第八十五話 追憶令嬢13歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンです。
気楽で平穏な生活を目指す公爵令嬢です。
長期休暇が終わりました。
味方を増やす作戦の一つはリオと親しくみせることです。そのアピールの一つとして休み明けの学園に戻る日はいつもリオがマールの馬車で迎えに来てくれます。挨拶をすると顔をじっと見つめられ怪我がないかをなぜか確認されました。そしてきちんと眠れたかも。大丈夫と微笑むと優しく微笑み返され一瞬思考が止まりました。私の不審な行動を怪しまれ隠し事がないか馬車の中で尋問を受けました。恐ろしい時間でしたわ。馬車が止まった瞬間に自ら馬車を降りてトンズラしようとすると気弱な令嬢、作戦と囁かれ目的を思い出したのでリオのエスコートを受け馬車から降りました。
久々の学園にリオと一緒に登校すると視線を集めますが気にしません。リオに手を引かれながらマルク様がいないかそっと確認します。マルク様が見当たらないことに安堵して体の力が抜けました。うっかりリオの手を強く握っていたことを謝罪するとエセ紳士モードのリオが手の甲に口づけを落として、令嬢が悲鳴をあげました。エセ紳士モードの言葉を笑顔で流していると教室に着きました。まだ登校時間には早いので生徒も少ない時間です。珍しく登校しているアリッサ・マートン侯爵令嬢に嫌な予感がします。私の喧嘩なのでリオに「手出し無用です」と囁くと苦笑して頷き私の手を解きました。
マートン様が笑顔で私に近づき礼をしました。
「ルーン嬢、ごきげんよう」
「ごきげんよう。マートン様」
マートン様はいつもは私ではなくリオに挨拶します。私にとっては初めてのマートン様の淑女の礼に警戒しながら、令嬢モードで笑みを浮かべて礼を返します。隣にいるリオが帰らないことが不思議ですが気にしません。
「妹がお世話になってお礼をさせてほしいわ」
「アリス様からお礼はしていただいたのでお気持ちだけで充分ですわ」
響く声で話すマートン様に笑みを浮かべたまま言葉を返すとマートン様の唇が弧を描きました。これは何か企んでいる時の笑みでしょう。覚える気はありませんでしたが、見慣れ過ぎて覚えてしまいました。解毒できますが私は毒入りのお茶など飲みたくありませんわ。マートン様のお茶会は誘われても絶対に参加しませんよ。同級生なので茶会の招待客に選ばれないのはありがたいですわ。初めて同級生であることに感謝しました。
「まぁ!?公爵令嬢が下級生から贈り物を!?」
「愛らしい笑顔で感謝の言葉をいただきましたわ。可愛らしい妹君をお持ちで羨ましいですわ」
非難の声を響かせるマートン様の淑女らしくない行動に呆れますわ。休暇中に夜会でお会いしたパドマ様は眉を動かしても笑みを崩しませんよ。非常識な言動ですが見ている分には談笑しているようにしか見えません。私はリオとパドマ様の冷たい談笑に怯えながらその場を離れたくてたまりませんでした。
私は敵対派閥からの贈り物は絶対に受け取りません。それはアリス様でも同じです。
マートン侯爵家からの贈り物なんて罠にしか見えません。
それに下位の下級生からの贈り物を受け取るのは捉え方によっては醜聞になりかねませんわ。ルーンは贈り物を取り引きの手段としてとらえますが、貴族によっては施しと考えている方もいます。価値観はそれぞれです。自分達と違う価値観の持ち主とも渡り合わないといけません。私の言葉に余裕のある笑みを浮かべていた眉がピクリと動き目が吊り上がりました。パドマ様、取り巻きの教育をきちんとされたほうがいいですわよ。まぁ気にするのはやめましょう。
私が受け取るものは正当な理由があるものとお父様経由のものだけですわ。そして私は社交デビュー前はずっとクロード殿下の贈り物を断り続けたので送り返すのは慣れてます。うちの家臣達は教育されているので私の受け取りたくない贈り物を開封することはありません。私に贈り物の対処の確認をしてから安全確認をして渡します。ルーン公爵邸に贈られる物はお母様の管轄なので、私が不在時はお母様が代わりに処理してくださいます。
「困ったことに、私の可愛い妹の評判を落とそうとしている方がいますのよ」
「大変ですね。侯爵令嬢ですとどうしても……。ねぇ?」
