第八十話 前編 追憶令嬢13歳
ごきげんよう。レティシア・ルーンですわ。
気楽で平穏な生活を目指す公爵令嬢ですわ。
長期休みがやってきました。
今年の休みは社交の予定ばかりです。私が帰るとお母様はエディの修行に専念できるそうです…。
エディは跡取りなので手をかけるのは仕方ないこと。私は伯母様を通してお願いして一週間だけターナー伯爵家への修行が許されましたので何も不満はありません。休みがほぼなしでも構いませんわ。
長期休みに入ってすぐに大きな社交が控えています。
海の向こうの国の海の皇国より皇子様と皇女様が外遊のため訪問されています。
陛下より皇女様の接待を命じられています。
皇子様は流暢なフラン国語話されますが、皇女様は海の皇国語しか話せません。通訳もいますが年の近い海の皇国語を話せる令嬢の接待を希望されました。同世代では海の皇国語を話せるのは私だけなので、白羽の矢が立ちました。ルーン公爵令嬢として断れないお役目ですので精一杯励みます。
海の皇国の方達は色素が薄い。
私が接待を任されている皇女様は海を思い浮かべるような薄く青みがかった瞳に金髪、物語に出てくる人魚姫のような外見です。
人魚姫は海底に眠るといわれる国のお姫様。
はるか昔の話です。
人魚姫は船から落ちた陸の国の王子様を助けます。そして二人は恋に落ちます。
ですが2人は両国の跡取り。いずれ違う相手と結婚しなければなりません。
王子様は人魚姫に自分の魔力を込めた指輪を贈ります。
人魚姫は自分の涙でできた真珠のネックレスを。
王子様は人魚姫が危険な目に合わないように守りの加護を。
人魚姫は王子様が幸せになるように恵みの加護と海の魔法を贈ります。
そして二人は別れます。
人魚姫の国は王子様の加護のおかげで、誰にも見つからず。
王子様の国は海の魔法と海の幸に恵まれ豊かな国に。
結ばれなくても想いは共にと、令嬢達が憧れる物語の一つです。
「レティシア?」
飾られている海の絵を眺めながらぼんやりしてました。皇女様に見つめられているので笑みを浮かべて向き直ります。
「皇女様、どうされました?」
「博物館は満足しました。お忍びをしたいのです」
皇女様と一緒に王立博物館を見学していました。館内をスタスタと歩かれ、美術品はほとんど目を止めなかったので興味がなさそうだなっと気づいていました。館長の説明さえお断りしましたし…。
皇女様は12歳。パーティでは落ち着いていましたが時々突拍子もないことを言われます。正直に言うと空気を読めない我が儘な方です。
「皇女様、申しわけありません。私ではお力添えできませんわ」
「馴染みの土地なら簡単でしょ?腕には自信があるので護衛はいなくても構いませんわ」
自信満々に微笑むお顔に頭が痛くなってきました。
「申し訳ありません。私はお忍びをしたことありませんので、お力に慣れません」
「勿体ないわ。私が手ほどきして差し上げますわ」
外交問題がおきますわ。淑やかな外見に反して意志の強い口調。人に命じる立場にある方。折れていただける雰囲気は微塵もありません。博物館は貸し切りにしてあります。そのため護衛騎士も6人しか連れていません。皇族の安全に配慮した視察予定を組まれております。もしも予定外の行動を、お忍びを許せばここの騎士と私の首がなくなりますわ。接待役で一番大事なのは御身の安全と予定通りのご案内です。お忍びを止めようと悩んでいると控える騎士が礼をしました。
「ルーン嬢を困らせるのはやめなさい。父上との約束が守れないなら強制送還するよ」
皇子様の声がしたので礼をします。
「お兄様、どうして?」
「私も興味があってね。殿下にお願いしたんだ」
弾んだ声の皇女様は嬉しそうな笑みを浮かべていると思います。
「ルーン嬢、楽にして。苦労をかける」
クロード殿下の声に安堵して頭を上げます。皇子様の接待はクロード殿下のお役目。皇子様と皇女様の視察予定は別々に組まれています。お二人がいらっしゃるなら皇女様のお忍びは止められそうですわ。止められなくても殿下は護衛の手配もできるので、あとはお任せできますわ。王族の許可があれば予定変更も許されますわ。私達の首は無事でしたわ。アリア様の恐怖のお説教回避ですわ。接待の前に失礼のないようにと美しい笑顔で警告されましたから。
「いえ、どうしてこちらに?」
「皇子が妹君を心配なさってね。そろそろ危ないって。王宮まで付き合うから安心して」
殿下は社交用の穏やかな笑みですが瞳が笑っています。困っている私を見て楽しそうに笑う殿下は腹黒です。でも皇女様は私の手に負えないので感謝を込めて笑みを浮かべます。
「ありがとうございます」
「ルーン嬢が素直にお礼を言うなんて珍しい」
「殿下!?」
