第九十話 追憶令嬢14歳
ごきげんよう。
レティシア・ルーンです。
とうとう三年生になってしまいました。私が監禁されて命を落としたのは15歳。まだ少しだけ時間はあります。ですがいまだにエイベルに勝てません。シエルを守れるんでしょうか…。全然強くなるための訓練をする時間が足りません。ルーン公爵令嬢なので社交を疎かにして訓練することは許されません。
「シア、大丈夫?」
冷たい体に温もりを感じ、目を開けるとリオの胸が目の前にありました。いつの間にか抱きしめられていることに驚きます。
「大丈夫だから。シアは死なないよ。昔とは違うだろ。心配しないで」
「リオ?」
「守るよ。もしも捕らわれても絶対に助ける。だから安心して」
囁かれる優しい声に強張った体の力が抜けていきます。顔を上げると強さを持つ銀の瞳に見つめられ生前との違いを思い出しました。昔とは違って今は誰よりも頼もしいリオがいますわ。きっといざとなればシエルを助けてくれます。なんとかなりますわ。甲高い悲鳴が聞こえて、嫌な予感がして辺りを見渡すと廊下にいました。公衆の前で抱き合うなんてありえませんわ。リオの胸を強く押しても腕から解放されません。
「リオ、放してくださいませ」
「残念。俺がいつも傍にいられればいいけど」
エセ紳士モードの顔をしたリオに頭を撫でられやっと解放されました。
相変わらず視線が凄いですがリオと仲良くしていたら本当に味方が増えるのでしょうか…。
リオに教室まで送られて席に着きました。
三年一組になりましたがクラスメイトの顔触れはほとんど変わりません。ですが教室内はいつになく賑やかです。これから新たに増えるクラスメイトの情報を掴んでいる者も多いからでしょう。メイル伯爵は王宮に参内していますが、メイル伯爵子息が公式の場に姿を見せるのは初めてです。各々が必死に情報収集していますが、メイル伯爵邸のあるルーン領には鼠は仕込めませんので学園で情報を仕入れようと必死でしょう。
海の皇国の元皇子ロダ・メイル伯爵令息が編入します。海の皇族の歓迎パーティーには上位貴族はほとんど参加していますのでロダ様の顔を覚えているクラスメイトも多いです。端正な顔立ちへの羨望や訳ありの亡命に侮蔑の視線など様々です。先生に紹介されたロダ様は視線を気にせず微笑みながら席に座りました。皇族は見られていることに慣れているからでしょう。皇女様も人の視線を気にすることは一切ありませんでした。ロダ様が気にしなくても厄介なことは起こります。後見先としてきちんと動きましょう。
授業が終わったので、席から立ち上がりロダ様にのもとに行く私に視線が集まっています。リオの言うように視線を利用しましょう。ロダ様の前に立ち笑みを浮かべ礼をします。
「ロダ様、ようこそステイ学園に。改めましてこれからよろしくお願いします」
「レティシア嬢、こちらこそよろしく」
「ルーン嬢、彼は」
「お父様が後見を務めますメイル伯爵令息ですわ。ロダ様の弟君はエドワードのお友達です。よいお付き合いをさせていただいています」
親しそうに話す私とロダ様に声を掛けようとするクラスメイトの言葉を遮り、特別にルーンの情報を与えます。私の言葉にクラスメイトが目を見張って驚いています。私が海の皇国の接待役を務めたのは有名ですので親しい理由には十分です。そしてルーンは自ら後見する家の情報を教えてあげるほど親切ではありません。
「ロダ、編入おめでとう」
「リオ、ありがとう」
「平等の学園だが何かあればいつでも生徒会に。殿下が放課後に時間がほしいと。私的な招待だから断っても構わない」
「伺うよ」
