第八十九話 追憶令嬢14歳
ごきげんよう。
レティシア・ルーンです。
平穏な生活を夢見る公爵令嬢ですわ。
二年生の学園生活も終わり進級前の短期休暇中です。
私は強くなるための修行に明け暮れたかったですがそんな余裕はありませんでした。
海の皇国から皇子様とメイ伯爵家が亡命してきました。
メイ伯爵家はローナ様の生家であり、元メイ伯爵夫妻と数人の使用人をフラン王国民として迎え入れることになりました。メイ伯爵はローナ様が行方不明後は忘れ形見の皇子様の後見として皇家に仕えていました。ローナ様も見つかり、孫の皇子様が皇族位を返上しフラン王国への亡命を希望されたので、メイ伯爵夫妻も同行を。
海の皇国は皇帝陛下は数多の妃を抱え、皇族は一夫多妻制のため皇子皇女が多く誓約さえ守れば皇族位返上は容易らしいです。
国王陛下は元メイ伯爵家の亡命を快く受け入れました。元メイ伯爵は敏腕な文官であり、事情も考慮しメイル伯爵位を授けました。
ですがこの伯爵位は名ばかりのものであり、領地は与えられていません。不正や訳ありのため王家預かりになった領主のいない王族の名の元に管理されている王侯領の一部を授けるかは今後の伯爵家の働き次第とのことです。国王陛下は穏やかでお優しい人柄ですが敏腕な文官であっても、実績のないものに宝である民を預けるようなことはされません。
事情が複雑なのでルーン公爵家が後見につき、ルーン領の分邸をメイル伯爵邸として用意しました。王都からは離れていますが王宮に通うには支障のない場所にあります。いずれ領地を与えられ、出て行くときに返していただければとお父様が用意されました。
実績のないメイル伯爵家の誕生に社交界ではお金で爵位を買った成り上がりや皇子様のロマンスや大罪ゆえの皇族位の返上など様々な憶測が囁かれています。文化の違うフラン王国での生活に慣れていただくことが先決のためメイル伯爵家が社交界に頻繁に顔を出すころには噂が終息しているといいですね。お父様が動いているので、私は命じられたことをするだけですわ。
皇子様はロダ・メイル様と名乗られ、元メイ伯爵夫妻の養子としてフラン王国民登録をされました。
ローナ様は迎えにきたメイル夫妻を見ても戸惑った笑みを浮かべるだけで記憶は戻りませんでした。今までフラン王国民として籍がなかったローナ様達はメイル伯爵一族として王国民登録をしました。ローナ様にはお父様が事情を話し、メイル伯爵家で自由に生活するように説得されました。
ロキ様のお父様は皇帝陛下ですがナギ様の素性はわかりません。ローナ様と似た容姿を持ち、メイル伯爵にとっては孫にあたることは変わりないとナギも共に引き取っていただくことになりました。複雑な事情はありますが、お父様が動いたので私は関与していません。私にとって一番大変だったのはロキ様の説得でした。普段は落ち着いているロキ様が生活の変化を嫌がりこのままルーン公爵邸で過ごしたいと願われましたがお父様は認めませんでした。ロキ様の境遇を思えば、不安になる気持ちは理解できるので環境に慣れるまでは定期的に会いに行くとお伝えするとようやく頷きました。エドワードと過ごす時間を減らして面会しようとしていることに気付いたのか私を不満そうな顔で見つめた弟には気付かないフリをしました。晩餐のあとにエディとの時間を両親に内緒で作りましょう。もしかしたらエディもロキが出て行くのは寂しいのかもしれませんわ。そうですよね。私との時間が減るのに拗ねるなんてありえませんわね。ロキのお勉強のお手伝いをしてお友達になっていましたから。
午前中にルーン領の視察をすませた私はメイル伯爵家を訪問しています。
メイル伯爵邸の管理はルーンの侍女と執事を派遣しています。うちの執事は万能ですので文官としての役目もこなしますので公私ともに役に立つと思います。
伯爵邸の中は落ち着いており、ローナ様は恐縮しながらも穏やかに過ごされています。ルーンでの侍女生活に戻りたいと話されましたが受け入れることはできないと丁寧にお断りしました。申し訳ありませんが慣れていただくしかありません。
ローナ様との面会を終え、部屋を出ると廊下でロキ様とナギ様が手を繋いで待っていました。
「お嬢様、来てくれたんですね!!」
嬉しそうに笑うロキ様の子供らしさに頬が緩みますが貴族として生きるならきちんと指導しないといけません。
「ごきげんようロキ様、ナギ様。ロキ様、私をお嬢様と呼んではいけません」
「またレティシア様って呼んでいいの?」
首を傾げるロキに笑みを浮かべて頷きます。
「私達の関係は主と家臣ではありません。もうお友達ですわ。エドワードも坊ちゃん呼びはいけませんよ」
「お友達?」
「はい。お友達です。ロキ様はもうルーンの使用人ではなくメイル伯爵家のご子息です。ゆっくりで構いませんが同じ貴族として相応しい振舞いを覚えていくと信じてますわ。今後は、」
「レティ様!!」
私の声を遮り抱きついてきたナギ様は可愛らしいです。まだ社交デビュー前なので抱きしめても問題ありませんよね。うちの後見をしている伯爵令嬢なので社交デビューは私が面倒を見ますもの。抱き上げるとナギ様が無邪気な笑みを見せました。
「レティ様、ナギがいい」
レオ様のような純粋な顔で私を見るナギ様のお願いを叶えてあげたいですが、立場的にはよくありません。私が敬称をつけない貴族令嬢はセリアとステラだけです。ステラは私のお気に入りとアピールすれば良識ある貴族は無属性のことで責めません。魔力のない伯爵令嬢への批難は私への批難と捉えられ不敬と責められるので。リオ兄様に…。リオの前で私の無属性を批難するのはパドマ様だけですわ。