「貴方ですわよ!!」
遠乗りを邪魔された時のアリス様の怒った顔と同じ顔で睨まれています。貴族なので落とし合いはよくあることです。そんな当然のことを批難されても困ります。あくまでも見つからないようにがマナーですが。証拠がなければ認めませんし、落とされる方が悪いと思います。リオの視線を感じて気弱設定を思い出しました。生徒も増えてますしいけませんね。よわよわしい顔を作り首を傾げます。
「身に覚えはありませんわ」
ガシャンと勢いよく扉の開く音に視線を向けるとアリス様が駆け込んできました。
「お姉様、おやめください」
「アリス!?」
驚いた顔のマートン様に息を切らしているアリス様が向き直りました。
「お姉様が早めに屋敷を出たと聞いて急いで追いかけてきました。レティシア様への無礼は許しません」
「自分の行動わかっているのかしら?」
そっくりな顔で目を吊り上げて睨み合っているマートン姉妹。しばらくしてアリス様が蔑んだ笑みを浮かべました。パドマ様にそっくりですわ。
「こちらをご覧ください」
アリス様の連れてきた侍女が書状を広げました。マートン侯爵印と血判があるのでマートン侯爵の正式な勅命書です。
自己責任での交友関係を許す。ルーン嬢との交友も認めると記載されアリス様のサインもあります。
マートン侯爵家はわざわざ勅命書を用意しますの?私はお父様から勅命書入りの命令は受けたことがありません。当主の勅命書の命令は絶対です。指示を出す上でよく見かけるものですが多くは補佐官の代行。そして血判が入ったものは中々見かけません。領地改革や裁き等大きな変化をもたらす時に使われるものです。私がお父様の勅命書に了承のサインをしたのは婚約の書類だけです。親族に婚約を発表する婚約式の時に当主の了承のある婚約の証明として勅命書にサインをします。それは二部用意され、一つはお父様が、もう一つはマール公爵が保管しています。他の書類もありますがそれらは全てお父様が手続きしてくださったのでよくわかりません。婚約も婚約破棄も手続きが大変です。それもあり婚約破棄はフラン王国ではよくないものです。
「お父様には了承を得ていますわ」
「私とお母様が許さないわ」
「私はマートン侯爵令嬢なのでお父様に従います。お父様の命でしたらレティシア様との交友も控えます」
「あなた……。ルーン嬢の影響を受けて」
アリス様を睨んでいたマートン様が私を睨みました。巻き込まないでくださいませ。こんなくだらないことに勅命書が出るのって醜聞ではありません?口頭での命令に効果がないから、目に見える制約という形で残されたということ。当主の命令に従えない令嬢に存在意義はないんですが。
これはマートン侯爵家の問題なので私は関係ありませんわ。
席に座ろうとするとリオに腰を抱かれました。抗議の視線を向けると首を横に振られました。この茶番に付き合えと視線で訴えるので、ため息を我慢して頷きました。
「もともとの性格です。お姉様に従っていたのは面倒だったからです。今はお姉様達の相手をしてでもやりたいことがあります」
「格下と婚約したいなんてありえませんわ」
学園で姉妹喧嘩という醜聞を曝している自覚はないんでしょうか。上位貴族の多いこの場で格下なんて言えば反感を買いますよ。家格は劣っても貴族は家に誇りを持っています。隣で私が逃げないように腰を抱くリオが呆れた笑みを浮かべてます。格下宣言した家が上位伯爵家であり王族への覚えも目出度いグランド伯爵家と知ればさらに多くの方々が非難の目を向けますよ。これはクロード殿下が諫める言動ですよ。序列は大事にしてますが、殿下の中ではどの家も平等です。各々の家の得意分野を生かして国を治めるのが殿下の目指していたものです。
「お姉様にはわかりません。お父様の了承を得ておりますもの。いずれお姉様にも恋する方ができればわかります」
「侯爵令嬢は家の為に婚姻するものですよ」
マートン様が常識的なことを言っているようですが、今回は非常識です。当主が認めた良縁ならきちんとした形になるように動くのが貴族令嬢ですよ。常識があるならアリス様に協力、百歩譲って傍観です。絶対に邪魔をしていいものではありません。当主の意向に逆らう令嬢としてあるまじき行為ですわよ。