リオが素晴らしいタイミングで登場しましたわ。リオが名前で呼ぶ生徒は珍しいので牽制になります。そして殿下からの誘いはロダ様の亡命は王家から歓迎されていると認識されます。お近づきになりたい方は増えますが、排除に動こうとする方はいないでしょう。ルーンとマールのお気に入りで殿下に気に掛けられる存在を無下に扱う空気の読めない貴族は致命的ですわ。さらに周囲がざわつきましたが気にしませんわ。家に報告してこれからの相談をされるので動き出すのは明日からでしょう。
「ロダ様、お昼にお誘いしても?私のお友達を紹介しますわ。リオも一緒にいかがですか?」
頷いた二人を連れてシエル達が用意した食事の席ではすでに食べているセリアが呆れた顔をしています。ニコル様は楽しそうに笑っています。
「すごい牽制ね。レティとリオ様が後ろ盾なんて。うん。わかった。知りたくない。話さないで」
「セリア、私の顔を見て一人で会話をしないでくださいませ」
無属性の私もレオ様も受け入れる私のお友達はロダ様の事情を気にしません。形式通りの挨拶をすませるとクラム様が明るく話し掛けました。ロダ様の肩に手を置くクラム様の手をニコル様が叩き落とすことはありません。すぐ打ち解けるので殿方は羨ましいですわ。とりあえず立ち話もよくありませんし、食事をするために席に案内しましょうか。時間は有限ですわ。特にお昼休みは短いです。
ガシャンと勢いよく扉の開く音に驚き視線を向けると見覚えのあるふわふわの髪に可愛らしい顔立ちの小柄なご令嬢がいました。子供のように走って教室に入ってきます。淑女としてありえない姿にクラスメイト達が視線を向けています。走って登場するのは今世も変わりませんのね。解いている髪をたなびかせ走っているのはリアナ・ルメラ男爵令嬢。昔は嗜めましたが今世は何も言いませんわよ。絶対に関わりません。どうか殿下と末永くお幸せに。気にせず食事をしましょう。
「レティシア・ルーン!!」
ロダ様に椅子を勧めようとすると大きな声で名前を呼ばれ振り返りました。眉を吊り上げて駆け寄る姿に驚きました。
どうしましょうか。彼女は私の話を聞きません。マートン様に負けないほど言葉が通じない方ですわ。リオを見つめると頼もしく頷くので任せましょう。
「どうゆうこと!?」
ルメラ様が私に腕を伸ばすので避けようとするとリオに腰を抱かれて腕の中に庇われました。勢いよく伸ばした手を躱されたルメラ様が勢い余ってパタンと転びました。ここにはお優しい殿下もいないので誰も助け起こしません。
同世代の上位貴族のほとんどが在籍する1組で私を呼びつけにするのは不敬です。マートン様さえもしません。名門貴族のルーン公爵令嬢に礼儀をわきまえない男爵令嬢は敵対派閥の令嬢さえも呆れた視線を送るでしょう。そしてルーンに目をつけられたくないので誰も助け起こしたりしません。もしも動くなら王族かうちより序列の高い唯一の在学生マール公爵家のリオ、権力に囚われないシオン伯爵令嬢のセリアです。あとは身分を知らない平民の生徒でしょうか?残念ながら一組で一年も過ごせば身分については頭に入りますわ。それがわからない生徒は一組には上がれませんわ。爵位や名門貴族の名前は歴史の授業で教わります。そして偉人の名前も。偉人のほとんどは上位貴族の祖先です。試験で高得点を取るには絶対に覚えないといけないことの一つですわ。
「痛い。ひどい」
床に座ったまま瞳を潤ませる仕草は見覚えがあります。このままリオの腕を解いて座って食事をしてもいいでしょうか。転んだくらいで泣かないでほしいですわ。元気に泣いてるので、怪我はしてませんわ。
「なんで、どうして!?貴方、悪役令嬢でしょ。おかしい。どうして皇子様がいるの?」
私を睨んでいたのにいつの間にか視線はロダ様に移りました。ロダ様が驚いた顔をされました。ルメラ様が勢いよく立ち上がり、ロダ様の腕を抱きました。セリアは気にせず食事をしています。ニコル様の楽しそうな顔に首を横に振って抗議しました。クラム様だけが食事をする手を止めて心配そうな顔で見てくれました。