お友達は親愛の意味をこめて名前で呼び合いますが、敬称は大事なものです。敬称をつけずに呼ぶと私の取り巻きと勘違いされますわ。一番呼びたくない理由は皇族を呼びつけなんて恐れ多くてできません。
「ルーン嬢、今まで通り呼んであげてくれないか。礼はやめて」
フラン王国の服を身につけた皇子様、ロダ・メイル様が現れナギを降ろし礼をしようとする私を笑顔で窘めました。
「もう君のほうが身分が高いんだ」
「シア、諦めな。ロダはもうメイル伯爵家。シアが受け入れないと周りが混乱する」
メイル様の言葉に悩んでいるとポンと肩に置かれた手に振り向くとリオがいました。メイル様はこれからフラン王国民として生きていく予定です。エドワードではまだ幼いためサポート役としてリオが指名されました。
メイル様は海の魔法が使えますが皇族位を返上する際に使用を禁じられました。魔法への考えは国によって違います。国の防衛に関わる大事なことのため魔法や軍事技術の他国への流出を防ぐ処置は当然のこと。
海の魔法が使えるため念のため魔力測定をすると風の適性がありました。リオは同じ風属性でありクロード殿下の従兄で歳も近く元皇族を接待するのに相応しい身分の持ち主です。そして私の婚約者なので頻繁にルーン領に足を運んでも問題はありません。
新学期からメイル様はステイ学園に編入するので基礎固めの教師役として頻繁に通っています。マール公爵家は事情を知りませんがリオにはロキ様達の存在が知られていますので。クロード殿下らしいご判断ですわ。
確かにリオの言う通りですわ。皇族ではなく伯爵家として関わっていかないといけませんわ。表面的には。
「わかりましたわ。メイル様」
「ロダで構わないよ」
「かしこまりました。私もレティシアとお呼びくださいませ」
「わかったよ。リオ、レティシア嬢の友達まで先が長いな」
「俺のシアは警戒心が強いのでご勘弁を」
「溺愛してるな」
「ロダでも手を出したら容赦しませんよ」
リオは穏やかな笑みを浮かべてロダ様と談笑しています。
私とリオがロダ様達と親しくなることで、好奇心で手を出す方が減ると信じたいですわ。
ロキ様がリオ達を羨ましそうに見てます。お兄様に懐いて良かったですわ。笑みを浮かべてそっと手招きします。
「ロキ様もいらっしゃい」
「ロキがいい」
ロダ様の所に行かずに私の前に立っているロキ様の行動に首を傾げます。ロキ様はいつも私にとって予想外の行動をします。
「レティシア嬢、血筋のことは忘れて伯爵家と思って関わってあげて」
「ロダ、それだと敬称は抜けないよ。シア、呼んであげな。大丈夫だから」
リオの顔を見ると穏やかな笑みを浮かべています。リオが言うなら従いましょう。
「ロキ」
羨ましそうな顔をしていたロキが笑い手を伸ばすのでそっと抱きしめます。昔に抱きしめた細くて小さかった体が嘘のようです。私の腕の中にある柔らかな体にギュっと抱きつく力強くなった腕に笑みがこぼれます。いつも必死でローナ様達を守るロキ。うちでも役に立つためと執事の仕事を勉強していたそうです。私はこの子に子供として過ごせる場所を作れませんでした。たくさん苦労したロキが幸せになれるようにと願いながら頭を撫でます。私の肩に宥めるようにポンと手を置くリオ兄様のような存在がロキにようやく現れましたわ。感傷に浸るのはいけませんわね。
「レティシア嬢には敵わないな。兄として寂しいな」
寂しそうな声で勘違いしているロダ様の顔を見上げます。
「ロダ様、私の大事な三人をお願いします。私はロキに子供でいられる場所を用意できませんでした」
「もちろん。私の代わりに守ってくれてありがとう。私達は君への恩を忘れないよ」
「私は何もしてませんわ。それに助けたのはリオとお父様ですわ。貴族として当然のことですので気にしないでくださいませ」
「俺を見つけてくれたのはレティシア様だ。誰も助けてくれなくて、」
ロダ様が腕を伸ばすのでロキの腕を解きます。ロダ様がロキを抱き上げると寂しそうな声を出していたロキがきょとんとしました。
「ロキ、母上達を守ってくれてありがとう。これからは俺が守るから。一緒にレティシア嬢達に恩返ししていこう。やりたいことをやればいい」
「兄上」
ロキが固まりしばらくすると涙をポロリと流しました。
初めての庇護者の存在に安心して涙が止まらない気持ちはよくわかります。ずっと私の肩に置かれている手に手を重ねると優しく微笑んでくれる私の最大の味方であり庇護者。きっとこれからロキの世界は変わります。私の世界は変わりましたから。
「レティ様?お兄ちゃん」
「大丈夫ですよ」
不思議そうにロキ達を見ているナギの頭を優しく撫でます。
「俺に任せろ。大丈夫だから」
貴族として生きるのは楽なことではありません。もしも闇に襲われても光を見つけられますように。泣きたくなるほど頼もしい声の持ち主の手を握ります。脱貴族をしたいと願う私。ロキと私の違いは家族に望まれていることですわ。ロダ様のロキを見つめる瞳には優しさが詰まっています。脱貴族するまではロダ様達が闇に襲われないように手を回しましょう。
もうすぐ学園が始まります。学園の始まりはロダ様にとって平穏でない時間が待っているのは確かですから。




