけずらい雰囲気を覚えてそのまま足を進めています。ステラが入っていくのは第一寮です。そしてセリアの部屋の前で足を止めてノックをしました。セリアに何か用があったんでしょうか?
「セリア様、レティシア様をお願いします」
扉を開けて顔を出したセリアが一瞬眉をピクリと動かしました。研究の邪魔をしたんでしょうか?セリアはステラと見つめ合い頷きました。珍しい光景を眺めているとセリアが苦笑しました。
「わかったわ。ステラ様ありがとう。任されるわ。レティ、お茶をしましょう」
「レティシア様、今日はありがとうございました。失礼します」
「私こそありがとうございます。ステラの演奏は素晴らしかったですわ」
笑みを浮かべたステラが礼をして去っていくので笑顔で手を振ります。セリアの部屋に招き入れられいつもの椅子に座るとすぐにお茶を置かれました。セリアが淹れてくれたお茶の独特の深みと香りを堪能しながらゆっくりと口に含みます。セリアは茶葉の調合もお茶を淹れるのも得意なので美味しいお茶を気まぐれで淹れてくれます。
「レティ、何があったの?」
「茶会は無事に終わりました。応援に来てくれてありがとうございます」
「そのお面みたいな顔やめて」
お面みたい・・?
サラリと言われた言葉の意味がわからず首を傾げます。
「お面?特に変わったことはありませんが」
「レティは不安になるとすぐ仮面を被るのよ。私に令嬢モードは通用しないわ。うまく伝わらなくてもいいから教えて」
赤い瞳が心配そうに見つめています。セリアに話してほしいと言われるのは初めてです。セリアは研究に夢中でそれ以外はサラリと流します。時々面白いからと興味を持ちますが必要最低限しか聞きません。そして私が踏み込んで欲しくないことを聞くこともない。
「ね?」
セリアの赤い瞳が細くなり優しい顔にずっと頭から打ち消しても思い浮かぶ光景に動揺を隠すために武装していた令嬢モードが剥がれました。受け入れたくないと思ってしまったもの、そしてどんどん強くなる胸の痛み。
「リオがルメラ様に攻略されました」
「は?」
「リオとルメラ様を見ると、痛くて。ずっと一緒って。きっといなくなるのはわかってましたのに」
ずっと消えない優しく笑うリオの笑みがルメラ様に向けられ微笑み合う光景。仲睦まじい二人の姿―。
「でもいちばんは、りおのしあわせだから、わかってるのにずっともやもやして」
うまく言葉にできません。でもルーン公爵令嬢としての意識から切り替えるとルメラ様とリオの姿が脳裏に焼き付き、忘れようと意識してもすぐ浮かんでしまいます。そのたびに胸が痛み、呼吸さえ苦しくなる。治癒魔法を使っても痛みは治りませんでした。しかも私は、
「無自覚なのよね。しょうがないわね。ねぇレティ、リオ様のこと好き?」
「好きです」
「カーチス様は?」
「好きです」
「カーチス様がルメラ様と一緒にいたらどう?痛い?」
クラム様とルメラ様が一緒にいる光景を想像しても胸は痛みません。首を横に振ります。
「寂しいです。でも苦しくありません」
「スワン様は?」
「寂しいですが、」
「痛いのはリオ様だけ?」
クラム様達がルメラ様といるのを想像をしても離れていくことに寂しくなるだけです。クラム様達と楽しそうに話すルメラ様を思い浮かべているのに「俺だけは離れない」と言ったリオの顔が浮かんで、胸がどんどん痛くなります。胸が痛くて堪らなくなるのは
「痛いのリオだけ」
「レティ、リオ様だけが特別なのよ。わかる?」
優しい顔でゆっくりと零された言葉が頭の中をグルグルします。
リオがとくべつ?
一緒にいたくて、誰かといると不安で心が痛くなる。一緒にいられるだけで嬉しくなる。笑顔を向けられれば幸せで堪らなくなる。
アリス様の話と同じですわ。
「わかったみたいね」
私はリオに恋をしたんですか?痛む胸と嫌な気持ちに体がどんどん冷えていきます。
だめ。こんな想いは抱えてはいけない。
最低です。許されません。
それなのに否定できません。ありえませんと笑って流せません。
「最低です。許されません」
「そんなことないわ。誰かに好意を向けられるのは幸せよ」
セリアの優しい言葉が耳に響きます。
私はよく一緒にいる二人を見てルメラ様のいる場所は私のものなのにって思ってしまった。
私はリオに恋をしてるなら、待っているのは―。
リオの優しさに甘えて。
最低な私はリオの優しさを利用するかもしれません。
軽蔑されるかな。
色恋なんて関わりたくなかった。しかも、よりにもよって…。自分の愚かで最低な恋に視界が歪んでいきます。
アリス様のひたむきで純粋な恋心が羨ましい。私はリオにルメラ様と離れてほしいと思ってしまう。
「リオにはルメラ様がいます」
「そこはリオ様次第ね。私はレティの味方よ。レティには幸せになってほしいの」
優しい顔をしているセリアに抱きつきます。味方。幸せ。
「私は十分幸せ。セリアがいればいい」
「嬉しいけど、泣きながら言われても…」
セリアが背中に腕を回して、優しく頭を撫でてくれます。覚えのあるものと違い柔らかい体。いつもリオが…。セリアの腕の中にいるのにリオが恋しい。でも…
「せりあ、リオがとくべつ。でも…」
胸は痛くて、こぼれる涙は止まりません。仲の良い二人の姿なんて見たくない。
それでも…。美しい銀の瞳を細めて笑いかけてくれるリオは大切な人。それは何があっても変わりません。わかっていたことなのに。バカで愚かな私。
優しい従兄の幸せを祝福できるようになりたい。
「いつか祝福できるかな。せりあは一緒にいてくれる?」
「もちろんよ」
迷いもなく即答してくれるセリア。
「私が二人に酷い事、邪魔しようとしたら止めてください」
「レティはそんなことしないと思うけど任せて」
「リオと会えなくても、」
「私はリオ様なんてどうでもいいわ。レティがいればいいのよ」
セリアがいる。だいじょうぶ。痛いし苦しいけど一人じゃない。
きっと恋ゆえに狂ってもセリアが止めてくれる。
リオへの許されない恋を話しても軽蔑しないで受け止め、頭を撫でてくれているセリアに甘えよう。精一杯の笑みを浮かべる。
「セリア大好き」
「私もよ。やっと笑ったわね。レティの泣き笑いなんて珍しいわ」
「セリア、ひどい」
「調子が戻ってきたみたいで安心したわ」
セリアが絶対に止めてくれる。恋ゆえに人がどうなるか私はよく知っています。
この想いは断ち切る。
リオには知られないようにしないと。
ルーン公爵令嬢に恋心なんていらない。私の人生に色恋はいりません。
「ありがとう。セリア。まだリオのこと祝福できないけど傍にいてください」
「もちろんよ。レティを泣かせた報復は私がするわ」
「やめて。リオは悪くない」
「善悪の価値観はそれぞれ違うのよ。それにレティのためじゃなく私のためよ」
「ほどほどにしてください。祝福できるまでリオと会いたくないから協力」
「もちろん。任せて」
セリアが美しい笑みを浮かべていますが不安でたまりません。でも気持ちは楽になりました。呼吸も意識しなくてもできます。
私にはセリアがいます。そして大事なお友達も。
リオがいなくても大丈夫です。
やっぱり従兄離れしないといけませんでしたわ。
失恋の傷は時間と共に薄れていくことを祈るしかありません。