「皇子様!!私、レティシア様に」
「どなたかと勘違いされてるかと」
泣きながらロダ様の腕を抱くルメラ様の指をロダ様がそっと解き、ルメラ様から二歩ほど放れました。
「でもお顔が。貴方は海の」
「勘違いでも不敬罪になります。余計なことは口にされないでください」
ルメラ様が近づくとロダ様はその分下がります。そして笑みを浮かべて警告をしています。皇族の身分を許しもなく明かすのは不敬。そして一歩間違えれば外交問題になることです。この亡命にどんな話し合いがされたかは私は知りません。正直知りたくないので聞きません。
「レティシア様、どうゆうこと!?」
私を睨んで声を荒げるルメラ様。頭にリオの手が置かれ胸に顔を埋めさせられました。呆れる顔を我慢できていないから顔を見せるなってことですわね。
「俺の婚約者の名前を呼ばないでくれないか」
「リオ様!!」
「俺の名前も呼ぶな。俺も彼女もそんなに安い名前じゃない」
「レティシア様の所為ですね。レティシア様はいつも意地悪ですわ」
今世は初対面です。ゾクリと寒気がしてそっと顔を上げるとリオの目が鋭くなり、殺気が溢れ出ています。
リオ、落ち着いてくださいませ。リオの胸元を掴んでじっと見つめると大丈夫と囁かれました。全然大丈夫な気がしませんわ!!リオの胸から顔を放すとリオとルメラ様が見つめ合っています。
「俺達の名前を呼ぶな。わからないのか」
「そんな、なにかの間違いです」
殿下がイチコロされたうるんだ瞳と甘える口調でリオを見上げるルメラ様。殺気を出しながら冷たく睨むリオに私は寒気が止まりません。殺気出されてうっとりできるって…。
「どなたか存じませんが、いい加減になさいませ。お二人とお話したければ礼儀を勉強してから出直してくださいませ。公爵家のお二人への無礼は許しませんわ」
愛らしい声で近づいて来たのはステラ。
ステラ!?この空気によく口を挟めましたね。ステラはいつも笑顔でお話を聞いている印象しかありません。時々おかしくなるのは見ないフリをしています。
「私も同意です。レティシア様達の仲を邪魔するものはお二人を見守る会が相手になりますわ」
ブレア様!?もう食堂から帰られたんですね。
眩暈がしてきました。私は戦う気はありません。火事が起こりそうな空気に泣きたくなってきましたわ。
これ収拾つきますの?さすがにまだルメラ様の取り巻きもいませんわ…。
取り巻きがでてきても収拾つかずに事が大きくなるだけなので駄目ですわ…。
「大丈夫だから」
怖い笑顔でリオが呟きますが全然安心できません。頭を撫でられましたがごまかされませんわ。頼りになるはずのリオさえ駄目でしたわ。目の前に広がる終息不可能な光景にポロリと涙がこぼれました。
公爵令嬢として醜聞になるので周りに見えないようにリオの胸に顔をうずめます。もう何も見たくありません。
「俺の婚約者は気が弱いから言いがかりはやめろ。目障りだから去れ。初犯だから見逃すが次はない」
「リオ様の黒い笑顔!!」
嬉しそうな声が響き、ルメラ様はもしかして変態ですか?
「名前を呼ぶな」
冷たい声と肌を刺すさらに強い殺気にルメラ様の声が聞こえなくなりました。涙も止まったのでそっと様子を見るとルメラ様は青い顔で震えていました。リオの言葉を無視するという不敬の後のため誰も構いません。いつもルメラ様を擁護する取り巻きもいませんし、
「ニコル、任せた。シエル、シアの荷物を。シアは体調不良で早退。騒がせたな。ロダ、またな」
リオの酷い命令に驚くとニコル様が苦笑して手を振りました。リオにふわりと抱き上げられました。歩き出したリオに目を輝かせるブレア様。何も考えたくないので思考を放棄しました。
この空気からトンズラできるならなんでもいいですわ。