珍しくふざけている殿下に目を丸くすると、楽しそうな金の瞳に見つめられ一瞬淑女の仮面が外れ思わず笑ってしまいました。
その後は四人で博物館を見学し馬車に乗って王宮を目指しました。クロード殿下のエスコートに自然に反応する体に思うところがありましたが、お役目に集中するため忘れましょう。
馬車の中で正面に座っている皇子様は金髪に薄い緑の瞳を持っています。挨拶はしましたが、じっくりお顔を拝見するのは初めてです。
物凄く見覚えがあるような……。
「レティシア?お兄様になにか?レティシア」
「ルーン嬢、そんなに見つめられると照れるんだが」
温かい手に包まれ握られる手が一瞬痛み、クロード殿下からの合図に我に返りました。
うっかり皇子様の顔を凝視してましたわ。頭を下げます。
「申しわけありません」
「頭をあげて」
「レティシア、お兄様に見惚れました?」
謝罪の口上を頭に幾つも並べますが相応しいものが見つかりません。凝視する不敬なんて生まれて初めて働きましたわ。
「彼女は海の皇国の方々に会うのは初めてだから。失礼しました。ルーン嬢、皇子は気にしてないから顔をあげて」
クロード殿下に代わりに謝罪をさせてしまいました。
あるまじき失態です。
「殿下、申しわけありません」
ゆっくりと顔を上げると殿下が視線で気にしないでと言ってくれます。昔からさりげなく助けてくれました。今更ですが、私が完璧な王太子の婚約者でいられたのは殿下のおかげですわ。優しい気遣いと慰めるように指に絡められる手に笑みがこぼれました。幼い頃、接待に慣れずに緊張する私に隣にいるから任せてとよく馬車の中で手を繋いでくださいました。
「あら?お兄様…?私はお兄様とレティシアなら応援しますわ」
「私に近づく令嬢を威嚇してきた君が言うのか」
「妹として当然です。私の認める方でないとお兄様の傍に侍ることは許しませんわ」
「皇女…」
一瞬浮かべた困惑した皇子様の顔……。ロキ!?出会った時のロキが浮かべた顔とそっくりですわ。まさか?でもよく見るとやっぱり面影が重なります。
「レティシア?」
呼ばれる声に笑みを浮かべて向き直ります。今は接待優先です。ロキのことは後で考えますわ。
「はい、皇女様、どうされました?」
「お兄様は素敵よね?」
「はい」
「海の皇国に来ませんか?ルーン公爵令嬢なら皇子妃として十分。私はレティシアを気に入ってます。お義姉様として受け入れますわ」
「皇女。やめなさい。彼女には婚約者がいるだろう」
「婚約者?」
「初日の晩餐会で紹介されたろう。貴族の名前覚えないと」
「だって、たくさんいましたもの。お兄様の記憶力と一緒にしないで」
皇女様の戯れを止めてくれる皇子様がいると物凄く楽ですわ。今までの苦労が嘘のようですわ。仲の良い兄妹の様子を微笑ましく眺めていると隣の顔を見てため息を飲み込みました。
クロード殿下は笑顔ですがつまらなそうに見ています。重ねられた手に視線を向けると笑みを浮かべて解いてくれました。私は殿下に手を握られても動揺しません。私で遊ぼうとする腹黒殿下に令嬢モードを再び武装して向き直りました。負けませんと視線を交すと殿下が微笑まれました。感情の読めない笑みを殿下が浮かべると馬車が止まり王宮に着きました。
皇子様と殿下は騎士団の視察に行くので、礼をして見送り皇女様を部屋まで送るために歩き出します。庭園の散歩を希望されたのでご案内し、皇女様の話に耳を傾けながら、海の色の瞳の美しさを堪能します。
「皇女様は美しい瞳をお持ちですね」
「私の瞳?」
「はい。宝石みたいで綺麗ですわ」
「私はお兄様とお揃いがよかったわ」
「お兄様の瞳は珍しいのですか?」
「えぇ。私の瞳の色は一番多い。国民には青系統が多く、次に緑色、一番希少は黄色」
「黄色の瞳ですか?」
「殿下の金色の瞳よりも色素の薄い黄色。お父様以外で見た事ないわ」
散歩に飽きた皇女様を部屋に送り王宮の客室に帰りましょう。
皇女様が滞在する一週間は王宮に泊まっております。いつでも呼び出しに応じられるように。昔もよく王宮に泊まっていたので緊張はしません。頻繁に王族と食事を共にするのは苦行ですが。
ロキは黄色の瞳に金髪。ローナとナギは海の色の青い瞳に茶髪。
海の皇国の情報はなかなか手に入らない。今までやり取りも外交官同士であり皇族が外遊に来るのも稀。陛下が即位してからは初めてと聞いています。
これはさすがのお父様でも手詰まりになりますわ。
「ルーン嬢?」
顔を上げると花の香りに目の前に広がる見覚えのある花々。ここは王宮庭園でも一番人目につかない休憩場所。生前のお気に入りの場所であり落ち込んだ時によく来てました。ここに隠れているといつもリオが見つけてくれましたわ。本能でここを目指してしまったのかもしれません。