「もちろんお互いの家の利もあります。お父様が了承したんですからお姉様にもお分かりだと思います」
「あなた……」
「私のことでレティシア様を責めるなら私はレティシア様側につきます。ルーン公爵家は敵対派閥ですが、私の周りにもレティシア様を慕う令嬢おりますのよ。お姉様よりも。学園は平等で自由ですものね」
姉妹喧嘩は挑戦的な笑みを浮かべたアリス様が優勢です。今回は理に適っているのはアリス様です。非常識が十八番のお姉様も言葉が出ないでしょう。ステラとハンナが登校しましたわ。心配そうな顔をする二人に笑みを浮かべてそっと手を振ろうとするとリオに手を掴まれました。
リオはいつまでこの茶番に付き合うのでしょうか。抗議の視線を向けると宥めるように頭を撫でられました。
「自分のやっていることわかっていますのね。お母様に言いつけます」
「ご自由に。お姉様に恋の相談はできませんもの」
「ルーン様なら頼りになると?」
「あら?レティシア様とマール様の関係に憧れてる令嬢は多いのですよ」
「この二人は政略よ。貴方とは立場が違うわ」
「貴族の婚姻に政略は当り前です。二人の愛を叶えるために地盤を整えての婚約です。恋愛結婚のようなものですわ」
「マール様はお優しいから魔力のない従妹を見捨てられなかっただけですわ」
「お姉様、そんなこともわかりませんの?マール様、優しくありませんよ」
今までマートン様達に集まっていた視線が私に集まっています。リオがエセ紳士モードの笑みを浮かべています。巻き込まないで下さいませ。
「アリス、マール様に無礼ですよ」
「事実です。マール様はレティシア様には優しいですがそれ以外は無関心ですわ。どんなにお姉様が望んでもその優しさがお姉様に向くことはありませんわ。そろそろ負けを認めてはいかがですか?」
リオの名前が聞こえたのでマートン様達に視線を向けました。
もしかしてマートン様はリオに憧れる令嬢の一人でしたの?
「もしレティシア様が亡くなってもお姉様が選ばれることはありませんわ。マートン侯爵家はマール公爵家に圧力をかけられないのはご存知でしょう?」
「俺が守るから安心して。大丈夫だから」
リオがうさんくさい笑みを浮かべて抱き寄せ、胸に顔を押し付けました。ブレア様の悲鳴が聞こえたのは気の所為でしょう。
「レティシア様を害することでマール様に嫌われていることがわかりませんの?嫌悪が愛情にかわることなどありえませんわ」
もう突っ込むのも疲れました。抱き寄せてリオが令嬢が喜ぶ言葉を言っていますが反応する気力もありません。もう任せましょう。マートン様と徹底抗戦するつもりですが自分に仕掛けられていないのに相手にするほど酔狂ではありません。
先程からマートン様が黙ってます。ようやくこの茶番は終わりでしょうか。
「貴方……。いつか後悔しても知りません」
「覚悟の上です。レティシア様への無礼はおやめ下さいね。お姉様」
リオの腕がようやく解けて席に戻ろうとすると目の前にいたはずのマートン様がいなくなり、教室から出て行きました。
そして目の前でアリス様が頭を下げています。
「レティシア様、申し訳ありませんでした。もしお姉様に絡まれたら教えてください」
「頭をあげてください。お気持ちだけで十分ですわ。授業に遅れるのでそろそろ教室に」
「お騒がせして申しわけありません」
アリス様が優雅に礼をして去っていきました。そういえばそろそろ授業が始まります。もう一人、ここにいるべきでない相手を見ます。
「リオ?」
楽しそうな顔のリオにまた抱きしめられました。
「名残惜しいけど、俺もこれで。授業頑張って」
腕を解いたリオは宥めるように私の頭を撫でて去って行きました。教室にはよくわからない空気が流れています。物言いたげな生徒にリオにあてられ真っ赤な顔の生徒に盛り上がるブレア様達。
この空気を作ったのはリオとマートン姉妹です。私は関与していないので謝罪するのは変ですよね。リオ兄様、この空気をなんとかしてから立ち去って欲しかったですわ。この異常な空気には気付かないフリをしてよわよわしく微笑み席に座ると楽しそうに笑うセリアとニコル様に迎えられました。そしてクラム様だけが優しく慰めてくれました。クラム様ならセリアを任せていいかなと一瞬思いましたが色恋に関わりたくないので思考を放棄しました。