ふわりと肩に上着をかけられ、横を向くクロード殿下がいました。
「礼はいいよ。上着も返さないで。悩んでる?」
「殿下のお手を煩わせるほどではありませんわ」
そっとエスコートされて近くの椅子に座らされました。殿下が隣に座り私の肩にかけた上着が落ちないように支えてます。お礼を伝えて上着が落ちないように羽織り直すと頷いて手が離れました。
殿下から解放されたことにほっとすると金の瞳にじっくりと見つめられました。意思の強さと力強さを持った金の瞳は捕らえた物を逃しません。これは話すまで解放されません。
殿下は昔から隠し事見抜くの得意で、隠し通せたことなど記憶にありませんわ。
「杞憂ならいいのですが」
「クロードとして話しを聞くよ。先輩には甘えるものだろう?」
観念した私に金の瞳が細められ、甘さを含んだ聞き覚えのない声が耳に響きました。殿下の甘い笑みは初めて見ましたがエセ紳士モードのリオにそっくりですわ。
殿下、その甘い笑みをカトリーヌお姉様にすれば効果があったかもしれませんわ。
話すまで解放されないのはわかっているので正直に話しましょう。
「ここだけの話にしてくださいませ」
「無礼講だよ」
ロキ達を保護したことと海の皇国の特徴を説明すると殿下の柔らかい笑みが穏やかな社交の笑みをに変わりました。殿下の反応を見てもしもが確信に変わりました。これは私の責任です。
「ごめん。ルーン嬢、これはここだけの話しにはできない」
「恐れながら殿下、一つお願いがあります」
「できるだけ叶えるよ」
感情を隠した瞳の殿下の心意はわかりません。やることは決まっているので頭を下げます。
「もしこの件でルーン公爵家が咎められるなら罪は私だけにしていただけませんか。他国の皇族を監禁した罪は私の首では軽すぎます。ですがどうか恩情をいただけないでしょうか」
沈黙が続き、体に冷たい汗が流れます。殿下の沙汰が出るまで目を閉じただ待つだけ。あまりの長い沈黙に目を開けると殿下の顔がありました。私の前に膝を降り、私の顔を覗き込んでいるありえない光景に立ち上がる。立ち上がった殿下が私の肩に手を置き、笑みを消して真剣な顔で口を開く。
「私はレティの味方だよ。君の首をさらすなんて許さない。ルーン公爵家にもマール公爵家にも非がないように進めよう」
「殿下の恩情に感謝いたしますわ」
ありがたい言葉に力が抜けそうになりました。
「相変わらずだね。私は今でも君にとって大切?」
真剣な顔から穏やかな笑みに切り替えた殿下が言葉遊びを始めました。ロキ達の件はもう大丈夫ですわ。殿下は言葉の重さを知っているので、うちを咎めることは絶対にしません。笑みを浮かべて言葉を返します。
「もちろんですわ。近い将来、忠誠を迷うことなく捧げるのは殿下だけですわ」
「親愛なる?」
「はい。親愛なる殿下に忠誠を。私は殿下が作る国を臣下としてお手伝いしたいと存じます」
「本当に私のレティにそっくりなのに、違うんだよね。調子が狂うな。そろそろ送ろう」
「お気持ちだけで。殿下の貴重な時間をこれ以上いただけませんわ」
「君にならいくらでもあげるよ。強硬手段もあるけど、どうする?」
抱き上げるという脅しに笑みを浮かべながら、口を開きます。私が折れる以外の選択肢はありません。
「ありがとうございます。殿下に送っていただけるなんて光栄ですわ」
「お手をどうぞ。ルーン嬢」
殿下にエスコートされ、久しぶりの懐かしい場所を歩きました。笑みを浮かべる殿下の話に耳を傾け、庭園では見たことのない花を見つけました。
「ルーンの花は綺麗だから。公爵に頼んで仕入れた」
「ありがとうございます」
「ルーンの花は……。そういえば興味深い文献が見つかった。魔方陣には穴がある。私の考えだから心に留めてくれるかい?」
「殿下のお心のままに」
時々殿下は思考をまとめるために話をされます。私には理解できない内容なのですが、問題ありません。思考を纏めた殿下が満足そうに頷き話が終わるのはよくあることです。広い庭園から部屋までの長い道のりは懐かしい日を思い出しそうになりました。礼をして上着を返し部屋に入り窓の外の星空を眺めます。見上げる景色は同じなのに、心の中は正反対。王族となる覚悟を決めた昔の私と逃げることしか考えてない私。殿下の優しさはどんな立場でも変わりません。私は殿下の邪魔はしませんわ。そしてそれがお互いに幸せになれる道ですわ。人生なにがあるかわかりません。明日も早いのでもう休みましょう。
殿下とお父様によりロキ達の素性の調査がされました。
ローナ、いえローナ様はさらわれた海の皇国の側妃様でした。
皇女様には伏せられ、皇子様と殿下と後日ルーン公爵邸で対面する日取りが決められました。




